原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

この木、何の木??

2019年05月16日 | 雑記
 (写真は、10年程前より我が家の室内にて育てている観葉植物。)


 何だか、冒頭からNHKのチコちゃんに叱られそうだが…。
 
 「ねえねえ、この中で、この木が何の木だが言えるステキな大人は誰??」
 (困ったなあ。 我が家には大人が3人もいるのに、しかもこの木を10年もの年月室内で育てているのに、それが分かる人間が1人として存在しない…… )
 亭主が苦し紛れに応えて、「ソテツの仲間じゃないの?」
 私応えて、「いや、ソテツは昔郷里で住んでいた家の庭にデカいのがあったが、全然違うと思うけど…」

 チコちゃん怒って、 「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」 


 冒頭写真をよ~~~くご覧頂きたいのだが、この“名称不明”の木に実が実ったのだ!
 それを昨日、初めて発見した!

 前回水をやったのが先週末だが、実が付いているのを発見していない。 もしかしたら、それらしきものがあったかもしれないが、気に留める事もなかった。
 昨日の事だ。 遠目でこの木を見るに、明らかに葉っぱ以外の何かが付いている。
 近づいて観察すると、確かに何とも可愛らしい小さい実が葉っぱの間に実っているではないか!

 この木に関して説明しよう。
 ほぼ10年前頃に2年間通っていたスポーツジムの隣に「JAあおば」店舗があるのだが。
 その店舗では、数多い花々や観葉植物が所狭しと並べられている。 それを観賞するのが楽しみで、必ずやジムの帰り道に立ち寄ったものだ。
 しかも、安価!!
 毎回、この「JAあおば」にて何らかの鉢植えの花や観葉植物を買い求めて帰宅したものだ。

 ある時は「メダカ」の稚魚3匹を買い、それを自宅にて我が”細腕1本”で数年間飼育し、まるで“ギネス級”と表現しても大袈裟でない程までに繁殖させた実績もある! 
 水道水で育てていたため、東日本大震災時初期におそらく福島原発事故の放射能汚染に遭い大量死等々の被害を受けたりしつつ…、 その2,3年後最後の1匹を看取った後、我がメダカ飼育歴の幕を閉じたものだ……  (バックナンバーにて、その「メダカ飼育記録」を何本か公開しております。)

 私の生命体育て歴は“サリバンとしての我が娘の成育歴”を筆頭に(いえいえ我が最愛の娘と他生物を一緒くたにした失礼を、どうかお許し下さい。)上記メダカのみならず実は多岐に及んでいるのだ。
 (誤解を恐れずに発言するならば、過去に受けた医学教育が我がその源泉となっているとも考察可能だが。)


 その一例として、過去に現在の自宅ベランダにてビワに実を実らせた実績も綴っているため、その2011.04.29公開のバックナンバー「ビワの木に実が実りました!」を要約引用して以下に紹介させていただこう。

 我が家ではビワの木をベランダにて鉢植え状態で育てている。 このビワの木を、一体どういう経緯で大都会のマンション住まいの我が家にて育てる事に相成ったのかについてまずは話そう。
 実は今を遡る事8年前の初夏にスーパーで買い求めたビワの実を食べた後、その種を我が娘がベランダの鉢に4個蒔いたのである。
 まさか芽を出すとは思っていなかったところ4個の種すべてが芽を出し、まさかその後育つと思っていなかったところ4本ともすくすくと育ち、毎年大きな葉を付けその葉を年々入れ替えつつ、今や最高で130cmの高さにまで成長している。  そして、まさか花が咲くとも思ってもいなかったところ、昨秋一番大きく育っている木に30程の白い花が咲いたのだ! 
 我が家が自然栽培(単に水だけやって放ったらかしていると言う意味ですが)で育てたビワの木が来年の初夏には実を結び、一家で食することができるぞ!と期待していたところ、その期待通り現在実が大きくなっている最中という訳である。
 それにしても、「桃栗3年、柿8年」と言うが、ビワは8年にして実を結ぶ樹木であることを今回体得した思いだ。 我が家のスリムなビワの木は、来年以降も花を咲かせ実を結ぶのか?今後の楽しみにとっておこう。
 さて、原左都子が大都会東京に於いて何故自宅でメダカを飼ったり、狭いベランダでビワを育てたりしているのかに関して、ここで私なりにその我が行動のルーツを自己分析して少し説明することにしよう。
 私が幼少の頃に育った父系の実家は元々梨農園を経営していた名残で、家屋の敷地内に数多くの果樹等の樹木が育っていた。 私の記憶によるとその頃の家屋敷地内には、みかん、夏みかん、渋柿、グユミ、イチジク、ざくろ等々、沢山の果樹木が生育していて毎年その樹が育む果実を食して育ってきたともいえる私である。 ビワに関しては自宅内には植生していなかったのだが、隣家のビワの大木が我が家の敷地内にもその枝を伸ばし、たわわに実っていたことを記憶している。 その頃の日本(特に過疎地域)は、隣家に伸びた枝でもめることなどない平和な時代であった。 毎年毎年お互いの敷地内に育った果実を含む植物等を“物々交換”しつつご近所同士の友好が健全に築かれている時代背景だったものだ。
 我が家の“イチジク”や“ざくろ”の一風変わった味や柑橘系の酸っぱさは苦手だったものの、隣家のビワに関しては子供心にその甘さや独特の香りを好んだものである。
 大人になり上京して以降も原左都子にとってあの頃食したビワの味が忘れられず、それを買い求める機会は多かった。 それを我が娘にも毎年食べさせていたところ、娘が種を植える行動に至ったといういきさつである。
 我が家には、現在ベランダに大小様々な鉢が10鉢程ある。 その鉢に、すべて“自然栽培”(この意味に関しては上記を参照下さい)にて、ビワ以外の植物も栽培している。 例えば、我が娘が小学校1年生の時に学校の校庭で拾って来た(おそらく“夕顔科”と思しき)植物の種を我が家の鉢に蒔いたところ芽を出し、今に至るまで毎年6月頃から10月頃までショッキングピンクから白色色調の花を毎日咲かせて楽しませてくれている。 やはり娘が友人から貰って来た“風船かずら”の種は、天然にハート模様にデザインされていて実に可愛い。  この種を娘が貰ったその年に早速鉢に蒔いたところ、成長して黄緑色の風船型の可愛い実を結んだ時には母娘共に感激したものだ。 その実から種を毎年収穫しておき、ちょうど今頃の季節にベランダの鉢に蒔くのだが、年々の気象状態にも左右されつつ毎年種が収穫できるのはうれしいものだ。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 大変残念ながら、集合住宅に暮らす我が家の特有な事情である5年程前に実施された「大規模修繕工事」の際に、ベランダにて育てていた植物をすべて廃棄処分とせざるを得なかった。

 メダカ飼育を終焉し、ベランダ植物も廃棄処分の暁に、室内に残された「観葉植物」が実を実らせてくれた事実が実に嬉しい。

 何という名前の植物かも私は知り得ないが、この小さき実が今後我が家のリビングにて如何に生育していくのか見守りたいものだ。