昨夏よりケアマンション(介護付き有料老人施設)に入居している私の義母は、元々お江戸日本橋育ちである。
先祖代々日本橋の地で事業を行っていた家庭に育った義母には、長男である兄がいた。 時代背景的には長男が跡取りとなるのが通常だが、その長男よりも頭脳明晰だったため義母に跡継ぎの白羽の矢が立ったようだ。 その後先代より事業所の女将修行を受けた後、婿養子(既に他界している義父だが)を迎え、女将である義母の経営手腕(及び天性の美貌も手伝って?)により事業を大幅に拡大繁盛させたとのことである。
私が義母の長男である身内と婚姻した今から約20年程前には、既に日本橋の事業を赤の他人に営業譲渡し、身内一家は東京都豊島区のJR山の手線駅に程近い場所に転居していた。
時はバブル経済期直前頃の話だったらしい。 事業は大繁盛なのだが、何分跡継ぎがいない。 長男である我が身内を跡継ぎとするには“その適性がない”と早期にきっぱり判断した義母は、身内には別の進路を歩ませる事に精進したようだ。 その結果、身内は「博士」の学位を取得し基礎研究者としての人生を歩んだのだが。
(ここだけの話だが、義母の判断は大正解と私も同意する。 何分のんびり家でマイペースの身内である。 生き馬の目を抜くような商業の世界で、身内が大成するとは到底考えられない。 むしろ事業を私との婚姻後まで残してくれていたなら、私がその跡を継げたかもしれないと多少残念無念ではあるが… そんな美味しい話がこの世に転がっているはずもないよなあ。)
さて、話題を表題のテーマに移そう。
身内と婚姻後、義父母の住居兼借家数件を兼ね備えている賃貸住居の一室に半年間程居住させてもらった。 (生前贈与の形での義父母からの資金援助により、我々夫婦のための新住居は他の地に建設中だったが、転居までの期間、義父母の好意に甘えさせてもらった。)
その当時より義母より見聞していたのが、都内の義父母所有の住居地が「東京都計画道路建設予定地」であるとの事態だ。
義母が事ある毎に口にしていた言葉が印象的である。 「この地は道路計画の候補地となっているため、いずれ出て行かねばならない運命にある。 ところがその時期が一体いつのことなのか、都に確認しても一向に埒が明かない。 もうそろそろ家屋を建て直したい思いもあるしその資金もあるのに、建設予定地制限により建て直すことが叶わない。 かと言って、こんな中途半端な土地が売却できるはずもなく、所有するしか方策がない。 何でこんな貧乏くじを引かされてしまったのだろう……」
その後年月が経過し、義母の決断により、道路計画地の自宅を「改築」する段取りと相成った。 旧宅をすべて取り壊して新築し直す方がよほど事が簡単なのだが、上記のごとく道路建築予定地であるためその制限により「新築」が叶わない。 そこでやむを得ず「改築」の運びとなったのだが、現在の「改築」技法が進化している事情が大きいのだろうが、住人が欲する新築に匹敵するレベルの改築が可能であるとの業者の話だったとのことだ。 反面、その費用は「新築」よりも数段高額の価格が計上される結果となった。
更には自宅改築後まもなく義父が亡くなった。
昨夏には、頭脳明晰で気丈だった義母も要支援の身となり、冒頭に記した通りその地を去って現在ケアマンションに入居している有様だ。
今年に入って、義母の「保証人」を担当している我が家の身内と共にそのフォローを担当している私である。
そんな我々夫婦に舞い込んで来たのが、上記義母が所有している土地家屋にかかわる「東京都計画道路整備に関する事前相談会開催のお知らせ」であった。
3月上旬のある日、我々夫婦は東京都建設事務所が開催するその個別説明会に出向いた。
都から配布された資料及び説明会当日の係員の言及によれば、義母が所有している土地家屋の「東京都計画道路」の建設着工がやっとこさ決定したとの事だ。
今後、現況測定及び用地測定の実施を経た後、義母が所有する物件の調査と土地評価作業に入り、用地取得・補償交渉を実施するのはその後との都の説明である。 補償交渉が整ったならば1年以内に他の地への移転を強制されるらしい。
東京都建設事務所の説明会当日の態度は紳士的だったと言えよう。
自分達が説明する時間よりも、道路建設の“犠牲者”であろう道路候補地市民の話に最大限耳を傾けてくれた印象はある。
それでも、私は説明会を去る最後に一言付け加えた。 「我が義母がずっと都の道路計画に翻弄された人生を(嫁の)私も垣間見て来ました。 何故にこれ程までに道路計画の実行に長い年月を消費して遅くなったのでしょう?? この辺の対応がもっとどうにかならなかったものでしょうか? その間に義母はすっかり年老いてしまいました……」
最後は頭を下げるばかりの都職員の対応だったが…
後日ケアマンションに入居中の義母に、上記「東京都都市計画道路」建設着工が決定した旨を電話で伝えた。
義母曰く、「私の命があるうちに道路建設着工が決定してよかった。 死ぬ前にこの問題が解決してスッキリした思いもする。 今後の補償交渉も貴方達にお願いするが、どれだけの資産価値があるのか分からないし、如何ほど貴方達に補償額の恩恵があるのかも分からず申し訳ない思いだ」
何をおっしゃるお義母(かあ)さん。 今後の都との補償交渉こそ我々に任せて欲しい思いだ。
お義母さんが生涯かけて営んでこられた事業及び現在所有の不動産物件(他にも存在するが我々夫婦が相続予定なのは道路建設候補地の物件である)の資産価値を、保証人代行の立場として是が非でも守り抜きたいものである。
