最初に、表題のADHDに関するWikipedia情報を引用しておこう。
注意欠陥・多動性障害(ちゅういけっかん・たどうせいしょうがい、英: attention deficit hyperactivity disorder、ADHD)は、多動性(過活動)や衝動性、また不注意を症状の特徴とする神経発達症(発達障害)もしくは行動障害である。 こうした症状は教室内で最年少だとか、正常な者、他の精神障害、薬物の影響でも一般的であるため、機能障害や苦痛を感じるなど重症で、幼い頃から症状があるなどの鑑別が必要とされる。 発達障害者支援法に基づき、一人一人に応じた様々な支援と、社会的障壁の除去(適切な環境調整)が行われる。個々の状態に合わせて、様々な支援機関の連携のもと、環境調整・心理社会的支援・薬物療法を組み合わせた包括的支援を行うことが有効とされる。
(以上、Wikipedia情報より一部を引用したもの。)
私め原左都子がこのADHDとの言葉とそれらの特質を抱える子供たちに最初に出会ったのは、発達障害を専門に研究しその児童を指導している某研究教育機関においてだった。
まさに“百聞は一見に如かず”なのだが、それに該当する児童に直面すると、このADHDとの障害の特徴が一目瞭然だったものだ。
参考だが我が娘にはこのADHD資質は全くない。
娘の場合は、まったく異なる症状(寡黙過ぎる、特に幼少時は放っておいたらいつまでもボーっとする、等々)が際立っていたため、この研究機関にて3歳時から小2の秋頃までの4年半に渡って支援・指導頂いた。
(参考ですが我が娘の場合、その後母である私の弛まぬ二人三脚でのサリバン指導力により娘はその後ずっと勤勉に努力する人生を歩み続け、大学を難なく卒業後この春には正社員勤続7年目を迎え、一人暮らしを始めるなどとの宣言をするまでに成長しております。)😃 😭
さて、ここで朝日新聞2022.04.16付 書評ページに掲載されていた アラン・シュワルツ著「ADHD大国アメリカ つくられた流行病」に対する書評 論説委員・行方史郎氏による「精神医学と薬めぐる状況を検証」より、一部を以下に要約引用しよう。
「じっとしていられない」などの特徴に代表されるADHDの概念が日本で普及するのは21世紀に入ってからだ。米国では、その半世紀前から研究がなされ、この名称にたどり着くまでの変遷を知って驚いた。
ADHDは子どもの5%に見られるというのが米精神医学会の推定であり見解だ。 だが、実際には15%が診断され、地域によっては男子の3割に上り、大半が投薬治療を受けている。当然副作用があり、自殺といった事件も起きている。 (中略)
日本でも処方可能な薬はあり、同じような問題がないとは言い切れない。
むろん薬は適切に使えば有益で、恩恵を受けている患者は多い。 やっかいなのは、「集中力を高める」という理由から病気を装って薬に手を出すケースである。 著者の表現を借りれば「成績向上薬」だ。 (中略)
子どもから大人へとADHDの「市場」は移りつつある。 とかくスピーディに結果が求められがちな現代において、薬への誘惑は弱まることはないだろう。
(以下略すが、以上朝日新聞書評ページより一部を引用したもの。)
再び、私事に戻そう。
娘を通わせていた(必ず親も同席して、その指導を見学したり専門家の個別指導を仰いだりするのだが)時に、実際に投薬を受けているADHD児は複数存在した。
医学関係者でもあった私としては、その薬剤の特徴をまるで承知していない身にして、こんな年端も行かない子どもにそんな未だ研究されつくしたとは到底思えない薬剤を処方して副反応がないものか?? 他人事ながら大いに懸念したものだ。
ただADHD児を持つ親の思いは切実だ。 ADHD児とはその多動性や暴力気質(これは個人差があるだろうが、我が娘は一緒に指導を受けていたADHD女児より研究所の指導中に殴る蹴るの暴行を受けている。)があるが故に、普段より親御さんの苦労が絶えない事実に関しては察して余りあったものだ。
暴力を受ける側の親の迷惑度ももちろん大きいのだが。
それを止めるにも手が付けられない資質を抱えて日々格闘している親御さんの苦悩も、痛いほどに理解できたものだ。
それ故に元々薬剤依存拒否派のこの私も、可愛い子であるADHD児に対する親御さんの投薬を完全否定できなかったものだ…
それにしても現在ではこのADHD薬が集中力を高めたり「成績向上薬」として病気を偽って飲用されているケースもある、との記述には驚かされるばかりだ。😱
ましてや大人にまで市場が広がって、スピーディに結果が求められがちな現代においてはその目的で飲用されているとなれば。
まさにそれは麻薬でしかなく、人類にどれ程の副作用をもたらすのか空恐ろしいにも程がある、というものだ…