4月5日(月)朝日新聞夕刊の芸術コーナー“Jump”に於いて、原左都子にとってある種の意味で興味深い2本の記事が偶然上下して掲載されていた。
その上段の方の1本は、映画監督 安藤モモ子氏(28歳)の映画監督としての活動に関する記事であった。
記事の内容を原左都子風にアレンジしつつ以下に紹介してみよう。
映画監督の安藤モモ子氏とは、俳優で監督の奥田英二氏とエッセイストの安藤和津氏の間に生まれたバリバリの芸能家二世である。
このモモ子氏が欧米の大学で映画作り等を学んで帰国した後に、父である奥田氏の映画作りを手伝ったことがきっかけとなり映画監督への道につながった。助監督として修行後監督デビュー作を発表し、この作品がロンドンやパリの映画祭で高く評価された。 資金繰りがうまく行かず一度頓挫しかかったが、祖母が準備した資金や父の会社に政策を頼んで乗り切った。 本人曰く 「“親の七光り”と言われてもいいから、とにかくこの映画を作りたかった」
片や、下段の方の記事は私の一趣味のバレエの話題である“新国立劇場「アンナ・カレーニナ」の日本初演に関しての記事であった。
日本初公演である上記演目の主役3人を、初日にはロシアのゲストダンサーが、そして2日目には日本人ダンサーが踊ったのだが、両者の表現の質が全く異なり興味深かったとのことである。 今回は大胆なリフト等の激しく躍動的な動きが多用された振り付けだったそうだが、日本のダンサーもその激しい動きをよく体得して完成度が高い舞台だったらしい。 その上で、2日目の日本人チームは群舞と調和し、動きの行間に悲哀が立ち昇り物語の流れとなじんでいた、これは日本的な文学性や舞踊の美意識にかなっているためであろう、との記述である。
上記2本の記事を立て続けに読んだ私であるが、実際に観てみたかったと思えるのは、言わずと知れているが下段のバレエ「アンナ・カレーニナ」の舞台の方である。
これはもちろん、元々私にはバレエ観賞の趣味があるため、という理由が大きい。
ただ、安藤モモ子氏には申し訳ないのだが、「二世」の情報を得ただけで“またかよ…”との惰性感と多少の“失望感”がどうしても私の脳裏に漂ってしまうのである。
「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「“親の七光り”の真価」においても既述済みであるが、 「二世」の立場で世に名を売ろうとしているにもかかわらず “親の七光り” だと世間から後ろ指をさされることをシャットアウトしようとする心理には自己矛盾が内在することは明白である。 当初より「二世」であることを隠しおおして実力のみで勝負するという選択肢もあったはずだ。 にもかかわらず如何なる分野であれ「二世」を全面に出してデビューした以上は、ご二世であられる本人の実力の真価に対する世間よりの評価がぐらつくこともその道のプロとして視野に入れておくべきであろう。
今回のモモ子氏の場合、自ら“親の七光り”と言われていいと宣言しつつ、資金面でも製作面でも自分の活動において「二世」であることをフル活用している様子だ。
モモ子氏未だ28歳という年齢でもあるし、まだまだ無邪気な「二世」の言動として許されるのかもしれない。
その上で多少気に掛かるのは、モモ子氏が若くして映画監督としてデビューした点である。 そう言えば、上記の我がブログのバックナンバー「“親の七光り”の真価」で取り上げさせたいただいた蜷川実夏氏も元々写真家でありながら、映画監督としてその名を売る手段に出たようであった。
映画監督とは、「二世」にとっては容易に名を売り易い職種であるのだろうか??
上記の朝日新聞記事内でのモモ子氏本人の言及によると、2人の主演女優に対して「顔に脂を足して」「ムダ毛を伸ばして」等々、色々と注文をしたらしいのだ。 これはモモ子氏が“奥田の娘”だったからこそ撮影現場で通用した話ではないのか? もしも出演者にとっての相手が無名の若手映画監督だったとしたら、果たしてそれに役者が付き合ってくれたのかどうか??
(いえいえ、映画世界の内情を何らも心得ていない原左都子が失礼な言及をしましたことを何卒お許し下さいますように…)
バレエ観賞の趣味がある私は、一つのバレエの舞台を創り上げるために、出演者側も舞台監督を筆頭としたすべてのスタッフ側もが、何ヶ月にも及ぶ総力戦で闘っている内情をある程度この目で見て心得ている。
おそらくバレエ界とは、どなたかの有名人の「二世」が突然登場して監督をすると言い出しても到底通用しそうもない程の厳しい実力世界である。 それだからこそ、バレエの舞台とは研ぎ澄まされていて、何世紀にも渡って素晴らしい芸術性を保ち続けられるのだと私は信じている。
話を朝日新聞の安藤モモ子氏の記事に戻すが、今回の映画監督経験がモモ子氏にとって大いにプラスになったようで何よりである。 モモ子氏は今後も映画監督としての道を究めようとしておられるのであろうか?
