私は本エッセイ集に於いて、“奨学金”をテーマとしたエッセイを何本か綴り公開している。
それらエッセイに於ける共通した我が信条とは、「可愛い我が子に後々まで“奨学金”なる借金を背負わせることなく、子供の学費は親こそが負担せよ!」との一言に尽きる。
以下に、比較的最近の2019.01.08 に公開したバックナンバー「何故、可愛い我が子に“奨学金”との借金を背負わせる?」 より、私論を述べた部分を再掲載させていただこう。
本エッセイ集にて再三“子供の学費”に関する私論を公開しているが、私は断固として「子供の学費は親こそが負担するべき!」と主張する派だ!
その私見に関して綴ったエッセイバックナンバーが何本か存在するが、そのうち、2012.04.05バックナンバー「子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!」の一部を以下に再掲載させていただこう。
私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考える。
どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか! (との内容の記事を既に何度か公開している。)
今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼とする。
私事になるが我が娘が今春(2011年)入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?
ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。
そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか?? ( 中略 )
可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?
もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか?
少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。 現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。
この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。 その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。
冒頭に紹介した東京都千代田区の場合、奨学金返済援助職種を “保育士と介護職員” に限定しているようだ。 これらは区側にとって必須職種であろうし、しかも厳しい労働条件下の現場で働く職員を支援せんとの意思は尊重したい。
ただその内容を読むと、その援助金額が10年間限度で総額がたったの240万円とのこと。 単純計算すると年間24万円、月額2万円の援助だ。 この少額の学費を、どうして親が可愛い子供に出資してやれないんだ?!? しかもこの種の親程、可愛い我が子の働き・稼ぎに自身の生活や老後を依存せんとしている軟弱さ・愚かさであることが想像出来てしまい、実にやるせなくもある…。
更にはこの類の親ほど、(上述のごとく)自分の愛車を購入・維持する費用やスマホを家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けなのだろう。
世の子供を持つ親達よ。
真に我が子が可愛いならば、その子の学費負担は“最低限”親の経済力で成すべきだ!
その手段とは世の貧富の格差にかかわらず幾らでもあるはずと、私は推測・期待する。 とにもかくにも自分が産んだ可愛い子供の教育費くらいは、親の責任として負担して当然!、と私は今後一生に渡り主張していきたい!!
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)
さて、我が「原左都子エッセイ集」を通じて応援メッセージやメールを頂いたり等々の手段で、長きお付き合いが続いている方々が全国津々浦々にいらっしゃる。
昨日、その中のお一人であられる現役高校教師先生より、久しぶりにメールを頂戴した。
その教師先生(以下E先生と呼ばせていただくが)が、ありがたくも我が「奨学金」に関するポリシーに同意下さったとの事だ。
E先生は現役教師の立場で昨年「奨学金係」を担当され、そのご体験に基づいた貴重なご意見をメールに記載して下さった。
そのご体験及びご意見を以下に転載させていただくこととしよう。(E先生より掲載許可を頂いております。)
本校から進学する生徒の半分くらいは日本学生支援機構に申し込みます。
勤務校は経済的に厳しい家庭が多いため仕方ないと考えていましたが、その多さには改めてびっくりしました。
驚いた事、感じた事を挙げてみると
①書類を持ち帰っても保護者が内容を読み込むことが出来ない。提出書類がそろわない、記入漏れが多い。
②借りる金額は3~5万円くらいを想像していましたが、中には8万以上も。
