(写真は、原左都子作 皿絵付け「東日本大震災」。大震災直後期 2011.03末頃、知人美術家氏のスタジオにて制作したもの。 当時の私の脳内には、この光景が蔓延っていたものだ… )
昨日、「東日本大震災」発生より8年を迎えた。
昨日昼間外出したため大震災関連エッセイを綴れなかったのだが、本日我がエッセイ集の Popular Entries を一覧すると、数多くの「東日本大震災」」関連バックナンバーがエントリーしているではないか。
本日午前中にそれらを全部読み直したのだが…。
あの悪夢の大震災が、まるで昨日の事のように我が脳裏にフラッシュバックした。
私の場合東京での被災のため、東北現地の人々の苦悩に比して大したことは無いのだが、それでもしばらくは大都会東京なりの苦悩に襲われる日々だった。
以下に、大震災発生日翌日(2011.03.12)より4月頃にかけて原左都子が公開した、大震災関連エッセイ群を標題のみ以下に紹介しよう。 (日付が新しい順となっている事をお詫びします。)
参考ですが、この後も大震災関連エッセイは、通常エッセイと混じりつつ続行しています。
大震災がメモリーとして語られる遠き日 2011-04-14
今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。 2011-04-09
放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!? 2011-04-04
季節は新たな出発の時候に移り行き… 2011-04-02
避難生活能力のない私 2011-03-28
「レベル6」汚染列島でどう生き延びようか? 2011-03-26
確証なき 放射能“安全報道”に警告を発したい! 2011-03-22
非日常の日々が通り過ぎつつある中で… 2011-03-20
大震災被災者支援強化に向けての一提案 2011-03-17
大震災を追討ちする 原子炉爆発 の地獄絵図 2011-03-15
悪夢の大震災、その時私は… 2011-03-12
何故「原左都子エッセイ集」にて、この時期これ程に大震災関連エッセイが続いたのかと言えば。
まさに我が脳内が「大震災」一色に染まっていたからに他ならない。
当時我が娘が高3を迎える直前期であり、娘のサリバン先生として大学受験準備の補助任務も熱心に遂行していた時期だった。
その身にしても、やはり歴史的大規模災害勃発に対する脅威感や絶望感とは、そんな日常の戯言など吹っ飛び人生観が変わる程のショックだったものだ。
日々ニュースに着目し、東京の放射能汚染をネットで調査し、東京に住む私としては如何に行動するべきかを熟考しつつ身を振ったものだ。
上記に掲げた我がエッセイ集内 大震災関連バックナンバーの中から。
今回のエッセイ表題に掲げた“非日常”を余儀なくされている被災地の状況を綴った 2011.03.20公開の「非日常の日々が通り過ぎつつある中で…」 と題するバックナンバーを以下に要約して再掲載させていただこう。
歴史的大震災が東日本を襲った悪夢の3月11日から9日間の日時が経過した。
福島第一原発の原子炉爆発事故は、自衛隊や警視庁消防隊による懸命の放水活動にもかかわらず現場付近の放射線量に目立った変化はなく、未だ危機状態を脱出できない状況である。
一方、東日本各地における放射線量のデータがネット上等で容易に入手できるようになる等、市民への“情報公開面”での進捗が大いに見られる今日この頃である。
東京に住居を構えている原左都子の場合も、日々刻々と発表される東京地方の放射線量や風向き等をチェックしては、「今日は何時から何時頃まで洗濯物と布団をベランダに干そう」等々、自己管理しつつの日々である。
参考のため、福島から200kmの距離がある東京地方の放射線量は昨日IAEAによっても測定報告された通り、その測定値は今のところ人体にほとんど影響を及ぼさないデータである。 申し訳ないことに当然ながら福島に距離が近い程放射線量値が高くなっているため、その地方の皆さんは引き続き我が身を守るべく行動されますように。
何はともあれ、今回の歴史的大震災の復興には、過去における我が国の震災被害とは比較対象にならないレベルの多大な時間を要することは明白であろう。
