私は、普段は星座や血液型、手相等々の「占い」にはさして関心のない人間なのだが、新年の初詣の際に「おみくじ」だけは毎年欠かさず購入する習慣がある。
これには私なりの隠された“苦い過去”があるためだ。
今を遡ることウン十年前の高校生時代に、私は神社のおみくじで「凶」を引いたことがある。
学校の夏休み中に、遠方の友人の家に別の友人と2人で泊りがけで遊びに行った。真面目で健全な(?)高校生だったため、喫煙したり飲酒したりということは一切ないのだが、友人宅にルーレットやダーツなどの賭博おもちゃがいろいろとあって、それに3人ではまり深夜まで楽しんでいた。おそらく、チョコレートやキャンディなどのお菓子を賭けて遊んでいたのだと思う。
不思議現象は既にその時から始まっていた。
どうしたことか、私が大当たり大儲けの連続なのである。それはもう“神がかり”としか言いようのない程、当たって当たって当たりまくるのだ。 例えば、ルーレットでは数字そのものがズバリと連続で何度も当たる。他の友人達も負けて悔しいと言うよりも、私の当たり様がまさに神がかり的で皆で怖くなるほどだった。
さて次の日、宿泊させていただいたお宅の友人のお父様(開業医でいらっしゃった)が仕事を中断して私達を隣県までドライブに連れて行って下さった。道中に神社があって、そこでお参りをすることになった。高校生でまだまだ子どもの私達は「占い」に関心がある。3人で「おみくじ」を引いて比べっこすることしにしたのだが、そこで私が引き当てたのが「凶」だったのだ。
神社にもよるようだが、おみくじで「凶」を引き当てる確率は至って低い(あるいは元々「凶」を入れていない神社もあるらしい)と聞いている。
その「凶」をまたまた引き当てた私に友人の一人が言う。「○○ちゃん(私の名前)、昨日の“神がかり”がまだ続いてるね……」
まだまだ子どもである事が幸いして、「凶」を引き当てた事が物珍しい程度で、さほど気にするでもなく時間が過ぎた。
そして列車で自宅への帰路に着くのであるが、事件はそこから始まる。
ターミナル駅で乗り換え時に、友人とショッピングをしてから帰ろうということになり、何と無謀にも手荷物(お土産も入れて一人3個ずつ計6個)を駅構内に置きざりにしたまま街へ出かけた。
ショッピングを終えて駅に帰ってみると、私の荷物のみ3個が跡形もなく全部なくなっている!! 友人の荷物はすべて残っているのに、何とも不思議な光景だ。
少し心当たりがあった。列車の中で、薄着のTシャツ、ミニスカートで友人よりも体を露出していた私は、知らない男に目をつけられているような気がしていた。列車を降りた後も、その男が後からついて来ているような気もしていた。 それを警察で話したのだが、結局荷物は見つからずじまいだ。なくなった旅行かばんの中には私の身分が証明できる学生証や学習教材等々と共に、汚れた服や下着が沢山入っていた。
後々まで不気味さは続いた。「凶」を実感させられた事件だった。
あの事件からウン十年が経った今尚、「おみくじ」を引く瞬間は私にとっては恐怖の時である。 それでもなぜ引くのかと言うと、「凶」ではない場合の喜びが倍増するからだ。「小吉」であっても「末吉」であっても私は至ってうれしいのだ。
あれ以来、幸いにも「凶」を引いたことはない。
昨日行った今年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。これで2年連続の「大吉」である。
昨日の「大吉」のおみくじを少し紹介してみよう。
「さくらばな のどかににおう 春の野に 蝶もきてまう そでのうえかな」
(身も進み、財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にて、よき人の引き立てにあずかる。)
よい年になりそうだ。
今年も「大吉」で行こう!
