先週インドから帰国後真っ先に目に入ったニュースが、一世を風靡した音楽プロデューサー小室哲也容疑者の著作権譲渡詐欺容疑逮捕事件である。
小室氏は90年代を中心に数多くの大ヒット曲を手がけ音楽芸能界で活躍すると共に、その著作権収入等により巨額の富を築いた人物である。
小室氏は若い女性の高音のボーカルを好むようで、90年代以降のどの曲を聴いても女性ボーカルの無理のあるキーキー声の高音が耳障りであるし、かつ曲風がアップテンポの単調なリズムの曲ばかりで、私にとってはさほどインパクトはなかった。
加えてこの人の女性遍歴は特異的である。お気に入りの懇親の女性をにわかアーチストに仕立て上げて、公私の境目なく引っ張り回すのがお好きなようだ。子どものような華原朋ちゃんとお手々つないでマスコミに登場していた辺りはまだ可愛げもあったが、その後、自分の目にかなった篠原涼子、アサミ、……、KEIKOと次々と歌手としてプロデュースしデビューさせては、入籍し子どもも産ませて飽きたらポイ捨てで次の女へ鞍替えし、巨額の慰謝料を与えれば済むと思っていた様子だ。
そんなこんなで、私個人的には小室氏には昔も今も特段興味はないのだが、この人の音楽的才能は一般的観点から認めてもよいであろうと思われる。
その類稀な才能で築き上げた個人の巨額な資産(100億とも言われるが)を自分の好き放題に贅沢三昧しようが、誰に責められることもないと言えなくもないのだが…。
報道によると、海外で音楽事業を展開し、元妻へ巨額の慰謝料を支払いつつ、朝からシャンパンを飲み、50万円の高級ワインを夜な夜な味わい、フェラーリ等の高級外車を乗り回し…… 90年代以降ずっと、贅沢の限りを尽くし続けていた模様である。
揚句の果てに巨額の借金を背負い、今回の詐欺容疑逮捕に至ったものである。
もう少し、頭が働かなかったものなのか。
音楽の世界、特に流行歌の世界など、その名の通り“流行(はやり)失さり”の激しい世界である。今流行っていても明日には廃れているものだ。そういう世界だ。誰が考えたっていつまでも人気が持続する訳などない。先見の明をもって、将来の収支予測をし行動計画を立てるべきだった。当然ながら背後に会計専門家も控えているであろうに、この失態はどうしたことか。
そして、プロの音楽家としての人生を全うしたいのならば、長い人生における自身の音楽とのかかわり方を直視し続けることを最優先するべきだ。真に音楽を愛しているのならば、自分が築いた巨額財産のバブルに浮かれて暮らすことよりも、音楽活動に集中することの方が楽しく有意義であったはずである。
それとも、“人気”や“名声”とはそれ程魅力的なのか。贅沢三昧し続けている“小室哲也”の姿が“売り”でもあったのだろうか。
そんなつまらない人生を送って、なぜせっかくの才能を無にして自ら落ちぶれようとするのか…。
宝くじの巨額当選者に幸せになる人は少ないとも一般に言われているが、それは自らお金の使い方を心得ず、主体性なく周囲の金融投資機関等の口車に乗せられ安易に投資行動に出てしまうためであろう。
人気稼業には必ずや“廃れ”と“終焉”が訪れるものだ。人気者が一時の勢いで築いた財産とは、宝くじが当たったのと似ている。財産を持てる者は自ら財産管理の力量を培うべきでもある。
一時の“流行”という勢いに乗って稼いだ財産の全てを深い思慮もなく自己満足のために短期間で使い果たし、巨額の借金まで抱えるに至り、揚句の果てに著作権譲渡詐欺行為にまで及んだ小室氏の落ちぶれようは、端で見ていてもあまりにも惨めとしか言いようがない…。
小室氏は90年代を中心に数多くの大ヒット曲を手がけ音楽芸能界で活躍すると共に、その著作権収入等により巨額の富を築いた人物である。
小室氏は若い女性の高音のボーカルを好むようで、90年代以降のどの曲を聴いても女性ボーカルの無理のあるキーキー声の高音が耳障りであるし、かつ曲風がアップテンポの単調なリズムの曲ばかりで、私にとってはさほどインパクトはなかった。
加えてこの人の女性遍歴は特異的である。お気に入りの懇親の女性をにわかアーチストに仕立て上げて、公私の境目なく引っ張り回すのがお好きなようだ。子どものような華原朋ちゃんとお手々つないでマスコミに登場していた辺りはまだ可愛げもあったが、その後、自分の目にかなった篠原涼子、アサミ、……、KEIKOと次々と歌手としてプロデュースしデビューさせては、入籍し子どもも産ませて飽きたらポイ捨てで次の女へ鞍替えし、巨額の慰謝料を与えれば済むと思っていた様子だ。
そんなこんなで、私個人的には小室氏には昔も今も特段興味はないのだが、この人の音楽的才能は一般的観点から認めてもよいであろうと思われる。
その類稀な才能で築き上げた個人の巨額な資産(100億とも言われるが)を自分の好き放題に贅沢三昧しようが、誰に責められることもないと言えなくもないのだが…。
報道によると、海外で音楽事業を展開し、元妻へ巨額の慰謝料を支払いつつ、朝からシャンパンを飲み、50万円の高級ワインを夜な夜な味わい、フェラーリ等の高級外車を乗り回し…… 90年代以降ずっと、贅沢の限りを尽くし続けていた模様である。
揚句の果てに巨額の借金を背負い、今回の詐欺容疑逮捕に至ったものである。
もう少し、頭が働かなかったものなのか。
音楽の世界、特に流行歌の世界など、その名の通り“流行(はやり)失さり”の激しい世界である。今流行っていても明日には廃れているものだ。そういう世界だ。誰が考えたっていつまでも人気が持続する訳などない。先見の明をもって、将来の収支予測をし行動計画を立てるべきだった。当然ながら背後に会計専門家も控えているであろうに、この失態はどうしたことか。
そして、プロの音楽家としての人生を全うしたいのならば、長い人生における自身の音楽とのかかわり方を直視し続けることを最優先するべきだ。真に音楽を愛しているのならば、自分が築いた巨額財産のバブルに浮かれて暮らすことよりも、音楽活動に集中することの方が楽しく有意義であったはずである。
それとも、“人気”や“名声”とはそれ程魅力的なのか。贅沢三昧し続けている“小室哲也”の姿が“売り”でもあったのだろうか。
そんなつまらない人生を送って、なぜせっかくの才能を無にして自ら落ちぶれようとするのか…。
宝くじの巨額当選者に幸せになる人は少ないとも一般に言われているが、それは自らお金の使い方を心得ず、主体性なく周囲の金融投資機関等の口車に乗せられ安易に投資行動に出てしまうためであろう。
人気稼業には必ずや“廃れ”と“終焉”が訪れるものだ。人気者が一時の勢いで築いた財産とは、宝くじが当たったのと似ている。財産を持てる者は自ら財産管理の力量を培うべきでもある。
一時の“流行”という勢いに乗って稼いだ財産の全てを深い思慮もなく自己満足のために短期間で使い果たし、巨額の借金まで抱えるに至り、揚句の果てに著作権譲渡詐欺行為にまで及んだ小室氏の落ちぶれようは、端で見ていてもあまりにも惨めとしか言いようがない…。