原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自分自身が寂しい限り友達は出来ない

2015年06月01日 | 人間関係
 こんな“つまらない人”とは、向こうから頭を下げて来られても友達付き合いしたくない、と思えるような人物からの悩みの相談に出くわした。


 早速、60代女性による「友人ができず、寂しい思いです」なる題名の5月30日朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 60代の主婦だが、若い頃に両親を亡くし兄姉も40代で病死したが、何とか自力で頑張り今は不自由ない暮らしをしている。 ただ一つ、埋まらない寂しさがある。 それは周りに友がいないことだ。 人との出会いを求めて習い事や集まりに参加したが、話せる仲間が出来ない。 愚痴や馬鹿話が出来て思い合う友達がいたら、どんなに人生が潤うことだろう。  
 たまに会う年下の主婦友はいるが、冷静で言葉少なく私が黙れば会話が続かない。 その相手に無理をしている自分が嫌になるが、あちらも迷惑かもしれない。
 私の性格は元々消極的だが、PTA役員や姑の介護等も積極的にして自分を変える努力をした。 でも全てがその場限りの間柄で終わる。 
 どうしたら人を寄せ付けられるかの助言をお願いしたい。 ちなみに夫は自由にさせてくれ干渉は一切しない。 贅沢だが、それも空しいものだ。
 (以上、朝日新聞2015.5.30“悩みのるつぼ”相談内容より要約して引用したもの。)


 今回の“悩みのるつぼ”回答者は、歌手・俳優であられる 三輪明宏氏だ。

 その回答内容たるや、まさに100%(120%かも!) 原左都子の私論と一致するため、冒頭から三輪氏のご回答を要約して紹介しよう。

 あなたが幸せでいる時には遠くから眺めて応援してくれる。 病気の時には看病してくれ、悩み事、金の貸し借りも相談に乗ってくれ、愚痴や泣き言も受け入れてくれて、腹蔵なく欠点をさらけ出しそれを全部受け入れてくれるような、「悩みのゴミ箱」みたいな人はこの世に存在しない。 それを求めるから、皆が迷惑に思い逃げて行く。
 腹心の友とは、人生に一人か二人現れれば幸運な事。 今、高齢化社会で孤独死する人が多い。その理由を友達がいないせいと考える人が多いから悩むのだ。  世の中が「絆」「絆」と言って美談を宣伝したりドラマ化しているが、実際はそれ程甘いものではない。
 趣味や何らかの集いで「心の友」を探そうとしても難しい。 向こうも“人に寄りかかりたい”故だ。 こちらから寄りかかっていくと相手は離れる。 相手にすべてを受け入れてくれる“鉄の扉”を要求しようが、実質両者共に“破れ障子”状態だからだ。
 相手にばかり見返りを求める人には感謝がない。 相談者の場合も、食べるに困らないお金があって大病もせず、優しく見守ってくれる夫もいる。 何も言う事はない。
 友人がいないがために、人の悪口を言ったり愚痴をこぼしたりが出来ないから何だと言うのか。 たとえ友人が出来てそんな事をしたとて、清々するどころか一人になった時に自己嫌悪に陥るだけだ。
 今後は、自分の幸せを数えたらどうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答者 三輪明宏氏の回答を要約引用したもの。)


 ここから、原左都子の私事に入ろう。

 それ以前の課題として、上記のごとく三輪明宏氏が我が私論をすべて言い当ててくれたお陰で、今更ながら私が付け加えねばならない事象もさほどない。

 それでも、私にも“友が恋しい”と思える時代が過去に於いて無きにしも非ずだったものだ。
 何分40歳近くまでの長き独身時代を謳歌した私としては、付き合う相手とはほとんど男ばかり。 そんな環境下に於いて、女友達に相談事を持ち掛けたい時期も一時あった事を思い出す。
 それは我が20代後半の1980年代初頭頃、女性陣がまだまだ就職した社内で結婚・出産を契機とした“寿退社”を虎視眈々と狙う時代だった。
 結婚願望が希薄な私としては“結婚を前提としない”男性との付き合いを常に愛好していたのだが、その恋愛相談を同年代の女性に持ちかけようが、皆が皆自分の“寿退社”へ向けた狭い視野思考で凝り固まっていた。
 ただ私の頭の切り替えは早かった。 元々人生観やポリシーが180度異なる女性陣とは今後の我が人生に於いてお付き合いを続行するのは難しい、との結論に早期に至っていた。

 その後まさに男世界で職業人として生き貫く中で、私は30代半ばにして人生に於ける“腹心の友”と出会った。
 私と同じ「独身の身」どころか、彼女は私以上に“独身に対する強い意思”がある人物だった。 この女性との出会いは、実に我が独身時代を豊かにしてくれた。
 結果として、彼女ほど独身にこだわっていなかった私は晩婚に至り子供も設けた。 そんな私を一番に祝福してくれたのも彼女だった。
 ところが人生とは無常だ。 やっと我が子が成人に達しようとしている頃、“腹心の友”は一人暮らしの自宅で“くも膜下出血”にてこの世から忽然と去ってしまったのだ… 
 彼女にはもっともっと生きていて欲しかったとの無念感が募った。 そうしたならば、娘を自立させた暁に今一度女友達二人の老後を満喫出来たのに…
 ただ、人生とはそんな風に過ぎ去るものなのであろうことは、“腹心の友”が他界して3年の月日が流れた現在に至った今、納得可能だ。


 話題を変えるが、冒頭の60代相談者女性の相談内容に於いて一番気がかりなのは、「ちなみに夫は自由にさせてくれ干渉は一切しない。贅沢だがそれも空しいものだ。」との箇所である。
 私自身も相談女性と同様に、配偶者が一貫して私を自由にさせてくれることに大いに感謝している身だ。
 この我が亭主の利点こそが、現在の私の人生を豊かにしてくれている事に間違いない。 (他に亭主に対する不満は盛り沢山あるものの)、とにかく私に干渉しない事態こそが我が夫婦間婚姻関係続行の基本であると私は捉えている。
 そもそも相談者女性ご夫婦とは、家計に於いて「夫婦間独立採算制」を導入されているのだろうか?  そうでなく老後資金を全面的にご亭主におんぶしているのなら尚更、相談者の夫氏が奥方に自由を保障してくれている身に感謝するべきであろう。 にもかかわらず夫氏が自分に干渉しない事実が空しいと感じるのならば、「私に構ってよ!」とあなたから正直に嘆願するべきだよ。 
 それが言い出せない程の小心者なのだろうか、相談女性は… 


 とにもかくにも“腹心の友”など、小心者であろうがこの世を図太く生き抜いている者であろうが、そう簡単に突然降って湧くものではあり得ない。

 「孤独死」が辛いと言うが、原左都子など身内や周囲の誰にも迷惑を及ぼさない「孤独死」こそが理想像だ。
 聞くところによれば、一族皆を死ぬ間際に集めるだけ集めて天寿をまっとうしたいとの権力者が、今尚この世に君臨しているらしい。 そんな奴に付き合わされる親族皆の大迷惑を慮れてこそ、今の時代真に天昇可能ではなかろうか!?

 そもそも基本的に主体性に欠けていて、単独意思決定及び行動が苦手と思しき“悩みのるつぼ”相談者女性である。
 そんな60代の女性が“付け焼刃的”に友を得るより率先してやるべき事とは、一番身近な存在である自分のご亭主に対してこそ、「今後どうか私にも構って下さい!」と嘆願する事と私は結論付けるのだが、如何だろうか…