米国西海岸旅行を挟んで、ここ1ヶ月間程まともなエッセイを公開していない気がする。
大幅に文章力が低下し、本日は久しぶりに「エッセイ」と言える代物が書けるか否か不安感もあるがとにかくチャレンジしてみよう。
ところで帰国後、私は腰痛を主たる要因とした体調不良と怪我に苛まれている。
このうち怪我の方だが、 先週左足の小指を骨折した。
原因は何てことはない。 涼しい日が続く東京だが、比較的暑い夜にリビングの扇風機を付けた。 この扇風機とぶら下がり健康器具の間を通ろうとして、左足先を力いっぱい健康器具にぶつけたのだ。
まさに自己責任。 家族の誰にも言えず、一人で耐えつつ回復を待っている。 いや、足の指骨折は我が人生に於いて、おそらく数回経験している。 自分で患部を固定し、1ヶ月痛いのを耐えて大きめの靴を履けば何とかなるものだ。 そりゃ、痛いよ。 ただ、腰痛と比べるとたかが足の小指一本の痛さなど大したことはない。
それから昨日のことだが、昼飯準備中に包丁で右手中指を切った。 布巾を取ろうとしてその下にあった包丁に気付かず、思い切り刃を握ってしまったのだ。
かなり深い傷のようで、血がタラタラ流れ出た。 これも自分でバンドエイド5枚でテーピングして止血し、普通に暮らしている。
今現在が一番大変! 何故ならば、キーボードブラインドタッチが不自由だからだ。
こんちくしょう! このテーピング中指、どうにかならないものか!? とイラ付きながらの執筆だ。 (今、テーピングをもぎ取って、バンドエイド1枚にした。)
さて、本題に入ろう。
表題に関してだが、この文言は現在NHKにて放映中の連ドラ「半分、青い」の主人公すずめのドラマ内の発言より引用したものである。
このドラマ、一体どうしたんだ!?と呆れる程に“駄作”感がある。 特に豊川悦治氏演ずる漫画家あきかぜはおりが出演しなくなってから、私的には見るに忍びなくなった。
いつものごとく、大した努力もせずして主人公が成功を収める、とのありきたりの昼ドラストーリーにもウンザリさせられ続けて来たが…。
今回のこのドラマどうしたんだ!?? と繰り返したい程に主人公の生きざまの描き方に一貫性が無い。 すずめは何をしても失敗ばかり。 ついでに、いつまでも律との関係にこだわり続けるそのシナリオ、どうにかならないものか!?と腹立たしくすらなる。
そんな中、主人公すずめが律に対して指摘したのが、表題の通り「律は“看板”に守られた生き方しか出来ない人間だ!」の捨て台詞だった。
確かに、律の生き様とはすずめが言う通り「看板に守られて」来ている。 西北大学(早稲田の事だろうが)の卒業。
(ここで一旦私論だが、早稲田に“看板として我が身を一生守ってくれる”ほどのブランド力があるのかどうか、私は判断不能の立場だが。 参考だが、我が亭主がまさにその早稲田で早稲田高等学院から大学院博士課程、その後ポスドク期までお世話になったようだ。 その後ずっと年月が経過して後、亭主は私の世話になる人生だ……)
ドラマの律はその後京大大学院へ進学し、一流企業(これもすずめ曰く“看板”らしいが)にてロボット開発に携わったとのドラマ展開だ。
この“決めゼリフ”を幼馴染のすずめから言われてしまった律は、当然ながら怒り心頭だ!
ただ、結果としてはロボット研究現場から遠ざかり、今となっては管理職としてつまらない仕事をまかされている律は退職を決意してフリーの身となるとの、現在のドラマストーリーだ。
ここで私事に入ったとて、大したことはないのだが…
私の場合そもそも過疎県の出身であるし、“看板”と言える程の価値あるものを背負った試しも無い。 (ただ我が高校の出身者など、卒業後数十年が経過した今だに、その“ブランド力”を誇っている人々が多いのに驚かされる。)
二度経験している大学及び大学院とて、特段“看板”にする程の誉れもなく。 職業経験に於いても、同様だし…。
と言う訳で、私の場合はどう転んでも“看板を背負って生きて来ていない人種”に分類してもらえるであろう。
それをラッキーとして発言させてもらえるならば。
自分の“看板”とは自分自身が作り上げてこそ真の価値が伴うものではなかろうか?
その意味でドラマの律の場合も、幼馴染のすずめに「貴方は看板に守られてしか生きられない人種だ!」とけちょんけちょんに暴言吐かれたとて、何も仕事を退職する必然性は無かったはずだ!
えっ、何だって。
すずめと共に、二人で新たな起業をしたかったのだって?
このドラマ、後2週間少しで終焉を迎えるのだが、まさかその二人の起業が成功を遂げるなどとのヘボい結末を用意していないよねえ!??
