( 前回の記事「……ジョニー」の続編は、週末までお待ち下さいますように。)
私は以前から、他人から投げかけられる「小心者」「臆病者」等の類の言葉を好まない。
自分自身で「私って小心者だなあ」「何て臆病者なのだろう」と日常自覚する場面はよくあるのだが、他人から面と向かってこの言葉を投げかけられると、たとえそれが冗談交じりであれ結構傷つくものである。
と言うように、世間ではこの「小心者」「臆病者」という言葉はマイナスイメージとして使用されているようだ。
ところで、私はテレビの対談番組を好んでいる。近年はテレビをほとんど見ないのだが、昼間在宅時の昼食時間にニュースと天気予報を見る流れで、NHKの「スタジオパークからこんにちは」をゲストによっては見ることがある。最近では現在世界的に活躍中の女性オーケストラ指揮者である西本智実氏の対談をこの番組で見て、その人となりと超越したカッコよさに甚く感銘してしまい、西本氏の指揮によるコンサートを見に行くことが現在の私のひとつの目標となっている。(この件に関してはまたの機会に別記事で詳述しよう。)
話を戻すが、この種の対談番組を見ていて気付くのは、大抵のゲストの皆さんが異口同音に自分は「実は小心者だ」「実は臆病者だ」とおっしゃることだ。
かの有名な長身女性歌手のAW氏もいつも言っている。何十年歌手をやっていても舞台で歌う直前は口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張するのだと。バラエティ番組に出演する時は一切そのようなことはないのだが、自分の本業は歌手であるという自負があり、歌にかける思いが自分を一瞬臆病にさせるらしいのだ。
上記の西本氏も同様の事を話していた。コンサートの舞台に立つ直前に極度の緊張感から一瞬頭が真っ白になるため、必ず直前の1分間目を閉じての瞑想時間を設けているそうだ。
どうも、「小心」「臆病」等人間の持つ内面の潜在的“弱さ”を自分でコントロールしプラスに転化していくエネルギーを持てる人達にとっては、その種の“弱さ”さえもが芸や技の肥やしとなり成功を掴む鍵となっているように、私は対談を見ていていつも感じるのである。 逆に考察すると、いつも自信に満ち溢れ“恐れ”や“畏れ”を知らない根っから図々しい人というのは、大変失礼な言い方をすると実は“単純馬鹿”なのではないかとさえ私は思ってしまう。
先だっての新聞広告に、「臆病だから、勝ち抜ける」と題するベテランロッカーEY氏の談話が掲載されていた。この談話の中の“臆病”に関する部分を以下に抜き出して要約してみよう。
僕は自分の中に鋭敏なレーダーを持っている。芸能界で当たり前のように人が準じているルールに対しても、変だとレーダーが働く。それはきっと僕自身が臆病であるからだ。自分で自分を臆病だと認めるのはなかなか難しい。しかし、本当は臆病と緻密な考えとは背中合わせにあって、怖いからこそ有効な防衛策を繰り出せるのだと思う。とにかく目をそらさずに自分の現状をはっきり把握したいと思う。
以上がEY氏の対談の一部要約である。
上記の私の既述と共通項があるが、まさに「小心」や「臆病」とはただ単に“恐れ”や“畏れ”に怯えて小さくなって逃げ腰になっている状態ではないのだ。それらの感情はいつも繊細さや緻密な考えと背中合わせなのである。「小心」や「臆病」は人間に畏れ怯える時間や空間を持たせてくれる。そして、直面した事態から一旦引き下がらせてくれ、次なる発展に向かうステップを冷静沈着に緻密に練る余裕を溜め込ませてくれる。そして、その結果醸し出されるエネルギーというのは怖さに怯える経験をする以前よりもより強力なのである。
弱きを知る者こそが真の強者だ、とはよく言われる言葉であるが、まさにその通りである。
小心者だからこそ、臆病者だからこそ持てる繊細で緻密な思考により裏付けられた底力は何よりもパワフルであるように私も思うのだ。
私は以前から、他人から投げかけられる「小心者」「臆病者」等の類の言葉を好まない。
自分自身で「私って小心者だなあ」「何て臆病者なのだろう」と日常自覚する場面はよくあるのだが、他人から面と向かってこの言葉を投げかけられると、たとえそれが冗談交じりであれ結構傷つくものである。
と言うように、世間ではこの「小心者」「臆病者」という言葉はマイナスイメージとして使用されているようだ。
ところで、私はテレビの対談番組を好んでいる。近年はテレビをほとんど見ないのだが、昼間在宅時の昼食時間にニュースと天気予報を見る流れで、NHKの「スタジオパークからこんにちは」をゲストによっては見ることがある。最近では現在世界的に活躍中の女性オーケストラ指揮者である西本智実氏の対談をこの番組で見て、その人となりと超越したカッコよさに甚く感銘してしまい、西本氏の指揮によるコンサートを見に行くことが現在の私のひとつの目標となっている。(この件に関してはまたの機会に別記事で詳述しよう。)
