「何故そこまでして結婚式を挙げたいの??」と思わず首を傾げてしまう話題を、朝日新聞6月5日(金)の“週間首都圏”のページで発見した。
この記事によると、最近首都圏において、結婚式の招待客の「代役」を派遣するビジネスが増えているらしいのだ。
例えば、新婦の「中学時代の友人」として派遣される代役女性は、この日初対面の新婦があらかじめ考えてメールで受け取っているスピーチを披露するらしい。
新郎の「友人」あるいは「会社の同僚」として20回以上も結婚式で代役を務めているベテラン男性は、女性スタッフと一緒に夫婦を演じる事もあるらしく、また余興で歌まで披露するという。
この「代役」の基本料金は、派遣スタッフ一人につき2万円(交通費は除く)で、うち1万円がスタッフに支払われるとのことである。
この話、派遣される「代役」側としては結構“美味しい”仕事だと思いませんか、皆さん?
女性の立場で言えば、綺麗に着飾って結婚式場まで行って、“デタラメスピーチ”だけ テキトー にしておけば、後は美味しいご馳走とお酒をいただいて、歌♪まで歌わせてもらえて、2時間(結婚式の披露宴とは大抵2時間程度だが)で1万円の稼ぎ! これ最高の仕事だよなあ~。
(早速私も「代役」登録しようかな~。 えっ、年齢制限オーバーですって? いやいや、今は熟年再婚も多いしねえ~)
この「代役偽装結婚式」が首都圏においてビジネスとして成り立つ程の需要がある背景には、様々な要因がありそうだ。
職場における終身雇用制が崩れ、結婚式に呼べる会社の上司や同僚が少なくなっている現状、あるいは、人間関係の希薄化現象に伴い親しい友人がいない、いるとしても喜んで来てもらえないという実情、等々、を代役スタッフ派遣エージェントのベテランスタッフはこの記事において挙げている。
確かに、たとえ親しい友人の結婚式とは言え、他人の結婚式に出席するほどつまらない事はないと、私なども若い頃からずっと思っていた。招待されればよほどの重要な別用でもない限り、仕方がないから何万かの寿祝い金を包んで貴重な時間を割いて出かけるのだが、経済的出費と時間的ロスが大きい割には、他人の結婚式とは実りのない白けた時間のみが経過していくものである。 せいぜい飲み食いで元を取るか、若い頃は招待客として出席している新郎の友人達と意気投合して盛り上がる位しか、時間を潰す手立てはなかったものだ。
私の場合、“知らない”人物の結婚式には出席しない意向を固めている。例えば、身内の知人の結婚式に夫婦で招かれたような場合でも、相手が面識のない方の場合、出席はご遠慮申し上げることに決めている。
それにしても、代役を立てて招待客を偽装してまで結婚式を挙行したいという若い世代の新郎新婦の考えが、私にはどうも解せない。
そこまでする理由の一つとして、結婚式には新郎新婦両家の招待客をそろえるという考え方が根強いため、との記載が上記朝日新聞記事中にある。
これに関して私事になるが、私の結婚式は少し特異的だった。
両家の親族と、普段何の縁もゆかりもない友人知人上司同僚等を一緒くたにする事には元々無理があるのに加えて、親族と友人知人等では、結婚に当たり新郎新婦であるこちらから発信するメッセージも大きく異なることを考慮したのである。
そのため、結婚式披露宴を2度挙行することにした。親族のみの結婚式及び披露宴と友人知人等の披露宴を完全に分けて日取りも場所も変え、後者についてはビュッフェ形式にして、新郎新婦も立ち歩いて飲み食いしつつ招待客の皆さんと歓談できる場を演出した。そして、新郎新婦当人からも招待客に向けてスピーチをさせていただいた。 年配の招待客の方々の中には違和感があった方もいたようだが、若い出席者の間では概ね好評で、自分の結婚式も同様にしたいとの相談も後に受けたものだ。
そもそも「結婚式」とは、新郎新婦を取り巻く周辺コミュニティに対して、二人が新しい家庭を持ち新生活を開始するお披露目と挨拶の意味合いがあったのであろう。
その周辺コミュニティが(特に首都圏においては)崩壊しているとも言える現在、「結婚式」の持つ意味合いも大きく変容していることと捉える。経済社会が大きく様変わりし人間関係が希薄化した今の時代の「結婚式」のあるべき姿とは如何なるものであるのか。
“代役偽装結婚式”に関してはビジネスとしての観点からは面白く、新たな雇用創出の朗報でもあり、この私も今すぐ「代役」として登録して稼がせていただきたい気分にさせてもらえるものである。(何でもかんでもビジネス化して、暴利をむさぼりゃいいってもんでもないんだけどね。)
一方で結婚式を挙げる当人達にとっては、この“代役偽装結婚式”を挙行することにより何かが実るとも思えず、後に残るのは経済的損失と挙式後の二人の虚しさのみで、“幸多き”二人には大変失礼ながらどれ程の意味もなさそうな点を憂える私でもある。
この記事によると、最近首都圏において、結婚式の招待客の「代役」を派遣するビジネスが増えているらしいのだ。
例えば、新婦の「中学時代の友人」として派遣される代役女性は、この日初対面の新婦があらかじめ考えてメールで受け取っているスピーチを披露するらしい。
新郎の「友人」あるいは「会社の同僚」として20回以上も結婚式で代役を務めているベテラン男性は、女性スタッフと一緒に夫婦を演じる事もあるらしく、また余興で歌まで披露するという。
この「代役」の基本料金は、派遣スタッフ一人につき2万円(交通費は除く)で、うち1万円がスタッフに支払われるとのことである。
この話、派遣される「代役」側としては結構“美味しい”仕事だと思いませんか、皆さん?
