いきなり表題とは矛盾するが、7年を超過してオピニオンエッセイをネット上で公開し続けている原左都子の場合、「(他者から)嫌われてこその我が存在感」を自負している部分がある。
そんな私が思うには、自分の事を自分が好きであってももちろん良いのだが、無理をしてまで「自分が好きだ」と外部に向かって宣言する必要はないような気もする。
「嫌われてこその我が存在感」に関しては、バックナンバーに於いて幾度か記載しているが、そのエッセイの一つ、2014.5.16公開の 「“みんな主義派”v.s“人間関係こだわり派”」の中から私の人間関係に於ける信条を紹介しよう。
私自身、自分側がとことん好む人間関係を厳選しつつ生きている事は歴然と言える。 相手方が私を本気で嫌になったならば静かに去ってくれたら幸せなる「嫌われてこその我が存在感」、これこそが我が人生の信条でもある。 要するに私自身の「人間関係こだわり」とは、あくまでも自分が好きな人と交流して生きて行きたいとの方針である。
「原左都子エッセイ集」公開後、一体私は何人の読者の皆様に嫌われて来たことであろう。 ところが不幸中の幸いと言えるのは、我がエッセイファンの皆様方が実にスマートな人格者でおられる事だ。
たまに悪態ついて後味悪く去っていくファンの方もいるにはいたが、ほとんどの読者の方は、私が理想とする通りに“静かに去って”下さるのだ。 気が付けば、「そう言えば、あの方はずっと訪問下さらないなあ…。ちょっぴり寂しいかなあ。」みたいな…
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、少し古くなるが10月5日付朝日新聞“TVダイアリー” フリーアナウンサー 小林麻耶氏の記述だ。
民放をほとんど見ない私の場合、当該アナウンサー氏に関する詳細を一切把握していないのだが、ずっと以前よりテレビアナウンサーをやっておられる認識がある。 それを考慮すると外見は童顔で若く見えるが、既に“いいお歳”のはずだ。 にもかかわらず、(失礼を承知で述べるなら)まるで高校生が作文を書いたかのような“幼稚”な文章を以下に要約して紹介しよう。
転校が多かった私が、中3転校初日に隣のクラスの女子3人に呼び出され、「あなたのこと嫌いなんだけど」と言われた。 何もしていないのに嫌われる、その時の気持ちは鮮明に覚えている。 その衝撃から、私は自分を否定するようになった。 “ぶりっこ”しているつもりはなくても、人からそう見られ誤解される。 そんな自分が嫌いだった。
そんな私もようやく自分が好きになってきた。 そのきっかけとは私を応援して下さるブログで繋がっている「心友」達の存在だ。 どんな時も変わらずに暖かく見守って下さることに心が動かされた。 自分に興味が出て来た今、これからの人生が楽しみだ。
(以上、フリーアナウンサー 小林麻耶氏による朝日新聞記事を引用紹介したもの。)
一旦、原左都子の私論に入ろう。
私はてっきりアナウンサー小林麻耶氏とは、“ぶりっこ”を売りとしてテレビ業界へ進出したものと捉えていた。 そうしたところ、外見と一体化するがごとくの“幼稚”な新聞記述…
この方アナウンサーとして一体如何なる人生を歩まれているのかと思い直し、(私としては一切興味がなく面倒臭いものの)先ほどウィキペディア情報を引っ張り出してみた。 以下にその冒頭の一部のみを紹介しよう。
小林 麻耶(1979年7月12日生 )は、日本の女性フリーアナウンサー、キャスター。元TBSアナウンサー。新潟県小千谷市生まれ。身長157cm。血液型A型。 妹はキャスターで歌舞伎役者市川海老蔵夫人の小林麻央。(以上、ウィキペディア情報より引用。)
確かにそうだ。 妹氏も元アナウンサーだったと認識していたが間もなく海老蔵氏の奥方となり梨園へ嫁がれている。 おそらく姉君よりもずっと試練の毎日であろう。
それはよしとして、現在35歳になられている麻耶氏が、中3の頃同級生から「嫌い」だと言われた事実を“未だ根に持っていた”とは驚かされる。 “ぶりっこ”を武器としてアナウンサーをゲット出来たならば、それはサクセスストーリーとしてプラスの話題に転化して語るべきであろうに。
しかも麻耶氏は、現在ブログにて応援してもらっている方々を「心友」と捉え、その存在こそに心が動かされると結論付けている。
麻耶氏が一体どれ程の期間ブログをネット上で公開しているかを認識していないが、原左都子に言わせてもらえるならば、実に危険極まりない。 「ブログ」等のネット関係とは“常に脆く崩れ去る”運命にある媒体との事実を宿命付けられているのが歴然だ。 その厳しさを如何に自分なりに理解しつつネット上で関わってい行くかのポリシーを持てずして、ネット上で人と関われる訳などないのだ!
