原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

あなたこそ「かっこいい」

2008年10月16日 | 人間関係
 新聞の投書欄を読んで、涙もろい私は久々に目に涙を浮かべた。
 何てことはない、どこにでもありそうな運動会での光景の一コマなのであるが、心に訴えてくるものがありホロリとさせられた。
 本日の記事では、この投書を取り上げることにしよう。


 では早速、朝日新聞10月10日(金)付け朝刊「声」欄に掲載されたその投書の全文を以下に紹介する。 投書者は43歳の男性会社員である。

 娘たちの通う小学校の運動会でのこと。プログラムは6年生の借り物競争。一人の男の子が「かっこいい男の人」の札を客席に向かって気恥ずかしそうに掲げていた。事前にいろいろな「借り物」を用意してくれる援軍を頼んでいる児童もいたが、彼はそうではなかったようだ。他の子が借り物を探し当ててゴールへ向かって行く中、彼の焦る気持ちに応える人が出てこない。
 「よっしゃ」と思って私は出て行った。彼は安堵の表情を浮かべ、私と手をつないで懸命に走った。ダントツのビリだった。 「もうちょっと顔に自信があったらすぐに出て行ったんだけど、ごめんな」と言ったら、ペコリと頭を下げて「いえ、ありがとうございました」と言ってくれた。
 私はわずか何十秒か前のためらいを恥ずかしく思った。彼とのふれあいはわずかな時間だったが、「君のほうがかっこいいよ。こっちこそありがとう」と彼の小さい背中に呼びかけた。さわやかな秋の一日だった。
 以上が、朝日新聞「声」欄投書の全文である。


 日本人ならば、おそらく小中学校の運動会で「借り物競争」を経験していない人はいないのではなかろうかと思われる。
 この私も記憶によると、小6と中3時の2回「借り物競争」を経験している。少しギャンブルっぽくもあるこの運動会の名物競技は、観戦する側としては思わぬどんでん返しがあったりして結構楽しめるのだが、出場する側にとっては大きなプレッシャーだ。特に、この投書の例のように“物”ではなく“人”の札が借り物として当たった場合、すぐさま一緒に走ってくれる人が見つからない場合が多く、“人”の札が当たらないことを祈るばかりである。

 ところが、“人”の札とは当たるものだ。
 私も、中3時の借り物競争で「中1の女の子」という札が当たった。とっさに、(知らない子は走ってくれない。知り合いを探そう!)と判断し探していると、部活動の後輩の女の子が見つかった。彼女は運動靴を脱いで座っていたのだが、急いで履いて出てきてくれた。これが相当の俊足の女の子で、先輩で長身の私の手をぐいぐい引っ張り一人抜き、二人抜きの快走だ! 私は引っ張られて転びそうになりながら上位入賞した。
 今尚よく憶えている出来事である。あれは手をつないで走るからいい。ほんの一時の場面なのだが、人と人とか確かな触れ合いをしつつ共にゴールを目指している感触がある。だから、よく憶えているのだと私は思う。

 私の姉も中3の借り物競争で「同級生の男の子」の札が当たったことがあるのだが、その時自分のために出てきてくれた男の子と二人で手をつないで走った感覚が忘れられない、と後々までよく言っていた。


 さて、朝日新聞の投書に話を戻すと、この小6の男の子と投書者の男性も、一時ではあるが手をつないで一緒にゴールを目指したことによって、確かな心の触れ合いをしたものと見て取れる。
 結果としてビリであろうが何であろうが、心に大きな思い出が残ったことであろう。
 「かっこいい男の人」という“粋な”「借り物」を考え付いた学校もなかなか気が利いていて洒落ている。
 そして、きちんとお礼を言った男の子と、“かっこいい”という言葉に一旦は躊躇しつつも男の子の心情を察して一肌脱いで観客の前で走り、「君のほうがかっこいいよ」と少年の小さな背中に返した男性。本当にさわやかな秋の日の運動会の光景である。 

