昨日(6月15日)、虚偽有印公文書作成・同行使の疑いで逮捕された厚生労働省雇用均等・児童家庭局長の村木厚子容疑者の影像を報道で繰り返し見つつ、事件の内容はさておき、優先して私の頭をよぎった印象がある。
(あくまでも自分は棚に上げているのだが)、その印象とは……
「老(ふ)けてるなあ…」
これは、私が村木容疑者と“同い年”であるからこその着眼点であろうと自己分析している。
同年代、特に“同い年”の女性の容貌とは気にかかるものだ。その人生の歩みはまったく異なれど、同じ時代に生まれ同じ社会背景の下で年月を経つつ歴史を刻んできている女性の風貌を目にすることは、一種感慨深いものがある。 そして、「他人の振り見て我が振り直せ」との昔からの教えもあるように、その風貌を観察することにより我が身を振り返ることが可能となる。
朝日新聞6月13日(土)別刷「be」“between"の今回のテーマは「実年齢より若く見られたいですか?」であった。
このテーマに対する読者回答の結果は75%が「はい」であるのだが、これに関する私論は後に回して、記事の最後に興味深い記述があるので、その部分をピックアップして以下に要約して紹介しよう。
「実年齢よりも若くみられ“る”」という人が全体の7割を超すのは「うなずける数字」であると劇作家の竹内一郎氏は言う。近年の平均寿命の伸びや生活スタイルの変化を考えると、数十年前の70歳より今の70歳はずっと若々しく見える。古いイメージで今の年齢を判断したら、実年齢よりある程度若く見えて当然の社会となっている。若く見えると言われるとうれしいが、今は若く見えるのが「人並み」だと考えた方がよさそうだ。
この竹内氏の指摘に、私も大いに同意する。
世間において「自分は年齢より若く見られる」という会話をしょっちゅう耳にする現在であるし、また私自身も知人からそういう話を聞かされることがよくあるからである。 あれは端で聞いていると結構みっともない会話であり、ましてや会話相手から「自分は若く見られる」と話を持ちかけられた場合「そうですね」と回答するしかないのだが、実はそうは思えず顔が引きつりそうになることも多い。
有名人にも“実年齢より若く見える”ことのみを売りにしているタレントや女優は多い。例えば現在もてはやされている“アラフォー”“アラゴー”女性タレントの多くはその部類である。 大した芸がなくても、現在の美容整形医学や審美矯正歯科学、そしてファッションや美容技術、はたまた写真や影像技術の急激な進化・発展に頼って、若く見え輝いて生きているがごとくの演出さえすれば、それだけでそのタレントは今や一時もてはやされる時代のようだ。
数年前の話になるが、化粧品セールスの女性から私の肌の手入れの悪さについて指摘されたことがある。相手はセールスのプロであるため、それを指摘することにより商品販売につなげようとしているのは最初からお見通しであるのだが、その女性はひるむことなくその商品使用による自分の肌の手入れの良さを例に挙げて私に訴える。「これを継続して使用するとこんなにすべすべの肌になって(私のように)若く見えますよ~。」
ところが申し訳ないのだが、そのセールス女性の肌は確かにすべすべなのに、ちっとも若くは見えない。お化粧をバッチリ決め込み外見を繕っている割には、年齢相応の単なる“おばさん”にしか私の目には映らないのだ。
大変失礼ながら、どうも勘違いしていらっしゃる様子だ。外見のみを繕うために肌だけをすべすべにして見かけを繕ったところで、残念ながら実は人間とは自分が思いたいほど他人の目には“若く”は映らないものである。
さて、「実年齢よりも若く見られたいか」に話を戻そう。
私に言わせていただくと、そもそも「実年齢より若く見られたい、見られよう」という思想自体が軽薄であると捉える。
私の場合、そういう思想はほとんどないままに現在に至っている。と言うよりも、そんな暇がなかったと表現した方が正確なのかもしれない。
多方面において自分の生き様を追及しつつ現在まで生きてきた中に、例えば自分が理想とする「体型」は保ち続けたい、というポリシーがその一つとしてあったことは事実である。 他者から“若く見られたい”という評価を得たい以前に“自分がこうありたい”という人生設計が若い頃からあったように思う。その中の一つが「体型維持」であるに過ぎないと私自身は捉えている。
外見的若さを物語る要素として“体型”は主要な一部分と考えるため、それを一例として述べさせていただいたという話である。
実は人間の本来の若さとはその生き様から滲み出るものなのであろう。
この朝日新聞記事にもその結びとして一人の若者の意見が書かれている。
「自分の両親を見ていて、『若いのもいいけど年取るのもいいもんだよ』と思えてくる。自分もそのように成熟していきたい。」
達観した意見であるし、この私も実は若かりし日から、一生に渡って充実した人生を歩むために、いずれそういう域に達せられるよう未来を見据え続けてきているとも言える。
あっ、最後に一応付け加えておきますけど、私も化粧で顔を塗りたくり若作り衣裳で勝負すると、実年齢より10歳、下手をすると20歳位若く見られますよ~~。 (ほんとかよ??)
