「兄弟は他人の始まり」との格言が昔から存在する。
原左都子など、これを地で行っている人間かもしれない。
冒頭から私事だが、私には年子(学年は2年違い)の姉がいる。
姉は今から30年程前に国際結婚にて米国に渡り、永住権を取得している。 元々徹底した“日本嫌い”であり今後一切日本の地を踏む意志が頑ななまでに無く、米国に骨を埋める覚悟だ。
我が30代半ば頃(国際恋愛相手と会う目的で)米国に渡った際に姉に会ったのが最後で、その後20数年間姉とは面会していないし、今後一生に渡って会う意思もない。
何故実姉とそのような“冷めた関係”に陥ったのかに関しては、姉が持って生まれた性質や人格によるところが大きいと(あくまでも私側は)分析している。
多少「異常」とも表現可能な突出した“歪み”を抱えている我が姉である。
一例を挙げれば、「自己顕示欲」が病的に強い事実が挙げられる。 (最近の「原左都子エッセイ集」に於いて、若き頃の姉がミスコン出場に病みつきになった事実や、自分史を2冊発刊して400万円に上る損失を計上した失策を公開したが…) とにもかくにも、「自己顕示欲」実現のためには家族を犠牲にしても厭わない凄味が昔からあった。
加えて、(これは「自己顕示欲」と連動して発する心理状態であろうが)他者に対する「嫉妬心」がこれまた異常なまでに強烈なのだ。 子供時代からそれを理性でコントロール出来ずに苦しんだ挙句、嫉妬心を抱く対象相手を攻撃する行動に出るのが困りものだった。 妹の私に対しても容赦はなく、私も幾度か姉から嫉妬心を抱かれ暴力を受けた経験がある。
我が両親も姉の「異常行動」に気付いていながら、精神医学が今ほどに発展していない時代背景下に於いて手立てが打てず、妹の私が姉から暴力を受ける事態を放置し続けた。 (それこそが未だに我がトラウマとなっているとも言えよう。 それも一つの大きな理由で、私は親を捨てて単身上京するとの行動を取ったとも言える。)
そんな私は子供時代から、「一人っ子」として生まれていたらどんなに幸せだったかとよく思ったものだ。
我が両親も姉が生来的に持って生まれたと考察できる性格的“異常さ”に困り果てていたのを、私は幼い頃よりずっと見て育っている。 もしも我が親どもが産んだ娘が私一人だったならば、おそらく両親とてもっと穏やかな暮らしが叶ったことであろう。
それが証拠に現在高齢者である母が私の帰省時に口癖のようにいつも言うには、「あの子(姉)は米国に行ってくれてよかった…」そればかりである。 ところが親心とは実に複雑だ。 米国の姉よりしばらく音信不通が続くと、私の所へ電話を寄越してその心配を私に伝えるのが困りものだ…
私事が長引き恐縮だが、話題を表題のテーマに戻そう。
原左都子が産んだ娘が若干の不具合を抱えて誕生した事実に関しては幾度も記しているため、読者の皆様はご承知の事であろう。
私の場合高齢出産だったが故に“年の功”で、我が子が生まれた直後からこの子の未来像にまで想像が発展したものだ。 計算高い私としては、自分の寿命と我が子の寿命に焦点を置いて今後の未来に渡る親(私自身)の経済力の行く末を試算せねばならないのは当然だ。 それと同時進行で、この子の教育・医療支援を慮り日々実行し続けた。
そんな折、我が身近な人物やメディア報道に於いて、障害児を産んだ親が「下の兄弟(姉妹)を今のうちに産んで、障害児である我が子の支援をしてもらおう」 なる場面に少なからず出くわした。
これには、反論を唱えざるを得ない。
その思想で産んだ次の子が、(我が姉のごとく)異常性格の持ち主だったなら親としてどう対応するの?! 家庭内がもっと大変な事態となろう。
たとえそうでなくとも、次に生まれ来る子にも必ずや「人権」はある。 それを親として如何に捉えた上で、自分が産んだ障害児の将来の支援を次なる子に委ねようとしているのか?!?
