(写真はデリーからアグラへ向かう途中の市街。TATA自動車の中から撮影。)
今回のインド旅行では、首都のデリーとアグラ、ジャイプールを観光、そして知人の美術家氏の美術賞授賞式のためにボパールの国立美術館を訪問した。このうち、ボパールへはインド国内線のエアラインを利用したのだが、その他の移動手段としてはインド国産のTATA自動車にすっかりお世話になった。
インドは国土が広大なため、観光地から観光地までの移動距離がとにかく長い。今回の旅行日程のほぼ半分を、この移動のためにTATA自動車の中で過ごしたと言っても過言ではない。
例えばデリーからアグラまでは時速80~100kmのスピードで途中の渋滞も加算して約6時間、アグラからジャイプールまでとジャイプールからデリーまでがそれぞれ約5時間の道程だ。
旅行の前半の三市観光は、今回の旅行に同行いただいた現地ガイドのサキール氏と運転手氏と我々二人の計4人でのTATA自動車でのドライブの旅である。
このTATA自動車については旅行に先立ち本ブログの読者の方から情報をいただいていた通り、世界最安価の車である。サイドミラーがひとつしかない等の噂も耳にしていたが、さすがにそんなことはなくて無事二つあった。
ところが、今回お世話になった車はそのサイドミラーの一つが壊れたままで取れかかっている。それを運転手氏が紐で縛り付けて簡易修理をしているのだが、これが走行中に取れかかるのだ。紐を結び直しつつのドライブである。
どうやらギアも調子が悪そうで、ギアチェンジの度に軋み音が響く。早い話が物凄い走行距離をこなしていそうなポンコツTATA車に命を委ねてのドライブ旅行という訳だ。
デリー空港に降り立った10月28日の夜は、折りしもヒンズー教の伝統的なお祭“ディワリ”の当夜で、街がいつにも増して賑やかだったようだ。
インドの交通事情は凄まじいものがある。
車線を区切るラインが一部にしかなく、また舗装がされていないデコボコ道がほとんどで物凄い砂埃だ。我々の車には一応クーラーがついていて窓を閉められるのだが、ほとんどの車にはクーラーがないどころか、ドアも窓に硝子もないバスに大勢の人々がしがみついて乗っている。 片や、バイクの3人、4人乗りも一般的で、サリーを着た女性がバイクの後部座席で横座りの状態で子どもを二人位抱いて乗ってサリーを風にヒラヒラとなびかせながら猛スピードで走り抜けていく。(日本のママチャリとちょっと似ているがスピードが全然違う! くれぐれも子どもを落とさないでよ…)
一体全体この国には交通法則があるのかないのかも不明なのだが、道路はまさに無法地帯だ。車線(自体がないのだが)変更する時にウインカーを点滅させる車は少数派で、時速80~100キロメートルにして車間距離が1mに満たない中をクラクションを鳴らしつつの割り込み運転が常識だ。中には逆走してくる車もあれば、右折の際には各車がクラクションで喧嘩同然で道路の中で入り乱れる。
さらにその道路は、自転車も徒歩の人も、牛も馬も犬も象もラクダも猿も共用だ。デリーの都会のど真ん中の主要道路にもこれらの動物が悠々と通行している。
到着初日には、この無法地帯の交通事情の中、帰国まで命が持ちこたえられるのか怯えたものだが、2日目ともなるとこの環境に慣れてくるから人間とは不思議な生き物だ。 むしろ人間と動物が共存する自然な社会であるような感覚を抱き、こちらの方が自然体であるような印象さえ受けるようになってくる(のは私だけなのか?)