先祖代々日本橋の地で事業を行っていた家庭に育った義母には、長男である兄がいた。 時代背景的には長男が跡取りとなるのが通常だが、その長男よりも頭脳明晰だったため義母に跡継ぎの白羽の矢が立ったようだ。 その後先代より事業所の女将修行を受けた後、婿養子(既に他界している義父だが)を迎え、女将である義母の経営手腕(及び天性の美貌も手伝って?)により事業を大幅に拡大繁盛させたとのことである。
私が義母の長男である身内と婚姻した今から約20年程前には、既に日本橋の事業を赤の他人に営業譲渡し、身内一家は東京都豊島区のJR山の手線駅に程近い場所に転居していた。
時はバブル経済期直前頃の話だったらしい。 事業は大繁盛なのだが、何分跡継ぎがいない。 長男である我が身内を跡継ぎとするには“その適性がない”と早期にきっぱり判断した義母は、身内には別の進路を歩ませる事に精進したようだ。 その結果、身内は「博士」の学位を取得し基礎研究者としての人生を歩んだのだが。
(ここだけの話だが、義母の判断は大正解と私も同意する。 何分のんびり家でマイペースの身内である。 生き馬の目を抜くような商業の世界で、身内が大成するとは到底考えられない。 むしろ事業を私との婚姻後まで残してくれていたなら、私がその跡を継げたかもしれないと多少残念無念ではあるが… そんな美味しい話がこの世に転がっているはずもないよなあ。)
さて、話題を表題のテーマに移そう。
身内と婚姻後、義父母の住居兼借家数件を兼ね備えている賃貸住居の一室に半年間程居住させてもらった。 (生前贈与の形での義父母からの資金援助により、我々夫婦のための新住居は他の地に建設中だったが、転居までの期間、義父母の好意に甘えさせてもらった。)
その当時より義母より見聞していたのが、都内の義父母所有の住居地が「東京都計画道路建設予定地」であるとの事態だ。
義母が事ある毎に口にしていた言葉が印象的である。 「この地は道路計画の候補地となっているため、いずれ出て行かねばならない運命にある。 ところがその時期が一体いつのことなのか、都に確認しても一向に埒が明かない。 もうそろそろ家屋を建て直したい思いもあるしその資金もあるのに、建設予定地制限により建て直すことが叶わない。 かと言って、こんな中途半端な土地が売却できるはずもなく、所有するしか方策がない。 何でこんな貧乏くじを引かされてしまったのだろう……」
その後年月が経過し、義母の決断により、道路計画地の自宅を「改築」する段取りと相成った。 旧宅をすべて取り壊して新築し直す方がよほど事が簡単なのだが、上記のごとく道路建築予定地であるためその制限により「新築」が叶わない。 そこでやむを得ず「改築」の運びとなったのだが、現在の「改築」技法が進化している事情が大きいのだろうが、住人が欲する新築に匹敵するレベルの改築が可能であるとの業者の話だったとのことだ。 反面、その費用は「新築」よりも数段高額の価格が計上される結果となった。
更には自宅改築後まもなく義父が亡くなった。
昨夏には、頭脳明晰で気丈だった義母も要支援の身となり、冒頭に記した通りその地を去って現在ケアマンションに入居している有様だ。
今年に入って、義母の「保証人」を担当している我が家の身内と共にそのフォローを担当している私である。
そんな我々夫婦に舞い込んで来たのが、上記義母が所有している土地家屋にかかわる「東京都計画道路整備に関する事前相談会開催のお知らせ」であった。
3月上旬のある日、我々夫婦は東京都建設事務所が開催するその個別説明会に出向いた。
都から配布された資料及び説明会当日の係員の言及によれば、義母が所有している土地家屋の「東京都計画道路」の建設着工がやっとこさ決定したとの事だ。
今後、現況測定及び用地測定の実施を経た後、義母が所有する物件の調査と土地評価作業に入り、用地取得・補償交渉を実施するのはその後との都の説明である。 補償交渉が整ったならば1年以内に他の地への移転を強制されるらしい。
東京都建設事務所の説明会当日の態度は紳士的だったと言えよう。
自分達が説明する時間よりも、道路建設の“犠牲者”であろう道路候補地市民の話に最大限耳を傾けてくれた印象はある。
それでも、私は説明会を去る最後に一言付け加えた。 「我が義母がずっと都の道路計画に翻弄された人生を(嫁の)私も垣間見て来ました。 何故にこれ程までに道路計画の実行に長い年月を消費して遅くなったのでしょう?? この辺の対応がもっとどうにかならなかったものでしょうか? その間に義母はすっかり年老いてしまいました……」
最後は頭を下げるばかりの都職員の対応だったが…
後日ケアマンションに入居中の義母に、上記「東京都都市計画道路」建設着工が決定した旨を電話で伝えた。
義母曰く、「私の命があるうちに道路建設着工が決定してよかった。 死ぬ前にこの問題が解決してスッキリした思いもする。 今後の補償交渉も貴方達にお願いするが、どれだけの資産価値があるのか分からないし、如何ほど貴方達に補償額の恩恵があるのかも分からず申し訳ない思いだ」
何をおっしゃるお義母(かあ)さん。 今後の都との補償交渉こそ我々に任せて欲しい思いだ。
お義母さんが生涯かけて営んでこられた事業及び現在所有の不動産物件(他にも存在するが我々夫婦が相続予定なのは道路建設候補地の物件である)の資産価値を、保証人代行の立場として是が非でも守り抜きたいものである。