話を戻すが、この種の対談番組を見ていて気付くのは、大抵のゲストの皆さんが異口同音に自分は「実は小心者だ」「実は臆病者だ」とおっしゃることだ。
かの有名な長身女性歌手のAW氏もいつも言っている。何十年歌手をやっていても舞台で歌う直前は口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張するのだと。バラエティ番組に出演する時は一切そのようなことはないのだが、自分の本業は歌手であるという自負があり、歌にかける思いが自分を一瞬臆病にさせるらしいのだ。
上記の西本氏も同様の事を話していた。コンサートの舞台に立つ直前に極度の緊張感から一瞬頭が真っ白になるため、必ず直前の1分間目を閉じての瞑想時間を設けているそうだ。
どうも、「小心」「臆病」等人間の持つ内面の潜在的“弱さ”を自分でコントロールしプラスに転化していくエネルギーを持てる人達にとっては、その種の“弱さ”さえもが芸や技の肥やしとなり成功を掴む鍵となっているように、私は対談を見ていていつも感じるのである。 逆に考察すると、いつも自信に満ち溢れ“恐れ”や“畏れ”を知らない根っから図々しい人というのは、大変失礼な言い方をすると実は“単純馬鹿”なのではないかとさえ私は思ってしまう。
先だっての新聞広告に、「臆病だから、勝ち抜ける」と題するベテランロッカーEY氏の談話が掲載されていた。この談話の中の“臆病”に関する部分を以下に抜き出して要約してみよう。
僕は自分の中に鋭敏なレーダーを持っている。芸能界で当たり前のように人が準じているルールに対しても、変だとレーダーが働く。それはきっと僕自身が臆病であるからだ。自分で自分を臆病だと認めるのはなかなか難しい。しかし、本当は臆病と緻密な考えとは背中合わせにあって、怖いからこそ有効な防衛策を繰り出せるのだと思う。とにかく目をそらさずに自分の現状をはっきり把握したいと思う。
以上がEY氏の対談の一部要約である。
上記の私の既述と共通項があるが、まさに「小心」や「臆病」とはただ単に“恐れ”や“畏れ”に怯えて小さくなって逃げ腰になっている状態ではないのだ。それらの感情はいつも繊細さや緻密な考えと背中合わせなのである。「小心」や「臆病」は人間に畏れ怯える時間や空間を持たせてくれる。そして、直面した事態から一旦引き下がらせてくれ、次なる発展に向かうステップを冷静沈着に緻密に練る余裕を溜め込ませてくれる。そして、その結果醸し出されるエネルギーというのは怖さに怯える経験をする以前よりもより強力なのである。
弱きを知る者こそが真の強者だ、とはよく言われる言葉であるが、まさにその通りである。
小心者だからこそ、臆病者だからこそ持てる繊細で緻密な思考により裏付けられた底力は何よりもパワフルであるように私も思うのだ。
その弱さをカバーできる人間が生き残れるものなのでしょうね。
ジョニーのコメントは全て読まさせてから♪
全部読まないでコメントが出来るほど強くないものでして(;^_^A
それ故に生き難い世の中ですが、自分の弱点を捉え分析しつつ生き残りたいものです。
ドラ猫さん、ジョニーもお読みいただきありがとうございます。ジョニー物語は続編が正念場です。私もこれから物語展開を考えます。
ですが両方勝つことは確かに困難です。ではどちらを選択するのか、というのが人生の選択肢のように私も思います。
“賭け”に勝つのは運命に左右されます。
そこで、まずはいろんなハンディを抱えていて弱いのは承知の上で所詮負けるかもしれないけれど、弱いチームも実力で勝負することを教えるのが教育の本来の姿なのではないかと私は考えます。
人間の勝ち負けとは実はその判断は難しいことです。それは自分の心が決めるものだと思います。
どうせならば、自己肯定したいものです。
かんさん、先ほどブログを拝見しましたがどうかお体を大切になさって下さい。
そして、年を経て様々な経験を積んできた今、己の力量を客観的に把握できるようになり、その結果様々な事象をあらかじめ想定できるようになりました。
当然、自分の得手不得手の区分けも明確になり、特に苦手なことへの恐怖と重圧に常に悩まされています。
常に怯え考え続けるから「小心者の底力」が湧いてくるのかもしれないと、原さんのブログを読んでふと気付いたところです。
ちなみに、私自身の性格は、周囲の人からは楽天的で「のほほん」として見られることが多いのですが、実はかなりの臆病者で突発的な出来事への対応は、我ながらいつもハラハラドキドキの連続です(^^;
