原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

元死刑囚の涙

2009年03月12日 | 時事論評
 昨日はニュース報道を見て感極まり、久々に泣けて泣けてしょうがなかった。
 NHKの昼のニュースの第一報でまず目を潤ませ、13時のニュースで再び涙を流し、夕方には新聞夕刊の記事でまた涙ぐみ、夜のニュースでは我が娘に報道内容を簡単に説明しつつ目を充血させた。
 昨日韓国釜山において実現した、北朝鮮拉致被害者日本人家族と大韓航空機爆破事件の実行犯である元死刑囚との面会に関する報道を見ての話である。

 大韓航空機爆破事件という世界を震撼させた大事件に実行犯としてかかわり、死刑判決が確定した後に韓国政府から特赦を受け、今現在韓国でひっそり暮らしている金賢姫元死刑囚。 その元死刑囚の日本語教育係であった女性が日本人拉致被害者のひとりであるため、今回の面会と相成ったのは皆さんも既にご存知の通りである。

 世界でも他に類をみない独裁国である北朝鮮に生を受け、非凡な能力に加えて容姿端麗、そして家庭環境に恵まれていたがばかりに数奇な運命を決定付けられた元死刑囚の昨日の涙に、その類稀な人生の重みや哀愁を垣間見せられた思いである。

 今回の「原左都子エッセイ集」では、昨日の日本人拉致被害者家族との会見に出席した金元死刑囚の過去を辿りつつ、その数奇な運命を私なりに体感することにより、昨日の金元死刑囚の涙の重みについて考察してみたいと思う。
 (昨日の釜山での会見の主要論点である北朝鮮との拉致問題について論評する記事内容ではありませんので、その点ご了承下さいますように。)


 まずは、金元死刑囚の来歴を振り返ってみよう。
 金元死刑囚は北朝鮮のキューバ外交官の父と教師の母の長女として生まれ、生後まもなく父の赴任先であるキューバで暮らし、4歳の時に北朝鮮首都平壌に帰国。持ち前の容姿や能力故に、国家の主要なイベントにも出席する等の華々しい少女時代を経た後、大学生時代に北朝鮮の工作員として召還され、韓国化教育や、上記の日本人拉致被害者女性による日本人化教育等を受ける。
 その後、北朝鮮首脳から、1988年に開催されたソウルオリンピックの妨害目的で韓国の飛行機を落とす任務を与えられる。これが「大韓航空機爆破事件」である。金元死刑囚は身柄を拘束された後に自殺を図るのだが、一命を取り止めることとなる。
 韓国に移送された金元死刑囚は死刑判決が下されたものの、翌年韓国政府によって特赦されることになる。この特赦は北朝鮮からの強い要望によるものらしいのだが、金元死刑囚の家族が強制収容所に収容されたことを金氏は韓国で知る事になる。
 金氏は韓国ソウルの発展の景色をみて、自分が北朝鮮において欺かれて生きてきたことを把握し始める。そして、自分のボディガードであった韓国国家安全企画部員の男性と結婚し2人の子どもを設け、住居をたびたび変更しつつ、電話も持たないまま、現在も尚世間の目を気にしながら韓国の片隅でひっそりと暮らしている、ということである。
 (以上、ウィキペディア、及び、朝日新聞3月11日(水)夕刊を参照)


 大韓航空機爆破事件の発生から20年以上が経過した今尚、遺族らが韓国政府に対して金元死刑囚との面会を求めているにもかかわらず実現していないとの報道である。 今回の金氏の日本拉致被害者との面談が実現したことにより、航空機爆破被害者家族の韓国政府に対するさらなる反発は免れないことであろう。
 当然の事と私も考察する。日本との正常な国交関係維持を優先しようとする韓国政府の政策も理解できなくはないし、お隣の韓国との友好関係を是非とも築き続けて欲しいと私も望んでいる。だが、大韓航空機爆破事件犠牲者115人の家族の無念さは計り知れないものがあることは揺るぎない事実でもあろう。

 
 独裁国である北朝鮮に生を受け、持って生まれた能力や美貌、家庭環境等の境遇故に国家に人生を翻弄された挙句の果て死刑囚となりそれを特赦され、元敵国でひっそりと暮らす金元死刑囚。

 そのような世にも稀な生き様を余儀なくされた女性が昨日流した涙の重さに押し潰されそうになりながら、何とも恥ずかしいくらい何の力も持ち合わせていない凡人の私が、ここにいる…。 
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