本日は娘の休日でもあり、自宅リビングにて先程まで娘との団欒をゆったりと楽しんだ。 

私の方は本日付の朝日新聞を広げる傍ら、娘との話題が12年前のエジプト・ギリシャ方面旅行に及んだ。
当時娘は中学2年生、おそらく13歳だった。
生まれ持っての事情故に幼少の頃より複数の原因不明の奇病を未だ引きずっていた頃だが、旅行前に懸念した通り、旅先のギリシャで奇病の一つである「高熱不明熱」を発症してしまった。
その結果、ギリシャにて一家3人で丸2日をホテルの部屋で過ごす羽目となり、当日の予定だった地中海クルーズには行きそびれてしまった。
その娘の不意の病状に関しては、親でありかつ元医学関係者でもある私としては娘幼少時代より既に慣れている事象であり、“想定内”の出来事だった。
ところがそれに一番うろたえたのが、旅の添乗員氏だ。
異常事態に動揺しつつ私に問うには、「旅行保険には入っていますね!?」
私が応えて、「いいえ、入っていませんが。」
ここで、添乗員氏の怒りが心頭に達する。
「何ですって!? 子どもを連れての海外旅行に際し保険に入っていないのですか? 親として何を考えているのですか?! 保険にも入っていずして旅行社として責任は持てませんよ!」
この言い分に私こそが驚きつつ、「別に旅行会社に責任を持ってくれとは一言も言っていませんよ。 ただ本日の地中海クルーズには一家で参加せず娘をホテルで休ませたい、との希望を伝えに来ただけです。 娘の病状に関しては、娘幼少の頃より親である私自身が十分に把握しております。 2日安静にして休ませたなら平熱に戻ることを保障します。 エジプトに戻る日までには必ずや娘は回復し、皆さんと一緒に飛行機に乗せますので安心して下さい。」
さてと親である私の予言(診断)通り、娘の熱は2日目の朝には平熱に下がった。
その日の午後のエジプトへの戻り便集合時間までに、午前中は娘自身の希望もあり、旅の第一目的だった“プラトンのアカデメイア”訪問も済ませて集合場所へ行き、その後エジプトまでのフライトを無事こなした。
何故本日この話題をエッセイに取り上げたのかに関しては、娘との談話中に偶然にも私が開いていた朝日新聞ページの話題が「忘れられない『怒られた思い出』は?」 だったからに他ならない。
いやはや、あのエジプト・ギリシャ旅行の際に、何で私が添乗員氏に怒られねばならなかったのかを思い起こしたのだ。
ただ添乗員氏にしてみれば、自分が添乗している旅行者の一人が高熱を出してホテルで寝込んだ事態にうろたえるのは当たり前の事だろう。
むしろ私側こそがもっとその職業人としての意識の高さを褒め称えるべきかもしれないと、今思い起こしたりもする。
その後のエジプトにての旅道中に、高熱を出してホテルで寝込んだ娘を不憫に思って下さった添乗員氏より、娘にプレゼントを頂いたりして親の私も感涙ものだった…
朝日新聞の「忘れられない『怒られた思い出』は?」 に話題を戻すが。
この頑固者、かつ、幼少の頃より客観力があった(?)思い出記憶が数多い私にとって、他者から「怒られる」事態とは屈辱でしかあり得ない。
と言うよりも、実際客観力に優れていた私は、「怒られる」との経験を幼少時代にせずして大人になったような感覚すらある。
大人になって以降は、「怒られる」と言うよりも「怒り始めた相手に喧嘩を売った(反論した)」経験はあるかもしれない。 (と言うのも、怒られ慣れていない人間にとっては、自分に対して怒ってくる奴ほど鬱陶しいものは無い故だ。)
その我が「怒り始めた相手に喧嘩を売り返した」経験に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて複数公開しているため、ご参照下されば幸いだ。 (「売られた喧嘩、受けて立ちます!」等々… )
ところで上記朝日新聞記事によれば、「厳しくも温かい あの一喝」なる別題名が証明している通り、他者から怒られた事実をプラスに転じている読者が多い様子だ。
何と言うのか、おめでたい世の中というのか、私に言わせてもらうと、こんな混とんとした時代背景に於いてもっと「自己を確立せよ!!」と叫びたくもなるのだが。
このエッセイの最後に、この話題を出すのが適切かどうかは度外視して…。
内戦下のシリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が、帰国後の長~~い記者会見内で一応の「謝罪」を述べておられる。
私見としてはそれを「当然の事」と捉えつつ、安田氏の行動を単に「怒る」との行為がどうなのかとの自問に苦しみつつもある。
この議論に関しては、世の議論が深まった暁に今一度私論を述べたいと考慮中だが…。
それにしても他者から感情的に怒られて自らの非を安易に認める連中とは、私としてはアンビリーバブルであり、今後共付き合いたく無いなあ。


