子どもが小学生の頃、周囲に姓が途中で変わる子が何人かいた。
親の離再婚に伴う改名によるものであろう。今時特に珍しいことでもないのだが、中には数年間に4回も姓が変わった子も経験している。おそらく親が離婚して一旦親権者の旧姓に戻した後再婚し、また離婚して再々婚したというような経緯なのであろうと推測する。
親本人が離再婚を繰り返すことに関しては、私の知ったことでも意見することでもない。が、親の身勝手で姓を何度も変えられる子どもの心情を思うと、子どもに肩身の狭い思いをさせずに済ませる配慮が及ばぬものかと呆れ果てる。
少なくとも子どもが義務教育の間は、例えば離婚をしても改名はしない、あるいは再婚の場合もしばらく事実婚を選択して子どもの成長を待つ等の、多少なりとも子どもの人権に配慮した手段を選択することにより、子どもの顔に泥を塗らずに済ませることはいくらでも可能であろうに…。
話が変わるが、朝日新聞9月30日(火)オピニオンのページの「私の視点」欄に“離婚後も父母双方に親権を”と題する離婚経験者からの投稿があった。
この投稿によると、現在、離婚の際の子どもの親権と面会をめぐる元夫婦間のトラブルによる殺傷事件が多発している模様である。
投稿内容を一部ピックアップして、以下に要約してみよう。
日本の民法は、離婚後の親権をどちらかの親に決める単独親権制度をとる。裁判所で子どもとの面会について決めても強制力がないため、実際に子どもに会えるかどうかは親権者の意向次第になる。裁判所は、子どもを手元に置いた側に親権を与えがちだ。「先にとった者勝ち」なので、事件も頻発する。
親権のない親には、法的には親としての権利義務がない。親権者に拒否されて子どもに会えなくなれば、子どもとの関係が深かった親ほど苦しみは続く。
現在は、男女共に育児にかかわる親が増え、子どもの奪い合いは激烈になる一方だ。離婚後の養育についてのガイドラインと、親同士の関係を調整する第三者による支援体制を整え、子どもの側から見た多様な家族のあり方を可能にする法整備を早急に進める必要がある。
以上が、離婚経験者からの投稿の一部要約である。
う~ん、ちょっと待てよ。 「(子どもを)先にとった者勝ち」? 「子どもの奪い合い」 だと??
この投稿の背景には、子どもを親の所有物だとする思想が見え隠れしていて、子どもの真の人権が軽視されているように私は捉えてしまう。申し訳ないが、自分達の勝手な都合や努力不足で離婚して家庭を崩壊し子どもを不幸にした親どもが、さらに身勝手に利己的に子どもを奪い合っているみっともない姿の影像にしか私の目には映らない。
もしかしたら、離婚を覚悟で新しいパートナーでも見つけたものの何だか満たされなくて、実はやっぱり自分が寂しいから、せめて血縁のある子どもにでもそばに居て欲しいだけなのではないのか? 本当に親として子どもを養育する覚悟はあるのか?
本当に可愛い子どもであるならば、そもそもなぜその可愛い我が子のために家庭崩壊をしない努力を優先しなかったのか…。
とは言えども別れてしまったものはしょうがないため、今一度原点に戻り子どもの人権を最優先して話を整理し直してみよう。
私は基本的に、たとえ離婚をして片方の親が子どもを手元に置くとしても、もう片方は経済的支援をする等の形で子どもの養育義務は両親共が果たすべきと考える。そのため、この投稿者が主張するように離婚後も法的に双方に親権を与えることに関しては異論はない。むしろ、離婚後子どもの養育を全面的に親権者である片親に任せたきり、まったく親としての養育義務を放棄してしまう無責任な片親が多い事の方が深刻な問題であろう。(以前、両親の離婚後に子どもが親権者である母親に殺害されるというような無残な事件があった。その時、親権者ではない父親がマスメディアにのこのこ現れ、“こんな可哀想なことになって…”等のコメントをしたように記憶している。とんでもないコメントだと私は感じた。そもそも産んだ子どもの養育をしないということは子どもを棄てたも同然で共犯なのに、何を今さら親づらしているのか、と…。)
子どもとの面会に関しては、子どもの年齢にもよるが、子どもがある程度の年齢以上で判断能力がある場合は、子どもの意向を最優先すればよいのではないかと考える。ただ、子どもの養育義務をまったく放棄して好き勝手にしている離婚相手に、子どもを会わせたくないとする親権者の心情も理解できなくはないが…。
とにかく、子どもは決して親の所有物ではない。
親の身勝手な行動に子どもを巻き込んで不幸にする事のないよう、子を持つ親は日頃から我が子の人権に対する配慮と、親としての弛まぬ努力を続けよう。
