一昨日、この春高2になった我が子が、通っている私立高校から昨年度卒業生の進路状況(大学等進学実績一覧)表と学校の進路指導指針のレジメを持ち帰ってきた。
これらの資料を一読して、いつもながらではあるが一種の“違和感”“不快感”と「まだこんな陳腐なランク付けにこだわってるの??…」との“失望感”と共に、頭を痛めてしまった大学受験高校生の子どもを持つ一保護者の原左都子である。
なぜならば、資料のまとめ方や学校の進路指導の指針がこの期に及んで尚、旧態依然とした“いわゆる有名大学”志向を脱出できていないためである。
今時の高校が時代の流れに沿わないこの種の“有名大学志向”の進路指導指針を表明せざるを得ない実態に関しては、高校教員経験がある私にはある程度理解可能ではある。
高校(特に私立高校)の場合、今尚「大学進学実績」こそが世間に公表される高校のランク付けの最たる指針となっているため、今後の生徒募集を確実にするためにはこのような進路指導指針とならざるを得ないのであろう。 市販されている学校案内をはじめ予備校や週刊誌等よりの公表による世に出回っている学校のランク付けとは、何故か必ずや卒業生の「大学進学実績」で点数化されているのである。
それも卒業生の合格先大学の掲載順位までが、如何なる理念的背景の基準に拠るのかはまったく不明であるが、すべてにおいて統一されている。
その“大学ランク付け基準”をここで述べると、まず最上位に国公立大学が位置している。 そしてその次が「難関私立大学」と称して早慶、上智、その他旧東京六大学の一部等やその他が位置している。(関西以西地方は多少異なるのかもしれないが。) その次のランクとしてはMARCH何タラとの“中堅”私立大学と“老舗”の女子大学が位置し、別格として私立医歯学大学が存在している実態である。
一応ここまでが「有名大学」“とやら”の範囲であるようで、その他の大学は“雑魚”扱いで下部に一覧記載されている。
国公立大学(及び大学院)出身である原左都子にとっては、このランク付けはそう悪い気はしない、というのが正直なところではある。 (我が身息災でスミマセン…)
ところが、我が子が志願している大学は一般的に考察するとどうやら“特殊”と表現するべき分野であるため(個人情報色が強いためここでは具体的には申し上げられないが)、上記の“いわゆる有名大学”には全く位置しない様子なのである。(その専門性の高さにより、入学前の準備に一般大学に比して数倍もの努力と時間とお金を要するにもかかわらず…) 我が子が通学している高校からも、「そういう特殊な要望にはお応えしにくいところがある…」云々との回答を既にいただいているが、そう言われる以前より家庭で専門予備校に通わせる等の受験対応をしているため何ら問題ないとも言えるのだが…。
一保護者としてどうしても引っかかるのは、何故に未だに高校のランキングを旧態依然とした「有名大学進学実績」のみに頼っているのかというところである。
この実態がまかり通っている以上、特に進学高校における高校教育が“有名大学進学”(その“有名大学”の実態とは、信憑性が至って乏しい旧来よりの“形骸化している有名大学”)志向に偏向せざるを得ない現状である。
高校の進学担当の先生達の心理も理解できる。 とにかく生徒を“いわゆる有名大学”に進学させて、どの大学に何人入れた!と数のみ宣言すれば、その場限りでの“自分の首がつながる”という話であるしね… その後、生徒の人生がどう転ぼうと高校の先生には何の責任もないことだし…
ここでこの国の大学が置かれている現状を少し考察してみよう。
バブル崩壊後の長引く経済低迷に拍車をかけた一昨年の世界的な経済危機の影響を、雇用分野における大卒者をはじめとする若い世代の人々が大いに被っている現状を知らぬ国民は皆無であろう。
“いわゆる有名大学”を卒業したからというそれだけの理由で若者の先々の生活が安定する等の夢物語が、虚しくも既に過去のノスタルジーと消え去っていることは若者本人とて既に実感済であろう。
そうならぬように応えるべく大学側も自己の存続にかけて切磋琢磨している様子は報道で伝わってはいるが、学生に早くから就職活動を強要するべく大学とは、一体如何なる学問的理念を背景に抱いているのやら??
高校には「有名大学進学実績」のみではない“生徒の真に明るい未来”に視点を移して欲しい思いであるが、何十年来続いている“いわゆる有名大学”志向が高校現場においてこれ程に定着している現状の下、その改革は容易なことではないのであろう。
そこで目覚めるべきは、やはり親でしかないのだ。
不況のどん底にある今の時代において目先の大学のブランドにこだわるよりも、親が子どもに伝えるべき事は、これ程に不確実性が高い世を強く生き抜くべく“真の実力”を育くんでいくことであろう。 どこの大学に入るか、ではなく、何を生きがいとして生きていくかの確固たる方向性を子ども本人が見定められるように、早期から導くべきであろう。
遠い昔に父が出た、母が出た“いわゆる有名大学”でいい思いをした時代は既に過ぎ去りし幻の物語でしかないのである。
我が子に親の“過去の栄光”を再現させたい気持ちを全面的に否定はしないが、それに加えて強く生き抜く力を我が子に教え込むバイタリティこそが、今現在の親に必須の厳しい時代であると原左都子は心得るのだ。
ここは心を鬼にして学校の言いなりにはならずに、我が子の“真の未来”を見据えよう!
