上記表題の「親の認知症を防ぐことこそ、現代の親孝行」の文言は、和田秀樹著「70歳の正解」より引用させていただいたことを、最初にお断りしておこう。
決して、この種の著書に興味を抱く程に原左都子が高齢域に達したことを意識している訳ではないのだが。
ただここのところの義母の老いぼれ度合いに接するにつけ、どこかの時点で認知症状の悪化を止めてあげられなかったものか、と思ったりもする。
その方が、義母の保証人としてずっと楽だからに他ならないのだが…
義母の場合は70歳を過ぎた頃に「老いては子に従う」と言い始めた時から、“誤った道筋”を選んでしまった感覚がある。😨
それまでは義母も各種趣味に励んだりして、自身の人生を楽しんでいる様子でもあった。
晩婚夫婦の我々に対して、最初から「申し訳ないけど、私はあなた達が産んだ孫の面倒はみないから、よろしく。」との宣言を高らかにした義母だった。
その代わりに、当時は未だ珍しい存在だったタワーマンションの一室をドーーーーン!と我々夫婦にプレゼントしてくれたものだ。
こちらとしても、今時当然の事ながら義母夫婦と同居するつもりはなかったため、好都合だった。😜
ところが、そんな義母が「老いては子に従う」と言い始めるのは早かった。
この場合の「子」とは義母の長女を指すようだが。
義理姉にその同意を得た後、義母が住んでいた自宅を“新築そっくりさん”にて数千万円かけて2世帯住宅に大改築し、そこに義理姉を呼び寄せた。
私としては、義理姉とはさほどの付き合いは無いのだが。
とにかく義母が一貫して“お嬢さん”として育てた人物であり、ただの一度とて労働経験が無くずっと義母の援助にて絢爛豪華に暮らしているとの情報は得ていた。
(嫁との他人の立場にして失礼は承知だが)、そんな人物を呼び寄せて、義母は今後その義理姉に「従える」程に献身的に接してもらえるのだろうか?? との大いなる不安材料が我が脳裏にはあった。
そうしたところ我が悪い懸念は図星で、2世帯住宅の境目のドアには義理姉宅から鍵がかかる造りにして、決して義母が入れないような対策が練られていたようだ。
結局、義母は義理姉との2世帯住宅のメリットはさほど活かされないままに年月が流れ。
義父が亡くなった後には、義母本人の希望もあり義母は高齢者介護施設へ入居することと相成った。
人間とは、罰が当たるものか?!? と私が勝手に実感したのは。
何と! 義理姉は義母施設入居後1年も経過しない時点で、63歳の若さにして膵臓癌を患い、帰らぬ人となった…
その後の義母の世話は、当然ながら我々夫婦がずっと担当している。
時折、義母が我々に告げる言葉があった。
「私は老後は長女にお世話になる予定だったのだけど、結果としては長男夫婦である貴方たちに迷惑を掛けることとなった。 特に〇子さん(私の事)には本当に申し訳なく思う…」
(最近では、この言葉さえ出なくなる程の“恍惚ぶり”の義母が哀れですらある…)
我々夫婦は、義母の認知症悪化防止に何ら貢献出来ていない存在といえるのかもしれない。
ただ今の世の中は時代の趨勢で高齢者を預かってくれる体制・制度が整いつつあるし、それに若き世代が依存せずしてこの世は成り立たないことであろう。
そんな意味では親の認知症状を防ぐことが、必ずしも「子の責任」のみではなくなっている気もするのだが…