原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

隠れてコソコソやる美学

2009年06月03日 | 恋愛・男女関係
 今時の20代の女性って、こんな軽薄な相談を新聞に投稿するの??  と呆れる内容の相談が朝日新聞5月30日(土)別刷「be」“悩みのるつぼ”のコーナーに取り上げられていた。
 と言うよりこの投稿、“相談”という名目で自分が現在「愛人」をやっていることを公に“自慢”して自己満足したいとしか受け取れない内容なのだ。


 それでは早速、“私って「愛人体質」なのかな?”と題する、20代派遣社員女性の“相談”内容を以下に要約してみよう。
 30歳前の独身女性だが、同じ部署の既婚男性と1年間付き合ったが、昨年秋に突然「奥さんにバレたから、もう付き合えない」と向こうから一方的にフラれた形となった。深く傷つきしばらくはショックだった。そんな先月、さわやかな30代前半イケメン既婚男性が異動で同じ職場に来て、やさしい態度で接してくれ、だんだん惹かれていった。今はまだ深い関係ではないが、この調子だと「今後きっとなにかある」と友人にも話した。あれほど前回の不倫を後悔した自分がウソのようで、自分から進んで泥沼に入っていくようだ。そんな折、彼から「君は愛人体質だ」と言われた。男の人から見ると、そういう体質がわかるのでしょうか。


 ここでひとこと私論であるが、「ちょっとあなた、こんな事を本気で新聞に“相談”したいの? 30歳近くにもなって知的レベルは大丈夫なの? 一体今まで何を考えて生きてきてるの? 何か未婚男性と対等に付き合えないコンプレックスでもあるの??」と、とりあえず言ってしまうしかない呆れた“相談”である。


 この“相談”に対する今回の回答者は評論家の岡田斗司夫氏であるが、“問題は「愛人能力」があるのか、です” と題する回答の一部を要約してみよう。
 「愛人体質」なるものは存在しない。あなたに必要なのは「愛人能力」が自分にあるかどうかの判断である。「愛人能力」とは以下の総合力を言う。 ①精神…自分自身の後ろめたさのみならず、彼の家族からの非難や周囲の白い目を冷静に受け止める「心の強さ」 ②金…愛人には終身雇用はなく法的保障もないため、収入源や生きがい等、一人で世の中を生き抜くスキル、すなわち「生活力」 ③頭脳…彼がいつ妻の元へ戻るか、新しい愛人を作るかわからない中で、彼の体と心をつなぎとめることを楽しみと捉え、最適の行動をとる「戦略眼」
 優しくされたから好きになる。振られたから既婚者と付き合ったことを後悔する。そんなあなたは残念ながら「愛人能力」が高いとは言えない。能力が低いのにリスクの高い恋愛に手を出しても、幸せにはなれない。自分に見合った生き方をするか、「愛人能力」をちゃんと身につけてから行動に移すべきだ。能力が身についたならば「君は愛人体質だ」などとのお安い口説きにひっかかることもないはずだ。
 以上が、今回の朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談への岡田氏の回答の一部要約である。 


 ここで私事を小さい声で話すが、本ブログの恋愛・男女関係カテゴリー バックナンバーで既に暴露済みなのだが、長~~い独身時代を謳歌してきているこの私にも、過去において既婚男性とのお付き合い経験が何度かある。

 そのバックナンバー記事においても既述しているが、まさに“不倫”とは、上記の岡田氏の言われるところの「愛人能力」のバックグラウンドが欠かせないものであろう。 「愛人」である女性が、精神力、お金、頭脳、これらを完備していてこそ上下関係なく対等に妻子のある男性と渡り合え、たとえ一時であれ(自分自身が“実り”あったと後で振り返ってみて思える)充実した期間を共有できるように私も感じる。
 この能力なくしては、“愛人”との名の下に単に女として“お安く”利用され、この相談女性のように“ポイ捨て”されるだけなのではなかろうか。(そういう行動を取る既婚男性も、もちろん“お安い”のだけどね。)
 「愛人能力」があったところで“不倫”とは真面目に取り組むほど、とにもかくにも“辛く”尚且つ忍耐力を要する事象である。心中には常に相手の妻子に対する“嫉妬”が渦巻き、必ずやいつか訪れる“終焉”に日々怯えつつの付き合いである。

 私論と岡田氏の見解が異なる部分は、たとえ“不倫”と言えども、一人格者として周囲に対する礼儀は貫くべき、と心得る点においてである。 二人の密室関係である“不倫”に周囲の人々を巻き込むべきではないし、ましてや、相手の家族等の部外者を決して不幸にしてはならない、私の場合はそれを肝に銘じての付き合いだった。 それ故に愛人であることを、この相談女性のごとく表舞台で決して公開してはならないのだ。相手への熱い思いを自分の内心にのみ秘め、張り裂けそうな“辛さ”を一人で耐え抜き、普段は何もないふりをしていつも通りの生活を貫き通す。
 これが私の“不倫”における「美学」でもあった。

 このように、本来あるべき(?)“不倫”とは「能力」に加えて一種の「美学」も要求されると、若かりし日の私は考えて(裏で)実行していた。
 「能力」と「美学」には共通項もあるのだが、とにかく隠れてコソコソやってこそ成り立つ“不倫”なのである。
 (相手に依存する関係ではなく“対等”な付き合いを貫きたいと考えるならば、たとえ“不倫”においても両要素は欠かせないと私は考える。)


 現在では、“逆愛人”(男が既婚女性に“囲われる”??)関係も幅を利かせている時代のようだ。
 いずれにしても、せっかく一人格者である人間同士が出会い、たとえ短期間であれ一対一の深い人間関係を築き得るのであれば、両者共に「能力」と「美学」を備えつつ、後々“あの人と付き合って私は成長できた”と思えるような実り多き関係でありたいものではないですかねえ、愛人さん達?? 
       
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