③無利子と有利子があるが、条件さえクリアすれば希望した全員が無利子を借りることが出来た。
④給付型(返還不要)に申し込んだ生徒も全員通った。(校内選考をしましたが)
⑤親御さんの収入が想像以上に少ない中で、生徒はよく頑張っているな・・と感じました。
⑥機構と保護者の借金の手続きの仲介をしているようなもので、これが教員の仕事だろうか。などなど
補足
→①記入量が多く、また色々なパターンがあり(最近転職したなど)学校へ記入方法の電話がかかってくるが、係で分からない場合機構へ電話をかけて説明してもらうが機構へはなかなかつながらず、大変でした。
→②授業料は親が出すが(一括払いなので)、生活費(仕送り)はほとんどしないのか。
→③無利子はかなり条件が厳しいと想像していたが意外でした。ただ、無利子がかりられても、無利子の上限でも足りないので、あえて有利子を希望する場合もあった。
→④昨年から始まりました。本校の枠2名を申し込んだところ、2名とも許可が出ました。高い成績と厳しい経済状況という条件はありますが、ありがたい制度です。
→⑤書類のチェックの時に、収入を係に見られることに抵抗感はないのでしょうか。
→⑥すべての保護者から質問が来ると対応しきれないでしょうから仕方がないと思いますが、学校業務とは感じられませんでした。(せめて事務室)
まず、無利子、有利子(超低金利)でどんどん貸してくれるということはものすごくたくさん資金があるのでしょうか。返却できない人が増えているのだから、慎重に貸すべきではないのかと不思議に思いました。就職後、毎月借りた金額の4分の1くらいを返還するようになりますが、アパートでも借りて住むようになるときついでしょうね。
よく聞くのは転職したり給与体系が変わったり、病気で仕事をやめたりしたら、とたんに返せなくなるようです。
生徒本人が30代半ばになったころは親御さんも定年を迎えたころになるので破産の連鎖が起こるという新聞記事も印象に残りました。
親御さんとしては、自分で返すお金だから大切に有効に使ってくれる、と期待しているのかもわかりませんが8万円も子供に借りさせる親御さんに、そのような教育はできてないでしょうね(笑)
美容系、ネイル、声優・・・、将来の収入に不安がある進路に進む生徒が本当に心配です。
尊敬する先輩の先生が3年の保護者の前でよく言ってました。
「保護者がお子様の進路実現のためにできることは、経済的な援助です。それが最も重要です。」
「懇談で、我が家は経済的に厳しいので国公立へ行ってもらいたい、自宅から通ってもらいたい・・・。とよく聞きますが
それは親御さんの事情でしょう、お子様に何の責任がありますか? そのためにお子様の希望進路の道を断つのですか?」
少し過激な発言とは思いますが、その通りだと思います。
子供に大借金を背負わせてまで進学させるのはかわいそうですね。
奨学金とは別ですが、今メールを書きながら自分の大学時代のことを思い出しました。
周囲に授業料全額免除、半額免除を受けている人がいました。「お前も申請出せば、半額免除なら通ると思うよ」
それで自分としては数万円でも浮けば親の負担がなくなるかな、お小遣いが増えるかな、という安易な気持ちで、そのことを父親に相談しました。 父は特に理由は言いませんでしたが、険しい顔で「そんなことをする必要はない」と一言それだけ言いました。
後で思いましたが、父親のプライドのようなものを傷つけたのかなと反省しました。
(以上、現役高校教師E先生より頂戴したメールより転載させていただきました。)
最後に、原左都子の私論に入ろう。
その前に、E先生へのメッセージを記させていただこう。
E先生、この時期学校現場は学年末の超多忙な時期であることと想像して余りあります。
そんな大変な中、「原左都子エッセイ集」をご訪問下さり、「奨学金」に関する貴重な学校現場での実態をお伝えいただきました事、実に嬉しく存じます。
E先生からのメールのお陰で、学校現場に於ける奨学金を巡る保護者や生徒、そして貸す側の学生援助機構の実態が手に取るように理解出来ました次第です。
特に私が印象深いのは、生徒が自力で奨学金を借りて一体何処へ進学するのかとの記載です。
美容系、ネイル、声優・・・、 将来の収入に於いて不確実性が高い進路に進む生徒が本当に心配、とのE先生のご記載に、私もその将来性を思い心が痛む思いです…
加えて、学力の無い(?)生徒に「カネが無いから国公立へ行け!」なる親の無茶ぶりに関しても、何だか我が過去を辛く思い出します。 私の場合、親にカネが無かった訳でも私に学力が無かった訳でもないのですが、「長女が大阪の大学へ進学したから、お前は過疎地の自宅に残れ!」なる親の身勝手さに付き合わされた私も未熟者だったと振り返ります… (そんな親に対するリベンジもあり、私は20代にて上京し30代に再び首都圏の大学へ学費全額自己負担にて再入学、卒業・修了しました。)
その点、E先生の親御さんはE先生が奨学金を借りようとした時に、「その必要無し!」とE先生の面前できっぱりと言い放たれたとのこと。 その事実こそが、E先生が高校教諭として成功されておられる源であるように私は感じます。
E先生。 今後共に高校教師としてのご活躍を応援申し上げます!