被災地域では義務教育小中学校をはじめ高校、大学等の校舎が全半壊したり、あるいは地域住民の避難所としての役割を果すべく機能している地域も多い。
4月の新学期に至るまでさほどの時間的余裕がない現状であるが、当然ながら文科省はその対策に追われていることであろうと推察する。 どうか、特に義務教育課程である被災地の小中学生全員が4月から何らかの手段で学校に通える方策を急いで欲しい思いだ。
ここで原左都子自身の現在の日常に話を移させていただくならば。
つい先ほど午後3時前後に「緊急地震速報」が発令される等未だ余震が続く中ではあるが、上記のごとく福島原発の放射能の影響に関して客観的データが得られる現状において、既に“非日常の日々”が遠ざかったのかとの安堵感もある。
ただ、福島第一原発事故の危機的状況は今後も予断を許さない。
そして東京地方に於いても余震や若干の食糧不足のごとくの多少の不自由が続行するとは言えども、震災発生後9日目にして、原左都子にとっては既に“非日常の日々が通り過ぎた”と表現できる段階に入っているのかもしれない。
まだまだ“非日常”の続行を余儀なくされている被災者の皆さんの過酷な日常を慮ると共に、日本を挙げての援助活動により、少しでも早く“非日常”から脱出できる日が到来することを望んでおります。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
昨日(2019.03.11)見聞・視聴した「東日本大震災」関連ニュースによれば、震災発生から8年が経過した今尚、現地からの避難生活を余儀なくされている被災者の皆さんが5万人を超過しているとの報道だ。
そのほとんどが、福島原発事故周辺地域の人々でもあるらしい。
安倍首相よ。
その現状を知り得た上で、あなたは今尚「原発推進」を政策として打ち立てるのか!?!
聞くところによれば、あなたは東日本大震災慰労訪問に於いて“故意に”福島原発地域を避け続けているとの報道ではないか!
安倍首相こそが本気になって「東日本大震災」復興を政策の主眼としない限り、「東日本大震災」は終わり無き悪夢の運命を辿ることであろう…。
それにしても、東日本大震災被災者の皆様方の復興自助努力の程は目覚ましいものがあるようだ!
今後共苦難を乗り越えつつ、未だ続く“非日常”の日々を乗り越えられますように!!
昨日、「東日本大震災」発生より8年を迎えた。
昨日昼間外出したため大震災関連エッセイを綴れなかったのだが、本日我がエッセイ集の Popular Entries を一覧すると、数多くの「東日本大震災」」関連バックナンバーがエントリーしているではないか。
本日午前中にそれらを全部読み直したのだが…。
あの悪夢の大震災が、まるで昨日の事のように我が脳裏にフラッシュバックした。
私の場合東京での被災のため、東北現地の人々の苦悩に比して大したことは無いのだが、それでもしばらくは大都会東京なりの苦悩に襲われる日々だった。
以下に、大震災発生日翌日(2011.03.12)より4月頃にかけて原左都子が公開した、大震災関連エッセイ群を標題のみ以下に紹介しよう。 (日付が新しい順となっている事をお詫びします。)
参考ですが、この後も大震災関連エッセイは、通常エッセイと混じりつつ続行しています。
大震災がメモリーとして語られる遠き日 2011-04-14
今年の桜は何色に咲き誇るのだろう。 2011-04-09
放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!? 2011-04-04
季節は新たな出発の時候に移り行き… 2011-04-02
避難生活能力のない私 2011-03-28
「レベル6」汚染列島でどう生き延びようか? 2011-03-26
確証なき 放射能“安全報道”に警告を発したい! 2011-03-22
非日常の日々が通り過ぎつつある中で… 2011-03-20
大震災被災者支援強化に向けての一提案 2011-03-17
大震災を追討ちする 原子炉爆発 の地獄絵図 2011-03-15
悪夢の大震災、その時私は… 2011-03-12
何故「原左都子エッセイ集」にて、この時期これ程に大震災関連エッセイが続いたのかと言えば。
まさに我が脳内が「大震災」一色に染まっていたからに他ならない。