これぞ極めて危険な発想と、私は指摘したいのだ!
朝日新聞11月15日付記事に、「こんな医者になって 心臓病の13歳 弟に贈る8箇条」なる記載を発見した。
この記事の場合は、心臓病を患っている13歳のお兄ちゃんが“しっかり”しておられる様子だ。 それ故に4歳の弟に対して、患者本人であるお兄ちゃん自身から「もしも将来医者になりたいなら理想の医者8箇条」を届けられたことは賞賛するべきであろう。
片や、それをお兄ちゃんから“届けられてしまった”現在わずか4歳の弟ちゃんの未来こそが、私は気にかかるのだ…
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
生物発生遺伝基礎医学に於いて「DNA」こそが最大最高にして、生命体すべてがそれに支配されているとの医学常識の下、現在の遺伝子基礎医学がめくら滅法に大手を振り始めて既に数十年の月日が経過したのではなかろうか?
その欠陥部分が今に至って表沙汰になりつつ、臨床面では実質成果の程こそが未だままならないのが現実と私は理解しているのだが、どうだろう!?
障害児を産んだ(一部恵まれた)親が、次なる子供は自分の優秀さを引き継いだDNAを持って健全に生まれて来るはずだと信じるのは自由だろう。
そして生まれ出た兄弟が優秀であれば尚よかろう。
ところがこの世に生まれ出た子供達が目指す方向とは“優秀”であろうがそうでなかろうが、皆千差万別であるのが人間の“性(さが)である。
わずか4歳児にして障害を抱えた兄の今後の生涯を支援せんとして医師を志そうとて、それももちろん自由だ。
ただし親こそが4歳児弟の適性を含めた行く先を、長期的視野をもって観察・注視するキャパシティを備えているべきである。 両親にその力量が備わっていて現在4歳児である弟に医師を目指させているのであれば、私からは何も言うことはないのだが…
原左都子など、これを地で行っている人間かもしれない。
冒頭から私事だが、私には年子(学年は2年違い)の姉がいる。
姉は今から30年程前に国際結婚にて米国に渡り、永住権を取得している。 元々徹底した“日本嫌い”であり今後一切日本の地を踏む意志が頑ななまでに無く、米国に骨を埋める覚悟だ。
我が30代半ば頃(国際恋愛相手と会う目的で)米国に渡った際に姉に会ったのが最後で、その後20数年間姉とは面会していないし、今後一生に渡って会う意思もない。
何故実姉とそのような“冷めた関係”に陥ったのかに関しては、姉が持って生まれた性質や人格によるところが大きいと(あくまでも私側は)分析している。
多少「異常」とも表現可能な突出した“歪み”を抱えている我が姉である。
一例を挙げれば、「自己顕示欲」が病的に強い事実が挙げられる。 (最近の「原左都子エッセイ集」に於いて、若き頃の姉がミスコン出場に病みつきになった事実や、自分史を2冊発刊して400万円に上る損失を計上した失策を公開したが…) とにもかくにも、「自己顕示欲」実現のためには家族を犠牲にしても厭わない凄味が昔からあった。
加えて、(これは「自己顕示欲」と連動して発する心理状態であろうが)他者に対する「嫉妬心」がこれまた異常なまでに強烈なのだ。 子供時代からそれを理性でコントロール出来ずに苦しんだ挙句、嫉妬心を抱く対象相手を攻撃する行動に出るのが困りものだった。 妹の私に対しても容赦はなく、私も幾度か姉から嫉妬心を抱かれ暴力を受けた経験がある。
我が両親も姉の「異常行動」に気付いていながら、精神医学が今ほどに発展していない時代背景下に於いて手立てが打てず、妹の私が姉から暴力を受ける事態を放置し続けた。 (それこそが未だに我がトラウマとなっているとも言えよう。 それも一つの大きな理由で、私は親を捨てて単身上京するとの行動を取ったとも言える。)
