私が115歳まで生きられたなら、後52年も人生をエンジョイ出来るじゃないか!?!
ただ、みんな死んでるだろうなあ。
例えば、当該「原左都子エッセイ集」読者皆様のほとんどが私より人生先輩の方々だ。 皆さんこの世からいなくなっているのかもしれないが、それでも私は日々エッセイ集を綴り公開しているだろうか?
(そもそも存在自体に信憑性無きブログなるネット媒体が、この世に未だ生き残っている訳もない事だろうし…)
介護の手が掛かった義母や実母は当の昔にこの世を去り、亭主が亡くなってからも30年程が経過しているのかな?
一人娘が70代後半期。 まだ生きているだろうが、サリバンの私が未だ娘に手を焼いているとすればこんな幸運は無い。
我が寿命が115歳まであったとして、希望としては静かに暮らしていたい。
たとえメディアからの高齢者インタビューがあろうが、それを断れる理性を温存しておきたい。
集団生活を一貫して拒否したい私は施設入居の意思は今現在からまったく無いが、役所が独りで放っておいてはくれず、少なくともデイケア等の世話になっているのだろうか? あるいは訪問ヘルパー氏が定期的に自宅へ介護に訪れる事になるのか?
それとも自力財力があれば、在宅医と在宅看護師のお世話になっているとすれば、これ幸いだ。
歩いてもいたい。
遠出する程の体力は無いとしても、115歳にして最低限歩ける力は鍛えておきたい。
食事に関しては、その頃には「宅食システム」が目覚ましい発展を遂げていることだろう。 それを利用しつつ、食生活を楽しみたい。
大好物の「酒」も欠かせないなあ。
贅沢を言うならば、「お洒落」の趣味も続行したい。
そのためには、決して我が実母のごとく一生に於いて“腰を曲げて”はならない。 現在続行中のランニング練習とジム通いは無理としても、歩ける足で日々少々の散歩も楽しみたい。 日々体組織計に一日何度も乗る習慣もずっと続行し、年齢にかかわりなく我が理想体型を保っていよう。
と、ここまで115歳まで生き抜く我が夢物語を語らせて頂いたが。
そのように記してくると、まんざら「夢物語」ではないかもしれないなる将来像が描ける気もする。
極論かもしれないが、概して「早死」する人種とは、そもそもご自身の老後の生き方を描くなどとの「主体性」が先天的に欠落しているとの共通項があるのではなかろうか。
実例を挙げると、我が義母にせよ実母にせよ現在80代後半にして未だ生存している故に決して「早死」をしている訳ではない。
ただ両人を介護していて気付くのは、何らの自らの「主体性」が無い事実だ。
我が実母など定年まで職場で働いたにもかかわらず、定年退職後に遠くに住む私に告げたのが「老後はよろしく頼む」だった… 未だ60歳の若さでのこの発言、当時から私は違和感を抱いていた。
そして義母。 こちらも、嫁である私に会う都度、「〇子さん、私の老後をよろしくね。」だった。
一昨日公開したエッセイ内で述べたが、義母は事ある毎に私相手に「不眠症で辛いの」から始まり、「足が痛い」「鬱症状があるようだ」「主人(義父のことだが)がボケて困っているの」等々の電話の連続だった。
実母・義母両人の共通点とは、おそらく「年老いては子に従え」だったのであろう。
ただ私に言わせて貰うならば、その格言を実行する人種とはそもそも「主体性」無く生きて来てしまったことを証明しているようなものではなかろうか?
昨日は敬老の日だった。
テレビ等メディア映像で私が視聴したのが、現在日本で最高齢との115歳の田中カ子氏の報道だ。
1903年〈明治36年〉1月2日 生まれ、現在福岡県福岡市東区在住の女性である。
この女性の映像をテレビで見て、私は感動した。
田中氏は一人でシルバーカーを押しつつ誰の補助も受けずに映像に登場した。
その後も一人で質疑に対応出来る聴力も判断力もお持ちの様子だ。
少し頭のふらつきはあるものの、115歳にして明瞭脳内機能を維持されている事実に感銘を受けた。
現在は施設入居中との事実は、私よりもずっと「協調性」も温存されているとの事実であろう。
この田中カ子氏を一生に渡り見習えないにせよ、私の老後も田中氏に準じたいとつくづく思えた昨日「敬老の日」メディア映像だった。
ただ、みんな死んでるだろうなあ。
例えば、当該「原左都子エッセイ集」読者皆様のほとんどが私より人生先輩の方々だ。 皆さんこの世からいなくなっているのかもしれないが、それでも私は日々エッセイ集を綴り公開しているだろうか?
