(写真は、3月3日に撮影した我が家で飼育中のメダカ一族。)
原左都子がメダカを飼育し始めたのは未だ残暑厳しい9月初旬頃だったのは記憶にあるが、それが果たして何年前なのか、思い出せない程に我が家にメダカが存在する風景が板についている。
先だっての3月1日、例年より相当遅ればせながら東京に春一番が吹いた暖かい日の翌朝、今春初の赤ちゃんメダカが2匹誕生した! (写真手前の小瓶の中で元気に生きています。)
それを発見した私が家族に報告すると、何があっても絶対に私を褒めない身内が 「おーー。今年も産まれたか! ○子(私のこと)のメダカ飼育力はギネスものだね!」 と讃え始めるではないか!
(ちょっと、あんたさあ。 そんな二の次でいい事を賞賛する前に、我が娘の「お抱え家庭教師」としてずっと君臨している私の絶大なる“教育力”こそを先に絶賛するべきだろうが!!)と内心思いつつも、まんざらでもない。
身内ならずとも、確かに我が家を訪問した人達(親族、あるいはガス水道工事の方々にかかわりなく)が台所のカウンターの上で飼育されているメダカ一族を見ると例外なく驚いて下さる。
「これ、どうしたの!?」 「どうやって飼っているのですか?」 「何で瓶を小分けしているの???」 等々の質問攻めだ。
“瓶小分け原左都子飼育方式”に関しては後にその理由を明かす事にしよう。
ここで、私がメダカを飼い始めた当初「原左都子エッセイ集」にて公開した 「生命体が共存する風景」 と題する2009年9月バックナンバーを振り返らせていただく事としよう。 (要するに、3年半前の9月から私がメダカを飼育し始めたことが判明したのだが。)
9月に入り子どもの夏休みが空けて昼間一人で過ごす時間が増えた私は、秋の訪れと共に何だか“生命体”が恋しい気分になり、近くのJA園芸センターで「クリームメダカ」(全身の色が淡いクリーム色のため、この名が付けられたと思われる)3匹を仕入れてきた。 係のアルバイトらしき女性に飼育法に関して質問したのだが、「大き目の容器に入れ替えて、エサは少なめに」以外の詳細は「わからない」とのことだ。「育て方が良かったら長生きすると思う。」の言葉を信じ、マイペットとして購入した。
我が家では子どもの誕生以降ずっと、熱帯魚と金魚を飼育してきていた。 メダカ位の大きさのネオンテトラや、各種金魚に関しては私が育て親として長生きさせてきている実績がある。 エンゼルフィッシュ等の少し大きめの熱帯魚は飼育が難しく概して短命で、3匹に5000円程の高額をはたいたのに4、5日で全匹に死なれた時にはその出費と共に実に悲しかったものだ…
(2009年当時において)6年半程前に購入した“白い金魚”(種名を忘れてしまったが)がその寿命とされている年月を生き抜き、最後の1匹が2008年冬に死んで以降水槽を廃棄処分とし、我が家のアクアリウム生活は休止中だった。
以上のように十数年に及ぶ観賞魚の飼育経験がある私だから故に、今回JAで購入してきたクリームメダカに関しても、“女手ひとつで”育てていく自信はあった。
ところが、私が購入して来たクリームメダカを一見した“理学博士”の学位を持つ身内が無常にも冷たく言い放つのだ… 「(メダカなど)1週間で死ぬよ」
こうなったら、私も意地だ! 何とかメダカを生かし続けようと、メダカの生態系を想像しつつ水質やその適温や酸素量、エサの量等を試行錯誤しつつ、我が“母なる愛情”を注ぐ日々である。 何はともあれ、身近に“生命体”のいる風景はやっぱりいいなあ~~
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー記事より要約引用)
話題を現在の我が「メダカ飼育」に戻そう。
生物体の飼育の基本原則に関しては、3年半経った今も変化がないことを自分が綴ったバックナンバーから実感させられる思いだ。
要するに、メダカの生態系を想像しつつ 基本事項である「水」「酸素」「温度」「栄養」を適度に維持することがまずは鉄則である。
