今朝から続く春の嵐のごとくの大荒れの天空を室内から眺めつつ、どうも私の体調も変調を来たしている模様だ。
今回のような体調不良感はちょっと今までに経験がないのだが、腰痛を中心に手足の若干のしびれ感と頭痛と共に、全身がだるい。熱の出始めかと推測して検温してみると、36,9度。これから上昇するのであろうか? 明日は出かける予定があるし、明後日は娘の中学の卒業式のため何が何でも出席せねばならない。こんな何年かに一度の親としての役割を果たすべく大事な時に限って、嫌な体調不良感である。
先々週より娘の海外旅行の準備作業や、成田への送り迎え等で疲労が蓄積していることには間違いない。(いや? “成田で外来性の感染症でももらって来たか??”と私がつぶやくと、“それはないだろう”との家族の意見であるが…。)
ならば今日はブログなんぞ更新している場合ではなくて、安静にして休息すればよさそうなものだが、今日ブログを更新しておかないと後3日先まで更新できないため、どうしても更新を強行したい杓子定規で融通の利かない頑固者の私の性分なのだ。
ただ、何かに集中している方が気が紛れるという理由もある。(そう言えば、先程からパソコンに向かって以降、少し体が楽になってきたような気もするぞ。♪)
本日のテーマはこういう体調不良時にピッタリなのであるが、人間とは「痛み」に対する抵抗力の弱い生き物であるという話題を取り上げることにしよう。
今から13年程前にこの私も癌に罹患して、癌及び周辺組織の摘出手術を受けた事に関しては、本ブログのバックナンバー「癌は突然やって来る」等において既述している。
私の場合は体の表面に出没した癌であったため、恐らくその“出来物”が癌化した後の発見が早く、「痛み」などまったくない状態での病院受診だった。そのため私本人の体調がすこぶる良い状態での摘出手術だったためか、術後の経過は順調で、私は入院中も至ってピンピンしていた。娘がまだ1歳だったこともあり、早く退院して育児をしなければ!の思いばかりが強かった。
「癌」であることに多少感傷的になったのは、大学病院での組織診の検査結果を受けて直ちに再度病院を受診することを促す担当医からの電話を、自ら受けた時のみである。医学関係の職業経験がある私はすぐさま「癌」である事を悟ったものの、その翌日は冷静にひとりで病院へ向かったものである。
そんな私も、癌摘出手術成功後に主治医から抗癌剤治療を告げられた時には、多少パニックに陥り、主治医に対して大いに反論したものである。
なぜ私が反論したかの詳細はついては、バックナンバー「癌は突然やって来る」をご参照いただきたいのだが、ここで簡単に述べると、当時の抗癌剤は癌攻撃特異性が低かったのに加えて、何よりも患者にとって“「痛み」は痛い”からであった。
抗癌剤治療とは副作用が強く体力の激しい消耗を伴うことについては、今や周知の事実である。これは癌患者の体にとって大打撃である。こんな治療をしていたのでは、私は我が子への育児を大幅に先延ばしにせざるを得ない。(当時の抗癌剤は癌特異力があるものが少なかったため、大変失礼な言い方をすれば、医師が“めくら滅法”投与をしているのを承知していたが故に、私は抗癌剤治療を難く拒否したものである。)
だが一患者の立場からの拒否も程ほどにしないことには医師団に嫌われてしまい、私自身の入院生活そのものが危ぶまれると、私は判断せざるを得ない。そのように悟りを開いた私は、不本意ながら「抗癌剤治療」を受け入れることにした。
それまで至って元気で快方に向かっていた私の体が、抗癌剤により大打撃を受けることになる。毎晩、毎晩、抗癌剤投与による発熱を繰り返し、私の体はどんどん弱っていく…。