(な~~んだ、原左都子だって結局“軽薄女”じゃん。)
その通りです、スミマセン……
(あくまでも自分は棚に上げているのだが)、その印象とは……
「老(ふ)けてるなあ…」
これは、私が村木容疑者と“同い年”であるからこその着眼点であろうと自己分析している。
同年代、特に“同い年”の女性の容貌とは気にかかるものだ。その人生の歩みはまったく異なれど、同じ時代に生まれ同じ社会背景の下で年月を経つつ歴史を刻んできている女性の風貌を目にすることは、一種感慨深いものがある。 そして、「他人の振り見て我が振り直せ」との昔からの教えもあるように、その風貌を観察することにより我が身を振り返ることが可能となる。
朝日新聞6月13日(土)別刷「be」“between"の今回のテーマは「実年齢より若く見られたいですか?」であった。
このテーマに対する読者回答の結果は75%が「はい」であるのだが、これに関する私論は後に回して、記事の最後に興味深い記述があるので、その部分をピックアップして以下に要約して紹介しよう。
「実年齢よりも若くみられ“る”」という人が全体の7割を超すのは「うなずける数字」であると劇作家の竹内一郎氏は言う。近年の平均寿命の伸びや生活スタイルの変化を考えると、数十年前の70歳より今の70歳はずっと若々しく見える。古いイメージで今の年齢を判断したら、実年齢よりある程度若く見えて当然の社会となっている。若く見えると言われるとうれしいが、今は若く見えるのが「人並み」だと考えた方がよさそうだ。
この竹内氏の指摘に、私も大いに同意する。
世間において「自分は年齢より若く見られる」という会話をしょっちゅう耳にする現在であるし、また私自身も知人からそういう話を聞かされることがよくあるからである。 あれは端で聞いていると結構みっともない会話であり、ましてや会話相手から「自分は若く見られる」と話を持ちかけられた場合「そうですね」と回答するしかないのだが、実はそうは思えず顔が引きつりそうになることも多い。
有名人にも“実年齢より若く見える”ことのみを売りにしているタレントや女優は多い。例えば現在もてはやされている“アラフォー”“アラゴー”女性タレントの多くはその部類である。 大した芸がなくても、現在の美容整形医学や審美矯正歯科学、そしてファッションや美容技術、はたまた写真や影像技術の急激な進化・発展に頼って、若く見え輝いて生きているがごとくの演出さえすれば、それだけでそのタレントは今や一時もてはやされる時代のようだ。
数年前の話になるが、化粧品セールスの女性から私の肌の手入れの悪さについて指摘されたことがある。相手はセールスのプロであるため、それを指摘することにより商品販売につなげようとしているのは最初からお見通しであるのだが、その女性はひるむことなくその商品使用による自分の肌の手入れの良さを例に挙げて私に訴える。「これを継続して使用するとこんなにすべすべの肌になって(私のように)若く見えますよ~。」
ところが申し訳ないのだが、そのセールス女性の肌は確かにすべすべなのに、ちっとも若くは見えない。お化粧をバッチリ決め込み外見を繕っている割には、年齢相応の単なる“おばさん”にしか私の目には映らないのだ。
大変失礼ながら、どうも勘違いしていらっしゃる様子だ。外見のみを繕うために肌だけをすべすべにして見かけを繕ったところで、残念ながら実は人間とは自分が思いたいほど他人の目には“若く”は映らないものである。
さて、「実年齢よりも若く見られたいか」に話を戻そう。
私に言わせていただくと、そもそも「実年齢より若く見られたい、見られよう」という思想自体が軽薄であると捉える。
私の場合、そういう思想はほとんどないままに現在に至っている。と言うよりも、そんな暇がなかったと表現した方が正確なのかもしれない。
多方面において自分の生き様を追及しつつ現在まで生きてきた中に、例えば自分が理想とする「体型」は保ち続けたい、というポリシーがその一つとしてあったことは事実である。 他者から“若く見られたい”という評価を得たい以前に“自分がこうありたい”という人生設計が若い頃からあったように思う。その中の一つが「体型維持」であるに過ぎないと私自身は捉えている。
外見的若さを物語る要素として“体型”は主要な一部分と考えるため、それを一例として述べさせていただいたという話である。
実は人間の本来の若さとはその生き様から滲み出るものなのであろう。
この朝日新聞記事にもその結びとして一人の若者の意見が書かれている。
「自分の両親を見ていて、『若いのもいいけど年取るのもいいもんだよ』と思えてくる。自分もそのように成熟していきたい。」
達観した意見であるし、この私も実は若かりし日から、一生に渡って充実した人生を歩むために、いずれそういう域に達せられるよう未来を見据え続けてきているとも言える。
あっ、最後に一応付け加えておきますけど、私も化粧で顔を塗りたくり若作り衣裳で勝負すると、実年齢より10歳、下手をすると20歳位若く見られますよ~~。 (ほんとかよ??)
(な~~んだ、原左都子だって結局“軽薄女”じゃん。)
その通りです、スミマセン……