麻耶氏曰くの「心友」とは、是非共“現実世界”で巡り合って欲しいものである…。
最後に、表題に基づいた私論を展開しよう。
私自身は、思春期に“ぶりっこ”だった事も皆無ならば、それが理由で周囲の女子達より「あなたが嫌いだ」と言われた経験など断じて皆無である。
ただ私の場合、上記紹介「“みんな主義派”v.s“人間関係こだわり派”」内で記述した通り、周囲の女性から不本意にも“(相手が男なら)誰にでもついていく女”なる異名を取った経験はある。
(詳細に関してはバックナンバーを確認して頂きたいものの)、何故当時の私が周囲の女性達から“誰にでもついていく女”とバッシングされたかに関して、その事情を述べるならば、相手の男よりも「自分こそが好きだった」からに他ならない。
当時の時代背景とは、企業内男性と“寿退社”するのが適齢期女性陣の一般的願望だったようだ。 そんなことに一切興味がなく、自己実現に燃え続けていた私にとっての“フリー行動”がバッシンング対象となったとの事だ。
冒頭で示した通り、原左都子自身は今後共に「嫌われてこその我が存在感」を貫くであろう事を自覚出来ている。
それはそうとして、どうしても「自分が好きだ!」と公言したい人へメッセージを贈ろう。
おそらくアナウンサーの小林麻耶氏も“ぶりっこ”である事をメディア上で前面に出し続けているという意味で、私と同類と考察する。
要は“自分の強み”を早期に悟る作業こそがその解答となると私は結論付たい。
そんな私が思うには、自分の事を自分が好きであってももちろん良いのだが、無理をしてまで「自分が好きだ」と外部に向かって宣言する必要はないような気もする。
「嫌われてこその我が存在感」に関しては、バックナンバーに於いて幾度か記載しているが、そのエッセイの一つ、2014.5.16公開の 「“みんな主義派”v.s“人間関係こだわり派”」の中から私の人間関係に於ける信条を紹介しよう。
私自身、自分側がとことん好む人間関係を厳選しつつ生きている事は歴然と言える。 相手方が私を本気で嫌になったならば静かに去ってくれたら幸せなる「嫌われてこその我が存在感」、これこそが我が人生の信条でもある。 要するに私自身の「人間関係こだわり」とは、あくまでも自分が好きな人と交流して生きて行きたいとの方針である。
「原左都子エッセイ集」公開後、一体私は何人の読者の皆様に嫌われて来たことであろう。 ところが不幸中の幸いと言えるのは、我がエッセイファンの皆様方が実にスマートな人格者でおられる事だ。
たまに悪態ついて後味悪く去っていくファンの方もいるにはいたが、ほとんどの読者の方は、私が理想とする通りに“静かに去って”下さるのだ。 気が付けば、「そう言えば、あの方はずっと訪問下さらないなあ…。ちょっぴり寂しいかなあ。」みたいな…
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、少し古くなるが10月5日付朝日新聞“TVダイアリー” フリーアナウンサー 小林麻耶氏の記述だ。
民放をほとんど見ない私の場合、当該アナウンサー氏に関する詳細を一切把握していないのだが、ずっと以前よりテレビアナウンサーをやっておられる認識がある。 それを考慮すると外見は童顔で若く見えるが、既に“いいお歳”のはずだ。 にもかかわらず、(失礼を承知で述べるなら)まるで高校生が作文を書いたかのような“幼稚”な文章を以下に要約して紹介しよう。
転校が多かった私が、中3転校初日に隣のクラスの女子3人に呼び出され、「あなたのこと嫌いなんだけど」と言われた。 何もしていないのに嫌われる、その時の気持ちは鮮明に覚えている。 その衝撃から、私は自分を否定するようになった。 “ぶりっこ”しているつもりはなくても、人からそう見られ誤解される。 そんな自分が嫌いだった。
