現在 義母が「硬膜下血腫」で入院中の身として、どうしても頭をめぐるのは「葬儀」であることはやむを得ないという事にさせてもらおう。
いえいえ 今回の義母の「硬膜下血腫」に関してはバックナンバーにて幾度も記している通り。
脳内に幾つもの「硬膜下血腫」が今回の入院により発見されているとのこともあり。
今回の入院後既に数日が経過している身にして、おそらくその中で一番新しい「血腫」が悪さをしない限り、義母の命は今のところ絶えないと考えてよいのだろう。
ただ、まだ油断はできない状況下にあろう。
担当医師の判断で、とりあえず1週間程の入院日数を設定されているということは、その間に一番新しい「血腫」が悪化しないとは限らないとの診断と判断するべきでもあろう。
こんな時に、「葬儀」にまで話題が及ぶのは不謹慎とは承知しつつ。
それでも やはり亭主が喪主になることは必然でもあり、それ(葬儀)を視野に入れておくのは妻の心がけとも考える。
我が過去に経験した葬儀の中で、一番人騒がせだったのは我が実の父の葬儀だった。
夜中の1時半に我が家の電話鳴る。
それに出てくれたのは亭主だったが、電話を掛けて来た実母曰く、「父が急死した。直ぐに来てくれ!」
父の死因が自宅にての「急性心筋梗塞」発作によるものだったため、母がその死に面して慌てるのは分かるが…
正直言って、父と母は決して仲が良いとは言えない関係だった。
私がたまに帰省すると、いつも私をとっつかまえて父の悪口を散々言い放つ母だった。
そんな母に、 ある時私がアドバイスしたことがある。 「それ程までに父が嫌いならば、貴方は公務員との仕事による安定収入があることだし、二人の娘は当の昔に外部に出て独り立ちしているし、離婚すればいい話じゃないの?? もしも父が望めば、私がたまに父に会いに帰ってあげればいい話でしょ?」
これに対する母の答えはいつも決まっていた。 「そんなことをこの過疎地で実行できるわけがない!!」 私返して、「今時、そんなことは全然無いよ! あなたにその実行力が無いだけの話でしょ!」
まさに愚痴ばかりで何らの実行力も無い母は、その後も電話にて父の悪口を散々次女である私に吐き出すことしか脳が無かった…
そして、父が突然死で亡くなったその夜中の1時半に我が家に「今すぐ帰れ!」の電話を寄越した母だった。
既に本エッセイ集バックナンバー内で公開していると記憶しているが。
父が亡くなった日の朝に、父の葬儀のために郷里へ幼い娘を引き連れて帰省した私だが。
郷里の自宅に帰って驚いたのは!
母が自身の親族と、父方の親族皆を集合させて。 父方親族は父の遺体が置かれている仏壇のある部屋に集め。 (こちらは当然ながら、しんみりとしていました…)
母方の親族皆を広い応接間に集めて、和気あいあいと楽しそうに談話しながら母が明るく盛り上がっていた事実だ…
そして その郷里の自宅に帰って来た我々娘と孫を、実に嬉しそうに自身の家系の皆に紹介し始める。
あの時、私は母親の真意を見た気がした。
それ程までに、父の死を待ち焦がれていたのだとの事だろう…
それは、母の自由なのだが。
こと実の娘の目前であれ程父の死に“浮かれ”なくとていいだろうに、との悪印象が残らざるを得なかったものだ。
その後年月が流れ たまに私が郷里に帰省すると、必ず言う母の言葉があった。
「とにかく(父は)早く死んでくれた。それだけが救いだ…」
ならば母とて、父の死後は自身が目指す良き人生を送ればよさそうなものを。
残念ながら その母の口から出るのは、現在入居中施設の愚痴ばかり…
いつまで経っても救いようがない我が実母だ…
最後に「硬膜下血腫」にて入院中の義母に話題を戻そう。
今現在尚命が繋がっているとの事実から考察すると、とりあえず今回発症した「硬膜下血腫」にて死を迎えることは無さそうだと判断できよう。
それを良きこととして、また義母さんが施設で暮らせることを祈っております。