こうなると、気丈なこの私も本当の「病人」に成り下がっていくのが怖いのである。子どもを育てていた母親としての自負さえどこかに消え失せていく。お見舞いに来てくれる人への対応も苦痛でしかない。もう会いたくもないから来ないで欲しい…。このように、どんどん本来の私らしさ、どころか、人間らしささえも失っていく思いだ…。
それでも、ラッキーな事に私が主張した“1週間限定”の抗癌剤治療の約束を医師団は守ってくれて、私は晴れて退院となる。
私はNHKの長年続いている女性が主人公の15分ドラマを、自宅にいる時にはいつも見ている。あのドラマは何十年か前よりパターンが決まっていて、必ず一家3世代が登場する。そしてこれも定番のごとく、主役女性のおじいちゃんかおばあちゃんにあたる人物が物語の途中で死去するのだ。
お年寄りとて人生をエンジョイしているこの時代に、あのドラマは何故年寄りをいつもいつも死去させるのかと私は大いに疑問に感じていた。 そうしたところ、今回は癌に罹患したおばあちゃんが、(今までのところ)「抗癌剤」によって生き延びるという設定になっているのに驚いたものだ。そんなに医学が進歩しているのかどうかは私は現在勉強不足の身ではあるが、年寄りを直ぐに死なせるドラマ設定はもう時代遅れであろうと感じるため、その点においては今回は評価したい。
だが、そのドラマの“おばあちゃん”も、「抗癌剤治療は辛過ぎるから、もう勘弁してごしなえ(欲しい)…」と何度も訴えていたことが、元癌患者である私の身に滲みるのである…。
(新薬の抗癌剤治療をあくまでも勧める若い医者や看護婦に、どれだけの患者の苦痛が伝わっているのか、その辺のドラマの描き方が大いに物足りないという気持ちが拭い去れない思いである…)
経験者でないと理解し難いのかもしれないが、「痛み」とは人間が生きていく上で実に「痛い]ものである。この「痛み」さえなければ、たとえまた癌に罹患しようともいつまでもしぶとく生き延びられるようにさえ、気丈な私は思うのである。
まだまだ先のことであろうが、患者の「痛み」を軽減しつつ、尚かつ生存できるような医学的治療手段の開発を望みたいものである。
今回のような体調不良感はちょっと今までに経験がないのだが、腰痛を中心に手足の若干のしびれ感と頭痛と共に、全身がだるい。熱の出始めかと推測して検温してみると、36,9度。これから上昇するのであろうか? 明日は出かける予定があるし、明後日は娘の中学の卒業式のため何が何でも出席せねばならない。こんな何年かに一度の親としての役割を果たすべく大事な時に限って、嫌な体調不良感である。
先々週より娘の海外旅行の準備作業や、成田への送り迎え等で疲労が蓄積していることには間違いない。(いや? “成田で外来性の感染症でももらって来たか??”と私がつぶやくと、“それはないだろう”との家族の意見であるが…。)
ならば今日はブログなんぞ更新している場合ではなくて、安静にして休息すればよさそうなものだが、今日ブログを更新しておかないと後3日先まで更新できないため、どうしても更新を強行したい杓子定規で融通の利かない頑固者の私の性分なのだ。
ただ、何かに集中している方が気が紛れるという理由もある。(そう言えば、先程からパソコンに向かって以降、少し体が楽になってきたような気もするぞ。♪)
本日のテーマはこういう体調不良時にピッタリなのであるが、人間とは「痛み」に対する抵抗力の弱い生き物であるという話題を取り上げることにしよう。
今から13年程前にこの私も癌に罹患して、癌及び周辺組織の摘出手術を受けた事に関しては、本ブログのバックナンバー「癌は突然やって来る」等において既述している。
私の場合は体の表面に出没した癌であったため、恐らくその“出来物”が癌化した後の発見が早く、「痛み」などまったくない状態での病院受診だった。そのため私本人の体調がすこぶる良い状態での摘出手術だったためか、術後の経過は順調で、私は入院中も至ってピンピンしていた。娘がまだ1歳だったこともあり、早く退院して育児をしなければ!の思いばかりが強かった。