 43歳の会社員さん、男の子の心情を察して走ったあなた、そしてこんな素敵な話を聞かせてくれたあなたこそ、すごく「かっこいい」ですよ!   
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人生観は変わる

2008年10月14日 | 自己実現
 今日は朝からかなりの二日酔い症状に悩まされている。
 ゆうべ飲み過ぎてしまった…。なぜ飲みすぎたのかと言うと、突然、とある理由でインドへ行ける話が舞い込んできたため気分が高揚して、いつにも増してお酒が進んだのだ。10月下旬のもうすぐの出発予定で、今朝の10時頃まで心は既にインドへ行っていた。
 残念ながら、諸般の事情により本日午前中にインド旅行は取り止めとなったのだが、この話のお陰で、一晩だけではあったが、しがない主婦から解放され自由人になれるような一時の夢を味わわせていただいた。
 旅行の話ひとつでも、人間とは、大袈裟に言うと人生観が変わる思いである。


 さて、ガラリと話を変えて本題に入ろう。

 朝日新聞10月6日(月)朝刊求人欄の「あの人とこんな話」に“若くしてキャリアを限定するな、人生観は変わるものだ”と題する、東大特任教授の妹尾堅一郎氏の対談記事があった。
 一部を抜き出して以下に要約しよう。
 僕(妹尾氏)の仕事のスタートは普通の企業人であった。仕事は面白く居心地のいい10年間を過ごしていたのであるが、ある時期から皆は問題を解決するという時に、その問題の立て方は適切なのかという吟味をしていないことに気付いた。問題が違ったり、固定したりしたら、答えもまた違ってしまう。誰もそれについて関心がない。その学問もどこにもない。大変重要なことなのに。そこで、僕は「問題学」を創るために、英国留学した。 
 自分を正当化する訳ではないが、キャリアをもっと自由に考えていいと思う。若いうちからキャリアを一つに決めてしまおうとする人がほとんどだが、それでは他の可能性を切り捨てることになる。もちろんその場で全力は尽くせ。でも、ワクワクする場所があるなら飛び込めばいい。そこで自分がどう変わるのか。それが人生の楽しさだ。
 以上が妹尾氏の対談記事の要約である。


 まったく同感であり、私自身が歩んで来た道程がまさにこの話にピタリと当てはまる。
 以前より私の読者でいらっしゃる方々は既に十分ご存知であろうが、私は30歳を過ぎてから学業や職業の分野において大きく方向転換している。 
 妹尾氏同様、私の仕事(学生時代のアルバイトは除いて)のスタートは医学関係専門職の企業人であった。仕事は順調で面白く、ある程度居心地のよい年月を過ごした。
 私の方向転換の理由はひとつには絞り込めないのだが、妹尾氏同様にキャリアをもっと自由に考えたいという気持ちは大きかった。世の中には種々の学問や職業があるのに、今の医学の仕事に一生縛られる“井の中の蛙”では終わりたくないという思いは強かった。自分はもっと違った世界でも輝ける可能性を秘めている、そう信じて疑っていなかった。 そして、私の場合は次のステップとして社会科学の学業の場へとジャンプした訳である。

 この方向転換により、私はそれまでにある程度築いてきた職業から派生するキャリアや社会的地位、そして収入の安定性を確実に失った。だが、この時の決断がなければ今の私はここに存在しない。少なくとも、歯痛にもめげず二日酔いも物ともせず、こんな風にオピニオンを一日置きに綴り続けようとするような、内から湧き出てくるエネルギーのある私は存在しなかったであろうことは想像がつく。そういう自分の現在の姿を素直に受け入れられる私にとっては、思い入れもないキャリアにいつまでも未練たらしくしがみ付き、虚勢を張って生きている人の姿は哀れにさえ映る。

