(写真は、本日2019.05.12付朝日新聞広告欄に掲載されていた一広告を撮影したもの。)
まず、原左都子の“悪い癖”である「著書を読まずして」書評や広告のみ見て論評せんとする無礼を冒頭からお詫びしておこう。
上記写真の広告を朝日新聞紙面で見たのは、今回が初めての事ではない。 近い過去に既に何度か見ている。
その時の感想が、今回の表題の通りだ。
この広告を見せられて、この本を読んでみたいと思う人間がこの世に現存するのであろうか?(昨年のビジネス書ベストセラーというからには、多くの人間がこの本を読んだのであろうか??)
もしこの本を敢えて購入して読んだという人が存在するとしたら、よく言えば従順か素直、おそらく“自分はアホではない”とあくまでも悪気なく信じてこの世を生きている人種だろう。
はたまた生まれ持っての天然質あるいは人生経験が希薄で、この世で自分が周囲よりも賢く偉い人材であり、他の人間どもは皆アホ、ああいう奴らとは勝負したくない、と決めてかかっている勘違い野郎とも想像可能だ。
片や、この広告のみ見せられて“嫌悪感”を抱かされる人達にも多様性があるように分析する。
その中で一番の正統派は、「人を“アホ”と決めつける事は控えるべき」との一種“上から目線”派だろうか?
あるいは、原左都子私見による表題のごとく「そう言ってる著者のアンタは“アホ”でないつもりか?」派。
更に発展チャレンジ案を付け加えるならば、「私もアホだが、アホの相手と闘って何が悪い!」派。(私自身、この派でもあるなあ。)
いずれにせよ、今後共120%この本を読む気が皆無の原左都子にして、一体何処のどういう輩がこの本を執筆・発刊したのかがマイナス面で気がかりだ。
そこでウィキペディアより、著者である田村耕幸太郎氏に関する情報の一部を以下に引用して紹介しよう。
日本の政治家 田村耕太郎 生年月日1963年7月23日(55歳)。 出生地 鳥取県鳥取市職人町
出身校 早稲田大学商学部 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 イェール大学大学院 デューク大学法律大学院 東京大学EMP修了
前職 会社役員
現職 ミルケン・インスティテュートシニア・フェロー 国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授
所属政党 (自由民主党→) (民主党→)無所属
称号 MBA 経済学修士 法学修士→ 参議院議員 選挙区鳥取県選挙区 当選回数2回 在任期間
2002年 - 2010年
山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。 その実績で企業派遣留学生として選抜され、イェール大学大学院(国際経済学科・開発経済学科)修士課程を修了し経済学修士、デューク大学ロースクール(証券規制・会社法専攻)を修了し法学修士を取得[2]。またベルギーのブリュッセル自由大学[要曖昧さ回避]にて単位取得。
その後新日本海新聞社に入社し、取締役編集局長などを経て、系列紙の大阪日日新聞取締役社長に就任。 37歳での社長就任は新聞協会加盟紙で最年少だった。夕刊紙だった同紙を朝刊紙として再生させた。 (途中大幅略)
政界への転身。 自民党離党と民主党入り2009年12月、自民党から離党。これは、自民党の下野後で初めての自民党現職国会議員の離党として注目された。 自民党を離党した理由として、自民党の国会での審議拒否戦術や、経済政策の不一致をあげた。 2010年2月、小沢一郎民主党幹事長と会談を経て、自身の経済政策の考え方を与党に反映させるためとして民主党へ入党。 この後2012年12月まで続いた民主党政権において、現職国会議員が自民党を離れて民主党に移籍したのは、田村が最初にして最後の例だった。