(そもそも存在自体に信憑性無きブログなるネット媒体が、この世に未だ生き残っている訳もない事だろうし…)
介護の手が掛かった義母や実母は当の昔にこの世を去り、亭主が亡くなってからも30年程が経過しているのかな?
一人娘が70代後半期。 まだ生きているだろうが、サリバンの私が未だ娘に手を焼いているとすればこんな幸運は無い。
我が寿命が115歳まであったとして、希望としては静かに暮らしていたい。
たとえメディアからの高齢者インタビューがあろうが、それを断れる理性を温存しておきたい。
集団生活を一貫して拒否したい私は施設入居の意思は今現在からまったく無いが、役所が独りで放っておいてはくれず、少なくともデイケア等の世話になっているのだろうか? あるいは訪問ヘルパー氏が定期的に自宅へ介護に訪れる事になるのか?
それとも自力財力があれば、在宅医と在宅看護師のお世話になっているとすれば、これ幸いだ。
歩いてもいたい。
遠出する程の体力は無いとしても、115歳にして最低限歩ける力は鍛えておきたい。
食事に関しては、その頃には「宅食システム」が目覚ましい発展を遂げていることだろう。 それを利用しつつ、食生活を楽しみたい。
大好物の「酒」も欠かせないなあ。
贅沢を言うならば、「お洒落」の趣味も続行したい。
そのためには、決して我が実母のごとく一生に於いて“腰を曲げて”はならない。 現在続行中のランニング練習とジム通いは無理としても、歩ける足で日々少々の散歩も楽しみたい。 日々体組織計に一日何度も乗る習慣もずっと続行し、年齢にかかわりなく我が理想体型を保っていよう。
と、ここまで115歳まで生き抜く我が夢物語を語らせて頂いたが。
そのように記してくると、まんざら「夢物語」ではないかもしれないなる将来像が描ける気もする。
極論かもしれないが、概して「早死」する人種とは、そもそもご自身の老後の生き方を描くなどとの「主体性」が先天的に欠落しているとの共通項があるのではなかろうか。
実例を挙げると、我が義母にせよ実母にせよ現在80代後半にして未だ生存している故に決して「早死」をしている訳ではない。
ただ両人を介護していて気付くのは、何らの自らの「主体性」が無い事実だ。
我が実母など定年まで職場で働いたにもかかわらず、定年退職後に遠くに住む私に告げたのが「老後はよろしく頼む」だった… 未だ60歳の若さでのこの発言、当時から私は違和感を抱いていた。
そして義母。 こちらも、嫁である私に会う都度、「〇子さん、私の老後をよろしくね。」だった。
一昨日公開したエッセイ内で述べたが、義母は事ある毎に私相手に「不眠症で辛いの」から始まり、「足が痛い」「鬱症状があるようだ」「主人(義父のことだが)がボケて困っているの」等々の電話の連続だった。
実母・義母両人の共通点とは、おそらく「年老いては子に従え」だったのであろう。
ただ私に言わせて貰うならば、その格言を実行する人種とはそもそも「主体性」無く生きて来てしまったことを証明しているようなものではなかろうか?
昨日は敬老の日だった。
テレビ等メディア映像で私が視聴したのが、現在日本で最高齢との115歳の田中カ子氏の報道だ。
1903年〈明治36年〉1月2日 生まれ、現在福岡県福岡市東区在住の女性である。
この女性の映像をテレビで見て、私は感動した。
田中氏は一人でシルバーカーを押しつつ誰の補助も受けずに映像に登場した。
その後も一人で質疑に対応出来る聴力も判断力もお持ちの様子だ。
少し頭のふらつきはあるものの、115歳にして明瞭脳内機能を維持されている事実に感銘を受けた。
現在は施設入居中との事実は、私よりもずっと「協調性」も温存されているとの事実であろう。
この田中カ子氏を一生に渡り見習えないにせよ、私の老後も田中氏に準じたいとつくづく思えた昨日「敬老の日」メディア映像だった。