 もちろん、ひとつのキャリアを誇りに思い全うして生きるというのも立派な選択肢であろう。また、生きるために収入の安定性を最優先せざるを得ない場合も多いのが実情であるのかもしれない。

 ただ妹尾氏がおっしゃるように、ワクワクする場があるならば是非その世界に飛び込んで欲しいと私も思う。そうすることにより必ず人生観は変わる。“変わる”と言うよりも“豊富になる”と言った方が正しいのかもしれない。


 さて、しがない主婦の我が身としては家族に対する責任もあり、今現在はワクワクする世界に思い切ってジャンプする訳にもいかないのだが、今回のインド旅行の話をきっかけに、少し旅にでも出てほんのちょっとだけワクワクしてみようか。 
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ポケットベルの恐怖

2008年10月12日 | 恋愛・男女関係
 携帯電話が現在のように普及する以前の時代に、移動中の通信手段のひとつとして「ポケットベル」があった。

 このポケットベルを職業柄、プライベートな場面も含めて常時携帯していた人物との恋愛経験がある。当然ながら携帯電話がまだ普及していなかった、私が独身時代の話だ。

 この恋愛は種々のハンディを抱えていた。
 まず相手には妻子がいた。(新しい読者の方々のために再度解説するが、私は長い独身時代にさほど結婚願望がなかったため、恋愛相手に妻子がいることが私にとっては特段大きなネックではなかった。詳細はバックナンバー「恋人それとも愛人?」を参照下さい。とは言え、お相手のご家族の方々には間接的にご迷惑をお掛けしました事は重々お詫び申し上げます。

 加えて遠距離恋愛だった。
 そして、ポケットベルで職場からいつ呼び出しをくらうかもしれない“恐怖”といつも背中合わせでもあった。

 今回は、こんな“三重苦”を抱えた恋愛の話を綴ってみよう。


 この恋愛相手とのそもそもの出逢いは、私の医学関係の職場である。あちらはこちらにとって顧客の立場であったのだが、私の職場に免疫学関連事項の自主研修のために2日間程来ていた。
 私はその人物の直接の研修担当ではなかったのだが、研修の合間に私の所へやってきて業務内容についていろいろと質問をするので、相手は当方にとって顧客でもあるため私は失礼のないようにその質問に丁寧に答えていた。時間が空くと相手は私のところへやって来る。そして、回を重ねると私のプライベートにまで質問が及ぶので、これはどうやら個人的に気に入られているぞ、という感覚はあった。
 そして、2日間の研修の終了時に私のところへ最後の挨拶にやって来て帰っていった。

 しばらくしてまたこの人物と再会したのは、東京での免疫学関連の学会会場でのことである。あちらが私を見つけてやって来た。 「先生、いらっしゃってたのですね!」と偶然の再会に少し驚いた私が言うと、あちらは「ここに来るとあなたに会えるような気がした。」と返してくる。
 学会終了後に、一緒に食事をすることになった。ここで相手から気持ちを打ち明けられることになる。「実は研修に行った時からあなたを気に入ってしまい、もう一度会いたいとずっと思っていた。その間、申し訳ないがあなたの事をいろいろと調べさせてもらって、今日この学会会場に来た…」
 実は私の方もそんな予感はあった。相手が研修から帰った後も、この出逢いは終わらないような予感が…。そして妻子の存在も遠距離も承知の上で、私はお付き合いをすることを承諾した。
(自己弁護のために一言付け加えさせていただくと、その方は、外見上の好みだけではなく専門力をきちんと磨いている私が気に入った、と言って下さった。その言葉に当時まだ20代後半の若かりし私は惹きつけられ、お付き合いを承諾するに至った。)

 そんな中、ひとつだけ想定外だったのがポケットベルの存在だ。医学関係の業務に携わっていた関係上、そういうことを知らない訳では決してないのだが、実際上自分自身がこの事態に直面したのは初めての体験だった。
 「僕は職業柄、いつもポケットベルを携帯していて、呼び出しがあったら極端な場合直ぐに職場に駆けつけなければならないが、それを承知しておいて欲しい。」
 

