子供の頃、私は声が小さかった。 (と言うよりも“声が通らない”と表現した方が正解かもしれないが。)
それには理由がある。 まず生まれながらにして家庭環境及び遺伝DNA面で大声を出す人物が一人として存在しなかった。 しかも我が父親が静寂を好む人間であり、幼少の頃より奇声を発すると直ぐにたしなめられ小さい声で話すよう促されて育った。 (そんな一種歪んだ父親の志向により、我が声帯の発育が遅れていたとも推測可能だが。)
そんな家庭環境下に育った私は、幼稚園・小学校と集団生活をするようになった当初から、自ずと周囲の喧騒に違和感・嫌悪感を抱くようになった。 (もしかしたら、我が集団嫌いは“喧騒嫌い”も兼ねていると考察出来るのかもしれない。)
当時の小学校教室内の座席とは、(視力的に問題がある児童を除き)身長順に前から席順が決められる方式だった。 そのため子供時代から長身の私(脚が長いため座高は低いのにねえ~?)はいつも最後列の座席と決定していたようなものだ。
それ自体は特段問題ないのだが、困った事には最後列の私の声が教壇に立つ教員に聞き取りにくいらしい。 「もっと大きな声で!」と小学校卒業まで一体幾度教員から叱咤されたことだろう。
これが嫌で嫌で…。 家庭内で「静かに話すよう」教育されている私としては、大声を発せよ!と教員から指導される事自体が屈辱(というよりも当時の感覚では“恥”)だった。 幼心にそんな内心を抱えつつ自分なりに大声を出したつもりでも、まだ「聞こえない!」と教員から叱責されたものなら、学校がとことん嫌いになるのも必然だったと、今となっては分析可能だ。
時が変遷して、大声で話す事が苦手な私は教員時代も日々苦労の連続だった。
こちらとしては精一杯の大声で授業に挑んでいるにもかかわらず、(特にマンモス私立女子高校講師時代には)後部座席生徒から「せんせー、声がきこえないよ~!」なるクレームを何度訴えられたことか。 これが正教員の立場ならば「教室にマイクを導入するべき」なる提案も可能だが、たかが週に何度か訪れる講師の身分で言い出せる訳もない…。 やむを得ず精一杯以上の大声を張り上げる事で慢性的に喉を傷め、ますます声量を低下させる悪循環に陥ったものだ。 (現在に至って尚、喉及び気管支系が健常でないのは、その時の無理によるものかも…)
そんな私も現在義母の後見人を担当している事により、大声を出さねばならない運命にある。
特に耳が聞こえにくく、かつ多少の痴呆症状が進んでいる高齢者と「電話」で話す場合、こちらが大声で対応せねば事が進展するべくもない。
これが実に大変だ。
今となっては義母からの電話にはナンバーディスプレイ認識にて我が家族の誰も出やしない。 気持ちは分かる。 その対応が如何に大変かを物語っている現象故だ。 私とて勘弁して欲しいのは山々だが、ここは義母にとって一番信頼がある私が対応するはめとなる。 電話が鳴ったら直ぐにリビングの窓全てを閉め、電話口に出て精一杯の大声を張り上げて義母よりの用件を処理せざるを得ないのだ。
世間一般の認識として、“耳が聞こえにくい人は自身も大声で話す”との誤解があるようだが、それは一部の人に限られるのではあるまいか?