ただし一旦“繁殖”を視野に入れた場合、飼育者が更なる努力を施さない事には今後の種の繁栄が成り立たないのは自明の理でもあろう。
そこで原左都子が考案したのが、上記写真のごとくの 「メダカの大きさによるクラス別水槽飼育方式」 なのだ。
当初は「産まれ順によるクラス別」方式を導入していた。 ところがメダカの発育も生命体の例外ではなく、(特に雌の)体が大きい程産卵数が多いとの我が観察結果となった。 そこで採用したのが上記の「体の大きさ別クラス分け方式」だった。 2年目夏には「近親相姦」を避けるためDNA異種メダカを3匹混合した後には、育て親である私自身がどの母体の子メダカがいつ誕生したのかも判別が困難なまま、この「大きさ別クラス分け方式」に頼り現在に至っている。
そうは言いつつ我が家のメダカ飼育空間の制限もあった。 DNA異種メダカの追加により60匹近くまで繁殖した一昨年夏には、これ以上増殖されては我が家及び私の飼育力が限界に達するであろう事態も身勝手ながら想像した。
そこで私が取った対策とは、今までのように雌メダカが産んだ卵を別瓶に仕分けする作業をあえて“サボる”事だった。 水槽内でそのまま放置しておくと、親メダカが自ら産んだ卵を狭い飼育空間内で自分で食するとの底辺脊椎動物の生理も重々学習済みである。 そんな厳しい水槽環境内で産卵された卵の中でこの世に生命を繋げない個体には、実に申し訳ないが親のエサになってもらうことも宿命かと判断するしかない。
そんなこんなで、現在我が家に生息しているメダカの総数は私が判断する適正数である40数匹に保っている。
もしもどなたかが貰い受けてくれ我が家のメダカ一族の生命線を繋いでいただけるならば、私も今後もっと繁殖に精進することは可能だ。
そんな事が叶わないのも重々承知している。 過去の引越しに際して、熱帯魚の運搬が如何に困難だったかに関して思い知っている我が家だ。
たかがメダカを運搬してくれる業者など皆無であることを承知しつつ、ギネス登録レベルは放棄して、その適正数をわきまえながら原左都子一家が自宅で愛でる事を目的に今後も飼育し続けようではないか!
原左都子がメダカを飼育し始めたのは未だ残暑厳しい9月初旬頃だったのは記憶にあるが、それが果たして何年前なのか、思い出せない程に我が家にメダカが存在する風景が板についている。
先だっての3月1日、例年より相当遅ればせながら東京に春一番が吹いた暖かい日の翌朝、今春初の赤ちゃんメダカが2匹誕生した! (写真手前の小瓶の中で元気に生きています。)
それを発見した私が家族に報告すると、何があっても絶対に私を褒めない身内が 「おーー。今年も産まれたか! ○子(私のこと)のメダカ飼育力はギネスものだね!」 と讃え始めるではないか!
(ちょっと、あんたさあ。 そんな二の次でいい事を賞賛する前に、我が娘の「お抱え家庭教師」としてずっと君臨している私の絶大なる“教育力”こそを先に絶賛するべきだろうが!!)と内心思いつつも、まんざらでもない。
身内ならずとも、確かに我が家を訪問した人達(親族、あるいはガス水道工事の方々にかかわりなく)が台所のカウンターの上で飼育されているメダカ一族を見ると例外なく驚いて下さる。
「これ、どうしたの!?」 「どうやって飼っているのですか?」 「何で瓶を小分けしているの???」 等々の質問攻めだ。
“瓶小分け原左都子飼育方式”に関しては後にその理由を明かす事にしよう。
ここで、私がメダカを飼い始めた当初「原左都子エッセイ集」にて公開した 「生命体が共存する風景」 と題する2009年9月バックナンバーを振り返らせていただく事としよう。 (要するに、3年半前の9月から私がメダカを飼育し始めたことが判明したのだが。)
9月に入り子どもの夏休みが空けて昼間一人で過ごす時間が増えた私は、秋の訪れと共に何だか“生命体”が恋しい気分になり、近くのJA園芸センターで「クリームメダカ」(全身の色が淡いクリーム色のため、この名が付けられたと思われる)3匹を仕入れてきた。 係のアルバイトらしき女性に飼育法に関して質問したのだが、「大き目の容器に入れ替えて、エサは少なめに」以外の詳細は「わからない」とのことだ。「育て方が良かったら長生きすると思う。」の言葉を信じ、マイペットとして購入した。
