長い道程だった。
一昨日、我が子が中学校を卒業した。
義務教育の9年間は、我々親子にとって実に長い道程だった。
一昨日の卒業式において、学校長が述べられた祝辞の中の一節が印象的である。
「“義務教育”の正しい意味をご存知でしょうか? 子どもが学校に通って勉強をする義務があると勘違いしている親御さんが多いようだが、正しくは、親(保護者)が子どもを学校に通わせて学習に精進させる義務がある、という意味です。子どもの立場から言うと、学校へ通って学習をする“権利”がある、ということです。」
我が親子の義務教育の9年間は、まるで“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの親子関係だった。まさに、子どもの学ぶ“権利”を最大限保障してやりたいがための、親としての“義務”との格闘の9年間だったと言える。
当ブログのバックナンバー「医師の過失責任」において既述しているが、出産時のトラブルにより仮死状態で生まれざるを得なかった我が子は、多少の事情を抱えての誕生だった。(当ブログにおいては、プライバシー保護の観点より我が子が抱えている事情に関して、一貫して詳細の記述を避けているのだが。)
今回は「学習」に的を絞って、我々親子が歩んだ道程を少しだけ紹介することにしよう。
ケアは早期から着手するほど効果が高いとのことで、子どもが3歳時より親子で某教育研究所に通いつつ、家庭では“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの娘に対する私の本格的な「教育」が早くも始まった。
我が子は“見よう見まねで育つ”という部分において多少の困難があり、すべての事柄を手取り足取り教え込む必要があった。 一例であるが、“スプーンを口に運んで食する”という行動が見よう見まねで出来ない。これを、まずスプーンを手に持つ動作、食べ物をすくい取る動作、それを口まで運ぶ動作、口の中へ入れる動作、等々、一動作毎に分解して段階を経つつ、時間をかけて学習できるように導くのだ。
生活上のほぼすべての行為に関して、上記のような懇切丁寧な指導を必要とした。何事の習得においても、おそらく人の10倍以上の時間を要した。
小学校へ入る直前に学校は保護者を対象に説明会を開催するが、その時点で「自分の名前を“ひらがな”で書けるようにしておいて下さい」との指示がある。誰だってそれくらいのことは出来るに決まっている、とお考えの方が多いのであろうが、世の中には自分の名前をひらがなで書かせることに手取り足取りの指導を要して、何年もかかる子どもも存在するのだ。 現在では公教育においても様々な障害児の存在を認識、理解しつつあり、対応に柔軟性を持たせている様子であることに私も少しは安堵している。
我が家の場合、某教育研究所を通して既にその情報は得ており、小学校入学時に名前をひらがなで書けるようになるための段階を経た学習(相手は幼児であるため、当然ながら何事の習得においてもお遊び感覚で楽しみながらの学習の形を取るのだか)を3歳時から開始している。線を引くことから開始し3年間かけて、入学までに何とか間に合ったというのが実情である。
(我が家は子どもの小学校入学時点で“就学相談”を受けている。上記のような家庭での苦労を露知らない教育委員会の担当者が、「この子は普通学級で十分大丈夫ですよ」と無責任に言い放った“無知さ加減”が今尚私は印象的でもある。お陰で普通学級に入学できて、胸を撫で下ろした我が家でもあるのだが…)
小学校入学後は子どもの学習机をリビングにおいて、学校での学習の復習を来る日も来る日も私が付きっ切りで行い、確実な学習内容の理解に努めさせた。義務教育段階で学習に遅れをとったのでは、その先々の自立が危ぶまれるためである。低学年の頃は、国算社理4教科のみならず音楽や体育等の復習まで付き合った。(どういう訳か図工と家庭科の実技に関しては本人が興味を示し、下手で時間はかかるのだが独力で成し遂げてくれた。)さすがに高学年以降はそこまでの時間が取れず、4教科の復習のみとなったのだが。