 恋愛の初期は誰しもお互いに熱心に会いたがるものだが、早速相手が1泊の予定で東京にやってきた。
 その時に彼が言う。「実は今回ポケットベルが鳴る可能性が高い。受け持ちの入院患者さんの容態があまりよくない…。」
 そんな大変な時にやって来るなよ、とも言えない。私だって会いたかったのだもの。しかし何をしていても落ち着かない。ポケットベルがもう鳴るか、もう鳴るか、との心配ばかりが募る。
 結局ポケットベルは鳴らなかったのだが、お互いに何とも落ち着かない再々会であった。それにしても、人命を預かる医学という仕事の責任の重大さを身をもって実感である。

 その後、私があちらの住む地に行ったり、またあちらが東京へ来たりしつつ恋愛関係は続いたのであるが、いつも頭の片隅にポケットベルが鳴る恐怖を抱えての恋愛関係であった。

 そんなある時、あちらが上京して二人でホテルのルームサービスの朝食をとっている時のことだ。ポケットベルならぬホテルの部屋の電話が鳴る。あちらが電話に出ると、電話の発信者はあちらの奥方であった。二人の関係が相手の家族にバレないよう細心の注意を払ってお付き合いしていたつもりなのであるが、遠恋でいつも泊りがけでのデートのため、そんなに事がうまく運ぶ訳もない。どうやらしっかりとバレていて、相当責められている様子だ。現行犯中の出来事である。
 人命がかかったポケットベルの呼び出し音を待つ思いも相当の恐怖だが、この現行犯中の相手の奥方からの電話も別の意味で大きな恐怖だ…


 その後、元々無理の多いこの“三重苦”のお付き合いは、間もなく終焉を迎えることとなる。
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対称性の破れ

2008年10月10日 | 学問・研究
 今年のノーベル物理学賞を受賞した日本の物理学者3氏を祝福申し上げる意味で、大変無謀ではあるが、本日の私の拙いブログ記事で今回の物理学賞理論の内容のごく一部をほんの少しだけ取り上げることにより、3氏の受賞を讃えさせていただくことにしよう。
(ノーベル物理学賞受賞に関連する朝日新聞記事及びテレビ報道、その他文献を参照しつつ綴っていく。)


 今回の日本の物理学者3氏の物理学賞受賞のキーワードは、「対称性の破れ」に集結されるようである。
 素粒子論を知らずとも、この言葉の発する何やら哲学的な感性的魅力に触れるだけで、十分に素粒子論、そして物理学の世界へと誘われる思いがするのは私だけであろうか。


 さて、自然界には、どっちの方向を向いても物理法則の形は変わらないとか、同様に時間が経過してもやはり法則は変わらないといった、「対称性」と呼ばれる重要な性質がある。
 例えば、折り紙を真ん中から折ればぴったり重なる。例えば、円を真っ二つに切るならどこで切っても半円同士は対称形である。それを回転させても、その位置が変わっても対称のままである。

 中国人はこれと似た概念をもっているそうである。半円の一方を「陰」、もう一方を「陽」と呼ぶ。陰があれば陽があり、高があれば低がある。昼があれば夜があり、死があれば生がある。この中国の陰陽の概念は、事実上「対称性」に基づく古い法則であり、しかも物理的世界がそれ自身の内で均衡を保とうとする一つの全体であることも表現している。

 宇宙の誕生時には、物質と反物質が同じだけある「対称」な世界だったと考えられていた。ところが現実には、その「対称」な性質が“破れて”いるようにみえるときがあり、物質が多くて反物質が少ない非対称な世界になっていることがわかってきた。物理の世界では、なぜそうなっているのかは大きな謎である。