私の方は本日付の朝日新聞を広げる傍ら、娘との話題が12年前のエジプト・ギリシャ方面旅行に及んだ。
当時娘は中学2年生、おそらく13歳だった。
生まれ持っての事情故に幼少の頃より複数の原因不明の奇病を未だ引きずっていた頃だが、旅行前に懸念した通り、旅先のギリシャで奇病の一つである「高熱不明熱」を発症してしまった。

その結果、ギリシャにて一家3人で丸2日をホテルの部屋で過ごす羽目となり、当日の予定だった地中海クルーズには行きそびれてしまった。
その娘の不意の病状に関しては、親でありかつ元医学関係者でもある私としては娘幼少時代より既に慣れている事象であり、“想定内”の出来事だった。
ところがそれに一番うろたえたのが、旅の添乗員氏だ。
異常事態に動揺しつつ私に問うには、「旅行保険には入っていますね!?」
私が応えて、「いいえ、入っていませんが。」
ここで、添乗員氏の怒りが心頭に達する。

「何ですって!? 子どもを連れての海外旅行に際し保険に入っていないのですか? 親として何を考えているのですか?! 保険にも入っていずして旅行社として責任は持てませんよ!」
この言い分に私こそが驚きつつ、「別に旅行会社に責任を持ってくれとは一言も言っていませんよ。 ただ本日の地中海クルーズには一家で参加せず娘をホテルで休ませたい、との希望を伝えに来ただけです。 娘の病状に関しては、娘幼少の頃より親である私自身が十分に把握しております。 2日安静にして休ませたなら平熱に戻ることを保障します。 エジプトに戻る日までには必ずや娘は回復し、皆さんと一緒に飛行機に乗せますので安心して下さい。」
さてと親である私の予言(診断)通り、娘の熱は2日目の朝には平熱に下がった。
その日の午後のエジプトへの戻り便集合時間までに、午前中は娘自身の希望もあり、旅の第一目的だった“プラトンのアカデメイア”訪問も済ませて集合場所へ行き、その後エジプトまでのフライトを無事こなした。
何故本日この話題をエッセイに取り上げたのかに関しては、娘との談話中に偶然にも私が開いていた朝日新聞ページの話題が「忘れられない『怒られた思い出』は?」 だったからに他ならない。
いやはや、あのエジプト・ギリシャ旅行の際に、何で私が添乗員氏に怒られねばならなかったのかを思い起こしたのだ。
ただ添乗員氏にしてみれば、自分が添乗している旅行者の一人が高熱を出してホテルで寝込んだ事態にうろたえるのは当たり前の事だろう。
むしろ私側こそがもっとその職業人としての意識の高さを褒め称えるべきかもしれないと、今思い起こしたりもする。
その後のエジプトにての旅道中に、高熱を出してホテルで寝込んだ娘を不憫に思って下さった添乗員氏より、娘にプレゼントを頂いたりして親の私も感涙ものだった…

朝日新聞の「忘れられない『怒られた思い出』は?」 に話題を戻すが。
この頑固者、かつ、幼少の頃より客観力があった(?)思い出記憶が数多い私にとって、他者から「怒られる」事態とは屈辱でしかあり得ない。
と言うよりも、実際客観力に優れていた私は、「怒られる」との経験を幼少時代にせずして大人になったような感覚すらある。

大人になって以降は、「怒られる」と言うよりも「怒り始めた相手に喧嘩を売った(反論した)」経験はあるかもしれない。 (と言うのも、怒られ慣れていない人間にとっては、自分に対して怒ってくる奴ほど鬱陶しいものは無い故だ。)

その我が「怒り始めた相手に喧嘩を売り返した」経験に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて複数公開しているため、ご参照下されば幸いだ。 (「売られた喧嘩、受けて立ちます!」等々… )
ところで上記朝日新聞記事によれば、「厳しくも温かい あの一喝」なる別題名が証明している通り、他者から怒られた事実をプラスに転じている読者が多い様子だ。

何と言うのか、おめでたい世の中というのか、私に言わせてもらうと、こんな混とんとした時代背景に於いてもっと「自己を確立せよ!!」と叫びたくもなるのだが。
このエッセイの最後に、この話題を出すのが適切かどうかは度外視して…。
内戦下のシリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏が、帰国後の長~~い記者会見内で一応の「謝罪」を述べておられる。
私見としてはそれを「当然の事」と捉えつつ、安田氏の行動を単に「怒る」との行為がどうなのかとの自問に苦しみつつもある。
この議論に関しては、世の議論が深まった暁に今一度私論を述べたいと考慮中だが…。
それにしても他者から感情的に怒られて自らの非を安易に認める連中とは、私としてはアンビリーバブルであり、今後共付き合いたく無いなあ。