若い頃の私は本当に無知の塊みたいでした。自分では最大限頑張っていたつもりでも、今思えばとことん醜態を晒していたことと思います。でも無知ゆえに楽しくもありましたね。
年月を重ね、私も私なりに自分を客観視できるようになりました。
自分の醜態を恥じるという事に関しては私もまったく同様で、こまねちちゃんがおっしゃる通り自分の言動を反省しつつ恐怖と重圧に悩む日々でもあります。それは私も今尚日々続いております。
それでも私は自己肯定したいと思います。小心者の底力の部分を大切にしつつ今後も生き延びたいと思っております。
こまねちちゃんからのコメントを読ませていただく限り、私はこまねちちゃんは繊細で緻密な方と捉えさせていただいております。
私も小心者で、尚且つ几帳面です。
デザインワークは丁寧で几帳面だ、と周囲から言われました。抜け穴があってはトラブルを引き起こしますから、周到な準備が必要なのです。プレゼンテーションの前日や当日は緊張します。この成果によって生き残れるか否かが決定するのですから・・・。
専門学校での授業も同じでした。シラバスを作成しているものの、授業前は、どの様な内容の授業を決められた時間内に効率良く且つ効果的に展開するのか、イメージを膨らませ、詳細を反芻してから教室に向かいました。授業前は緊張します。
デザインワークでのプレゼンテーションも授業も、与えられた舞台でどの様に限りなく完璧な作法で振舞えるか、これは俳優や役者の世界に通じるものであると捉えています。
名優の仲代達矢さんはエッセイの中で、自分はコンプレックスが強く小心者だから俳優になりたかった、自分を表現できるのは己の肉体だけだと思った、と言う様な事を述べられています。同じく、山崎努さんもです。ご両人は私の大好きな尊敬する俳優です。
話が飛躍しますが、謙虚で小心で臆病である事が大切でしょう。見えないものや宇宙、自然への畏怖や畏敬の念が現代社会に求められている様に思います。人間のそれらの喪失が地球環境問題をはじめとする諸問題を引き起こしている、と私は思うのです。
小心で臆病のパイロット程、名パイロットと言われます。着陸の際、滑走路に向かって高度を下げ、スピードを落としながら進入します。着陸寸前のスピードは時速350km前後だと思います。パイロットが最も緊張するフェイズです。それでも滑走路が見えなかったら着陸を取り止め、他の安全な空港の滑走路を目指すそうです。自信とプライドを捨てて臆病者になる事が安全確保に繋がるのです。
私が見る対談番組の中でも、今回は取り上げなかったのですが、俳優の方は自身とは違う自己を演じたくて俳優になったとおっしゃる方は多いように私も感じております。
小心者、臆病者は元々何ら恥ではありません。
むしろそういう弱者を認めない社会、そういう言葉を作り出して何も省みない社会、何の深い思慮もなく強者になびいてしまう社会こそが恥なのに、なぜこの国の国民はいつまでたってもそれに気付かないのか…。
この国の権威主義的教育の所産と私は捉えております。
これからもこの国の教育を私は叩き続けます。
私の大好きなロックバンド(正確にはロックで括れませんが、一般的にはそう解釈されているようです)のBUMP OF CHICKENは、自らを臆病者であると認めた上で、自分たちにしか発信できないメッセージを発信し続けているバンドです。
歌もメロディも魅力は挙げればキリがないのですが、彼らの言葉には強く引き付けられる、大きな力を感じます。引力なのでしょうか・・・?
ただ恐れているだけでは前へは進めませんが、怖がっても良いことがあると、私は思います。彼らのメッセージにはそんな共感もあるのでしょうね。
人間は一人では生きられない生き物です。そのくせ、平気で人を傷つけたり、後になって後悔したり・・・。滅茶苦茶ですねホント。
そんな風に考えると、臆病者って悪くないことだと思うんです。全ての人間が真の意味での臆病者になれたのなら、誰も傷つかないし、協力し合えるんじゃないかなぁ・・・。
若造の意見はやはり甘くなりがち・・・?どうやらまだきちんとコメントを出来る能力は身に付いていないようです。で、出直してきます・・・。
では。
小心者、臆病者が内に秘めたパワーが表出する時、奥深いメッセージが生まれるのでしょうね。
ただ、このパワーが反社会的行動というマイナーな形で表出し、人を傷つけてしまう場合も残念ながらあります。
本文中で述べましたように、私も小心者、臆病者とはそれ自体は決して悪い事ではないと思います。内面パワーのコントロール力次第で、人の心を動かす奥深いようなメッセージも発信していけるでしょう。