そんな私は子供時代から、「一人っ子」として生まれていたらどんなに幸せだったかとよく思ったものだ。
我が両親も姉が生来的に持って生まれたと考察できる性格的“異常さ”に困り果てていたのを、私は幼い頃よりずっと見て育っている。 もしも我が親どもが産んだ娘が私一人だったならば、おそらく両親とてもっと穏やかな暮らしが叶ったことであろう。
それが証拠に現在高齢者である母が私の帰省時に口癖のようにいつも言うには、「あの子(姉)は米国に行ってくれてよかった…」そればかりである。 ところが親心とは実に複雑だ。 米国の姉よりしばらく音信不通が続くと、私の所へ電話を寄越してその心配を私に伝えるのが困りものだ…
私事が長引き恐縮だが、話題を表題のテーマに戻そう。
原左都子が産んだ娘が若干の不具合を抱えて誕生した事実に関しては幾度も記しているため、読者の皆様はご承知の事であろう。
私の場合高齢出産だったが故に“年の功”で、我が子が生まれた直後からこの子の未来像にまで想像が発展したものだ。 計算高い私としては、自分の寿命と我が子の寿命に焦点を置いて今後の未来に渡る親(私自身)の経済力の行く末を試算せねばならないのは当然だ。 それと同時進行で、この子の教育・医療支援を慮り日々実行し続けた。
そんな折、我が身近な人物やメディア報道に於いて、障害児を産んだ親が「下の兄弟(姉妹)を今のうちに産んで、障害児である我が子の支援をしてもらおう」 なる場面に少なからず出くわした。
これには、反論を唱えざるを得ない。
その思想で産んだ次の子が、(我が姉のごとく)異常性格の持ち主だったなら親としてどう対応するの?! 家庭内がもっと大変な事態となろう。
たとえそうでなくとも、次に生まれ来る子にも必ずや「人権」はある。 それを親として如何に捉えた上で、自分が産んだ障害児の将来の支援を次なる子に委ねようとしているのか?!?
これぞ極めて危険な発想と、私は指摘したいのだ!
朝日新聞11月15日付記事に、「こんな医者になって 心臓病の13歳 弟に贈る8箇条」なる記載を発見した。
この記事の場合は、心臓病を患っている13歳のお兄ちゃんが“しっかり”しておられる様子だ。 それ故に4歳の弟に対して、患者本人であるお兄ちゃん自身から「もしも将来医者になりたいなら理想の医者8箇条」を届けられたことは賞賛するべきであろう。
片や、それをお兄ちゃんから“届けられてしまった”現在わずか4歳の弟ちゃんの未来こそが、私は気にかかるのだ…
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
生物発生遺伝基礎医学に於いて「DNA」こそが最大最高にして、生命体すべてがそれに支配されているとの医学常識の下、現在の遺伝子基礎医学がめくら滅法に大手を振り始めて既に数十年の月日が経過したのではなかろうか?
その欠陥部分が今に至って表沙汰になりつつ、臨床面では実質成果の程こそが未だままならないのが現実と私は理解しているのだが、どうだろう!?
障害児を産んだ(一部恵まれた)親が、次なる子供は自分の優秀さを引き継いだDNAを持って健全に生まれて来るはずだと信じるのは自由だろう。
そして生まれ出た兄弟が優秀であれば尚よかろう。
ところがこの世に生まれ出た子供達が目指す方向とは“優秀”であろうがそうでなかろうが、皆千差万別であるのが人間の“性(さが)である。
わずか4歳児にして障害を抱えた兄の今後の生涯を支援せんとして医師を志そうとて、それももちろん自由だ。
ただし親こそが4歳児弟の適性を含めた行く先を、長期的視野をもって観察・注視するキャパシティを備えているべきである。 両親にその力量が備わっていて現在4歳児である弟に医師を目指させているのであれば、私からは何も言うことはないのだが…