原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誕生日に「夢」を語ろう

2019年10月17日 | 自己実現

 私は、“年齢を重ねる”ということを肯定的に捉えている。

 故に「若い頃に戻りたい」だの、「また歳をとって嫌になる」等のマイナス感情は一切無い。

 

 毎年誕生日が来るのが実に嬉しい。 また一つ“実績を積み上げられ成長出来た”との満足感に浸れる故だ。

 子どもの頃は違ったかもしれない。  親の扶養の元に生きねばならず、自ずと制限が多く自由度が低かった故だ。

 上京を決意しそれを実行した後は、すべての選択を自らの思考と決断の下に執り行ってきている。 すべてが自己責任範疇だ!  その観点で様々な目標にチャレンジしつつ、夢を叶えつつ私は現在に至っている。 私の辞書には何らの郷愁や回帰の余地はない。

 

 話題を変えよう。

 本日午前中に、我が公的年金振込口座がある金融機関の担当者が我が家にやって来た。 この金融機関は毎年誕生日になると、プレゼントを持参して年金口座主の自宅を訪問している様子だ。  本年度より担当者が交代し、新しい担当者氏が単身で我が家を訪れるのは初めての事だ。

 昨年度まで4年間近くお世話になった担当者氏とはお互いに複数の“共通項”があった関係もあり、誕生日のみならず頻繁に我が家を訪れてくれ、談話を楽しんだものだが。  参考だが、その“共通項”の一つとは、お互いの大学(私の方は2度目の大学だが)での専攻分野が一致していて、私がお世話になった恩師教授が、後に担当者氏の私学大学学長になっていたり。 (この話題を聞いた時には、私側が驚いた。 この恩師は金融論分野で日本でも著名な学者先生だったのだが、大学院時代に当該教授から「(我が)レポートのまとめ方が素晴らしい!」とお褒め頂いた、との栄誉ある記憶があるのだ。)

 本年度よりの若き担当者氏とは、さすがに年齢的ギャップが大きいためかその種の話題の一致は無いのだが。 それでも営業職種者の例外ではなく明るく闊達な会話が弾み、我が誕生日の初っ端から楽しい時間が流れた。

 

 「誕生日に『夢』を語ろう!」などとの、大それた表題を掲げたが。

 その年金に関してだが。 (ここでは我が年齢は伏せておくが。 などと言っても過去に幾度も我が年齢を公表しているため、ご存知の読者の方々もいらっしゃることであろう。) 

 「夢」を語るためには、その前提としてやはり“ある程度の”経済的基盤”が欠かせない事に間違いない。 私の場合、後1年年齢を重ねれば、我が公的年金が増額するところまで来ている。 

 という事は私自身の経済的バックグラウンドから考察して、これから1年間は大きな変動を起こせない立場であろう。 (参考だが、我が家では亭主と「公的年金独立採算制」を採用している。 更に参考だが私は独身時代に「個人年金」にも加入し、その年金掛け金を我が独力経済力により出費し現在我が権利として受給している。)

 その関係で、我が普段の私的行動はおそらく今まで通りの展開となろう。

 もう1年経てば我が「公的年金」が確実に増額する事に期待しつつ、私はまだまだ積極的に生き伸びるぞ! 

 

 と言う訳で。

 誕生日に際し「夢」を語ろうにも、私自身の経済力が未だそれを高々に語れる程には貧弱である事実に気付く始末だ…

 ここは今までレベルの自身の人生を歩むのが一番のようだ。

 親族皆がある程度健康であるべく最大限の支援しながら、本日1歳年齢を重ねた私としては。

 昨年まで同様に 「きちんと生きる!」 事こそをメインテーマとしよう!


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