原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

瀬戸内海を特急マリンライナーにて縦断の旅

2015年06月27日 | 旅行・グルメ
 (写真は、本州中国地方岡山県と四国地方香川県を結ぶ本四架橋の一つ 瀬戸大橋 の下部を通るJR瀬戸大橋線特急マリンライナー内から撮影した岡山県側の風景。)


 冒頭から、瀬戸大橋及びJR特急マリンライナーに関してネット情報を引用しつつ紹介しておこう。

 まずは、瀬戸大橋に関する情報から。
 瀬戸大橋は、瀬戸内海をまたいで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称である。 なお、「瀬戸内海大橋」という誤記が見られることもあるが、これは本来西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)のことである。かつて2橋の混同を避けるため、瀬戸大橋のことを「備讃瀬戸大橋」と呼称することもあった。
 1978年の着工から9年6ヶ月を経て1988年4月10日供用開始され、総事業費はおよそ1兆1,338億円。
 橋梁上部構造部分は、上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造であり、用途が2通りあることから「鉄道道路併用橋」と呼ばれている。
 塩飽諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368 m、高架部を含めると13.1kmの延長を持つ。 これは鉄道道路併用橋としては世界最長で、人工衛星写真でも確認できる。 橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。
 工事の際には当時世界初の技術が導入され、「海底無線発破」「設置ケーソン工法」などが実用化された。 また、気象条件や荷重による変形が著しいこの規模の吊り橋への鉄道の敷設は世界初の事例であり、橋梁の変形から線路を保護するための技術が新規に開発された。
 下部の鉄道は新幹線・在来線合わせて4線を敷設できるようになっているが、現在は在来線用に中央寄りの2線分のみが暫定的に敷設され、使用されている。 計画中の四国横断新幹線が建設される際には2線増設され、東側2線を在来線に、西側2線を同新幹線として使用する予定だった。 今のところ新幹線用のスペースのほとんどは何も設置されていないが、一部スペースに建設当初想定されていた新幹線用設備分の死重が設置されている。
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用。)

 次にマリンライナーに関する情報。
 平成15年10月のダイヤ改正にあわせ、高松と岡山を結ぶ快速「マリンライナー」が一新。JR四国がJR西日本と共同で導入した新型車両は、先頭車両に2階建て車両を導入し、特に2階部分のグリーン車からは瀬戸内海の眺望が楽しめる。 また最高速度を130km/hにアップし、高松~岡山間を平均約55分で結んでいる。 マリンライナーの2階建て車両(5000系5100形)は、鉄道友の会選定の「2004年ブルーリボン賞」に輝いたほか、(財)日本産業デザイン振興会が主催する「グッドデザイン賞」にも選ばれた。
 (以上、ネット情報より要約して引用。)


 さて、我が旅行記に入ろう。

 前回のエッセイ内で記した通り、私は去る6月23日より、片道道中列車を5つとバスを一つ乗り継ぐ国内旅に出かけた。  その所要時間とは、列車・バス乗車時間トータルが片道9時間也!

 数十年来国内外問わず航空便利用旅行に慣れ切っている身にして、一昨年頃より新幹線を利用した国内旅行を幾度か経験した。 今回の旅の場合も、航空便を利用すれば現地まで“一っ飛び”で行けるにもかかわらず、何故あえて列車乗り継ぎ旅を志したかと言えば、それは航空便旅に比して鉄道旅の方がずっと心地良いとの感覚を得たからに他ならない。

 それに加え、今旅の最大目的が久しぶりに“瀬戸内海を見たい”事にあったのも確かだ。
 数十年前の上京後間もない頃、一時郷里に帰省する際に、東京から新幹線利用にて岡山より宇高連絡船に乗船し高松経由で実家を訪れた事が何度かある。 
 我が記憶によれば、当時その片道所要時間とはおそらく12時間程だったのではなかろうか?  とにかく純粋に帰省目的であるにもかかわらず、何故これ程の長時間と重労働を課せられるのかと若気の至り故に嫌気がさしたものだ。

 ところが一旦“瀬戸内海を見たい”と旅の目的を180度好転すると、これが実に楽しめるのだ!
 今回は瀬戸大橋鉄道経由にての旅だったが、これがもしも 宇高連絡船乗船だったならばもっとサプライズだったのではないかと思えるから、不思議だ。 


 最後に、今回の我が旅の最終目的に関して説明しよう。

 血縁親族が高齢に至れば至る程、直系子孫への負担が重圧としてのしかかって来るのは、何処の高齢者を抱えるご家庭も同様ではあるまいか?
 
 要するに今回の我が旅の最終目的とは、郷里の実家に一人暮らす高齢実母宅訪問に他ならなかったという結末だ。
 そうだとして私としては、せめて郷里への道中のみでも快楽を享受しつつ自分自身が活性化したいとの思いの旅だったが、その活性化が十分に叶ったとの結論で締めくくろう。