これには私なりの隠された“苦い過去”があるためだ。
今を遡ることウン十年前の高校生時代に、私は神社のおみくじで「凶」を引いたことがある。
学校の夏休み中に、遠方の友人の家に別の友人と2人で泊りがけで遊びに行った。真面目で健全な(?)高校生だったため、喫煙したり飲酒したりということは一切ないのだが、友人宅にルーレットやダーツなどの賭博おもちゃがいろいろとあって、それに3人ではまり深夜まで楽しんでいた。おそらく、チョコレートやキャンディなどのお菓子を賭けて遊んでいたのだと思う。
不思議現象は既にその時から始まっていた。
どうしたことか、私が大当たり大儲けの連続なのである。それはもう“神がかり”としか言いようのない程、当たって当たって当たりまくるのだ。 例えば、ルーレットでは数字そのものがズバリと連続で何度も当たる。他の友人達も負けて悔しいと言うよりも、私の当たり様がまさに神がかり的で皆で怖くなるほどだった。
さて次の日、宿泊させていただいたお宅の友人のお父様(開業医でいらっしゃった)が仕事を中断して私達を隣県までドライブに連れて行って下さった。道中に神社があって、そこでお参りをすることになった。高校生でまだまだ子どもの私達は「占い」に関心がある。3人で「おみくじ」を引いて比べっこすることしにしたのだが、そこで私が引き当てたのが「凶」だったのだ。
神社にもよるようだが、おみくじで「凶」を引き当てる確率は至って低い(あるいは元々「凶」を入れていない神社もあるらしい)と聞いている。
その「凶」をまたまた引き当てた私に友人の一人が言う。「○○ちゃん(私の名前)、昨日の“神がかり”がまだ続いてるね……」
まだまだ子どもである事が幸いして、「凶」を引き当てた事が物珍しい程度で、さほど気にするでもなく時間が過ぎた。
そして列車で自宅への帰路に着くのであるが、事件はそこから始まる。
ターミナル駅で乗り換え時に、友人とショッピングをしてから帰ろうということになり、何と無謀にも手荷物(お土産も入れて一人3個ずつ計6個)を駅構内に置きざりにしたまま街へ出かけた。
ショッピングを終えて駅に帰ってみると、私の荷物のみ3個が跡形もなく全部なくなっている!! 友人の荷物はすべて残っているのに、何とも不思議な光景だ。
少し心当たりがあった。列車の中で、薄着のTシャツ、ミニスカートで友人よりも体を露出していた私は、知らない男に目をつけられているような気がしていた。列車を降りた後も、その男が後からついて来ているような気もしていた。 それを警察で話したのだが、結局荷物は見つからずじまいだ。なくなった旅行かばんの中には私の身分が証明できる学生証や学習教材等々と共に、汚れた服や下着が沢山入っていた。
後々まで不気味さは続いた。「凶」を実感させられた事件だった。
あの事件からウン十年が経った今尚、「おみくじ」を引く瞬間は私にとっては恐怖の時である。 それでもなぜ引くのかと言うと、「凶」ではない場合の喜びが倍増するからだ。「小吉」であっても「末吉」であっても私は至ってうれしいのだ。
あれ以来、幸いにも「凶」を引いたことはない。
昨日行った今年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。これで2年連続の「大吉」である。
昨日の「大吉」のおみくじを少し紹介してみよう。
「さくらばな のどかににおう 春の野に 蝶もきてまう そでのうえかな」
(身も進み、財宝も出来て立身出世する事は、春の暖かい日に美しい花の野を心楽しく遊び行く心地にて、よき人の引き立てにあずかる。)
よい年になりそうだ。
今年も「大吉」で行こう!
本年もよろしくお願いします。
本当に不思議な話しですね!
でも、荷物を置きっぱなしは、原さんの無防備ですね!気をつけたいです。
凶は、引く方が難しいとされ、逆に縁起が良い。
大吉は、逆に下がるしかないので、良くないとされています。
本日、私もおみくじを引けるところへ行ったのですが、引きませんでした。
何が出ても、気にする方で、ならいっそうの事、引かないのが良い様な気がしました。
吉が、出ると分かっていたら引いたかも?
で、ドカドンさんて意外と臆病なのですか???
