原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

精根尽き果てた “認知症義母介護付” 娘の誕生日祝い会

2018年11月24日 | 医学・医療・介護
 (写真は、昨日娘の誕生日祝い会に際し義母より“私宛”に譲り受けた真珠のネックレスと指輪類。 娘にはダイヤモンドのペンダントヘッドとイヤリング、指輪類を同じく譲り受けた。


 昨日は、我が最愛の娘の誕生日だったのだが。

 毎年この日を一番楽しみにしてくれているのが、高齢者有料介護施設に暮らす義母である。
 片や保証人の我々夫婦としてみれば、ここ数年これが“一大仕事”である事には間違いない。
 ただ、せっかく楽しみにしている義母の思いをくんで、必ずや外部の食事処で娘の誕生祝会を挙行せねばならない。
 
 その事前準備こそが大変だ。 
 まずは食事処の予約。 そして介護施設への義母外出の届け出と詳細時間の連絡。
 これらを一通り済ませた後の一昨日の事だが。

 施設のケアマネージャー氏より電話が入った。(参考だがケアマネ氏が先だって交代し、この時が新しいケアマネ氏との電話会話初回目だった。)
 「お義母さまより今朝、施設内自室にて“盗難被害に遭った”との報告がありました。 施設にて義母さまよりの聞き取り、防犯カメラ判定等々を実施しましたところその事実が確認されず、お申し出内容は義母さまの何らかの認識違いと判断致しました。 こちらからは、義母さまの心理を乱さないよう留意しつつそれをお伝えしております。 明日ご家族と会われるとのことですが、この件に関しては既に施設内で解決済みですので、どうか明日義母さまに会われた際には義母さまのご心理の程に配慮されますように。」

 ここで一旦私見だが。
 認知症及び耳の聞こえの悪さに苛まれている義母の施設内での“盗難等々”の被害妄想の程は、既に3年程前より十分過ぎるくらいに把握している我々保証人だ。
 それにしても、新しく義母の担当になったケアマネ氏の対応が完璧な事に唸らされた。 そこで、当然ながら施設内で大騒ぎした義母に関するお詫びと、その施設内での適切な措置に対する感謝を電話口で申し上げた。


 さて、娘の誕生祝会当日(昨日)のことだが。

 何と午前中に亭主が「今回は体調が悪いから出席しない」と言い始めるではないか!
 これぞ大打撃! と言うよりも亭主の魂胆は見え透いていた…  (ははあ、「一抜け」だな。)とすぐさま私は直感した。
 と言うのも、認知症状かつ耳の聞こえの悪さを抱える高齢者の相手とは、実に“体力・忍耐勝負!”である故だ。

 ただ認知症者とて多様性があろう。 黙ってそこに存在するだけで済む認知症者の扱いは、さぞや安易であろうと想像する。(そんな認知症者が存在するのかどうか??)
 片や我が義母だが。 これがどうしたことか他者とコミュニケーションを取りたい意欲が現在尚強靭だ。 敢えて悪く表現するに、そのくせそもそも“自己確立力が欠落している”と言うのか、要するに他者に依存せずして自己存在が成立し得ない人格を、90近い年齢まで持ち越してしまっている人物なのだ……

 娘の誕生祝会に於いて亭主欠席に加え、(元々持って生まれた事情により“寡黙”な)娘が義母に対応可能なはずも無い…
 結局義母との会合席に於いて、この私こそが全面的に義母とのコミュニケーションを任されてしまったとの現実だ。
 いえいえ最大限に努力し、2時間程のその場を繕って何とか娘の誕生日祝いはお開きとなった。

 この時既に耳の聞こえの悪さも併せ持っている義母対応のため、喉がカラカラに加え、大声を上げ続けたせいで既に頭痛が始まる始末…

 それでも尚、私には義母の“お付き人”との役割義務が残っていた…
 何でも義母はレストラン到着直後から、「今日はみかんやお菓子を買って帰らなければならないの」との要望を私に訴えていた。(それを施設内で配布する義務が義母に課されている訳が無く、要するにその行為により自分が施設で暮らし易いと信じて疑っていないのだ。 それらを配られたスタッフや入居者達の迷惑度にどうしても気付かない義母である。)

 娘の誕生日会合終了後は娘を自由行動として、その義母の要求に私が応えた。
 そうしたところ、いつもの事だが義母のそれらの“購買力”の程が物凄いのだ! 例えばみかんなど20個入りの袋を2個買い求めるではないか! 要するに、昔自ら事業を執り行っていた頃の記憶で末端従業員達に差し入れをする“ノリ”なのだろう。 上述のごとく、今現在はそれを施設内に暮らす人々に配るとの趣旨であろうが…
 更にはお菓子も沢山の数が必要だと譲らず、一件目の店舗で買い求めた菓子折りが足りないと言い始め、他店にも寄ると主張する。 ただこれを実行させねば義母は施設へ帰ってくれないものと判断し、それに付き合う事とした。 それも終了した後に、義母は未だ「みかんの数が足りない!」と私に泣きつくのだ! (こっちが泣きたいよ~~~。)

 さすがに私も「すみませんがこれ以上私が持てませんので、今日はこれで終わりにしましょう!」と訴えたところ、やっとこさ施設への帰り道のタクシーに乗ってくれた。


 これでよし、私の義母に対する任務は果たせたのではなかろうか…。
 との自己反省と共に、何とか本日(昨日)の娘誕生祝い会も成功ではなかっただろうか、と自宅で振り返っていたところ。

 夜になって義母の施設のケアマネ氏より電話が入った。
 どうやら娘の誕生会会場にて義母に手渡したはずの「12月分の小遣い」も無くしたならば、タクシー内にお土産類を置き忘れて施設にて下車した、との報告だ。(後程タクシー運転手氏が、お土産類はご親切にも施設へ届けて下さったようだが。)
 これこそ、娘の誕生日の締めくくりとして一番辛い施設からの報告だった。

 亭主には、こういう結末となるのは目に見えているから義母の息子である貴方こそが義母に対して一番の責任を取るべきだ!
 と主張し続けている嫁である立場の私の心理をいつ理解してくれるのかとの、亭主に対する不信感を煽られる昨日の“娘の誕生日祝会”にて直面させられた出来事だった。

 ただ、個々人がDNAレベルで生来抱えている“人格”や“生き様”とは、そうそう変わるものではないし…
 結局私は自身の精根尽き果てようが、今後も義母を筆頭に亭主や娘の面倒もこの細腕で一人で背負って見つつ(要するに“原家”を一人で支えて)、この世を渡っていく運命にあるのだろう… 


 と言いながらも、義母からは以前より冒頭に提示した写真の「宝石類」や「着物・毛皮類」を我が娘と私に、数多く譲り受け継いでいる。(要らぬものや役に立たないものも多いが… いずれ質屋へ持って行こうかな?? 
 義母よりこの恩恵がある事実こそが、私と娘を信頼して下さっている証拠とも受け入れているのが正直なところでもある…。