そんな私もようやく自分が好きになってきた。 そのきっかけとは私を応援して下さるブログで繋がっている「心友」達の存在だ。 どんな時も変わらずに暖かく見守って下さることに心が動かされた。 自分に興味が出て来た今、これからの人生が楽しみだ。
(以上、フリーアナウンサー 小林麻耶氏による朝日新聞記事を引用紹介したもの。)
一旦、原左都子の私論に入ろう。
私はてっきりアナウンサー小林麻耶氏とは、“ぶりっこ”を売りとしてテレビ業界へ進出したものと捉えていた。 そうしたところ、外見と一体化するがごとくの“幼稚”な新聞記述…
この方アナウンサーとして一体如何なる人生を歩まれているのかと思い直し、(私としては一切興味がなく面倒臭いものの)先ほどウィキペディア情報を引っ張り出してみた。 以下にその冒頭の一部のみを紹介しよう。
小林 麻耶(1979年7月12日生 )は、日本の女性フリーアナウンサー、キャスター。元TBSアナウンサー。新潟県小千谷市生まれ。身長157cm。血液型A型。 妹はキャスターで歌舞伎役者市川海老蔵夫人の小林麻央。(以上、ウィキペディア情報より引用。)
確かにそうだ。 妹氏も元アナウンサーだったと認識していたが間もなく海老蔵氏の奥方となり梨園へ嫁がれている。 おそらく姉君よりもずっと試練の毎日であろう。
それはよしとして、現在35歳になられている麻耶氏が、中3の頃同級生から「嫌い」だと言われた事実を“未だ根に持っていた”とは驚かされる。 “ぶりっこ”を武器としてアナウンサーをゲット出来たならば、それはサクセスストーリーとしてプラスの話題に転化して語るべきであろうに。
しかも麻耶氏は、現在ブログにて応援してもらっている方々を「心友」と捉え、その存在こそに心が動かされると結論付けている。
麻耶氏が一体どれ程の期間ブログをネット上で公開しているかを認識していないが、原左都子に言わせてもらえるならば、実に危険極まりない。 「ブログ」等のネット関係とは“常に脆く崩れ去る”運命にある媒体との事実を宿命付けられているのが歴然だ。 その厳しさを如何に自分なりに理解しつつネット上で関わってい行くかのポリシーを持てずして、ネット上で人と関われる訳などないのだ!
麻耶氏曰くの「心友」とは、是非共“現実世界”で巡り合って欲しいものである…。
最後に、表題に基づいた私論を展開しよう。
私自身は、思春期に“ぶりっこ”だった事も皆無ならば、それが理由で周囲の女子達より「あなたが嫌いだ」と言われた経験など断じて皆無である。
ただ私の場合、上記紹介「“みんな主義派”v.s“人間関係こだわり派”」内で記述した通り、周囲の女性から不本意にも“(相手が男なら)誰にでもついていく女”なる異名を取った経験はある。
(詳細に関してはバックナンバーを確認して頂きたいものの)、何故当時の私が周囲の女性達から“誰にでもついていく女”とバッシングされたかに関して、その事情を述べるならば、相手の男よりも「自分こそが好きだった」からに他ならない。
当時の時代背景とは、企業内男性と“寿退社”するのが適齢期女性陣の一般的願望だったようだ。 そんなことに一切興味がなく、自己実現に燃え続けていた私にとっての“フリー行動”がバッシンング対象となったとの事だ。
冒頭で示した通り、原左都子自身は今後共に「嫌われてこその我が存在感」を貫くであろう事を自覚出来ている。
それはそうとして、どうしても「自分が好きだ!」と公言したい人へメッセージを贈ろう。
おそらくアナウンサーの小林麻耶氏も“ぶりっこ”である事をメディア上で前面に出し続けているという意味で、私と同類と考察する。
要は“自分の強み”を早期に悟る作業こそがその解答となると私は結論付たい。