「株式会社立」としては全国で初めて設立されたLEC東京リーガルマインド大学が、来年度の学生募集を停止することを決定した、との報道を一昨日(6月18日)の朝日新聞一面で目にした。
この(略して)LEC大学が設立されたのは、2004年4月、わずか5年前の話である。
その頃ちょうど税理士受験勉強のため某資格試験取得学校に通っていた私は、同業種の資格試験予備校であるLEC(東京リーガルマインド)も候補の一つとして検討し資料等を取り寄せていたため、それに付随してLEC大学の開校に関しても当時より把握していた。
資格試験予備校が大学設立?? 一体何を教授するの? もしかして大学の名の下に学生に資格を取得させることに特化するつもりなのか?? それじゃあ、大学とは言わないだろ? それとも、今や大学と資格学校とのダブルスクールの学生が多いから、いっそ一本化しようとの魂胆か? 学生側も近い将来の就職を見据えると、職業と直結しない学問にちまちま励むよりも要領良く資格を取得して条件のよい就職をゲットすることが先決問題であるから、この手の大学に入ってとにかく目先の資格のみを取得しようとしているのか? そのような学生側の需要に応えるべく資格取得予備校が大学を併設しようとしているのか???
当時、様々な憶測が私の脳裏をかすめたものである。
ここで、大学の本来あるべき存在命題について振り返ってみよう。
大学とは、学術研究及び教育の最高機関である。
学校教育法第83条によると、「大学は、学術の中心として学生に対し広く知識を授けると共に、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的としている。」とある。要するに本来の大学教育の目的は、広範に渡る知識の獲得と諸分野の専門的な教育研究を行うことにより、拡大・深化した知見と柔軟な思考力を備えた知識人を育成することにあるのだ。
ところがその実は、上記のごとく卒業後世に放り出される学生にとってはどうしても目先の就職に主眼を置かざるを得ない現実であることは否めない。
そこで出現したのが、学問の教授には重点を置かず、将来の就職を意識した実学志向の大学である。LEC大学のみならず、この手の大学は今や全国に数多く存在するようだ。
私事になるが、以下は高校生の我が子が通う大学受験予備校より得た情報である。
悲しいかな現実社会における大学の就職実績の実態とは、大学と経済実業界との揺るぎない「パイプ」により成立しているというのが実情のようだ。 親として子どもの将来の就職の安泰を勘案する場合、“ここの大学”に入れておかないことにはどうしようもない、という大学間就職格差が燦然と存在する今の社会であるのだ。 その経済実業界との“パイプの太い”大学にさえ子どもを入学させておけば、後はたとえ学生本人が入学後程ほどにやり過ごしたとしても、“パイプのない”大学で優秀な成績を修めるよりも将来安泰だとの予備校の話である。
この場合の“パイプの太い”大学とは、その多くはやはりいわゆる名立たる「有名大学」なのである。
LEC大学に話を戻すと、その教授内容を私は把握していない。 ただ、先程ネットにて検索してみると、開校後現在までの5年間の卒業生がわずか235名。さらに資格取得を呼び物に開校した割には、卒業生が取得した資格とは「司法書士」(これはわずか1名のみ)、「日商簿記検定」「宅建取引主任者」等、何もそこの大学で取得せずとて比較的容易に取得できる種のものばかりである。これではやはり“お寒い”としか言いようがない。
大変失礼ながら経営破綻するべくしてしたとも言える。 もしかしたら東京リーガルマインドがこの大学を立ち上げた趣旨とは、元々資格取得予備校LECの宣伝活動の一環としての経営戦略であったのかもしれない。 ネットによる授業等を主軸としていたこの大学の場合、今回の経営破綻による損失額は多大ではないと私は見る。
少子化により大学全入時代を迎えている現在でもあるし、世界的経済危機の長期化により、いずこの大学も厳しい経営を余儀なくされていることであろう。
元々教育理念の明確な私としては、大学とはやはり“学術研究及び教育の最高機関”であって欲しい思いは強い。我が子には(この母のごとく?)大学で「学問」の面白さを十分に享受して、奥深い人間性を構築しつつ充実した人生を送って欲しいものである。そのため、まかり間違っても我が娘をLEC大学のごとくの実学に特化した大学に進学させるつもりはない。
その一方で我が子の将来の安泰を鑑みると、就職率の高い大学に入学させてその“パイプ”をまんまと利用し、我が子なりの就職をゲットさせた上で一人間として自立させ、(高齢出産のため年が大きく離れている)親(私のことだが)亡き後の長い生涯を力強く生き延びて欲しい思いも、親としては切実なものがある。
話が我がプライベートの横道にずれてしまい恐縮であるが、国公立であれ、私立であれ、株式会社立であれ、今後まだまだ大学の経営破綻や経営統合が続出することが予想される。
もはやこの厳しい不況の時代に、たった5年で経営破綻に陥るごとくの安直な大学の新設はないとは思うが、卒業生にとって自分が在学した母校が短期間で経営破綻して姿を消す事はあまりにも短絡的で無責任な事態であり、寂しく切ない現実なのではなかろうか。
この(略して)LEC大学が設立されたのは、2004年4月、わずか5年前の話である。
その頃ちょうど税理士受験勉強のため某資格試験取得学校に通っていた私は、同業種の資格試験予備校であるLEC(東京リーガルマインド)も候補の一つとして検討し資料等を取り寄せていたため、それに付随してLEC大学の開校に関しても当時より把握していた。
資格試験予備校が大学設立?? 一体何を教授するの? もしかして大学の名の下に学生に資格を取得させることに特化するつもりなのか?? それじゃあ、大学とは言わないだろ? それとも、今や大学と資格学校とのダブルスクールの学生が多いから、いっそ一本化しようとの魂胆か? 学生側も近い将来の就職を見据えると、職業と直結しない学問にちまちま励むよりも要領良く資格を取得して条件のよい就職をゲットすることが先決問題であるから、この手の大学に入ってとにかく目先の資格のみを取得しようとしているのか? そのような学生側の需要に応えるべく資格取得予備校が大学を併設しようとしているのか???