我が家では子どもの誕生以降ずっと、熱帯魚と金魚を飼育してきていた。 メダカ位の大きさのネオンテトラや、各種金魚に関しては私が育て親として長生きさせてきている実績がある。 エンゼルフィッシュ等の少し大きめの熱帯魚は飼育が難しく概して短命で、3匹に5000円程の高額をはたいたのに4、5日で全匹に死なれた時にはその出費と共に実に悲しかったものだ…
(2009年当時において)6年半程前に購入した“白い金魚”(種名を忘れてしまったが)がその寿命とされている年月を生き抜き、最後の1匹が2008年冬に死んで以降水槽を廃棄処分とし、我が家のアクアリウム生活は休止中だった。
以上のように十数年に及ぶ観賞魚の飼育経験がある私だから故に、今回JAで購入してきたクリームメダカに関しても、“女手ひとつで”育てていく自信はあった。
ところが、私が購入して来たクリームメダカを一見した“理学博士”の学位を持つ身内が無常にも冷たく言い放つのだ… 「(メダカなど)1週間で死ぬよ」
こうなったら、私も意地だ! 何とかメダカを生かし続けようと、メダカの生態系を想像しつつ水質やその適温や酸素量、エサの量等を試行錯誤しつつ、我が“母なる愛情”を注ぐ日々である。 何はともあれ、身近に“生命体”のいる風景はやっぱりいいなあ~~
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバー記事より要約引用)
話題を現在の我が「メダカ飼育」に戻そう。
生物体の飼育の基本原則に関しては、3年半経った今も変化がないことを自分が綴ったバックナンバーから実感させられる思いだ。
要するに、メダカの生態系を想像しつつ 基本事項である「水」「酸素」「温度」「栄養」を適度に維持することがまずは鉄則である。
ただし一旦“繁殖”を視野に入れた場合、飼育者が更なる努力を施さない事には今後の種の繁栄が成り立たないのは自明の理でもあろう。
そこで原左都子が考案したのが、上記写真のごとくの 「メダカの大きさによるクラス別水槽飼育方式」 なのだ。
当初は「産まれ順によるクラス別」方式を導入していた。 ところがメダカの発育も生命体の例外ではなく、(特に雌の)体が大きい程産卵数が多いとの我が観察結果となった。 そこで採用したのが上記の「体の大きさ別クラス分け方式」だった。 2年目夏には「近親相姦」を避けるためDNA異種メダカを3匹混合した後には、育て親である私自身がどの母体の子メダカがいつ誕生したのかも判別が困難なまま、この「大きさ別クラス分け方式」に頼り現在に至っている。
そうは言いつつ我が家のメダカ飼育空間の制限もあった。 DNA異種メダカの追加により60匹近くまで繁殖した一昨年夏には、これ以上増殖されては我が家及び私の飼育力が限界に達するであろう事態も身勝手ながら想像した。
そこで私が取った対策とは、今までのように雌メダカが産んだ卵を別瓶に仕分けする作業をあえて“サボる”事だった。 水槽内でそのまま放置しておくと、親メダカが自ら産んだ卵を狭い飼育空間内で自分で食するとの底辺脊椎動物の生理も重々学習済みである。 そんな厳しい水槽環境内で産卵された卵の中でこの世に生命を繋げない個体には、実に申し訳ないが親のエサになってもらうことも宿命かと判断するしかない。
そんなこんなで、現在我が家に生息しているメダカの総数は私が判断する適正数である40数匹に保っている。
もしもどなたかが貰い受けてくれ我が家のメダカ一族の生命線を繋いでいただけるならば、私も今後もっと繁殖に精進することは可能だ。
そんな事が叶わないのも重々承知している。 過去の引越しに際して、熱帯魚の運搬が如何に困難だったかに関して思い知っている我が家だ。
たかがメダカを運搬してくれる業者など皆無であることを承知しつつ、ギネス登録レベルは放棄して、その適正数をわきまえながら原左都子一家が自宅で愛でる事を目的に今後も飼育し続けようではないか!