原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子コレクション -実母の手編みニット編 ー

2019年03月06日 | 雑記
 (写真は、郷里の実母が孫⦅私の娘⦆のために編んでくれた手編みニットの一部。)


 先週末の事だが、我が娘が自室クローゼットの“大規模片付け”に取り掛かった。
 こんな事をサリバン(私の事だが)の指示ではなく自主的に実行する娘を見るのは珍しい事だが、クローゼットに入り切らない衣類が部屋中あちこちに散乱している状態に、自分でも辟易としたのだろう。

 不要品に関しては私も手伝って分別した後。

 
 不要ではあるが、どうしても捨てがたい衣類が残ってしまった。

 それぞ、冒頭写真の実母手編みのニット類である。


 実母が地方公務員を定年退職した頃からだろうか。
 元々「手芸」が趣味だった実母が、今まで以上に精力的に様々な手芸物を制作し始めた。
 それはそれはいろんな作品(手作り人形、アクセサリー、置物、造花、等々)を作っては展覧会に出品後、娘の私と孫である我が娘に宅配して来たものだ。

 実母の定年退職と我が出産とがほぼ同時期だった事もあり、娘の出産前から、ベビードールやらケープやら何やら娘用の多種多様なニットを手編みして送ってくれた。 (その一部は今尚押し入れに保存してあるが。)

 我が母の行動力とは凄まじいものがある。 (その性質は娘の私も引き継いでいるが。)
 その後も母は精力的に手芸に励み、娘のみならず私と亭主のニット類も物凄い数を手編みして送って来るのだ!

 ところが私はウールにアレルギーがあるようで、どうもウール混のニットを着ると皮膚に痒みが出る。 そこで「私の分はもういい」と申し出たところ、その分娘と亭主のニットが増えた。


 正直に話すと、母の好意にもかかわらず、この過剰とも言えるニット送付に娘の母である私はウンザリした時もあった。
 と言うのも、とにかくお洒落には敏感な私だ。(ニットばかり送られても、私にだって娘に着せたい洋服が山とあるのに… )
 それでも、せっかく送ってくれた手編みニットもコーディネートに取り入れる努力もした。
 何分素直な我が娘である。 私が「今日はこれ着て学校へ行こうね!」と声を掛けると喜んで着てくれる娘だった。
 娘が通った小学校が公立だった事もあり、日々サリバンコーディネート(ヘアスタイルからつま先まで毎日念入りにコーディネートしたものだが)により娘は学校へ通ってくれた。 (それがために、女子児童からいじめに遭ったりもしたが……)
 ただ、この時代の経験が娘の“お洒落心”育成に大いに役立ったようだ。 本人が持って生まれた色彩感覚をフルに発揮しつつ、日々おめかしをして通勤している。


 冒頭の写真は、我々一家が現在の住居へ引越して来た後に実母から娘宛に送り届けられたニットだ。
 (その前のものは引越時に既に廃棄処分している。 娘が未だ幼少だった等の理由により汚れが目立った故だ。)

 さすがに小学校高学年にもなるとそれ程衣類を汚さないとの理由の他に、洗濯にはまめな私がきちんと手作業にて丹念に洗った事が功を奏しているのか、今見ても新品同様だ。

 それに加えて。

 私自身が老齢域に入ろうとしている現在、ちょうどその年齢期頃より我が実母がせっせとこれらを手編みしたのかとの感慨深さがこの親不孝者の私にも過るのだ… 
 娘に着せていた頃は、まさにサリバンとして心身共に張り詰めかつ超多忙の時期で、そのような感慨に浸る余裕など皆無だった。
 

 今、これら実母手編みのニット類を眺めて思うに。

 あの人(実母の事だが)もあの人なりに娘である私と、実母にとって孫である我が娘の事を愛おしく思ったのだろう。 その実母の(下手な)愛情がこのニットに編み込まれているのかと想像するに、やはりどうしても捨てられない……