そうだとしたら、まさにウンザリだよ。
私の希望としては、すずめと律は是非とも別々の人生を歩むとのシナリオでドラマを終焉して欲しいものだ。
それぞれの鞘に戻り、二人が実直に生きる姿を、私は見たい。
大幅に文章力が低下し、本日は久しぶりに「エッセイ」と言える代物が書けるか否か不安感もあるがとにかくチャレンジしてみよう。
ところで帰国後、私は腰痛を主たる要因とした体調不良と怪我に苛まれている。
このうち怪我の方だが、 先週左足の小指を骨折した。
原因は何てことはない。 涼しい日が続く東京だが、比較的暑い夜にリビングの扇風機を付けた。 この扇風機とぶら下がり健康器具の間を通ろうとして、左足先を力いっぱい健康器具にぶつけたのだ。
まさに自己責任。 家族の誰にも言えず、一人で耐えつつ回復を待っている。 いや、足の指骨折は我が人生に於いて、おそらく数回経験している。 自分で患部を固定し、1ヶ月痛いのを耐えて大きめの靴を履けば何とかなるものだ。 そりゃ、痛いよ。 ただ、腰痛と比べるとたかが足の小指一本の痛さなど大したことはない。
それから昨日のことだが、昼飯準備中に包丁で右手中指を切った。 布巾を取ろうとしてその下にあった包丁に気付かず、思い切り刃を握ってしまったのだ。
かなり深い傷のようで、血がタラタラ流れ出た。 これも自分でバンドエイド5枚でテーピングして止血し、普通に暮らしている。
今現在が一番大変! 何故ならば、キーボードブラインドタッチが不自由だからだ。
こんちくしょう! このテーピング中指、どうにかならないものか!? とイラ付きながらの執筆だ。 (今、テーピングをもぎ取って、バンドエイド1枚にした。)
さて、本題に入ろう。
表題に関してだが、この文言は現在NHKにて放映中の連ドラ「半分、青い」の主人公すずめのドラマ内の発言より引用したものである。
このドラマ、一体どうしたんだ!?と呆れる程に“駄作”感がある。 特に豊川悦治氏演ずる漫画家あきかぜはおりが出演しなくなってから、私的には見るに忍びなくなった。
いつものごとく、大した努力もせずして主人公が成功を収める、とのありきたりの昼ドラストーリーにもウンザリさせられ続けて来たが…。
今回のこのドラマどうしたんだ!?? と繰り返したい程に主人公の生きざまの描き方に一貫性が無い。 すずめは何をしても失敗ばかり。 ついでに、いつまでも律との関係にこだわり続けるそのシナリオ、どうにかならないものか!?と腹立たしくすらなる。
そんな中、主人公すずめが律に対して指摘したのが、表題の通り「律は“看板”に守られた生き方しか出来ない人間だ!」の捨て台詞だった。
確かに、律の生き様とはすずめが言う通り「看板に守られて」来ている。 西北大学(早稲田の事だろうが)の卒業。
(ここで一旦私論だが、早稲田に“看板として我が身を一生守ってくれる”ほどのブランド力があるのかどうか、私は判断不能の立場だが。 参考だが、我が亭主がまさにその早稲田で早稲田高等学院から大学院博士課程、その後ポスドク期までお世話になったようだ。 その後ずっと年月が経過して後、亭主は私の世話になる人生だ……)
ドラマの律はその後京大大学院へ進学し、一流企業(これもすずめ曰く“看板”らしいが)にてロボット開発に携わったとのドラマ展開だ。
この“決めゼリフ”を幼馴染のすずめから言われてしまった律は、当然ながら怒り心頭だ!
ただ、結果としてはロボット研究現場から遠ざかり、今となっては管理職としてつまらない仕事をまかされている律は退職を決意してフリーの身となるとの、現在のドラマストーリーだ。
ここで私事に入ったとて、大したことはないのだが…
私の場合そもそも過疎県の出身であるし、“看板”と言える程の価値あるものを背負った試しも無い。 (ただ我が高校の出身者など、卒業後数十年が経過した今だに、その“ブランド力”を誇っている人々が多いのに驚かされる。)
二度経験している大学及び大学院とて、特段“看板”にする程の誉れもなく。 職業経験に於いても、同様だし…。
と言う訳で、私の場合はどう転んでも“看板を背負って生きて来ていない人種”に分類してもらえるであろう。
それをラッキーとして発言させてもらえるならば。
自分の“看板”とは自分自身が作り上げてこそ真の価値が伴うものではなかろうか?
その意味でドラマの律の場合も、幼馴染のすずめに「貴方は看板に守られてしか生きられない人種だ!」とけちょんけちょんに暴言吐かれたとて、何も仕事を退職する必然性は無かったはずだ!
えっ、何だって。
すずめと共に、二人で新たな起業をしたかったのだって?
このドラマ、後2週間少しで終焉を迎えるのだが、まさかその二人の起業が成功を遂げるなどとのヘボい結末を用意していないよねえ!??
そうだとしたら、まさにウンザリだよ。
私の希望としては、すずめと律は是非とも別々の人生を歩むとのシナリオでドラマを終焉して欲しいものだ。
それぞれの鞘に戻り、二人が実直に生きる姿を、私は見たい。