原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米国西海岸旅行記 ー U.C.バークレー編 3 ー

2018年09月04日 | 旅行・グルメ
 (写真は、U.C.バークレー正門のセイザーゲートにて。)


 何と言っても、19歳の短期留学中に一番通った(かよった)のがこのセイザーゲート近くの露店だった。


 当時宿泊した大学内の寮である歴史的建造物「Bowles Hall」にて、週末以外はすべての食事を提供してくれたのだが…


 若気の至りの留学生にとって人気だったのが、まさにセイザーゲート近くの露店だった。

 多少高額だった記憶があるが、ハンバーガーは美味だし搾りたてのフレッシュグレープジュースの美味しかったこと!



 今回のU.C.バークレー訪問にて様変わりしていたのが、まさにこれら「露店」が無かった事実だ。


 繰り返すが、世の経済社会はまさに様変わりして、世界中すべての店舗が巨大企業によるチェーン化と成り果ててしまった…

 世界中の何処へ行ったとて、同じ味同じ風味の食材を食べ、飲ませられる運命下にある。

 それと並行して街はスラム化し、世界中のすべての貴重な文化が失われ……



 いえいえ、今回バークレーの街で立ち寄った「ピザ店」は至って親切でしたよ!
 ピザの大きさに関して我々が食べられる量を訴えたところ、納得行くまで説明してくれた挙句の発注だった。

 しかも美味かつ安価だったし、末端の努力に関して文句を言える筋合いはないよねえ……。






米国西海岸旅行記 ー U.C.バークレー編 2 ー

2018年09月04日 | 旅行・グルメ
 (写真は、往年の映画「卒業」の舞台に採用された事で著明なU.C.バークレー内の建造物。)



 大変申し訳ない事に、未だこの建物名を検索出来ておりません…。

 
 それはそうとして。
 この建物に関しては、当時19歳であり、ダスティン・ホフマンとアン・バンクロフト主演の「映画・卒業」を過疎地の映画館で(高校生頃に)既に観賞済みの私とて、是が非でもこの目で一見したいと志していた。


 当時19歳の私にも、この建物を発見するのは実に容易だった。
 何故ならば、U.C.バークレー大学正門である「セイザーゲート」のすぐそばにそびえ立っていたからに他ならない。


 ただ、私がU.C.バークレーを訪れた19歳時とは1974年。

 未だ(悲しくも)米国がベトナム戦争戦禍の残影を引きずっていた時代背景だったのではなかろうか?

 U.C.バークレー構内そして近隣の街には、当時名高かった「ヒッピー族」が蔓延していたものだ。


 そのヒッピー達が我が短期留学時に、映画「卒業」で著名なこの建物の正面玄関階段にいつも座ってたむろしていた。

 その姿を真似て私もヒッピーのふりをして、この建物の階段に座った写真を当時撮影している。

 自分で言うのも何だがその写真によると、身長が高く当時ロングヘアの私は周囲のヒッピー達に交じって結構“様になって” 立派なヒッピー姿なのよ。


 何分、未だに一記事一枚写真を公開する能力しか無い故に、今回は公開を遠慮申し上げます。

米国西海岸旅行記 ー U.C.バークレー編 1 ー

2018年09月04日 | 旅行・グルメ
 (写真は、U.C.バークレー西門から入って比較的直ぐの場所にあるライフサイエンス棟・Biochemistry部門。)


 何度も繰り返すが、今回の我が米国西海岸旅行に於ける主たる目的は、19歳時に短期留学したU.C.バークレーを三度(みたび)訪れることにあった。(参考だが二度目は30代後半独身最終期に訪れている。)


 旅程最終日はこのU.C.バークレー訪問のために丸々1日を確保してあったのだが…

 旅にはトラブルが付きものだ。

 
 まず、U.C.バークレー訪問のためのバート乗車から話を進めよう。

 バートシビックセンター駅に於いて切符自動券売機の扱い方に難儀した話題は、既にバックナンバーにて公開済みだが。
 やっとこさ往復切符をゲット出来て乗車が叶ったのだが。 その後、更なるトラブルに巻き込まれる。

 そもそも、我が19歳留学時にはバートは未だ開通して間もない(?)時期だったのだろう。 バート構内が美しければ、車両も新しかった記憶がある。
 しかもバート路線が少なく、バークレーからサンフランシスコまで乗換え無しで直行で行けたのだが。

 現在のバートは5路線に複線化している。 故に自ずとターミナル駅にての乗換えが発生する。
 まあこれに関しては、東京メトロ沿線に住む私は日頃から網の目のようなメトロネットワークに慣れ切っているため、“お茶の子さいさい”だ。
 ただ日本の鉄道網と比較して、米国交通機関はかなり案内サービスシステムが不行き届きのようだ。
 車内アナウンスも案内板も“英語のみ”。 しかも車両の前部に「行先」が掲示されていないし、車内にも何らの案内板が無い。 要するに英語のアナウンスのみに頼って目的地を目指すことを強いられる。

 日本からバート路線図を持参していたため、West Oaklland駅で乗換だろうと予想していた。
 ところが当日何らかのアクシデントにより、バート路線運行が大幅にイレギュラーだったのだ。 これには参った。
 英語のアナウンスのみに頼っている我々は、West Oaklland駅にて散々な目に遭った。 いや、各所で駅員を捕まえて確認作業をするのだが、駅員達も当日のアクシデントに右往左往していたようで親切な対応が望めない状況だ。
 そんな中、中国系の女性案内係氏に救われた。(この話題も既に公開済みだが。) この方、他の誰よりも我々に好意的、かつ中国なまりの英語が我々には実に聞き取り易かったのだ!
 結局、West Oaklland駅から19th St.Oaklandまで一旦バスに乗り換えねばならない、との“超難度イレギュラー”を実行せねばならず、その後再びバート乗車で目的地のDowntown Berkley駅へ向かった。 (参考だが、その間のバス代はもちろん無料。 そして、再度のバート乗車時にも切符を改札機に入れなくてよかったのだが、訳が分からない我々が切符を改札機に入れようとすると、大勢の米国バート乗客が「入れなくていいよ! そのまま進んでOK!」等々遠くから叫んでフォローして下さったのにも感激した。


 予想だにしなかったバート道中の多難な道程を乗り越えて、我々はやっとこさU.C.バークレー西門に到着だ。

 西門周辺はバークレー市街中心部より多少離れているため、凄まじい喧騒が無かった事が功を奏した。
 
 (これもバックナンバーで公開済みだが)この西門は我が記憶には無いのだが、それにしても一歩U.C.バークレー構内へ足を踏み入れると、19歳時に訪れた時の“あのU.C.バークレー”が脳裏をかすめる。

 あーー。 またここに辿り着けた。 との思いで我が胸が騒ぎ始める。


 西門に比較的近い場所に、ライフサイエンス棟が厳かに堂々とそびえていた。
 (何度も繰り返しで恐縮だが)、残念ながら、この棟へも19歳時に訪れた記憶が無いのだ……

 特に冒頭写真のライフサイエンス棟内 BIOCHEMISTRY の烙印を見た時には、当時まさにその分野で我が国での学業に励みつつあった事実を懐古した私は、自己嫌悪に陥る感覚すらあった。 
 19歳時にこの大学に1ヶ月も滞在して、この大学で何をして来たんだと!

 これも既に記載済みだが、“若気の至り”とはそういうものだろう。
 
 それも認めた上で、今回の束の間のU.C.バークレー訪問を娘と共に楽しもうと気持ちを切り替えた。