と言うのも、我が義母に関してはそれにはまったく当てはまらない。 義母自身は以前と変わらず穏やかかつ上品な音声である。 ただ、こちらの声が聞き取れない時のみ「何とおっしゃったかしら?」との返答が多少大きくなる程度だ。
話題を表題に戻そう。
現在朝日新聞「声」欄で、公共の場で大声で話す年寄りのマナーに関する意見が交錯している様子だ。
事の発端は中学生による投書だったようだ。(残念ながら、私は中学生による当該投書を見ていない。)
それに対する、地方公務員30歳女性よりの反論投書を、去る6月16日付け朝日新聞「声」欄で発見した。 当該投書内容を以下に要約して紹介しよう。
公共の場にてのお年寄りのマナーに関する中学生の投稿を拝読したが、現在市役所にて高齢者とかかわっている身にしては、難聴の方々に配慮するべきとの異論がある。 私の場合、低音ではっきりとゆっくり話すようにしているが、そうすると小さい声でも聴きとってもらえる事が多い。 中学生の貴方にも、視聴覚弱者が存在する事を知って欲しい。
(以上、朝日新聞「声」欄の30歳公務員氏よりの投稿より引用。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
当該議論の「行き違い」を直ぐに察知した私だ。
おそらく最初に投書した中学生は、例えば電車内等まさに一般「公共の場面」でお年寄り(私の推測では未だ60代程度の中学生のお婆ちゃんレベルのお年寄り)が周囲の迷惑も顧みず、自分達本位に喋くり倒している場面に遭遇して辟易としたのであろう。
その種の場面には、この私(おそらく中学生のお婆ちゃんと同年代)も、日々電車内で出くわす。 静粛を好む私としても実に実に鬱陶しく、こいつらの神経は如何程か!?とその低能レベルにうんざりさせられ続けている。
片や、新聞紙面にて中学生に反論したらしき地方公務員30歳女性に言いたい事がある。
貴方は単に片田舎の公務員庁舎に勤めている身分として、その経験則範疇でものを言っているのみだ。 そんな狭い見識で、単純に中学生に反論してはならない立場ではなかろうか?
一旦都会に出て、混雑した電車に乗ってごらんなさい。 それはそれは、貴女が今まで経験したより数倍物凄い勢いで数多の人間関係が渦を巻いている。
私とて、身内の高齢者には最大限配慮したく日々格闘している。
それと都会に於ける公的場面での人間関係とはまったく次元を異にすることをまず認識して欲しい。
それでもあなたが若き一地方公務員として、地元のお年寄りに配慮している事実のみは一応評価しておくが…。
そうだとして新聞に投稿してまで一中学生をバッシングする前に、貴女が公務員としてより広い視野で成すべき事・考えるべき事の方こそが未だ盛沢山なのではなかろうか??
それには理由がある。 まず生まれながらにして家庭環境及び遺伝DNA面で大声を出す人物が一人として存在しなかった。 しかも我が父親が静寂を好む人間であり、幼少の頃より奇声を発すると直ぐにたしなめられ小さい声で話すよう促されて育った。 (そんな一種歪んだ父親の志向により、我が声帯の発育が遅れていたとも推測可能だが。)
そんな家庭環境下に育った私は、幼稚園・小学校と集団生活をするようになった当初から、自ずと周囲の喧騒に違和感・嫌悪感を抱くようになった。 (もしかしたら、我が集団嫌いは“喧騒嫌い”も兼ねていると考察出来るのかもしれない。)
当時の小学校教室内の座席とは、(視力的に問題がある児童を除き)身長順に前から席順が決められる方式だった。 そのため子供時代から長身の私(脚が長いため座高は低いのにねえ~?)はいつも最後列の座席と決定していたようなものだ。
それ自体は特段問題ないのだが、困った事には最後列の私の声が教壇に立つ教員に聞き取りにくいらしい。 「もっと大きな声で!」と小学校卒業まで一体幾度教員から叱咤されたことだろう。
これが嫌で嫌で…。 家庭内で「静かに話すよう」教育されている私としては、大声を発せよ!と教員から指導される事自体が屈辱(というよりも当時の感覚では“恥”)だった。 幼心にそんな内心を抱えつつ自分なりに大声を出したつもりでも、まだ「聞こえない!」と教員から叱責されたものなら、学校がとことん嫌いになるのも必然だったと、今となっては分析可能だ。
