(写真は、昨日勤労感謝の日に誕生日を迎えた娘のお祝い会をした寿司店のカウンターコーナー。)
ここ何年か、娘の誕生会を決まって上記の寿司屋にて実施している。
何故ならば高齢者介護施設に住む義母を招いての誕生会のため、義母が行動可能な範囲内での会場に限定される故だ。
さて施設よりタクシーに乗って到着する義母を出迎えるため、タクシー降り場にて義母を待つこととなった我々親子3名だが。
待ち時間中に、亭主に質問した。 「今日が娘の誕生日だという事を覚えてた?」 亭主応えて、「もちろんだよ!」 (何分“勤労感謝の日”が誕生日のため万人が覚えやすい事は確かだ。)
「じゃあ、娘が今日何歳になったか知っている?」
何故亭主にこの質問を投げかけるかに関しては理由がある。 一度足りとて正確に答えられた試しがないためだ。
記憶が鮮明な例を挙げると、娘9歳の誕生日に際し同様の質問をした私に対し亭主から返された回答とは、「14歳かなあ。」 これには母娘共々仰天させられると同時に一家で笑い転げ、明るい誕生祝となったものだ。
(ここだけの話だが、我が亭主とは元々“頭が悪いのか?” と思われるふしがある。 それは娘も認めていて、その亭主の弱点を突くことを母娘で楽しめる家庭でもある。 配偶者の立場として贔屓目に見てやるならば、おそらく頭が悪いのではなく亭主にとってはその種の事象は既に超越して二の次でよい課題であり、娘が順調に育っていさえすればそれで十分満足なのだろう。)
案の上、娘が本日何歳になったかの問いに対する亭主よりの回答とは。 「27歳」。 これにタクシー降車場で大笑いの我が一家だった。
それにしても。
娘がある程度成長を遂げるまでは勤労感謝の日の誕生日を迎える都度、母である我が脳裏に出産当日の壮絶な悲劇が走馬灯のごとくリアルに蘇ったものだ。
救急車で救急搬送された大病院にて、緊急帝王切開手術に耐え抜いた挙句の果てに。 この世に生まれ出た娘が「仮死状態」にて不具合を抱えての出産との予期せぬ事態。
実際毎年娘の誕生日を迎える都度、我が脳裏には24年前のあの日の救急搬送病院にて娘が「死」から助け出されるべく緊急手術現場の風景しか思い起こせなかったものだ。
「どうしてこんな事態に陥ってしまったのか??」なる悲壮感と共に、母である私に何某かの罰でもあたったのかとしか思えなかった。
当時、実母・義母それぞれが未だ年老いていない時代背景下に於いて、毎年娘の誕生日にはご両人から「〇ちゃん、誕生日おめでとう!!」とのメッセージやプレゼントが容赦なく届けられる。 それに表面では母の立場から「ありがとう」と対応しつつ、脳裏では娘の未来を絶望視していた時代でもあった。
昨日迎えた娘の24歳の誕生日に際し、娘本人の凄まじいばかりの成長力と共に、我がサリバン人生を24年の年月に渡り実行し続けられた達成感を今は抱ける。
現在に至っては、決して24年前の壮絶な出産時を思い起こす事は無い。(いや、少しはあるかな。)
亭主の天然“おとぼけ”ぶりが、娘出産時の悲劇を思い起こす事態を毎年回避してくれている気もする。
とにもかくにも、我が娘よ。
貴女が無事に24歳の誕生日を迎えられた事実を、我々父母をはじめとして親族の皆が祝福してくれていることは確かだ。
ここ何年か、娘の誕生会を決まって上記の寿司屋にて実施している。
何故ならば高齢者介護施設に住む義母を招いての誕生会のため、義母が行動可能な範囲内での会場に限定される故だ。
さて施設よりタクシーに乗って到着する義母を出迎えるため、タクシー降り場にて義母を待つこととなった我々親子3名だが。
待ち時間中に、亭主に質問した。 「今日が娘の誕生日だという事を覚えてた?」 亭主応えて、「もちろんだよ!」 (何分“勤労感謝の日”が誕生日のため万人が覚えやすい事は確かだ。)
「じゃあ、娘が今日何歳になったか知っている?」
何故亭主にこの質問を投げかけるかに関しては理由がある。 一度足りとて正確に答えられた試しがないためだ。
記憶が鮮明な例を挙げると、娘9歳の誕生日に際し同様の質問をした私に対し亭主から返された回答とは、「14歳かなあ。」 これには母娘共々仰天させられると同時に一家で笑い転げ、明るい誕生祝となったものだ。
(ここだけの話だが、我が亭主とは元々“頭が悪いのか?” と思われるふしがある。 それは娘も認めていて、その亭主の弱点を突くことを母娘で楽しめる家庭でもある。 配偶者の立場として贔屓目に見てやるならば、おそらく頭が悪いのではなく亭主にとってはその種の事象は既に超越して二の次でよい課題であり、娘が順調に育っていさえすればそれで十分満足なのだろう。)
案の上、娘が本日何歳になったかの問いに対する亭主よりの回答とは。 「27歳」。 これにタクシー降車場で大笑いの我が一家だった。
それにしても。
娘がある程度成長を遂げるまでは勤労感謝の日の誕生日を迎える都度、母である我が脳裏に出産当日の壮絶な悲劇が走馬灯のごとくリアルに蘇ったものだ。
救急車で救急搬送された大病院にて、緊急帝王切開手術に耐え抜いた挙句の果てに。 この世に生まれ出た娘が「仮死状態」にて不具合を抱えての出産との予期せぬ事態。
実際毎年娘の誕生日を迎える都度、我が脳裏には24年前のあの日の救急搬送病院にて娘が「死」から助け出されるべく緊急手術現場の風景しか思い起こせなかったものだ。
「どうしてこんな事態に陥ってしまったのか??」なる悲壮感と共に、母である私に何某かの罰でもあたったのかとしか思えなかった。
当時、実母・義母それぞれが未だ年老いていない時代背景下に於いて、毎年娘の誕生日にはご両人から「〇ちゃん、誕生日おめでとう!!」とのメッセージやプレゼントが容赦なく届けられる。 それに表面では母の立場から「ありがとう」と対応しつつ、脳裏では娘の未来を絶望視していた時代でもあった。
昨日迎えた娘の24歳の誕生日に際し、娘本人の凄まじいばかりの成長力と共に、我がサリバン人生を24年の年月に渡り実行し続けられた達成感を今は抱ける。
現在に至っては、決して24年前の壮絶な出産時を思い起こす事は無い。(いや、少しはあるかな。)
亭主の天然“おとぼけ”ぶりが、娘出産時の悲劇を思い起こす事態を毎年回避してくれている気もする。
とにもかくにも、我が娘よ。
貴女が無事に24歳の誕生日を迎えられた事実を、我々父母をはじめとして親族の皆が祝福してくれていることは確かだ。