民主党は2010年参院選鳥取県選挙区で坂野重信の孫娘である坂野真理を擁立することが決まっていたため、鳥取県選挙区ではかつて自身が戦った坂野重信の孫娘を支援しつつ、自身は比例区からの当選を目指すことになった。 地元の鳥取県を最も重視して選挙戦を戦って6万688票を獲得したが、民主党比例代表の当選ラインである10万票余りには及ばず落選。
落選後は、ランド研究所で日本人研究員となり、執筆・講演活動などを行なう他、インドで衣料ビジネスを立ち上げるなどしている。 現在はシンガポールに居に構え、国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院で兼任教授として日本の政府・民間のリーダー向けのエグゼクティブプログラムを主催し、アジアで活躍する日本人リーダーの育成に励む。 2015年から世界的な金融・経済シンクタンクであるミルケン・インスティテュートの初の日本人フェローとなり、世界のリーダーと日本の橋渡し役となっている。
(以上、著書の執筆者である田村耕太郎氏に関するウィキペディア情報より一部を引用したもの。)
一旦私見だが。
このウィキペディア情報、田村氏ご本人がウィキペディア宛に記載・掲載依頼したのではなかろうか? 随分と“我が身息災な記述”との印象を受けるのだが…。
まあとにかく、資金力ある人物なのであろう。 故に広告力により自身の著書を出版社に売り込むなどお手のものとも推察可能だ。
ただ、1963年生まれとのこと。 高齢化が急激に進む時代に於いて、今後まだまだこの世を背負って生きるべく人材でもあろう。 単に売れる本を出版してよいのだろうが、社会には反発心も抱く人間も存在することを弁えられつつ、“受け狙い”目的の本の出版の今後の在り方を問われてもよろしいのか。とも指摘申し上げたい。
最後に私論だが。
“売れてなんぼ”の出版業界の現在置かれている厳しい現実に同情もする反面、実に辟易とさせられている。
今回取り上げた著書の題名は「頭に来てもアホとは戦うな!」だが。
特に私が若者達に考えて欲しいのは、この世に於いて真の「アホ」とは誰なのか?? だ!
それを今一度きちんと学び自分自身の考えを確立した暁に、この種のビジネス本を手に取っても少しも遅くはない。
まず、原左都子の“悪い癖”である「著書を読まずして」書評や広告のみ見て論評せんとする無礼を冒頭からお詫びしておこう。
上記写真の広告を朝日新聞紙面で見たのは、今回が初めての事ではない。 近い過去に既に何度か見ている。
その時の感想が、今回の表題の通りだ。
この広告を見せられて、この本を読んでみたいと思う人間がこの世に現存するのであろうか?(昨年のビジネス書ベストセラーというからには、多くの人間がこの本を読んだのであろうか??)
もしこの本を敢えて購入して読んだという人が存在するとしたら、よく言えば従順か素直、おそらく“自分はアホではない”とあくまでも悪気なく信じてこの世を生きている人種だろう。
はたまた生まれ持っての天然質あるいは人生経験が希薄で、この世で自分が周囲よりも賢く偉い人材であり、他の人間どもは皆アホ、ああいう奴らとは勝負したくない、と決めてかかっている勘違い野郎とも想像可能だ。
片や、この広告のみ見せられて“嫌悪感”を抱かされる人達にも多様性があるように分析する。
その中で一番の正統派は、「人を“アホ”と決めつける事は控えるべき」との一種“上から目線”派だろうか?