中学校進学段階で我が家が私立の中高一貫校を志望したのは、高校受験における私の指導の負担を回避するためというのが、実は本音の理由である。
進学した中学校が学習指導力のある学校だったため、そのお陰で家庭学習における私の負担は大幅に軽減した。それでも、中学2年の半ば頃までは、国数英の3教科に関してはやはり私がそのすべてに目を通した。
我が子の場合、天性の素直さと相当の努力家であることが学習能力の向上に大きく幸いしたようだ。加えて幼少の頃からの親子二人三脚での学習への取り組みにより、娘には学習習慣が確実に身に付いている。中2の半ば以降は本人の学習意欲を尊重し、私は子どもの家庭学習から一歩退き、子どもの疑問質問にのみ答える方針に切り替えて現在に至っている。
以上のように、私も共に学んだ9年間だった。
私は人生において2度、義務教育の学習をしたような感覚である。いや、自分で学ぶことは容易であるが、人に指導する事とは自分が学ぶ何倍ものエネルギーと忍耐力を要するものだ。
底辺高校(失礼な表現をお詫びしますが)での教員経験のある私ですら、我が子の指導は特に小さい頃程難儀を極めた。堪忍袋の緒が切れて娘に手を上げたことも何度もある。自己嫌悪から泣けてしょうがなかったものだ。子どもが泣く横で私も大いに泣いた。親子二人でどれ程の涙を流してきたことであろう。
そんな娘も、上記のごとくの持って生まれた素直さと忍耐力の賜物で、学習面においては何ら見劣りがしない程の学習能力を身につけての中学卒業である。
もしかしたら、我が子ほど9年間に渡り弛まぬ努力を続けた小中学生は他に類を見ないかもしれない。
“学ぶ権利”と“学ばせる義務”。 ふたつの力の二人三脚で、我が子の「学び」に対して真っ向から立ち向かった我が家における義務教育の9年間だった。
心から、卒業おめでとう。
We can graduate!
一昨日、我が子が中学校を卒業した。
義務教育の9年間は、我々親子にとって実に長い道程だった。
一昨日の卒業式において、学校長が述べられた祝辞の中の一節が印象的である。
「“義務教育”の正しい意味をご存知でしょうか? 子どもが学校に通って勉強をする義務があると勘違いしている親御さんが多いようだが、正しくは、親(保護者)が子どもを学校に通わせて学習に精進させる義務がある、という意味です。子どもの立場から言うと、学校へ通って学習をする“権利”がある、ということです。」
我が親子の義務教育の9年間は、まるで“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの親子関係だった。まさに、子どもの学ぶ“権利”を最大限保障してやりたいがための、親としての“義務”との格闘の9年間だったと言える。
当ブログのバックナンバー「医師の過失責任」において既述しているが、出産時のトラブルにより仮死状態で生まれざるを得なかった我が子は、多少の事情を抱えての誕生だった。(当ブログにおいては、プライバシー保護の観点より我が子が抱えている事情に関して、一貫して詳細の記述を避けているのだが。)
今回は「学習」に的を絞って、我々親子が歩んだ道程を少しだけ紹介することにしよう。
ケアは早期から着手するほど効果が高いとのことで、子どもが3歳時より親子で某教育研究所に通いつつ、家庭では“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの娘に対する私の本格的な「教育」が早くも始まった。
我が子は“見よう見まねで育つ”という部分において多少の困難があり、すべての事柄を手取り足取り教え込む必要があった。 一例であるが、“スプーンを口に運んで食する”という行動が見よう見まねで出来ない。これを、まずスプーンを手に持つ動作、食べ物をすくい取る動作、それを口まで運ぶ動作、口の中へ入れる動作、等々、一動作毎に分解して段階を経つつ、時間をかけて学習できるように導くのだ。