女性の立場で言えば、綺麗に着飾って結婚式場まで行って、“デタラメスピーチ”だけ テキトー にしておけば、後は美味しいご馳走とお酒をいただいて、歌♪まで歌わせてもらえて、2時間(結婚式の披露宴とは大抵2時間程度だが)で1万円の稼ぎ! これ最高の仕事だよなあ~。
(早速私も「代役」登録しようかな~。 えっ、年齢制限オーバーですって? いやいや、今は熟年再婚も多いしねえ~)
この「代役偽装結婚式」が首都圏においてビジネスとして成り立つ程の需要がある背景には、様々な要因がありそうだ。
職場における終身雇用制が崩れ、結婚式に呼べる会社の上司や同僚が少なくなっている現状、あるいは、人間関係の希薄化現象に伴い親しい友人がいない、いるとしても喜んで来てもらえないという実情、等々、を代役スタッフ派遣エージェントのベテランスタッフはこの記事において挙げている。
確かに、たとえ親しい友人の結婚式とは言え、他人の結婚式に出席するほどつまらない事はないと、私なども若い頃からずっと思っていた。招待されればよほどの重要な別用でもない限り、仕方がないから何万かの寿祝い金を包んで貴重な時間を割いて出かけるのだが、経済的出費と時間的ロスが大きい割には、他人の結婚式とは実りのない白けた時間のみが経過していくものである。 せいぜい飲み食いで元を取るか、若い頃は招待客として出席している新郎の友人達と意気投合して盛り上がる位しか、時間を潰す手立てはなかったものだ。
私の場合、“知らない”人物の結婚式には出席しない意向を固めている。例えば、身内の知人の結婚式に夫婦で招かれたような場合でも、相手が面識のない方の場合、出席はご遠慮申し上げることに決めている。
それにしても、代役を立てて招待客を偽装してまで結婚式を挙行したいという若い世代の新郎新婦の考えが、私にはどうも解せない。
そこまでする理由の一つとして、結婚式には新郎新婦両家の招待客をそろえるという考え方が根強いため、との記載が上記朝日新聞記事中にある。
これに関して私事になるが、私の結婚式は少し特異的だった。
両家の親族と、普段何の縁もゆかりもない友人知人上司同僚等を一緒くたにする事には元々無理があるのに加えて、親族と友人知人等では、結婚に当たり新郎新婦であるこちらから発信するメッセージも大きく異なることを考慮したのである。
そのため、結婚式披露宴を2度挙行することにした。親族のみの結婚式及び披露宴と友人知人等の披露宴を完全に分けて日取りも場所も変え、後者についてはビュッフェ形式にして、新郎新婦も立ち歩いて飲み食いしつつ招待客の皆さんと歓談できる場を演出した。そして、新郎新婦当人からも招待客に向けてスピーチをさせていただいた。 年配の招待客の方々の中には違和感があった方もいたようだが、若い出席者の間では概ね好評で、自分の結婚式も同様にしたいとの相談も後に受けたものだ。
そもそも「結婚式」とは、新郎新婦を取り巻く周辺コミュニティに対して、二人が新しい家庭を持ち新生活を開始するお披露目と挨拶の意味合いがあったのであろう。
その周辺コミュニティが(特に首都圏においては)崩壊しているとも言える現在、「結婚式」の持つ意味合いも大きく変容していることと捉える。経済社会が大きく様変わりし人間関係が希薄化した今の時代の「結婚式」のあるべき姿とは如何なるものであるのか。
“代役偽装結婚式”に関してはビジネスとしての観点からは面白く、新たな雇用創出の朗報でもあり、この私も今すぐ「代役」として登録して稼がせていただきたい気分にさせてもらえるものである。(何でもかんでもビジネス化して、暴利をむさぼりゃいいってもんでもないんだけどね。)
一方で結婚式を挙げる当人達にとっては、この“代役偽装結婚式”を挙行することにより何かが実るとも思えず、後に残るのは経済的損失と挙式後の二人の虚しさのみで、“幸多き”二人には大変失礼ながらどれ程の意味もなさそうな点を憂える私でもある。