またお時間が取れます時に、我がエッセイ集をご訪問下さいますように。
いやはや、今後何処かの大学や専門学校へ進学せんとしている生徒を抱える高校現場で、多大なる時間を割いて「奨学金」に関し保護者や生徒に指導せねばならない立場の教員の日頃の努力・ご苦労の程が身に染みた思いだ。
やはり、未成年である生徒よりも、その保護者こそを教育し直さねばならない感覚に駆られるが。
現安倍政権の下劣な実態をメディアにて観察するにつれ、その実現が程遠い感覚に襲われる……
それらエッセイに於ける共通した我が信条とは、「可愛い我が子に後々まで“奨学金”なる借金を背負わせることなく、子供の学費は親こそが負担せよ!」との一言に尽きる。
以下に、比較的最近の2019.01.08 に公開したバックナンバー「何故、可愛い我が子に“奨学金”との借金を背負わせる?」 より、私論を述べた部分を再掲載させていただこう。
本エッセイ集にて再三“子供の学費”に関する私論を公開しているが、私は断固として「子供の学費は親こそが負担するべき!」と主張する派だ!
その私見に関して綴ったエッセイバックナンバーが何本か存在するが、そのうち、2012.04.05バックナンバー「子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!」の一部を以下に再掲載させていただこう。
私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考える。
どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか! (との内容の記事を既に何度か公開している。)
今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼とする。
私事になるが我が娘が今春(2011年)入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?
ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。
そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか?? ( 中略 )
可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?
もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか?
少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。 現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。
この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。 その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。
冒頭に紹介した東京都千代田区の場合、奨学金返済援助職種を “保育士と介護職員” に限定しているようだ。 これらは区側にとって必須職種であろうし、しかも厳しい労働条件下の現場で働く職員を支援せんとの意思は尊重したい。
ただその内容を読むと、その援助金額が10年間限度で総額がたったの240万円とのこと。 単純計算すると年間24万円、月額2万円の援助だ。 この少額の学費を、どうして親が可愛い子供に出資してやれないんだ?!? しかもこの種の親程、可愛い我が子の働き・稼ぎに自身の生活や老後を依存せんとしている軟弱さ・愚かさであることが想像出来てしまい、実にやるせなくもある…。
更にはこの類の親ほど、(上述のごとく)自分の愛車を購入・維持する費用やスマホを家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けなのだろう。
世の子供を持つ親達よ。
真に我が子が可愛いならば、その子の学費負担は“最低限”親の経済力で成すべきだ!
その手段とは世の貧富の格差にかかわらず幾らでもあるはずと、私は推測・期待する。 とにもかくにも自分が産んだ可愛い子供の教育費くらいは、親の責任として負担して当然!、と私は今後一生に渡り主張していきたい!!
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)
さて、我が「原左都子エッセイ集」を通じて応援メッセージやメールを頂いたり等々の手段で、長きお付き合いが続いている方々が全国津々浦々にいらっしゃる。
昨日、その中のお一人であられる現役高校教師先生より、久しぶりにメールを頂戴した。
その教師先生(以下E先生と呼ばせていただくが)が、ありがたくも我が「奨学金」に関するポリシーに同意下さったとの事だ。
E先生は現役教師の立場で昨年「奨学金係」を担当され、そのご体験に基づいた貴重なご意見をメールに記載して下さった。
そのご体験及びご意見を以下に転載させていただくこととしよう。(E先生より掲載許可を頂いております。)
本校から進学する生徒の半分くらいは日本学生支援機構に申し込みます。
勤務校は経済的に厳しい家庭が多いため仕方ないと考えていましたが、その多さには改めてびっくりしました。
驚いた事、感じた事を挙げてみると
①書類を持ち帰っても保護者が内容を読み込むことが出来ない。提出書類がそろわない、記入漏れが多い。
②借りる金額は3~5万円くらいを想像していましたが、中には8万以上も。
③無利子と有利子があるが、条件さえクリアすれば希望した全員が無利子を借りることが出来た。