そうだとするならば、まだまだお若い事であるし、先々の“真”の成功をゲットするためにその親譲りの“美貌”を活かして一時俳優業も経験してみるといいかもしれないなあ、などと老婆心ながら考えたりもする。
ただ、この国の政界の失策や国際経済力の急激な弱体化も含めて、世の「二世」全般に対する世間の認識が以前にも増して厳しくなっていることも、同時に忠告させていただくことにしよう。
その上段の方の1本は、映画監督 安藤モモ子氏(28歳)の映画監督としての活動に関する記事であった。
記事の内容を原左都子風にアレンジしつつ以下に紹介してみよう。
映画監督の安藤モモ子氏とは、俳優で監督の奥田英二氏とエッセイストの安藤和津氏の間に生まれたバリバリの芸能家二世である。
このモモ子氏が欧米の大学で映画作り等を学んで帰国した後に、父である奥田氏の映画作りを手伝ったことがきっかけとなり映画監督への道につながった。助監督として修行後監督デビュー作を発表し、この作品がロンドンやパリの映画祭で高く評価された。 資金繰りがうまく行かず一度頓挫しかかったが、祖母が準備した資金や父の会社に政策を頼んで乗り切った。 本人曰く 「“親の七光り”と言われてもいいから、とにかくこの映画を作りたかった」
片や、下段の方の記事は私の一趣味のバレエの話題である“新国立劇場「アンナ・カレーニナ」の日本初演に関しての記事であった。
日本初公演である上記演目の主役3人を、初日にはロシアのゲストダンサーが、そして2日目には日本人ダンサーが踊ったのだが、両者の表現の質が全く異なり興味深かったとのことである。 今回は大胆なリフト等の激しく躍動的な動きが多用された振り付けだったそうだが、日本のダンサーもその激しい動きをよく体得して完成度が高い舞台だったらしい。 その上で、2日目の日本人チームは群舞と調和し、動きの行間に悲哀が立ち昇り物語の流れとなじんでいた、これは日本的な文学性や舞踊の美意識にかなっているためであろう、との記述である。
上記2本の記事を立て続けに読んだ私であるが、実際に観てみたかったと思えるのは、言わずと知れているが下段のバレエ「アンナ・カレーニナ」の舞台の方である。
これはもちろん、元々私にはバレエ観賞の趣味があるため、という理由が大きい。
ただ、安藤モモ子氏には申し訳ないのだが、「二世」の情報を得ただけで“またかよ…”との惰性感と多少の“失望感”がどうしても私の脳裏に漂ってしまうのである。
「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「“親の七光り”の真価」においても既述済みであるが、 「二世」の立場で世に名を売ろうとしているにもかかわらず “親の七光り” だと世間から後ろ指をさされることをシャットアウトしようとする心理には自己矛盾が内在することは明白である。 当初より「二世」であることを隠しおおして実力のみで勝負するという選択肢もあったはずだ。 にもかかわらず如何なる分野であれ「二世」を全面に出してデビューした以上は、ご二世であられる本人の実力の真価に対する世間よりの評価がぐらつくこともその道のプロとして視野に入れておくべきであろう。
今回のモモ子氏の場合、自ら“親の七光り”と言われていいと宣言しつつ、資金面でも製作面でも自分の活動において「二世」であることをフル活用している様子だ。
モモ子氏未だ28歳という年齢でもあるし、まだまだ無邪気な「二世」の言動として許されるのかもしれない。
その上で多少気に掛かるのは、モモ子氏が若くして映画監督としてデビューした点である。 そう言えば、上記の我がブログのバックナンバー「“親の七光り”の真価」で取り上げさせたいただいた蜷川実夏氏も元々写真家でありながら、映画監督としてその名を売る手段に出たようであった。
映画監督とは、「二世」にとっては容易に名を売り易い職種であるのだろうか??
上記の朝日新聞記事内でのモモ子氏本人の言及によると、2人の主演女優に対して「顔に脂を足して」「ムダ毛を伸ばして」等々、色々と注文をしたらしいのだ。 これはモモ子氏が“奥田の娘”だったからこそ撮影現場で通用した話ではないのか? もしも出演者にとっての相手が無名の若手映画監督だったとしたら、果たしてそれに役者が付き合ってくれたのかどうか??
(いえいえ、映画世界の内情を何らも心得ていない原左都子が失礼な言及をしましたことを何卒お許し下さいますように…)
バレエ観賞の趣味がある私は、一つのバレエの舞台を創り上げるために、出演者側も舞台監督を筆頭としたすべてのスタッフ側もが、何ヶ月にも及ぶ総力戦で闘っている内情をある程度この目で見て心得ている。
おそらくバレエ界とは、どなたかの有名人の「二世」が突然登場して監督をすると言い出しても到底通用しそうもない程の厳しい実力世界である。 それだからこそ、バレエの舞台とは研ぎ澄まされていて、何世紀にも渡って素晴らしい芸術性を保ち続けられるのだと私は信じている。
話を朝日新聞の安藤モモ子氏の記事に戻すが、今回の映画監督経験がモモ子氏にとって大いにプラスになったようで何よりである。 モモ子氏は今後も映画監督としての道を究めようとしておられるのであろうか?
そうだとするならば、まだまだお若い事であるし、先々の“真”の成功をゲットするためにその親譲りの“美貌”を活かして一時俳優業も経験してみるといいかもしれないなあ、などと老婆心ながら考えたりもする。
ただ、この国の政界の失策や国際経済力の急激な弱体化も含めて、世の「二世」全般に対する世間の認識が以前にも増して厳しくなっていることも、同時に忠告させていただくことにしよう。