当時、様々な憶測が私の脳裏をかすめたものである。
ここで、大学の本来あるべき存在命題について振り返ってみよう。
大学とは、学術研究及び教育の最高機関である。
学校教育法第83条によると、「大学は、学術の中心として学生に対し広く知識を授けると共に、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的としている。」とある。要するに本来の大学教育の目的は、広範に渡る知識の獲得と諸分野の専門的な教育研究を行うことにより、拡大・深化した知見と柔軟な思考力を備えた知識人を育成することにあるのだ。
ところがその実は、上記のごとく卒業後世に放り出される学生にとってはどうしても目先の就職に主眼を置かざるを得ない現実であることは否めない。
そこで出現したのが、学問の教授には重点を置かず、将来の就職を意識した実学志向の大学である。LEC大学のみならず、この手の大学は今や全国に数多く存在するようだ。
私事になるが、以下は高校生の我が子が通う大学受験予備校より得た情報である。
悲しいかな現実社会における大学の就職実績の実態とは、大学と経済実業界との揺るぎない「パイプ」により成立しているというのが実情のようだ。 親として子どもの将来の就職の安泰を勘案する場合、“ここの大学”に入れておかないことにはどうしようもない、という大学間就職格差が燦然と存在する今の社会であるのだ。 その経済実業界との“パイプの太い”大学にさえ子どもを入学させておけば、後はたとえ学生本人が入学後程ほどにやり過ごしたとしても、“パイプのない”大学で優秀な成績を修めるよりも将来安泰だとの予備校の話である。
この場合の“パイプの太い”大学とは、その多くはやはりいわゆる名立たる「有名大学」なのである。
LEC大学に話を戻すと、その教授内容を私は把握していない。 ただ、先程ネットにて検索してみると、開校後現在までの5年間の卒業生がわずか235名。さらに資格取得を呼び物に開校した割には、卒業生が取得した資格とは「司法書士」(これはわずか1名のみ)、「日商簿記検定」「宅建取引主任者」等、何もそこの大学で取得せずとて比較的容易に取得できる種のものばかりである。これではやはり“お寒い”としか言いようがない。
大変失礼ながら経営破綻するべくしてしたとも言える。 もしかしたら東京リーガルマインドがこの大学を立ち上げた趣旨とは、元々資格取得予備校LECの宣伝活動の一環としての経営戦略であったのかもしれない。 ネットによる授業等を主軸としていたこの大学の場合、今回の経営破綻による損失額は多大ではないと私は見る。
少子化により大学全入時代を迎えている現在でもあるし、世界的経済危機の長期化により、いずこの大学も厳しい経営を余儀なくされていることであろう。
元々教育理念の明確な私としては、大学とはやはり“学術研究及び教育の最高機関”であって欲しい思いは強い。我が子には(この母のごとく?)大学で「学問」の面白さを十分に享受して、奥深い人間性を構築しつつ充実した人生を送って欲しいものである。そのため、まかり間違っても我が娘をLEC大学のごとくの実学に特化した大学に進学させるつもりはない。
その一方で我が子の将来の安泰を鑑みると、就職率の高い大学に入学させてその“パイプ”をまんまと利用し、我が子なりの就職をゲットさせた上で一人間として自立させ、(高齢出産のため年が大きく離れている)親(私のことだが)亡き後の長い生涯を力強く生き延びて欲しい思いも、親としては切実なものがある。
話が我がプライベートの横道にずれてしまい恐縮であるが、国公立であれ、私立であれ、株式会社立であれ、今後まだまだ大学の経営破綻や経営統合が続出することが予想される。
もはやこの厳しい不況の時代に、たった5年で経営破綻に陥るごとくの安直な大学の新設はないとは思うが、卒業生にとって自分が在学した母校が短期間で経営破綻して姿を消す事はあまりにも短絡的で無責任な事態であり、寂しく切ない現実なのではなかろうか。