 1961年に、受賞者のひとりである南部陽一郎氏は、素粒子の世界で自然に対称性が破れていく現象を世界で初めて定式化した。折り紙で言えば、どう折っても重ならない形に自然に変わってしまうことがあるということになる。この理論のお陰で、物理学の多くの分野の現象が説明できるようになった。

 小林誠氏と益川敏英氏は「CP対称性の破れ」理論において、対称性が成り立たない“破れ”の原因を、クオーク(陽子などを作る素粒子)の種類をそれまで考えられていた4種類から6種類に増やすことで解き明かした。
 宇宙の始まりの大爆発(ビッグバン)で、普通の粒子と反粒子が出来た。宇宙では対称性が成り立っていて両者は同数と考えられていた。ところが両者が出合ってどんどん消滅し光などに変化しても、粒子が残ったのは“対称性の破れ”現象によるためなのだそうだ。


 ノーベル物理学賞受賞者各氏による対談報道によると、素粒子に限っていえば標準模型といわれている理論に関する実験的な検証はほぼ終了しているそうである。その先の課題の一つが重力の理論であり、もう一つが超対称性理論であり、この二つはつながっているかもしれず、今後かなりの概念の飛躍が必要となるとのことだ。
 従来のニュートン力学への固執との決別も視野にいれ、物理学における哲学的な思考がますます欠かせない時代へと移り変わりつつあるようだ。
(本ブログ学問・研究カテゴリーのバックナンバー「量子力学的実在の特異性」も参照下さい。)
 
 “対称性の破れ”が創り出す素粒子の世界。
 物理学の分野にとどまることなく、“対称性の破れ”理論は我々が生きているこの世界の外面的、内面的な諸現象を創り上げているような気さえ私はする。
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1か0かの世界

2008年10月08日 | 学問・研究
 “学問・研究カテゴリー”に分類するほど専門的で堅苦しい話でもなく軽めに綴るので皆さんにお読みいただきたいのだが、今日は算数・数学にまつわる話題を取り上げてみよう。


 朝日新聞9月29日(月)朝刊東京北部ページ「キャンパスブログ」のコラムに“「3」の重要性”と題して、算数、数学学習における「3」の学習の重要性について述べた某大学教授による記事があった。

 この記事の一部のみを取り上げて要約してみよう。
 四則計算の規則から高校数学の積分、行列に至るまで、日本の数学教育では「3」が要点となる問題を広く内含している。1、2、3、…と続いて成り立つ性質を理解させるには(例えば掛け算の計算において2けたにとどまらず3けたまで学習させる等)、「3」の場合まで確認させることが大切である。
 「3」の意義を確かめる実験として、幼稚園児を対象に“あみだくじ”の理解実験を行なった。その結果、縦の直線が2本のあみだくじをたどる方法だけを教えるよりも、3本あるあみだくじも学習させる方が理解度がぐっと上がるという結果が出た。
(以上は、朝日新聞記事の要約である。)


 話が変わって、私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため、大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。

 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。(ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの書き方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。トホホ…)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。)紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあったのだ。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものである。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことであるが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものである。


 その「電子計算機論」を大人になってから学ぶ機会があった。
 20代に医学関係の仕事に携っていた頃、データ処理用のワークシートをコンピュータで出力する業務を任せられるに当たってプログラミングを経験したのであるが、その時に仕事の合間に私は独学でプログラミング(COBOLとFORTRAN)をマスターした。
 プログラミングの学習の一環としての「電子計算機概論」に、やはり“2進法”が登場した。 コンピュータ内における情報処理の基本計算原理は“2進法”である。
 すなわち「1」と「0」の世界がコンピュータを生み出したと言っても過言ではない。


 現在は“10進法”が世の中を創り上げ人の頭も“10進法”にどっぷりと漬かってしまっているが、たまにはコンピュータになった気分で“2進法”の世界にトリップしてみると、また違った視野が広がるのかもしれない。
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