原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“親の七光り”の真価

2009年06月13日 | その他オピニオン
 有名人の二世に生まれた子どもとは、“親の七光り”の恩恵を受けて美味しい思いばかりしているのかと思いきや、その反面、どうやら気の毒な運命を背負っている一面もありそうだ。


 今のこの世の中、政治家の世襲を筆頭に、芸能界、スポーツ界、芸術文化界… 至る場で二世が幅を利かせているのが実情である。

 私が認識している、最近世に出た各界の二世を思いつくままに列挙してみよう。
 さんまと大竹しのぶの娘。 山口百恵の息子。  後は多少古くなるが、松田聖子の娘。 小泉純一郎の息子。 森山良子の息子。 真野響子の娘。 藤圭子の娘。 内藤洋子の娘。 ……
 列挙すればきりがない程の有名人二世の各界への“蔓延りよう”である。 
 

 二世とは、医学的に親の遺伝子を受け継いでいることはゆるぎない事実である。また、生育環境面でも親の影響力は大きく、そんな親の背中を見て育った二世が親と同一あるいは類似の職業に就くことは、ある意味では必然的であるのかもしれない。

 ただやはり二世が世に出るにあたって最大に強力な武器は、有名人として一世風靡した親の名声の“七光り”の恩恵であり、業界へのコネでありパイプであり金力であることは、どう転んでも否めない事実であろう。


 そのような中、先だっての朝日新聞において写真家・蜷川実花氏に関する記事を目にした。 皆さんもおそらくご存知の通り、この女性は世界的にも著名な演出家・蜷川幸雄氏の娘である。
 その朝日新聞記事によると、実花氏は「蜷川の娘」であることが“面倒くさい”と言う。 
 実花氏は現在、写真家であることに加えて、映画「さくらん」の監督も経験する等芸術文化界において順調に活躍中の様子だ。

 そんな実花氏が世間から注目されるにつれ批判も増えたという。 写真の個展の会場で、「なあんだ、蜷川幸雄の娘じゃん」と言われ、芳名帳には“親の七光り”“いいよな女は”等々の落書きがあったらしい。 それを「通り魔にあった気分だった」と本人は捉えているようだ。

 大変申し訳ないが、私は写真に関しても映画に関してもズブの素人であるのに加えて、実花氏の写真作品をネットでしか拝見していないため、何のコメントも出来ない立場にある。
 それを承知の上で申し上げたいのだが、二世が親と同一あるいは類似の世界で生き抜いていくためには、“二世”の宿命を受け入れざるを得ないのではなかろうか。
 おそらく実花氏も、現在のごとくの芸術文化界の表舞台で華々しい活躍の場に辿り着くに至る道程の背景に、必ずや“親の七光り”を重々利用してきているはずである。 本人が認識していなくとも、親を通して子どもの頃より「蜷川の娘」を良くも悪くも背負って生きてきているはずである。

 それは、もはや否定できない運命ではなかろうか。

 「蜷川の娘」であることがどうしても面倒くさいならば、世に出る当初より偽名なり芸名なりを使用し、親からの干渉を完璧に拒否するという手立てもあったはずである。 そうはせずに“蜷川”の姓を名乗りつつ、映画界にまで進出できているのは、大変失礼ではあるが、一般人が考慮した場合どうひいき目にみても“親の七光り”の範疇と言わざるを得ないとこの私も感じるのだ。
 

 そう感じない事例、すなわち著名人であった親をはるかに超えていると感じる二世が存在するのも事実である。
 例えば藤圭子の娘である「宇多田ヒカル」に関しては、私は当初“二世”であることをまったく知らなかった。 親と同じ歌手であるとは言え分野が異なるのに加えて、「宇多田ヒカル」は自分の歌手としての個性を当初から完璧に確立していたように感じるのだ。この女性は、おそらく親が“藤圭子”でなくとも大ブレイクしていたことであろうと私は評価する。
 (決して私は「宇多田ヒカル」のファンという訳ではなく特に思い入れがある訳でもない。 むしろ“藤圭子”のあの独特な存在感こそが凄かったと思う世代の人間である。)


 蜷川実花氏の話に戻すと、実花氏が「蜷川の娘」が面倒くさい、と言う気持ちを私は重々理解できるのだ。
 実花氏は、有名人の娘ではなく人知れない無名人の娘に生まれていたならば、自分はどう転んでいたのかの確信を欲しているのだと私は捉える。 要するに自己の“真の実力の程”を問い詰めたいのであろう。 (代々無名人のこの私にも、年齢にかかわりなくそういった欲求は心の奥底に常に存在する。)
 ところが残念ながら、この世とは幸にも不幸にも自己の出生の運命を自ら消し去る事はどうしても出来ないのだ。

 「二世」という宿命を生まれ持って余儀なくされた蜷川実花氏に期待されるのは、ご自身の“真価”を問い続ける今後の活躍の程なのではなかろうか。     
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