原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私利私欲で新党立ち上げ、一体何を目指す?

2010年04月08日 | 時事論評
 今回の記事は、「原左都子エッセイ集」における数本前の記事 「新党作っていいとは思うが…」 の続編として綴らせていただこう。

 上記のバックナンバー記事において原左都子はその私論として、“政治とカネ”問題を筆頭に新政権の昨夏以降の度重なる失策に伴い無政府状態と化したと表現して過言でないこの国の現状において、夏の参院選を狙い「新党」が結成乱立すること自体に関してはやむを得ないと捉えるが、それには条件がある旨の記事を綴らせていただいている。


 3月中旬の鳩山(弟)氏の自民党離党を皮切りに、4月に入ってからは元財務相の与謝野氏が自民党を離党して元経済産業相の平沼氏と共に新党を結成することとなった。 この新党には、自民党前幹事長代理の園田氏と参院議員の藤井氏も自民党を離党して合流した模様である。

 さらには本日のNHK昼のニュースによると、東京都杉並区長の山田宏氏が前横浜市長の中田宏氏らと共に、早ければ月内にも新党を結成するとの報道である。 この新党に大阪府知事の橋下氏も加わる予定とのことだ。 
 山田氏らは昨年10月に政治団体「よい国つくろう!日本志民会議」を設立している。この時点で既に「新党」を結成していずれ国政に臨むであろうことは一部の国民の間で噂されていた。

 
 朝日新聞は4月6日の夕刊において、特に自民党を離党して「新党」を結成する諸氏の動きを「竜馬かぶれ」と表現し批判している。
 その記事の一部を以下にピックアップして要約してみよう。
 今年のNHK大河ドラマの坂本竜馬に自らを重ね合わせる政治家が最近目立つ。 新党を立ち上げたり、自民党を離党したりして、夏の参院選を前に混迷する政治情勢を打破する意気込みだが、「竜馬かぶれ」が過ぎないか。 自らを竜馬であると表現して与謝野氏と舛添氏を新党結成に誘い込んだ鳩山(弟)氏であったが、結局与謝野氏はこの鳩山(弟)氏の誘いを拒否して平沼氏との新党結成に動いた。 一足先に昨年8月「みんなの党」を結成した渡辺喜美氏も自らが竜馬であることを訴え維新開国を目指して「倒幕」をうたいつつ、与謝野氏新党を「へんちくりんな新党」と評して対抗心を燃やしている。 他にも地方を含めて竜馬を目標として掲げる政治家は多い。 不安定な時代に竜馬は特に好まれるらしい。  そんな中、高知県立坂本竜馬記念館の館長は話す。「竜馬の(政治家としての優れたところは多々あれど)その原点は私心がないこと。竜馬を名乗られる方は、そこを間違わないようにして欲しい。」


 私論に入ろう。

 まずは、この期に及んでの自民党内の混乱状態を嘆かわしく思う側面から論評させていただくことにしよう。
 自民党は、混沌としている内情の醜態をこれ程までに国民の前で晒すしか身の振り方がない程落ちぶれてしまっているのか?
 昨年夏の衆院選で民主党に大敗した後、自民党は何をなすべきだったのか。 もちろん、野党第一党として新政権の失策を叩きのめす役割は重々担って欲しいと、民主党支持派ではない私は大いに期待している。 ただし、その裏で、自民党が国民に支持される政党として出直すべく意思を明確にして、過去半世紀にも渡る“国民なき国政”への反省と共に、再度真に国政を担える政権として立ち直る努力を今こそ一致団結して執り行っているのかと思いきや…  
 この混乱ぶりは、谷垣自民党総裁の指導力不足なのか? あるいは、党内の分裂状態は短期間では修復不能な程に歪み切っているのか??
 しかも、離党を目指さず残留している自民党のトップ層が、相も変わらず“名のみで実力不明の有名人”を参院選候補として擁立しようと性懲りもなく醜態を晒している現状… 

 与謝野新党に話題を変えるが、この新党の命名が 「たちあがれ日本」 であるらしいのが何とも辛い思いである…
 大変失礼ではあるが、新党の要の与謝野氏が71歳、平沼氏は70歳… このご高齢で、国際競争力を完全に失ってアジアの他国にまで経済面で先行されてしまい、政治面でも無政府状態のごとく混沌としている日本を 「たちあげる」 バイタリティをお持ちなのかどうか…

 鳩山(弟)氏に至っては、新党立ち上げの趣旨が、鳩山(兄)氏が現行“お飾り総理”を勤めている新政権への“迎合”であるとの報道であるし…

 そもそもこれらの人達は、自民党をここまで成り下がらせた張本人達ではないのか? それを、自分達こそが自民党内での犠牲者であるがごとく「自民党を見限った」だの「自民党が変わらないなら辞める」だの、身勝手も甚だしい。 端で見ている一国民としては “おまえらが自民党を落ちぶれさせたんだろ、ならばその責任を取って自民党を立て直す事に精進しろよ!” と言いたくもなる。 自民党内で力が発揮できない輩に新党の幹部の力量があるはずもない。

 そして私論として実は一番不気味なのが、東京都杉並区長の山田宏氏らが立ち上げようとしている新党である。 (なぜ不気味であるかの理由は、山田氏の政治的思想が我が国の歴史的背景の認識において私論とは全く相容れないと捉えていることによるのだが、その詳細はまたの機会に述べることとしてここでは割愛させていただくこととする…)


 悲しいかな、どれ程時代が移り行こうとも、また政治的思想の如何にかかわらず、この世に私利私欲目的以外で国会議員を目指す人物が存在するのであろうかとの命題が永遠に残るのかもしれない。

 ただ、人それぞれの原風景において、私利私欲などとは無関係の純粋な時期も必ずやあったはずと私は信じる。
 ところが人間という生命体が社会という共同体の中でその生を全うしようとする以上、私利私欲概念からは解放され得ないことが否定できない定めであり、その最たる存在が政治家なのであろうか。

 それでも尚、私利私欲を最小限に留めるべく努力する政治家の出現を国民は待ち望んでいることであろうし、竜馬のごとく私心なき政治家の信念こそが国民の心に滲み入るのだろうと私は思うのである。 
        
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