原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

家計節約の手始めに私は“虚礼”を廃止したい

2014年11月15日 | お金
 朝日新聞11月1日別刷「be」“ランキング”のテーマは、「家計で減らしたい支出」だった。

 読者へのアンケートによるその結果の程が、原左都子にとっては実に意外な内容だった。
 以下に、そのランキング結果のみを引用して紹介しよう。

   1位  電気代     2位  携帯・スマホ代     3位  ガス代
   4位  水道代     5位  外食代         6位  ガソリン代
   7位  診療・治療代   8位  ネット通信代     8位  生命保険料
  10位  住宅ローンの返済代金
          (中をとばして)
  17位  酒代     18位  灯油代     19位  家賃    20位  薬代
 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの)


 早速、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 このアンケート結果が面白いのは、国民の生活実態や国民が何を信条・主眼として日常生活を送っているのかが垣間見れる点だ。
 原左都子自身の日常生活と比較しながら、上記アンケート結果を考察する事にしよう。

 まず上位にランキングされているのが、要するに「光熱費」であるが、これなど既に我が家では節約を実施済みである。
 ところが我が家にも未だ残る問題点はある。 それは、光熱費使用に関する身内との価値観の相違だ。
 例えば「水道代」がその最たるものであるが、身内曰く「水とはそもそも生態系を循環する性質のものだ。たとえ一家庭内の水道代が多少高額になろうとて、地球のエコ観点から考察するなら環境汚染を招く電力やガスに比し取るに足りない事象に過ぎない。 我が家の家計が現状で成り立っているのならば今後共水を自分の習性で使う権利がある。」
 私が返して曰く「それは分かるが、家計節約ミクロ視野からも考察してもらったならば我が家計が得策だ!」  身内曰く「一家が抱える水道代料金など、マクロ国家財政が無駄に浪費している兆単位の財源に比すと微々たるものだ。 ○子(私の事)は今後もせせこましい事に神経を使わず、国政に物申すことにこそ尽力してはどうなのか。」
 確かに我が家の場合は、「水」以外の光熱費に関しては私が日々管理しているため、節約を実行出来ていると言えよう。

 2位に位置している「携帯・スマホ代金」に関しても、我が家は(現在20歳の娘も含めて)皆が「パソコン主動」体系を採用しているため、その支出は少額に抑えられている。
 むしろ料理嫌いの私の要望としてもっと増額したいのが、5位に位置付ける「外食費」なのだが、残念な事に身内の体調不良によりそれが叶わない…。

 6位の「ガソリン代」に関しては、身内及び私自身が今後一切車を運転する意思がない事により既に廃車措置を取っているため、その出費は皆無だ。 ただし、代替的に発生する「交通費・旅費」出費はおそらくガソリン代よりも多額と心得ている。

 7位の「生命保険料」 これは辛いなあ…
 バブル崩壊期に連動した保険会社の相次ぐ経営破綻に我が個人年金保険が引っかかってしまった…  現在解約しても大損失、保険料を支払い続けたとて98歳まで生き延びねば元が取れない有様。 今後一切保険に入る意志など全くない!

 10位の住宅ローンに関しては、居住物件購入後すぐさま完済し続けている。 それこそが我が得意技だったものだ。 (もし興味がおありでしたら、「原左都子エッセイ集」2007年12月7日公開の「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)

 7位「診療・治療代」及び 20位「薬代」に関してこそ、元医学関係者である私は国民に助言したい事がある。  
 たとえ各種健康保険が適用されようとて、それらに係る家計費とは膨大な数値となろう。
 それは何故かと言えば、医療の趨勢として国民の「命」がからむからに他ならない。 それ故にどうしても医療費及びそれに付随して発生する価格数値が高額にならざるを得ない事は承知するとしても、その“信憑性”の程を今一度国民にも吟味して欲しいのだ。 
 私などほとんど医療機関を頼らず“予防医学”観点及びある程度の“自己診断”でこの世を生き延びているが故に、我が医療費及び薬代など取るに足りない程の少額である。

 そんな私にとって、17位「酒代」は今後もキープし続けたいものだ。
 今に至ってはさほどの酒力がない私だが、今後共少しの酒力で我がストレスを改善出来るのならば、我が家族の安泰のためにもこれは利用し続けたいと志している。



 最後にやっと、表題に掲げたテーマに移れそうだ。

 人間関係に於いて、有効な「交際費」は是非共家計に計上するべきである。
 ただ人間関係とは単純ではないのが事実だ。 とにもかくにも様々な世代や人種が生活を営む都会に於いては、広い視野を持ち住民の皆さんとの摩擦を避けつつ暮らしていかねばならない事は歴然だ。

 ところが高齢者年寄(実母及び義母)を身近に抱えている身としては、旧態依然とした価値観の下「どうしても誰それにお礼をして欲しい。」と訴え続けられる我が身である。
 (特に義母に対しては)「はい。御礼をするべき事に関しては十分心得ていますからその旨を言葉でお伝えしました。」と言ってもどうしても駄目なのだ。  “何某かの品物”を持参せねば「御礼」になり得ない!との思想を旧態依然と抱え続けている昭和初期以前生まれの年寄り親族を複数抱える身にしては、その出費こそが一番の家計負担だ!
 もちろん、これを税務会計時の「費用」としてよしと年寄達(特に義母)は言うのだが、どうしても合点不能な私である。

 今時御礼とは言葉とハート♡で誠実に申し上げるに限る、と私は信じている。 それに加え、品物を差し出す行為とは相手にとってむしろ迷惑・失礼な場合も多々あろう。
 それを身内年寄達に指導するのだが、どういう訳か年寄達は自分らの価値観を全面に訴えつつ迷惑行為を繰り返す始末だ。

 とにもかくにも我が家(特に原左都子)にとっては、「虚礼」こそが家計の一番の負担(無駄)になる事には間違いない! 
 そうこう言っているうちに、最たる虚礼である「歳暮」を贈らねばならない時期がすぐそこまで到来している…