生活上のほぼすべての行為に関して、上記のような懇切丁寧な指導を必要とした。何事の習得においても、おそらく人の10倍以上の時間を要した。
小学校へ入る直前に学校は保護者を対象に説明会を開催するが、その時点で「自分の名前を“ひらがな”で書けるようにしておいて下さい」との指示がある。誰だってそれくらいのことは出来るに決まっている、とお考えの方が多いのであろうが、世の中には自分の名前をひらがなで書かせることに手取り足取りの指導を要して、何年もかかる子どもも存在するのだ。 現在では公教育においても様々な障害児の存在を認識、理解しつつあり、対応に柔軟性を持たせている様子であることに私も少しは安堵している。
我が家の場合、某教育研究所を通して既にその情報は得ており、小学校入学時に名前をひらがなで書けるようになるための段階を経た学習(相手は幼児であるため、当然ながら何事の習得においてもお遊び感覚で楽しみながらの学習の形を取るのだか)を3歳時から開始している。線を引くことから開始し3年間かけて、入学までに何とか間に合ったというのが実情である。
(我が家は子どもの小学校入学時点で“就学相談”を受けている。上記のような家庭での苦労を露知らない教育委員会の担当者が、「この子は普通学級で十分大丈夫ですよ」と無責任に言い放った“無知さ加減”が今尚私は印象的でもある。お陰で普通学級に入学できて、胸を撫で下ろした我が家でもあるのだが…)
小学校入学後は子どもの学習机をリビングにおいて、学校での学習の復習を来る日も来る日も私が付きっ切りで行い、確実な学習内容の理解に努めさせた。義務教育段階で学習に遅れをとったのでは、その先々の自立が危ぶまれるためである。低学年の頃は、国算社理4教科のみならず音楽や体育等の復習まで付き合った。(どういう訳か図工と家庭科の実技に関しては本人が興味を示し、下手で時間はかかるのだが独力で成し遂げてくれた。)さすがに高学年以降はそこまでの時間が取れず、4教科の復習のみとなったのだが。
中学校進学段階で我が家が私立の中高一貫校を志望したのは、高校受験における私の指導の負担を回避するためというのが、実は本音の理由である。
進学した中学校が学習指導力のある学校だったため、そのお陰で家庭学習における私の負担は大幅に軽減した。それでも、中学2年の半ば頃までは、国数英の3教科に関してはやはり私がそのすべてに目を通した。
我が子の場合、天性の素直さと相当の努力家であることが学習能力の向上に大きく幸いしたようだ。加えて幼少の頃からの親子二人三脚での学習への取り組みにより、娘には学習習慣が確実に身に付いている。中2の半ば以降は本人の学習意欲を尊重し、私は子どもの家庭学習から一歩退き、子どもの疑問質問にのみ答える方針に切り替えて現在に至っている。
以上のように、私も共に学んだ9年間だった。
私は人生において2度、義務教育の学習をしたような感覚である。いや、自分で学ぶことは容易であるが、人に指導する事とは自分が学ぶ何倍ものエネルギーと忍耐力を要するものだ。
底辺高校(失礼な表現をお詫びしますが)での教員経験のある私ですら、我が子の指導は特に小さい頃程難儀を極めた。堪忍袋の緒が切れて娘に手を上げたことも何度もある。自己嫌悪から泣けてしょうがなかったものだ。子どもが泣く横で私も大いに泣いた。親子二人でどれ程の涙を流してきたことであろう。
そんな娘も、上記のごとくの持って生まれた素直さと忍耐力の賜物で、学習面においては何ら見劣りがしない程の学習能力を身につけての中学卒業である。
もしかしたら、我が子ほど9年間に渡り弛まぬ努力を続けた小中学生は他に類を見ないかもしれない。
“学ぶ権利”と“学ばせる義務”。 ふたつの力の二人三脚で、我が子の「学び」に対して真っ向から立ち向かった我が家における義務教育の9年間だった。
心から、卒業おめでとう。
We can graduate!