原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

娘の中学受験、我が家の場合スムーズに事が運んだ

2022年09月03日 | 教育・学校
 本日の朝日新聞内に「中学受験」に関する特集記事があった。

 それは無視させてもらって、我が家が歩んだその道のりを紹介させていただこう。

 
 我が娘の場合、生まれ持って「発達障害」を抱える身だったのだが。

 3歳時から親子で通っていた「発達障害(当時は未だこの言葉が一般的では無かったのだが)指導・相談機関」にて、小学校へ入学するに当たり、“公立でよいか、私立がよいか”、その辺の相談にも指導者に乗ってもらったものだ。

 さすがに指導者の解答とは、基本的にそれは家庭で決定するべきとの要旨だったものだが。
 それよりも、例えば入試時の面談にて「発達障害」を表ざたにするべきかどうかに関しても、親の意思で決定してはどうかとの返答だった。

 そして、我が家の娘も私立小学校を2校受験したのだが。
 2校共々母親の私の意思で「発達障害」を表ざたにしたところ、無情にも2校より「不合格」通知が届けられた。
 上述の如く未だ「発達障害」との言葉が世間で知られていない時代背景であり。 後で考えたら、学校側としてもあえて冒険してそんな危険性を抱える訳もないことが明白だった。

 そして入学した公立小学校にて、最初に出会った1年生時の担任先生の「発達障害」に対する正しい理解とご指導に恵まれ、我が娘はラッキーにも良きスタートラインに立てた。

 その後、我が娘はどうしてもクラス内でのいじめを回避できず、3年生時に自宅を買い替え転居して公立小学校を転校させた。
 娘も小学校高学年を迎える時期で本人がかなり成長してくれていたこともあり、6年卒業まで比較的順調に小学校へ通えたと振り返る。

 
 中学受験に話題を移すと。
 やはり現在の公立中学校の環境を考慮するに、娘にはその環境下で生き抜くのが大変であろうと想像した。
 そして、小6になってから「私立受験」を目指させたのだが。

 当時、娘が「美術活動」に興味を持っていたこともあり、将来の美大受験を視野に入れて私立中高校を選択せんと目指した。 
 ただし我が子が未だ小さいため、将来の選択肢の幅を持たせておきたいとも親として考えた。
 要するに美大付属中高受験を考慮した訳だが、その中でも大学選択にある程度自由度がある私立中高に焦点を合わせたく考えた。
 
 そして、ちょうど良き私立中高を見つけた。
 そこは大学が芸術系の付属校なのだが、付属中高に於いては一般大学への門戸も開くべく、とにかく通常科目の指導がかなり厳しい校風であるとの特徴を兼ね備えていた。
 要するに、“安全パイ”として最低限(とは言えども出席日数等々の条件は必ずあります!)その芸術系大学へエスカレートで入学できるのだが、本人が勉学に励むほどに他の著名大学も目指せるとの要素を兼ね備えた中高だった。

 
 娘の私学中高受験に話題を移すと。

 とりあえず、娘6年生の春から自宅に近い巷の塾へ入れた。 (参考だが、通常私立中高受験をする生徒は、小3頃から塾通いをさせているようだが。)
 我が家の場合は母の私自身に「高校教諭」経験があるため、娘の学習に関してはずっとこの私が担当してきていた。
 
 その立場で塾の指導の程を拝見するに、何ともピント外れと言うのか、子ども個々の特徴を捉えるでもなくただ単に塾の方針で授業を進めているようだ。
 これに関しかなり厳しく指摘したのだが、相変わらず的外れであるため、個人指導に切り替えた。
 そうしたところラッキーにも我が子と相性が良い指導者と遭遇でき、娘は一応1年間その指導者の下に塾通いをした。

 ただ実際の娘の受験指導のほとんどは、この私が家庭内で執り行ったと言えよう。😖 

 とにかく受験後には吉報が届き、某私立中学校への入学が叶った。


 その合格発表の日の光景を私は一生忘れることは無い。

 合格発表の方式が変わっていて、一人一人に封筒に入った通知を手渡し、その手渡された封筒を各自が好きな場所で開けてみるとの個別方式だったのだが。
 娘と2人で校内の静かな場所へ行き、その通知をひっそりと開けた。
 「合格」の文字を目にした時。

 娘出産時の超難産から始まり、小学校受験失敗、そして長かった我が娘の中学受験指導の苦労が走馬灯のように我が脳裏を巡り、とめどなく涙が溢れた。

 そして、一番に携帯から亭主の職場に電話した。「合格したよ!」

 次に、亭主の母親であるお婆ちゃんにも電話を入れた。 「中学受験、合格しました!」 「それはそれは、おめでとう!」と優しい声で返してくれた。

 あの春の穏やかな日の光景を、私は一生忘れることは無いだろう。