「癌」であることに多少感傷的になったのは、大学病院での組織診の検査結果を受けて直ちに再度病院を受診することを促す担当医からの電話を、自ら受けた時のみである。医学関係の職業経験がある私はすぐさま「癌」である事を悟ったものの、その翌日は冷静にひとりで病院へ向かったものである。
そんな私も、癌摘出手術成功後に主治医から抗癌剤治療を告げられた時には、多少パニックに陥り、主治医に対して大いに反論したものである。
なぜ私が反論したかの詳細はついては、バックナンバー「癌は突然やって来る」をご参照いただきたいのだが、ここで簡単に述べると、当時の抗癌剤は癌攻撃特異性が低かったのに加えて、何よりも患者にとって“「痛み」は痛い”からであった。
抗癌剤治療とは副作用が強く体力の激しい消耗を伴うことについては、今や周知の事実である。これは癌患者の体にとって大打撃である。こんな治療をしていたのでは、私は我が子への育児を大幅に先延ばしにせざるを得ない。(当時の抗癌剤は癌特異力があるものが少なかったため、大変失礼な言い方をすれば、医師が“めくら滅法”投与をしているのを承知していたが故に、私は抗癌剤治療を難く拒否したものである。)
だが一患者の立場からの拒否も程ほどにしないことには医師団に嫌われてしまい、私自身の入院生活そのものが危ぶまれると、私は判断せざるを得ない。そのように悟りを開いた私は、不本意ながら「抗癌剤治療」を受け入れることにした。
それまで至って元気で快方に向かっていた私の体が、抗癌剤により大打撃を受けることになる。毎晩、毎晩、抗癌剤投与による発熱を繰り返し、私の体はどんどん弱っていく…。
こうなると、気丈なこの私も本当の「病人」に成り下がっていくのが怖いのである。子どもを育てていた母親としての自負さえどこかに消え失せていく。お見舞いに来てくれる人への対応も苦痛でしかない。もう会いたくもないから来ないで欲しい…。このように、どんどん本来の私らしさ、どころか、人間らしささえも失っていく思いだ…。
それでも、ラッキーな事に私が主張した“1週間限定”の抗癌剤治療の約束を医師団は守ってくれて、私は晴れて退院となる。
私はNHKの長年続いている女性が主人公の15分ドラマを、自宅にいる時にはいつも見ている。あのドラマは何十年か前よりパターンが決まっていて、必ず一家3世代が登場する。そしてこれも定番のごとく、主役女性のおじいちゃんかおばあちゃんにあたる人物が物語の途中で死去するのだ。
お年寄りとて人生をエンジョイしているこの時代に、あのドラマは何故年寄りをいつもいつも死去させるのかと私は大いに疑問に感じていた。 そうしたところ、今回は癌に罹患したおばあちゃんが、(今までのところ)「抗癌剤」によって生き延びるという設定になっているのに驚いたものだ。そんなに医学が進歩しているのかどうかは私は現在勉強不足の身ではあるが、年寄りを直ぐに死なせるドラマ設定はもう時代遅れであろうと感じるため、その点においては今回は評価したい。
だが、そのドラマの“おばあちゃん”も、「抗癌剤治療は辛過ぎるから、もう勘弁してごしなえ(欲しい)…」と何度も訴えていたことが、元癌患者である私の身に滲みるのである…。
(新薬の抗癌剤治療をあくまでも勧める若い医者や看護婦に、どれだけの患者の苦痛が伝わっているのか、その辺のドラマの描き方が大いに物足りないという気持ちが拭い去れない思いである…)
経験者でないと理解し難いのかもしれないが、「痛み」とは人間が生きていく上で実に「痛い]ものである。この「痛み」さえなければ、たとえまた癌に罹患しようともいつまでもしぶとく生き延びられるようにさえ、気丈な私は思うのである。
まだまだ先のことであろうが、患者の「痛み」を軽減しつつ、尚かつ生存できるような医学的治療手段の開発を望みたいものである。