原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

資格は取りゃいいってもんでもないが…

2008年02月24日 | 自己実現
 今日(2月24日)、この寒風吹き荒れる中、中学生の娘が英検の2次試験に出かけたので思いついたのだが、私が取得してきた資格の話でもしてみよう。

 表題の通り、資格は取りゃいいってもんでもないのだが、私は現在までにおびただしい数の資格を取得してきている。
 履歴書記載時にはいつも苦労する。ワープロで打つ場合は自由書式にできるためさほど問題はないのだが、市販の履歴書に記載する場合は資格欄が5行程しかない書式が多く、これではごく一部しか書けない。そこで、提出目的に合わせて記載する資格を絞り込むしかないのだが、私という人間をトータル評価してもらうためには本当は全部記入したいため、どうしても欲求不満が残る。
 
 決して資格マニアという訳ではなく、仕事上の必要性に迫られたり、また、仕事や学業や趣味に勤しむ過程で得た知識や技術を形にして残そうと考えた結果である。

 それでは、今までに私が取得してきた資格を分野別にざっと振り返ってみよう。

 まずは、医学関連から。
 私は20歳代前半に新卒で医学関係の民間企業に入社したことについては既にバックナンバーで記載しているが、資格としては「臨床検査技師」国家資格を取得しての入社であった。そして、その医学関係の仕事上の要請で「臨床病理技術士“血液学”」と「同“血清学”」を取得した。 これら医学関係の専門資格は職業と直接結びつき、“食いぶち”として私の今までの人生に一番貢献してくれている。

 次に教職関係。
 2度目の大学卒業と同時に教職免許「中学・高校一種“社会”」「高校一種“商業”」を取得。その後、大学院修了と同時に教職免許「高校専修“商業”」を取得した。  後だから言うが教員を職業にするつもりは全然なかった。専門性が決して高くはない職業だし、大卒で取れる資格はこれ位しかないのでとりあえず取っておいただけのことで…。(現職教員の方々、はっきり申し上げて誠に申し訳けございません。) それでも、これを取得しておいたお陰で教職を体験できたことは、私にとってはまたとなく貴重な歴史の一部である。

 そして、英語関係。
 英検2級を取得したのは30歳を超えてからのことであった。2度目の大学受験勉強で頑張った英語力を形にして残そうと考えての英検受験であった。
 英文タイプ2級も取得している。これは医学関係の仕事においてコンピュータのプログラミングをする機会があったのだが、FORTRUNはともかくCOBOLはプログラムの入力文字数が多いのに難儀したのがきっかけで、キーボードのJIS配列をマスターしたいがために取得したものだ。お陰でブラインドタッチが難なく出来るのであるが、これは取得後25年ほど経過した今でも日常生活上大変重宝する資格である。
 ついでに言うと、プログラミング力の資格である第二種情報処理技術者試験にもチャレンジしたのであるが、これは惜しくも落ちた。
 
 学位関係では、大学院修士課程を修了し「経営法学修士」を取得している。
 これに伴い、税理士試験税法3科目免除申請を通過し、バックナンバーでも既に述べているが、残りの税理士試験会計2科目は現在受験中である。(先の見えない軟弱受験者ではあるが…)

 まだある。
 普通自動車運転免許は19歳の時に取得している。
 それから、趣味でエレクトーンを習っていた時期があるのだが、ヤマハの「エレクトーン演奏グレード9級」から受け始め、「同グレード6級」まで取得している。20歳代後半の頃の話だ。  
 
 取得資格が多すぎると、しかもその取得資格が私のように中途半端なものばかりだと、私という人物を知らない相手からはかえってポリシーのない人間であるように誤解されたり、ややもすると軽はずみな人格なのかと疑われかねない。 特に社会的に権力のある立派な資格(いったいどんな?)を取得されていらっしゃる方々からは??
 自己弁護になるかもしれないが、どのような資格試験であれそれに合格する努力は並大抵のものではない。そして、合格により得られる達成感は合格した者にしか味わえないものであろう。たとえそれが自己満足の域を超えていないとしても…。 そして、どの資格も自分の長い人生において、不思議と何らかの形で大なり小なり役に立つものだ。

 確かに、資格なんて取りゃいいってもんでもないんですけどね…。
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