これらの資料を一読して、いつもながらではあるが一種の“違和感”“不快感”と「まだこんな陳腐なランク付けにこだわってるの??…」との“失望感”と共に、頭を痛めてしまった大学受験高校生の子どもを持つ一保護者の原左都子である。
なぜならば、資料のまとめ方や学校の進路指導の指針がこの期に及んで尚、旧態依然とした“いわゆる有名大学”志向を脱出できていないためである。
今時の高校が時代の流れに沿わないこの種の“有名大学志向”の進路指導指針を表明せざるを得ない実態に関しては、高校教員経験がある私にはある程度理解可能ではある。
高校(特に私立高校)の場合、今尚「大学進学実績」こそが世間に公表される高校のランク付けの最たる指針となっているため、今後の生徒募集を確実にするためにはこのような進路指導指針とならざるを得ないのであろう。 市販されている学校案内をはじめ予備校や週刊誌等よりの公表による世に出回っている学校のランク付けとは、何故か必ずや卒業生の「大学進学実績」で点数化されているのである。
それも卒業生の合格先大学の掲載順位までが、如何なる理念的背景の基準に拠るのかはまったく不明であるが、すべてにおいて統一されている。
その“大学ランク付け基準”をここで述べると、まず最上位に国公立大学が位置している。 そしてその次が「難関私立大学」と称して早慶、上智、その他旧東京六大学の一部等やその他が位置している。(関西以西地方は多少異なるのかもしれないが。) その次のランクとしてはMARCH何タラとの“中堅”私立大学と“老舗”の女子大学が位置し、別格として私立医歯学大学が存在している実態である。
一応ここまでが「有名大学」“とやら”の範囲であるようで、その他の大学は“雑魚”扱いで下部に一覧記載されている。
国公立大学(及び大学院)出身である原左都子にとっては、このランク付けはそう悪い気はしない、というのが正直なところではある。 (我が身息災でスミマセン…)
ところが、我が子が志願している大学は一般的に考察するとどうやら“特殊”と表現するべき分野であるため(個人情報色が強いためここでは具体的には申し上げられないが)、上記の“いわゆる有名大学”には全く位置しない様子なのである。(その専門性の高さにより、入学前の準備に一般大学に比して数倍もの努力と時間とお金を要するにもかかわらず…) 我が子が通学している高校からも、「そういう特殊な要望にはお応えしにくいところがある…」云々との回答を既にいただいているが、そう言われる以前より家庭で専門予備校に通わせる等の受験対応をしているため何ら問題ないとも言えるのだが…。
一保護者としてどうしても引っかかるのは、何故に未だに高校のランキングを旧態依然とした「有名大学進学実績」のみに頼っているのかというところである。
この実態がまかり通っている以上、特に進学高校における高校教育が“有名大学進学”(その“有名大学”の実態とは、信憑性が至って乏しい旧来よりの“形骸化している有名大学”)志向に偏向せざるを得ない現状である。
高校の進学担当の先生達の心理も理解できる。 とにかく生徒を“いわゆる有名大学”に進学させて、どの大学に何人入れた!と数のみ宣言すれば、その場限りでの“自分の首がつながる”という話であるしね… その後、生徒の人生がどう転ぼうと高校の先生には何の責任もないことだし…
ここでこの国の大学が置かれている現状を少し考察してみよう。
バブル崩壊後の長引く経済低迷に拍車をかけた一昨年の世界的な経済危機の影響を、雇用分野における大卒者をはじめとする若い世代の人々が大いに被っている現状を知らぬ国民は皆無であろう。
“いわゆる有名大学”を卒業したからというそれだけの理由で若者の先々の生活が安定する等の夢物語が、虚しくも既に過去のノスタルジーと消え去っていることは若者本人とて既に実感済であろう。
そうならぬように応えるべく大学側も自己の存続にかけて切磋琢磨している様子は報道で伝わってはいるが、学生に早くから就職活動を強要するべく大学とは、一体如何なる学問的理念を背景に抱いているのやら??
高校には「有名大学進学実績」のみではない“生徒の真に明るい未来”に視点を移して欲しい思いであるが、何十年来続いている“いわゆる有名大学”志向が高校現場においてこれ程に定着している現状の下、その改革は容易なことではないのであろう。
そこで目覚めるべきは、やはり親でしかないのだ。
不況のどん底にある今の時代において目先の大学のブランドにこだわるよりも、親が子どもに伝えるべき事は、これ程に不確実性が高い世を強く生き抜くべく“真の実力”を育くんでいくことであろう。 どこの大学に入るか、ではなく、何を生きがいとして生きていくかの確固たる方向性を子ども本人が見定められるように、早期から導くべきであろう。
遠い昔に父が出た、母が出た“いわゆる有名大学”でいい思いをした時代は既に過ぎ去りし幻の物語でしかないのである。
我が子に親の“過去の栄光”を再現させたい気持ちを全面的に否定はしないが、それに加えて強く生き抜く力を我が子に教え込むバイタリティこそが、今現在の親に必須の厳しい時代であると原左都子は心得るのだ。
ここは心を鬼にして学校の言いなりにはならずに、我が子の“真の未来”を見据えよう!