当時我が娘が高3を迎える直前期であり、娘のサリバン先生として大学受験準備の補助任務も熱心に遂行していた時期だった。
その身にしても、やはり歴史的大規模災害勃発に対する脅威感や絶望感とは、そんな日常の戯言など吹っ飛び人生観が変わる程のショックだったものだ。
日々ニュースに着目し、東京の放射能汚染をネットで調査し、東京に住む私としては如何に行動するべきかを熟考しつつ身を振ったものだ。
上記に掲げた我がエッセイ集内 大震災関連バックナンバーの中から。
今回のエッセイ表題に掲げた“非日常”を余儀なくされている被災地の状況を綴った 2011.03.20公開の「非日常の日々が通り過ぎつつある中で…」 と題するバックナンバーを以下に要約して再掲載させていただこう。
歴史的大震災が東日本を襲った悪夢の3月11日から9日間の日時が経過した。
福島第一原発の原子炉爆発事故は、自衛隊や警視庁消防隊による懸命の放水活動にもかかわらず現場付近の放射線量に目立った変化はなく、未だ危機状態を脱出できない状況である。
一方、東日本各地における放射線量のデータがネット上等で容易に入手できるようになる等、市民への“情報公開面”での進捗が大いに見られる今日この頃である。
東京に住居を構えている原左都子の場合も、日々刻々と発表される東京地方の放射線量や風向き等をチェックしては、「今日は何時から何時頃まで洗濯物と布団をベランダに干そう」等々、自己管理しつつの日々である。
参考のため、福島から200kmの距離がある東京地方の放射線量は昨日IAEAによっても測定報告された通り、その測定値は今のところ人体にほとんど影響を及ぼさないデータである。 申し訳ないことに当然ながら福島に距離が近い程放射線量値が高くなっているため、その地方の皆さんは引き続き我が身を守るべく行動されますように。
何はともあれ、今回の歴史的大震災の復興には、過去における我が国の震災被害とは比較対象にならないレベルの多大な時間を要することは明白であろう。
被災地域では義務教育小中学校をはじめ高校、大学等の校舎が全半壊したり、あるいは地域住民の避難所としての役割を果すべく機能している地域も多い。
4月の新学期に至るまでさほどの時間的余裕がない現状であるが、当然ながら文科省はその対策に追われていることであろうと推察する。 どうか、特に義務教育課程である被災地の小中学生全員が4月から何らかの手段で学校に通える方策を急いで欲しい思いだ。
ここで原左都子自身の現在の日常に話を移させていただくならば。
つい先ほど午後3時前後に「緊急地震速報」が発令される等未だ余震が続く中ではあるが、上記のごとく福島原発の放射能の影響に関して客観的データが得られる現状において、既に“非日常の日々”が遠ざかったのかとの安堵感もある。
ただ、福島第一原発事故の危機的状況は今後も予断を許さない。
そして東京地方に於いても余震や若干の食糧不足のごとくの多少の不自由が続行するとは言えども、震災発生後9日目にして、原左都子にとっては既に“非日常の日々が通り過ぎた”と表現できる段階に入っているのかもしれない。
まだまだ“非日常”の続行を余儀なくされている被災者の皆さんの過酷な日常を慮ると共に、日本を挙げての援助活動により、少しでも早く“非日常”から脱出できる日が到来することを望んでおります。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
昨日(2019.03.11)見聞・視聴した「東日本大震災」関連ニュースによれば、震災発生から8年が経過した今尚、現地からの避難生活を余儀なくされている被災者の皆さんが5万人を超過しているとの報道だ。
そのほとんどが、福島原発事故周辺地域の人々でもあるらしい。
安倍首相よ。
その現状を知り得た上で、あなたは今尚「原発推進」を政策として打ち立てるのか!?!
聞くところによれば、あなたは東日本大震災慰労訪問に於いて“故意に”福島原発地域を避け続けているとの報道ではないか!
安倍首相こそが本気になって「東日本大震災」復興を政策の主眼としない限り、「東日本大震災」は終わり無き悪夢の運命を辿ることであろう…。
それにしても、東日本大震災被災者の皆様方の復興自助努力の程は目覚ましいものがあるようだ!
今後共苦難を乗り越えつつ、未だ続く“非日常”の日々を乗り越えられますように!!