あるいは、原左都子私見による表題のごとく「そう言ってる著者のアンタは“アホ”でないつもりか?」派。
更に発展チャレンジ案を付け加えるならば、「私もアホだが、アホの相手と闘って何が悪い!」派。(私自身、この派でもあるなあ。)
いずれにせよ、今後共120%この本を読む気が皆無の原左都子にして、一体何処のどういう輩がこの本を執筆・発刊したのかがマイナス面で気がかりだ。
そこでウィキペディアより、著者である田村耕幸太郎氏に関する情報の一部を以下に引用して紹介しよう。
日本の政治家 田村耕太郎 生年月日1963年7月23日(55歳)。 出生地 鳥取県鳥取市職人町
出身校 早稲田大学商学部 慶應義塾大学大学院経営管理研究科 イェール大学大学院 デューク大学法律大学院 東京大学EMP修了
前職 会社役員
現職 ミルケン・インスティテュートシニア・フェロー 国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授
所属政党 (自由民主党→) (民主党→)無所属
称号 MBA 経済学修士 法学修士→ 参議院議員 選挙区鳥取県選挙区 当選回数2回 在任期間
2002年 - 2010年
山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。 その実績で企業派遣留学生として選抜され、イェール大学大学院(国際経済学科・開発経済学科)修士課程を修了し経済学修士、デューク大学ロースクール(証券規制・会社法専攻)を修了し法学修士を取得[2]。またベルギーのブリュッセル自由大学[要曖昧さ回避]にて単位取得。
その後新日本海新聞社に入社し、取締役編集局長などを経て、系列紙の大阪日日新聞取締役社長に就任。 37歳での社長就任は新聞協会加盟紙で最年少だった。夕刊紙だった同紙を朝刊紙として再生させた。 (途中大幅略)
政界への転身。 自民党離党と民主党入り2009年12月、自民党から離党。これは、自民党の下野後で初めての自民党現職国会議員の離党として注目された。 自民党を離党した理由として、自民党の国会での審議拒否戦術や、経済政策の不一致をあげた。 2010年2月、小沢一郎民主党幹事長と会談を経て、自身の経済政策の考え方を与党に反映させるためとして民主党へ入党。 この後2012年12月まで続いた民主党政権において、現職国会議員が自民党を離れて民主党に移籍したのは、田村が最初にして最後の例だった。
民主党は2010年参院選鳥取県選挙区で坂野重信の孫娘である坂野真理を擁立することが決まっていたため、鳥取県選挙区ではかつて自身が戦った坂野重信の孫娘を支援しつつ、自身は比例区からの当選を目指すことになった。 地元の鳥取県を最も重視して選挙戦を戦って6万688票を獲得したが、民主党比例代表の当選ラインである10万票余りには及ばず落選。
落選後は、ランド研究所で日本人研究員となり、執筆・講演活動などを行なう他、インドで衣料ビジネスを立ち上げるなどしている。 現在はシンガポールに居に構え、国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院で兼任教授として日本の政府・民間のリーダー向けのエグゼクティブプログラムを主催し、アジアで活躍する日本人リーダーの育成に励む。 2015年から世界的な金融・経済シンクタンクであるミルケン・インスティテュートの初の日本人フェローとなり、世界のリーダーと日本の橋渡し役となっている。
(以上、著書の執筆者である田村耕太郎氏に関するウィキペディア情報より一部を引用したもの。)
一旦私見だが。
このウィキペディア情報、田村氏ご本人がウィキペディア宛に記載・掲載依頼したのではなかろうか? 随分と“我が身息災な記述”との印象を受けるのだが…。
まあとにかく、資金力ある人物なのであろう。 故に広告力により自身の著書を出版社に売り込むなどお手のものとも推察可能だ。
ただ、1963年生まれとのこと。 高齢化が急激に進む時代に於いて、今後まだまだこの世を背負って生きるべく人材でもあろう。 単に売れる本を出版してよいのだろうが、社会には反発心も抱く人間も存在することを弁えられつつ、“受け狙い”目的の本の出版の今後の在り方を問われてもよろしいのか。とも指摘申し上げたい。
最後に私論だが。
“売れてなんぼ”の出版業界の現在置かれている厳しい現実に同情もする反面、実に辟易とさせられている。
今回取り上げた著書の題名は「頭に来てもアホとは戦うな!」だが。
特に私が若者達に考えて欲しいのは、この世に於いて真の「アホ」とは誰なのか?? だ!
それを今一度きちんと学び自分自身の考えを確立した暁に、この種のビジネス本を手に取っても少しも遅くはない。