原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

不自由を自由に変えるスキルを学んだウクライナ人

2022年04月09日 | 時事論評
 本日も、朝日新聞「書評ページ」よりエッセイの題材を得ることとする。


 以下に、2022.04.09付朝日新聞「書評」ページより オリガ・ホメンコ著「国境を越えたウクライナ人」に対する 法政大学教授・政治思想史 大塚元氏による書評の一部を、以下に要約引用しよう。

 この本が出版された後、奇しくも、ロシアの侵略によって数百万のウクライナ人が国境を超える避難を余儀なくされた。 著者も、その一人とだという。 キーウに生まれて、東京大学で博士号をえた日本研究者だ。
 国境を越えて活動したウクライナ人たちを紹介するこの本の最後で著者は、「ウクライナ人にとっての『国境』を論じている。
 押し付けられた国境に翻弄される時代が続いた。
 「私たちは国境を横断しなかった、国境が私達を横断していた」。それゆえ、不安や緊張感は消えない。
 しかしそうした厳しい状況にあって、ウクライナ人は不自由を自由に変えるスキルを学んだという。 押し付けられたルールを乗り越え、国境を接触と交流の場に変えた。 柔軟性、コミュニケーション力、許容力という特性が養われた。 ウクライナ人は国境に対して、不安と自由という両義的な感情を抱いている。 (中略)
 魅力的な人物群像にあって、日本との接点という観点からは、イワン・スヴィットの章が興味深い。
 ロシア極東には19世紀末から多くのウクライナ人が移住し、20世紀初めにはロシアを上回る100万人が移住した。 民族意識が高まり、「緑のウクライナ」という自治区も構想された。 ソ連の支配が及ぶとこれを嫌ったウクライナ人は、さらにハルビンへ移り、この地の「ウクライナ運動」には旧満州の日本軍の支援もあった。 スヴィットはこの運動の当事者だ。 

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)



 この原左都子も、ウクライナから来日し日本国内にて活躍している著名人にメディアにて接する機会は以前複数あった。

 プーチンによるウクライナ侵攻のニュースを見聞して一番最初に思い出したのは。
 NHK昼過ぎの国際放映されている料理番組に出演していた、ウクライナ出身の美人女性だ。
 この女性は番組の準レギュラーの位置付けの様子で、ほぼ毎回出演して流暢な日本語でいつも適切にウクライナの料理を紹介してくれていた。

 ところがこの残虐なプーチンによるウクライナ侵攻後は、NHKテレビ自体が番組構成を大幅に変更したようだ。
 私が見ていた上記の国際的料理番組など、今となってはすっかり消え失せている。😨 

 
 そういう私事もあり、ウクライナ人が比較的数多く日本国内で活躍されている事実を私は過去から認識していた。

 キエフ(現在日本国内では「キーウ」が定着したようだが)バレエ団も然り。
 このバレエ団の舞台も過去に3度ほど鑑賞させていただいているが。
 おそらくずっと日本国内に留まっておられたキエフバレエ団は、今後も日本国内にての舞台公演実現と知り私も喜んでいるのだが。

 
 ソ連崩壊後の冷戦時代を、ウクライナの人々は。
 不自由を自由に変えるスキルを学びつつ、押し付けられたルールを乗り越え、国境を接触と交流の場に変えてこられている。
 そんな経験から、柔軟性、コミュニケーション力、許容力という特性を養なわれつつ、ウクライナ人は国境に対して、不安と自由という両義的な感情を抱いておられるとのこと。


 今現在、ウクライナの人々がメディアにて自国の惨状を見せられては嘆き苦しまれている実態を想像して余りあるが。

 ここはどうか、過去に於いて度重なるソ連時代からロシア時代に移って以降に。
 ウクライナ人民の皆さんが、苦難を乗り越え“不自由を自由に変えるスキル” を学ばれたその貴重な経験を活かされながら。

 
 今後も、祖国「ウクライナ」を誇りに掲げつつ。
  
 何とかこの悲痛な現状を乗り越えられることを、原左都子も願ってやみません…