な~んて、失礼致しました。
誰だって、嫌な結果が出たら気にしますよね。
付け加えますと、我が家の亭主も数年前に初詣で「凶」を引きました。私も家族として嫌な予感がしていましたら、やはり嫌な結果となりましたね…。(詳細は語れませんが…)
ドカドンさんがおっしゃる通り、「大吉」は今後下がる一方と一般に言われていますよね。
それでも、「凶」を若い頃に引いた私は既に下がりきっているので、本当に「小吉」でも「末吉」でもすごくうれしいですよ!
「大吉」のおみくじは、財布の中に「凶」は、神社の枝に結んで来れば良いみたいですね。
今年一年、「大吉」が続きますようにお祈りいたします。
でも、待合所での無防備は、信じがたい行為だ事。
身分証明書まで入っていて、その後、何事も無かったですか?怖いなあ~。
「おみくじ」って引いた事がありません。
おみくじに限らず、占いも然り・・・信じないタチでして。
「当るのが怖い・・・」からかもね。
2年連続で「大吉」で良かったですね。
今年も良い年になる事をお祈りします。
「おみくじ」過去に一度、鎌倉八幡宮で引いた記憶があるだけです。
おみくじを引かない理由は二つあります。一つは原さんが言われるとおり「凶」の恐怖です。もう一つは「もったいない」の精神です。
しかし、毎年ウン千円を支払って八幡様の本殿でお払いをして頂きますが、矛盾してはいないだろうかと迷うこともあります。
ただ、違うのはおみくじは自分だけですが、お払いは「家内安全」とか「交通安全」を含み、家族全体に責任を持つ意味での出費だと考えています。
今年も、沢山のコメントをいただけますように!
私は「凶」には懲りているので、おみくじに「吉」の字があると本当にうれしくて、いつも枝に結ばずに持って帰って来ます。
早速「大吉」を財布に入れることにします!
でも、あれ以来、絶対に所持品を放置しない習慣がしっかりと身につきました。
しばらく本当に怖かったです。住所、氏名、年齢、学校名等々すべてがバレていましたので、外を出歩くのや嫌がらせが怖かったですね。
母が新聞に投書してくれて、学校の教材だけでも返してやって欲しい、と訴えてくれたのがうれしかったです。夏休みの宿題等も旅行かばんの中に沢山入っていましたので…。提出出来ずじまいでした。
それでも、あえて引き続けています。
おみくじが「もったいない」という発想はユニークですね。
で、「凶」が出る確率って本当に何%位なのでしょうね。
我が家では亭主も「凶」を引いているので、意外と入っているのでしょうかね。
お払いですか。
我が家も子どもの七五三の時にしたことがあります。
いくらお礼を払えばよいのかわからずに困りました。やはり、ウン千円払いましたが。
本年もよろしくお願いします。
エッセイを楽しく拝読しました。
二年連続の大吉とは縁起が良いですね。
今年はきっと素晴らしい事が起きると思います。
占いにもおみくじにも無縁な私ですが、やはり初詣には私もおみくじをひきます。大抵、大吉です。でも、良い事は私には起きません。心の持ち方一つですが。
御神籤(おみくじ)の歴史を調べてみましたが面白いですね。
話は変わりますが、私は若い頃にオートバイや車の大事故で何度か命を落としそうになった経験から、変な度胸が付き、占いやおみくじ等に無頓着になってしまいました。これではいけない、と新年の初詣には心を新たにする次第です。
正月の間は少しだけ紀伊半島の白浜に滞在し、温かい日差しの中で穏やかな海の景色を眺めいました。
引き続き、沢山のコメントを頂けますように。
私も癌でも少しもめげなかったり、家族の病気等の事情にもへこたれなかったりで変な度胸があるのですが、「おみくじ」だけは意識しますね。「凶」体験が身に沁みているせいだと思います。とは言え、「凶」でさえなければ特に「大吉」でなくとも何でもいいのですが。
後で「大吉」の一年を振り返ってみると、何がよかったのかよくわからないのが実態なのですが、命が繋がって生活ができてさえいれば「吉」なのだと解釈しています。
晴天続きのお正月でしたが、ガイアさんは白浜で清々しいお正月を迎えられたことでしょう。