親の離再婚に伴う改名によるものであろう。今時特に珍しいことでもないのだが、中には数年間に4回も姓が変わった子も経験している。おそらく親が離婚して一旦親権者の旧姓に戻した後再婚し、また離婚して再々婚したというような経緯なのであろうと推測する。
親本人が離再婚を繰り返すことに関しては、私の知ったことでも意見することでもない。が、親の身勝手で姓を何度も変えられる子どもの心情を思うと、子どもに肩身の狭い思いをさせずに済ませる配慮が及ばぬものかと呆れ果てる。
少なくとも子どもが義務教育の間は、例えば離婚をしても改名はしない、あるいは再婚の場合もしばらく事実婚を選択して子どもの成長を待つ等の、多少なりとも子どもの人権に配慮した手段を選択することにより、子どもの顔に泥を塗らずに済ませることはいくらでも可能であろうに…。
話が変わるが、朝日新聞9月30日(火)オピニオンのページの「私の視点」欄に“離婚後も父母双方に親権を”と題する離婚経験者からの投稿があった。
この投稿によると、現在、離婚の際の子どもの親権と面会をめぐる元夫婦間のトラブルによる殺傷事件が多発している模様である。
投稿内容を一部ピックアップして、以下に要約してみよう。
日本の民法は、離婚後の親権をどちらかの親に決める単独親権制度をとる。裁判所で子どもとの面会について決めても強制力がないため、実際に子どもに会えるかどうかは親権者の意向次第になる。裁判所は、子どもを手元に置いた側に親権を与えがちだ。「先にとった者勝ち」なので、事件も頻発する。
親権のない親には、法的には親としての権利義務がない。親権者に拒否されて子どもに会えなくなれば、子どもとの関係が深かった親ほど苦しみは続く。
現在は、男女共に育児にかかわる親が増え、子どもの奪い合いは激烈になる一方だ。離婚後の養育についてのガイドラインと、親同士の関係を調整する第三者による支援体制を整え、子どもの側から見た多様な家族のあり方を可能にする法整備を早急に進める必要がある。
以上が、離婚経験者からの投稿の一部要約である。
う~ん、ちょっと待てよ。 「(子どもを)先にとった者勝ち」? 「子どもの奪い合い」 だと??
この投稿の背景には、子どもを親の所有物だとする思想が見え隠れしていて、子どもの真の人権が軽視されているように私は捉えてしまう。申し訳ないが、自分達の勝手な都合や努力不足で離婚して家庭を崩壊し子どもを不幸にした親どもが、さらに身勝手に利己的に子どもを奪い合っているみっともない姿の影像にしか私の目には映らない。
もしかしたら、離婚を覚悟で新しいパートナーでも見つけたものの何だか満たされなくて、実はやっぱり自分が寂しいから、せめて血縁のある子どもにでもそばに居て欲しいだけなのではないのか? 本当に親として子どもを養育する覚悟はあるのか?
本当に可愛い子どもであるならば、そもそもなぜその可愛い我が子のために家庭崩壊をしない努力を優先しなかったのか…。
とは言えども別れてしまったものはしょうがないため、今一度原点に戻り子どもの人権を最優先して話を整理し直してみよう。
私は基本的に、たとえ離婚をして片方の親が子どもを手元に置くとしても、もう片方は経済的支援をする等の形で子どもの養育義務は両親共が果たすべきと考える。そのため、この投稿者が主張するように離婚後も法的に双方に親権を与えることに関しては異論はない。むしろ、離婚後子どもの養育を全面的に親権者である片親に任せたきり、まったく親としての養育義務を放棄してしまう無責任な片親が多い事の方が深刻な問題であろう。(以前、両親の離婚後に子どもが親権者である母親に殺害されるというような無残な事件があった。その時、親権者ではない父親がマスメディアにのこのこ現れ、“こんな可哀想なことになって…”等のコメントをしたように記憶している。とんでもないコメントだと私は感じた。そもそも産んだ子どもの養育をしないということは子どもを棄てたも同然で共犯なのに、何を今さら親づらしているのか、と…。)
子どもとの面会に関しては、子どもの年齢にもよるが、子どもがある程度の年齢以上で判断能力がある場合は、子どもの意向を最優先すればよいのではないかと考える。ただ、子どもの養育義務をまったく放棄して好き勝手にしている離婚相手に、子どもを会わせたくないとする親権者の心情も理解できなくはないが…。
とにかく、子どもは決して親の所有物ではない。
親の身勝手な行動に子どもを巻き込んで不幸にする事のないよう、子を持つ親は日頃から我が子の人権に対する配慮と、親としての弛まぬ努力を続けよう。