④給付型(返還不要)に申し込んだ生徒も全員通った。(校内選考をしましたが)
⑤親御さんの収入が想像以上に少ない中で、生徒はよく頑張っているな・・と感じました。
⑥機構と保護者の借金の手続きの仲介をしているようなもので、これが教員の仕事だろうか。などなど
補足
→①記入量が多く、また色々なパターンがあり(最近転職したなど)学校へ記入方法の電話がかかってくるが、係で分からない場合機構へ電話をかけて説明してもらうが機構へはなかなかつながらず、大変でした。
→②授業料は親が出すが(一括払いなので)、生活費(仕送り)はほとんどしないのか。
→③無利子はかなり条件が厳しいと想像していたが意外でした。ただ、無利子がかりられても、無利子の上限でも足りないので、あえて有利子を希望する場合もあった。
→④昨年から始まりました。本校の枠2名を申し込んだところ、2名とも許可が出ました。高い成績と厳しい経済状況という条件はありますが、ありがたい制度です。
→⑤書類のチェックの時に、収入を係に見られることに抵抗感はないのでしょうか。
→⑥すべての保護者から質問が来ると対応しきれないでしょうから仕方がないと思いますが、学校業務とは感じられませんでした。(せめて事務室)
まず、無利子、有利子(超低金利)でどんどん貸してくれるということはものすごくたくさん資金があるのでしょうか。返却できない人が増えているのだから、慎重に貸すべきではないのかと不思議に思いました。就職後、毎月借りた金額の4分の1くらいを返還するようになりますが、アパートでも借りて住むようになるときついでしょうね。
よく聞くのは転職したり給与体系が変わったり、病気で仕事をやめたりしたら、とたんに返せなくなるようです。
生徒本人が30代半ばになったころは親御さんも定年を迎えたころになるので破産の連鎖が起こるという新聞記事も印象に残りました。
親御さんとしては、自分で返すお金だから大切に有効に使ってくれる、と期待しているのかもわかりませんが8万円も子供に借りさせる親御さんに、そのような教育はできてないでしょうね(笑)
美容系、ネイル、声優・・・、将来の収入に不安がある進路に進む生徒が本当に心配です。
尊敬する先輩の先生が3年の保護者の前でよく言ってました。
「保護者がお子様の進路実現のためにできることは、経済的な援助です。それが最も重要です。」
「懇談で、我が家は経済的に厳しいので国公立へ行ってもらいたい、自宅から通ってもらいたい・・・。とよく聞きますが
それは親御さんの事情でしょう、お子様に何の責任がありますか? そのためにお子様の希望進路の道を断つのですか?」
少し過激な発言とは思いますが、その通りだと思います。
子供に大借金を背負わせてまで進学させるのはかわいそうですね。
奨学金とは別ですが、今メールを書きながら自分の大学時代のことを思い出しました。
周囲に授業料全額免除、半額免除を受けている人がいました。「お前も申請出せば、半額免除なら通ると思うよ」
それで自分としては数万円でも浮けば親の負担がなくなるかな、お小遣いが増えるかな、という安易な気持ちで、そのことを父親に相談しました。 父は特に理由は言いませんでしたが、険しい顔で「そんなことをする必要はない」と一言それだけ言いました。
後で思いましたが、父親のプライドのようなものを傷つけたのかなと反省しました。
(以上、現役高校教師E先生より頂戴したメールより転載させていただきました。)
最後に、原左都子の私論に入ろう。
その前に、E先生へのメッセージを記させていただこう。
E先生、この時期学校現場は学年末の超多忙な時期であることと想像して余りあります。
そんな大変な中、「原左都子エッセイ集」をご訪問下さり、「奨学金」に関する貴重な学校現場での実態をお伝えいただきました事、実に嬉しく存じます。
E先生からのメールのお陰で、学校現場に於ける奨学金を巡る保護者や生徒、そして貸す側の学生援助機構の実態が手に取るように理解出来ました次第です。
特に私が印象深いのは、生徒が自力で奨学金を借りて一体何処へ進学するのかとの記載です。
美容系、ネイル、声優・・・、 将来の収入に於いて不確実性が高い進路に進む生徒が本当に心配、とのE先生のご記載に、私もその将来性を思い心が痛む思いです…
加えて、学力の無い(?)生徒に「カネが無いから国公立へ行け!」なる親の無茶ぶりに関しても、何だか我が過去を辛く思い出します。 私の場合、親にカネが無かった訳でも私に学力が無かった訳でもないのですが、「長女が大阪の大学へ進学したから、お前は過疎地の自宅に残れ!」なる親の身勝手さに付き合わされた私も未熟者だったと振り返ります… (そんな親に対するリベンジもあり、私は20代にて上京し30代に再び首都圏の大学へ学費全額自己負担にて再入学、卒業・修了しました。)
その点、E先生の親御さんはE先生が奨学金を借りようとした時に、「その必要無し!」とE先生の面前できっぱりと言い放たれたとのこと。 その事実こそが、E先生が高校教諭として成功されておられる源であるように私は感じます。
E先生。 今後共に高校教師としてのご活躍を応援申し上げます!
またお時間が取れます時に、我がエッセイ集をご訪問下さいますように。
いやはや、今後何処かの大学や専門学校へ進学せんとしている生徒を抱える高校現場で、多大なる時間を割いて「奨学金」に関し保護者や生徒に指導せねばならない立場の教員の日頃の努力・ご苦労の程が身に染みた思いだ。
やはり、未成年である生徒よりも、その保護者こそを教育し直さねばならない感覚に駆られるが。
現安倍政権の下劣な実態をメディアにて観察するにつれ、その実現が程遠い感覚に襲われる……