加えて、この大混乱の道路上で信号待ちをしていると、子どもが目敏く観光客が乗っている車を見つけ、お金と食料をねだりに車の窓硝子を叩きにやって来る。
貧富の格差の激しい社会の実態をまざまざと見せ付けられる風景である。
インドにおける貧富の格差の実態については、次回綴ります。
今回のインド旅行では、首都のデリーとアグラ、ジャイプールを観光、そして知人の美術家氏の美術賞授賞式のためにボパールの国立美術館を訪問した。このうち、ボパールへはインド国内線のエアラインを利用したのだが、その他の移動手段としてはインド国産のTATA自動車にすっかりお世話になった。
インドは国土が広大なため、観光地から観光地までの移動距離がとにかく長い。今回の旅行日程のほぼ半分を、この移動のためにTATA自動車の中で過ごしたと言っても過言ではない。
例えばデリーからアグラまでは時速80~100kmのスピードで途中の渋滞も加算して約6時間、アグラからジャイプールまでとジャイプールからデリーまでがそれぞれ約5時間の道程だ。
旅行の前半の三市観光は、今回の旅行に同行いただいた現地ガイドのサキール氏と運転手氏と我々二人の計4人でのTATA自動車でのドライブの旅である。
このTATA自動車については旅行に先立ち本ブログの読者の方から情報をいただいていた通り、世界最安価の車である。サイドミラーがひとつしかない等の噂も耳にしていたが、さすがにそんなことはなくて無事二つあった。
ところが、今回お世話になった車はそのサイドミラーの一つが壊れたままで取れかかっている。それを運転手氏が紐で縛り付けて簡易修理をしているのだが、これが走行中に取れかかるのだ。紐を結び直しつつのドライブである。
どうやらギアも調子が悪そうで、ギアチェンジの度に軋み音が響く。早い話が物凄い走行距離をこなしていそうなポンコツTATA車に命を委ねてのドライブ旅行という訳だ。
デリー空港に降り立った10月28日の夜は、折りしもヒンズー教の伝統的なお祭“ディワリ”の当夜で、街がいつにも増して賑やかだったようだ。
インドの交通事情は凄まじいものがある。
車線を区切るラインが一部にしかなく、また舗装がされていないデコボコ道がほとんどで物凄い砂埃だ。我々の車には一応クーラーがついていて窓を閉められるのだが、ほとんどの車にはクーラーがないどころか、ドアも窓に硝子もないバスに大勢の人々がしがみついて乗っている。 片や、バイクの3人、4人乗りも一般的で、サリーを着た女性がバイクの後部座席で横座りの状態で子どもを二人位抱いて乗ってサリーを風にヒラヒラとなびかせながら猛スピードで走り抜けていく。(日本のママチャリとちょっと似ているがスピードが全然違う! くれぐれも子どもを落とさないでよ…)
一体全体この国には交通法則があるのかないのかも不明なのだが、道路はまさに無法地帯だ。車線(自体がないのだが)変更する時にウインカーを点滅させる車は少数派で、時速80~100キロメートルにして車間距離が1mに満たない中をクラクションを鳴らしつつの割り込み運転が常識だ。中には逆走してくる車もあれば、右折の際には各車がクラクションで喧嘩同然で道路の中で入り乱れる。
さらにその道路は、自転車も徒歩の人も、牛も馬も犬も象もラクダも猿も共用だ。デリーの都会のど真ん中の主要道路にもこれらの動物が悠々と通行している。
到着初日には、この無法地帯の交通事情の中、帰国まで命が持ちこたえられるのか怯えたものだが、2日目ともなるとこの環境に慣れてくるから人間とは不思議な生き物だ。 むしろ人間と動物が共存する自然な社会であるような感覚を抱き、こちらの方が自然体であるような印象さえ受けるようになってくる(のは私だけなのか?)
加えて、この大混乱の道路上で信号待ちをしていると、子どもが目敏く観光客が乗っている車を見つけ、お金と食料をねだりに車の窓硝子を叩きにやって来る。
貧富の格差の激しい社会の実態をまざまざと見せ付けられる風景である。
インドにおける貧富の格差の実態については、次回綴ります。
ね。
旅のレポートを心待ちにしておりました。
インドの交通事情は大きな乗り物ほど立場が上と言う、まさしくカースト制で有ると以前インドから来ていた人に聞きましたが、その上に大混乱の交通ルールが有るとは凄すぎます!。
スピードの出し過ぎを抑制するために道路に15センチ程の高さのコンクリートブロックが敷かれていたり、路上駐車の車を片付けるのにフォークリフトで持ち上げて移動したりと言う話も聞きましたが、本当なんでしょうか?。
次回のレポートも楽しみにさせて頂きます^^。
インドの様子が目に浮かびます。
交通ルールが、いい加減なのは、やはり途上国だからでしょうか?
方やロケットも飛ばす事の出来る国が、交通ルールも決められないのが、不思議な感じがしますね?
何はともあれ、インド人の生活ぶりは、楽しみですね!
先ずは無事お帰りになられて、良かったです。
五感でゲットしたインドの感想、楽しみにしています。
でも、いかにも発展中の国という感じがして素敵ですね
以前、北海道へ行った時にも車での移動に時間がかかりましたが、ワンドライブがせいぜい3時間程度だったように思います。
今回、デリーからアグラまで5、6時間かかると現地で初めて聞かされた時には驚きました。途中休憩はあるのですが、さすがに3日これが続くと疲れました。
あの無法状態でメチャクチャな交通事情も帰ってみると懐かしい気さえします。
私が見た感覚ですと、車の大小に関係なくどの車も運転は強引で荒かったように思います。車間距離1mの中、よくぶつからないものだと感心したものです。滞在中に1件の事故も経験していないのですが、インドの皆さんは運転が上手なのでしょうか??? 皆が同じようなスピードでぶっ飛ばしているのがいいのかもしれませんね??
日本車はハイソサエティが好んでいるように見受けられました。豪華宮殿ホテルの「ラージパレス」は社用車としてホンダを使用していました。
昨年行ったエジプトも似たり寄ったりの交通事情でした。
TATAはインドでは大企業ですね。大型車を含む車製造以外に、ミネラルウォーターなども生産する多角経営企業のようですね。
あの交通事情には驚きましたが、あれだけの膨大な国民数を抱え、統治がまったく追いついていない状態という印象を受けました。