原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

街頭勧誘に引っかかる心理とは…

2009年06月25日 | その他オピニオン
 近頃、街頭でキャッチセールスを見かけなくなった。
 いや、自分がキャッチセールスのターゲット年齢を過ぎ去り、単に声をかけられなくなっただけの話か?? 

 そうでもなさそうだ。 先だっても、東京渋谷駅近くで「先祖の因縁が家族に出ていて、このままでは不幸になる」との姓名判断をされ、印鑑を売りつけられた年配女性の報道があった。

 朝日新聞6月20日(土)別刷「be」“between"の今回のテーマはこの「街頭勧誘」だったのであるが、現在の街頭勧誘の内容とは、エステや化粧品や布団のセールス、語学スクールや自己啓発セミナーや宗教関係への勧誘、占い、タレントなどのスカウト、……と多様化している様子である。


 この私も2、30歳代の頃街を出歩くと、必ずと言ってよいほど街頭勧誘(当時は“キャッチセールス”と呼ばれていたが)に掴まったものだ。その内容として多かったのはやはり上記朝日新聞記事とダブる部分もある。
 その時代から女性に対する街頭セールスというと、高額な化粧品のセールスが最多だったかもしれない。 そして英会話教材の販売というのもあった。 占いや宗教関係の勧誘は当時の私には経験がないが、これは迷惑極まりなく大きなお世話でしかない。
 タレントならぬ、写真モデルのスカウトというのをこの私も原宿で経験している。その話に多少興味を持った若かりし日の私は誘いに乗り、後日“書類選考”を経て原宿の写真スタジオへ出かけた。ミニスカートの衣裳を自ら2着持参し、プロスタイリストによる化粧、ヘアスタイルの手直しの後、実際にプロカメラマンによる撮影があって恐らく100枚程度の写真が撮影された。 あの写真はその後無断でどこかで使用されたのかどうかは不明であるが、世間知らずの娘だった当時の私にとっては結構楽しく興味深い経験であり、何ら実害もなく済んでいる。その後連絡がないままで幸いとも言えるが、今となってみれば若気の至りゆえに騙されてただで利用された範疇の出来事に分類されるのであろう。
 医学関係の市場調査の仕事でソープ街を歩く羽目になった時に“ソープ嬢”にしつこく勧誘され、腕を引っ張られて店の中まで連れて行かれそうになった際には、いっそ“ソープ嬢”にでもなろうかと一瞬思った話は、既に当ブログのバックナンバー「残暑の中の市場調査」でも記載している。

 10年ほど前の話になるが、まだ幼い我が子を連れて歩いていた時に大手の生命保険のセールスレディの仕事の勧誘を受けた。 これは実際にその生保会社のセールスレディをしている女性が自分の直属の部下を勧誘しているとの事だったのだが、それはそれは熱心に誘ってくる。その気がまったくない私は「セールス向きの人間ではありませんので。」等、きっぱりと断り続けるのだが、「毅然と拒否できる人は実はセールス向きなんですよ!」と相手もひるまない。 しばらく問答の末「気が変わったら連絡を下さい」と言われ名刺を渡されて別れたまま、当然ながら連絡はしていないのだが、あれは単に保険のセールスだったのだろうかと当時より思っている。


 このような記述をしてくると、(「原左都子」って実はキャッチセールスに引っかかり易い“尻軽女”なんじゃないの??”)との類の反応をいただきそうだ。
 
 ところがどっこい、それは完全に否定できる確固たる自信が若かりし頃より今に至るまでこの私にはあるのだ。
 (“尻軽女”の一面があることは否定しないしそれを楽しんできている私でもあるが)キャッチセールス側から声をかけられそれを私なりに利用して(セールス相手と問答の末、打ち負かすのは快感である)ほくそ笑んだ経験は多いものの、それにまんまと引っかかって損失を計上したためしなど今だかつて一度もない。

 上記の朝日新聞記事にも記載されているのだが、街頭勧誘に引っかかる人間とは失礼ながら“心にすき”があることは明白である。
 この記事の末尾に「棚ぼた夢見たところで…」と題するコラムニストの石原壮一郎氏による興味深い指摘があるので、それを以下に要約して紹介しよう。
 街頭勧誘に引っかかる人の心の動きは宝くじを買い続ける人の心理と似ている。変化のない平和な日常を送りつつも、誰もがめくるめくようなドラマが自分の人生に起こることを期待している。自分が特別な人だと思われたい“特別願望”や、自分だけ損したくないという“横並び願望”により、胡散臭いと思いつつも商品を買ってしまう……、  と石原氏は街頭勧誘の餌食になり易い人の心理を上記の記事において分析している。


 私論になるが、街頭勧誘に引っかかる心理には石原氏が指摘される一面ももちろんあろう。 我が若かりし頃に“写真モデル”に応募した上記の例などは、まさにその最たるものであることは我が若かりし当時より自己分析できている。

 ところが今の時代はより深刻で悲しいことに、現在の街頭勧誘とはどうやら庶民の“弱み”に付け込んでいる事例が大多数なのではなかろうか。 冒頭の印鑑販売の被害者とてその例外ではなさそうである。
 今の不況の渦中を生きることを余儀なくされている人々とは、“自分の人生にドラマが起こることを期待する”程の余裕など皆無であり、“自分だけ損をしたくない”横並び意識を持つゆとりさえ失っているのではないかと私は分析する。街頭勧誘を“胡散臭い”と疑いつつも美味しい話にすがってまで何とか生き延びたいと思う健気な人間の“純粋”な心理から、結果として勧誘に引っかかっているのではなかろうか。
 そういう意味では、ひと昔前の“キャッチセールス”と現在の「街頭勧誘」とではその趣旨が大きく変遷しているようにも感じるのだ。


 冒頭でも述べたが、近頃の私が“街頭でキャッチセールスを見かけなくなった”と感じるのは、今の私が現在の街頭勧誘にはまったく興味がなく無視に徹しているからに他ならない。
 善良な庶民の皆さん、身の安全のためには、とにもかくにも街頭を歩くときには薄っぺらな勧誘など無視するに限ることをお心得下さいますように。
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