時が変遷して、大声で話す事が苦手な私は教員時代も日々苦労の連続だった。
こちらとしては精一杯の大声で授業に挑んでいるにもかかわらず、(特にマンモス私立女子高校講師時代には)後部座席生徒から「せんせー、声がきこえないよ~!」なるクレームを何度訴えられたことか。 これが正教員の立場ならば「教室にマイクを導入するべき」なる提案も可能だが、たかが週に何度か訪れる講師の身分で言い出せる訳もない…。 やむを得ず精一杯以上の大声を張り上げる事で慢性的に喉を傷め、ますます声量を低下させる悪循環に陥ったものだ。 (現在に至って尚、喉及び気管支系が健常でないのは、その時の無理によるものかも…)
そんな私も現在義母の後見人を担当している事により、大声を出さねばならない運命にある。
特に耳が聞こえにくく、かつ多少の痴呆症状が進んでいる高齢者と「電話」で話す場合、こちらが大声で対応せねば事が進展するべくもない。
これが実に大変だ。
今となっては義母からの電話にはナンバーディスプレイ認識にて我が家族の誰も出やしない。 気持ちは分かる。 その対応が如何に大変かを物語っている現象故だ。 私とて勘弁して欲しいのは山々だが、ここは義母にとって一番信頼がある私が対応するはめとなる。 電話が鳴ったら直ぐにリビングの窓全てを閉め、電話口に出て精一杯の大声を張り上げて義母よりの用件を処理せざるを得ないのだ。
世間一般の認識として、“耳が聞こえにくい人は自身も大声で話す”との誤解があるようだが、それは一部の人に限られるのではあるまいか?
と言うのも、我が義母に関してはそれにはまったく当てはまらない。 義母自身は以前と変わらず穏やかかつ上品な音声である。 ただ、こちらの声が聞き取れない時のみ「何とおっしゃったかしら?」との返答が多少大きくなる程度だ。
話題を表題に戻そう。
現在朝日新聞「声」欄で、公共の場で大声で話す年寄りのマナーに関する意見が交錯している様子だ。
事の発端は中学生による投書だったようだ。(残念ながら、私は中学生による当該投書を見ていない。)
それに対する、地方公務員30歳女性よりの反論投書を、去る6月16日付け朝日新聞「声」欄で発見した。 当該投書内容を以下に要約して紹介しよう。
公共の場にてのお年寄りのマナーに関する中学生の投稿を拝読したが、現在市役所にて高齢者とかかわっている身にしては、難聴の方々に配慮するべきとの異論がある。 私の場合、低音ではっきりとゆっくり話すようにしているが、そうすると小さい声でも聴きとってもらえる事が多い。 中学生の貴方にも、視聴覚弱者が存在する事を知って欲しい。
(以上、朝日新聞「声」欄の30歳公務員氏よりの投稿より引用。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
当該議論の「行き違い」を直ぐに察知した私だ。
おそらく最初に投書した中学生は、例えば電車内等まさに一般「公共の場面」でお年寄り(私の推測では未だ60代程度の中学生のお婆ちゃんレベルのお年寄り)が周囲の迷惑も顧みず、自分達本位に喋くり倒している場面に遭遇して辟易としたのであろう。
その種の場面には、この私(おそらく中学生のお婆ちゃんと同年代)も、日々電車内で出くわす。 静粛を好む私としても実に実に鬱陶しく、こいつらの神経は如何程か!?とその低能レベルにうんざりさせられ続けている。
片や、新聞紙面にて中学生に反論したらしき地方公務員30歳女性に言いたい事がある。
貴方は単に片田舎の公務員庁舎に勤めている身分として、その経験則範疇でものを言っているのみだ。 そんな狭い見識で、単純に中学生に反論してはならない立場ではなかろうか?
一旦都会に出て、混雑した電車に乗ってごらんなさい。 それはそれは、貴女が今まで経験したより数倍物凄い勢いで数多の人間関係が渦を巻いている。
私とて、身内の高齢者には最大限配慮したく日々格闘している。
それと都会に於ける公的場面での人間関係とはまったく次元を異にすることをまず認識して欲しい。
それでもあなたが若き一地方公務員として、地元のお年寄りに配慮している事実のみは一応評価しておくが…。
そうだとして新聞に投稿してまで一中学生をバッシングする前に、貴女が公務員としてより広い視野で成すべき事・考えるべき事の方こそが未だ盛沢山なのではなかろうか??