原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

六本木「アマンド」、懐かしいなあ…

2024年07月21日 | 自己実現
 (冒頭写真は、2024.07.17付朝日新聞より転載した 過去の六本木「アマンド」の写真。)


        
 こちらは、同じ朝日新聞記事より転載した、新しい六本木「アマンド」等の写真、他。


 私め 原左都子が過疎地郷里より上京したのは、1970年代後半期の事だった。
 医学専門職員として都内に位置する医学関連企業へ入社する目的で、郷里を捨て親を捨てて単身上京を実行したのだが。

 もちろんのこと、入社直後から医学業務に精力的に励む傍ら。

 すぐさま出来た友や彼氏に誘われて(いやホント、自分でも不思議かつ面白おかしい程に、すぐに友や彼氏に恵まれたものです!!)、夜間は当時流行りのディスコ三昧だった!!
 いや、他の目的にも もちろん 誘われたのだが。
 我が当時の一番の趣味が音楽でありダンスであったことが幸いして、ディスコに慣れ親しむ(というよりも“ディスコ狂”と表現するのが正解だろう?!!)のが人よりずっと早かっただろう。

 上京当初は、新宿歌舞伎町のディスコへ行く機会が多かったかな?
 今尚憶えているのは、ロサ会館といっただろうか、その建物の中に位置していた「カンタベリーハウス・ギリシャ館」に「カンタベリーハウス・ビバ館」、あるいは程近い場所に「椿ハウス」なるディスコも存在した。
 はたまた、「クレイジーホース」、 少し年数が経過して、20代半ば頃には伊勢丹デパートの近くの「ラジオシティ」にも凝ったなあ。


 話題を六本木に戻そう。

 私が六本木で一番足繁く通ったのは、サパークラブ「最後の20セント」なのだが。 
 その他、ディスコビルとして有名だった「スクエアビル」(と言ったかな?)との建物内の各階のディスコにも通った。

 六本木駅の飲食街方面に出口を出たすぐ右側に、冒頭写真の「アマンド」が存在した。
 まさに、冒頭写真の如くピンクと白のカラーコーディネートがド派手な喫茶店だったのだが。

 この私が 当該「アマンド」を客として利用したのは、ただの一度のみである。
 上記サパークラブ「最後の20セント」にて知り合った男性と、帰り道にこの「アマンド」に立ち寄ってお茶を飲んだ記憶がある。

 参考だが、この私は90年代に流行った低俗下劣な「お立ち台」があるディスコにはただの一度も訪れていない。
 私に言わせると あれはダンスを楽しむというよりも、低レベル女どもが自身の身体を武器に男をおびき寄せる場、であったのでは無かろうか???
 (一度も行っていない身にして、いい加減な評価を慎むべきだろうが。)



 六本木「アマンド」に話題を戻そう。

 時代が2000年代に入ると六本木でも大規模な再開発が続いた。 03年には六本木ヒルズ、07年には東京ミッドタウンとのオフィスビルや商業施設が入る高層ビルが開業し、国立新美術館もオープン。 働き手や買い物客、観光客が行き交う「昼の街」へと六本木は表情を変えていった。

 (以上、再び朝日新聞記事より引用したもの。)



 まさにそうなのだろう。

 この原左都子も、今となっては「国立新美術館」へ行く目的で六本木を訪れることはあるものの。
 夜の街「六本木」を訪れる機会が無いなあ…、と振り返って久しい。

  地下鉄六本木駅を降り立った出口には、新しく誕生した「アマンド」が開店したとのこと。

 機会があれば、ディスコ三昧に興じていた我が上京直後期の若き時代を一人振り返る目的で、新たに誕生した「アマンド」を訪れてみるのも いいかも!?!?