昔、“お茶をする”という文化があった。
この“お茶をする”というのは、喫茶店で人と会って珈琲でも飲みながらゆったりと談話することである。
現在は、この“お茶をする”文化がすっかり陰を潜めてしまっている。そもそも、“正統派”の喫茶店をほとんど見かけない。見かけるのは「スターバックス」等の、飲料をセルフサービスで提供され、軽く腰掛けて短時間で飲むような外食チェーン店ばかりである。そこには“語りの場”はないのが特徴である。
私がまだ田舎で暮らしていた頃の学生時代に、この喫茶店がよく流行っていた。9月7日の朝日新聞別刷の「喫茶店」の記事の中でも取り上げられていたが、ちょうどフォークグループ「ガロ」の“学生街の喫茶店”が流行った頃だ。“君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ♪” まさにその通りで特にこれといった理由もないのだが、女友達とダベる時も、彼氏とデートをする時も、どういう訳がとりあえず喫茶店なのだ。
そのうち、女友達と喫茶店に行く時は飲み物だけでなくデザートや軽食などの食べ物にもこだわった。
当時、田舎においてさえ喫茶店は多くの店が競合していて、各店が様々な工夫を凝らしていた。珈琲等の飲料のみならず、パフェの美味しいお店があれば、ホットケーキは絶品の店もある。夏ならばフラッペ(かき氷)がたまらない。またピザならお任せのお店やら、ドリアならこのお店に限る等々、より取り見取りなのである。次々と新しい喫茶店を開拓しては、日替わりで色々な喫茶店に通ったものである。
女友達とは学校で1日中話しているのに、どういう訳かいつも帰りの時間になると「サテンに寄ってから帰ろう!」という話になるのだ。(“サテン”とは茶店、すなわち喫茶店の略語であるが。) そして喫茶店で美味しいデザートや軽食を食べて珈琲を飲みながら、1、2時間はくっちゃべる。一体何をそんなに話すことがあったのだろうかと今になっては不思議に思うのだが、きっとお互いに好きな男の子の話でもして盛り上がったのであろう。
一方、彼氏と“サテン”に行く場合は、珈琲専門の純喫茶や、ジャズ喫茶、ロック喫茶などが多かったように記憶している。あるいは、ドライブがてらドライブインの喫茶店にもよく行った。当時、珈琲にこだわっている男の子は多かった。私など珈琲と言えば“ブレンド”しか注文しないのだが、彼氏の方は、ブルマン、キリマン、モカ、等々、彼女の前でカッコつけたい年頃だ。そしてブレンドを注文しようとする私にも勧めてくれる。“ガテマラ”は学生時代に彼氏に教えてもらって初めて知った銘柄だ。
そしてやはり1、2時間は語り合う。一体何をそんなに語り合ったのだろう。お互いの将来の夢でも語り合ったのだろうか、記憶にないなあ。
喫茶店には音楽がつきものである。ジャズ喫茶やロック喫茶等の音楽専門喫茶店でなくとも、必ず音楽が流れている。洋楽であったり、歌謡曲であったり…。 喫茶店で流れていた音楽が、その時喫茶店で話し合った内容や自分の心情と交錯するのだ。
この喫茶店での音楽に関して、今尚忘れ得ぬ思い出がある。私が上京する直前の3月のことであったが、彼氏と喫茶店で珈琲を飲んでいた。既に二人の関係はギクシャクしていて、私の上京と共に別れが訪れることは特に取り決めを交わさずとも二人共暗黙の了解だった。
そんな別れを目前に、それでもなお未練を引きずって向かい合っている二人の空間に流れたのが「甲斐バンド」の“裏切りの街角”であった。 “わかったよ、どこでも行けばいい♪”“プラットホーム…”“切符を握りしめ…”“あの人は見えなくなった…♪” 未練を引きずる私の壊れかかった心に、これらの歌詞がグサリ、グサリと突き刺さる…
そして数日後、彼氏を郷里に残して私は一人で東京に旅立った。
“お茶をする”文化とは“語り合う”文化でもある。珈琲を味わいながら気の合う相手とゆったりと語り合う…、何とも贅沢な文化である。あの頃は人々の心にはまだ、そういう時間や空間を人と共有できる余裕が持てる時代だったのであろう。
セルフサービスのチェーン店では、人は順番待ちをして飲み物を注文し高椅子に腰掛け一人で短時間を過ごした後、そそくさと席を立ち喧騒の街の中へと消え去っていく。現在は、そんな風景を日々見慣れる時代にすっかり移り変わっている。
この“お茶をする”というのは、喫茶店で人と会って珈琲でも飲みながらゆったりと談話することである。
現在は、この“お茶をする”文化がすっかり陰を潜めてしまっている。そもそも、“正統派”の喫茶店をほとんど見かけない。見かけるのは「スターバックス」等の、飲料をセルフサービスで提供され、軽く腰掛けて短時間で飲むような外食チェーン店ばかりである。そこには“語りの場”はないのが特徴である。
私がまだ田舎で暮らしていた頃の学生時代に、この喫茶店がよく流行っていた。9月7日の朝日新聞別刷の「喫茶店」の記事の中でも取り上げられていたが、ちょうどフォークグループ「ガロ」の“学生街の喫茶店”が流行った頃だ。“君とよくこの店に来たものさ、訳もなくお茶を飲み話したよ♪” まさにその通りで特にこれといった理由もないのだが、女友達とダベる時も、彼氏とデートをする時も、どういう訳がとりあえず喫茶店なのだ。
そのうち、女友達と喫茶店に行く時は飲み物だけでなくデザートや軽食などの食べ物にもこだわった。
当時、田舎においてさえ喫茶店は多くの店が競合していて、各店が様々な工夫を凝らしていた。珈琲等の飲料のみならず、パフェの美味しいお店があれば、ホットケーキは絶品の店もある。夏ならばフラッペ(かき氷)がたまらない。またピザならお任せのお店やら、ドリアならこのお店に限る等々、より取り見取りなのである。次々と新しい喫茶店を開拓しては、日替わりで色々な喫茶店に通ったものである。
女友達とは学校で1日中話しているのに、どういう訳かいつも帰りの時間になると「サテンに寄ってから帰ろう!」という話になるのだ。(“サテン”とは茶店、すなわち喫茶店の略語であるが。) そして喫茶店で美味しいデザートや軽食を食べて珈琲を飲みながら、1、2時間はくっちゃべる。一体何をそんなに話すことがあったのだろうかと今になっては不思議に思うのだが、きっとお互いに好きな男の子の話でもして盛り上がったのであろう。
一方、彼氏と“サテン”に行く場合は、珈琲専門の純喫茶や、ジャズ喫茶、ロック喫茶などが多かったように記憶している。あるいは、ドライブがてらドライブインの喫茶店にもよく行った。当時、珈琲にこだわっている男の子は多かった。私など珈琲と言えば“ブレンド”しか注文しないのだが、彼氏の方は、ブルマン、キリマン、モカ、等々、彼女の前でカッコつけたい年頃だ。そしてブレンドを注文しようとする私にも勧めてくれる。“ガテマラ”は学生時代に彼氏に教えてもらって初めて知った銘柄だ。
そしてやはり1、2時間は語り合う。一体何をそんなに語り合ったのだろう。お互いの将来の夢でも語り合ったのだろうか、記憶にないなあ。
喫茶店には音楽がつきものである。ジャズ喫茶やロック喫茶等の音楽専門喫茶店でなくとも、必ず音楽が流れている。洋楽であったり、歌謡曲であったり…。 喫茶店で流れていた音楽が、その時喫茶店で話し合った内容や自分の心情と交錯するのだ。
この喫茶店での音楽に関して、今尚忘れ得ぬ思い出がある。私が上京する直前の3月のことであったが、彼氏と喫茶店で珈琲を飲んでいた。既に二人の関係はギクシャクしていて、私の上京と共に別れが訪れることは特に取り決めを交わさずとも二人共暗黙の了解だった。
そんな別れを目前に、それでもなお未練を引きずって向かい合っている二人の空間に流れたのが「甲斐バンド」の“裏切りの街角”であった。 “わかったよ、どこでも行けばいい♪”“プラットホーム…”“切符を握りしめ…”“あの人は見えなくなった…♪” 未練を引きずる私の壊れかかった心に、これらの歌詞がグサリ、グサリと突き刺さる…
そして数日後、彼氏を郷里に残して私は一人で東京に旅立った。
“お茶をする”文化とは“語り合う”文化でもある。珈琲を味わいながら気の合う相手とゆったりと語り合う…、何とも贅沢な文化である。あの頃は人々の心にはまだ、そういう時間や空間を人と共有できる余裕が持てる時代だったのであろう。
セルフサービスのチェーン店では、人は順番待ちをして飲み物を注文し高椅子に腰掛け一人で短時間を過ごした後、そそくさと席を立ち喧騒の街の中へと消え去っていく。現在は、そんな風景を日々見慣れる時代にすっかり移り変わっている。