原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子どもは親の所有物でない

2008年10月06日 | その他オピニオン
 子どもが小学生の頃、周囲に姓が途中で変わる子が何人かいた。
 親の離再婚に伴う改名によるものであろう。今時特に珍しいことでもないのだが、中には数年間に4回も姓が変わった子も経験している。おそらく親が離婚して一旦親権者の旧姓に戻した後再婚し、また離婚して再々婚したというような経緯なのであろうと推測する。

 親本人が離再婚を繰り返すことに関しては、私の知ったことでも意見することでもない。が、親の身勝手で姓を何度も変えられる子どもの心情を思うと、子どもに肩身の狭い思いをさせずに済ませる配慮が及ばぬものかと呆れ果てる。
 少なくとも子どもが義務教育の間は、例えば離婚をしても改名はしない、あるいは再婚の場合もしばらく事実婚を選択して子どもの成長を待つ等の、多少なりとも子どもの人権に配慮した手段を選択することにより、子どもの顔に泥を塗らずに済ませることはいくらでも可能であろうに…。


 話が変わるが、朝日新聞9月30日(火)オピニオンのページの「私の視点」欄に“離婚後も父母双方に親権を”と題する離婚経験者からの投稿があった。
 この投稿によると、現在、離婚の際の子どもの親権と面会をめぐる元夫婦間のトラブルによる殺傷事件が多発している模様である。

 投稿内容を一部ピックアップして、以下に要約してみよう。
 日本の民法は、離婚後の親権をどちらかの親に決める単独親権制度をとる。裁判所で子どもとの面会について決めても強制力がないため、実際に子どもに会えるかどうかは親権者の意向次第になる。裁判所は、子どもを手元に置いた側に親権を与えがちだ。「先にとった者勝ち」なので、事件も頻発する。
 親権のない親には、法的には親としての権利義務がない。親権者に拒否されて子どもに会えなくなれば、子どもとの関係が深かった親ほど苦しみは続く。
 現在は、男女共に育児にかかわる親が増え、子どもの奪い合いは激烈になる一方だ。離婚後の養育についてのガイドラインと、親同士の関係を調整する第三者による支援体制を整え、子どもの側から見た多様な家族のあり方を可能にする法整備を早急に進める必要がある。
 以上が、離婚経験者からの投稿の一部要約である。


 う~ん、ちょっと待てよ。 「(子どもを)先にとった者勝ち」? 「子どもの奪い合い」 だと??
 この投稿の背景には、子どもを親の所有物だとする思想が見え隠れしていて、子どもの真の人権が軽視されているように私は捉えてしまう。申し訳ないが、自分達の勝手な都合や努力不足で離婚して家庭を崩壊し子どもを不幸にした親どもが、さらに身勝手に利己的に子どもを奪い合っているみっともない姿の影像にしか私の目には映らない。
 もしかしたら、離婚を覚悟で新しいパートナーでも見つけたものの何だか満たされなくて、実はやっぱり自分が寂しいから、せめて血縁のある子どもにでもそばに居て欲しいだけなのではないのか? 本当に親として子どもを養育する覚悟はあるのか?

 本当に可愛い子どもであるならば、そもそもなぜその可愛い我が子のために家庭崩壊をしない努力を優先しなかったのか…。

 とは言えども別れてしまったものはしょうがないため、今一度原点に戻り子どもの人権を最優先して話を整理し直してみよう。

 私は基本的に、たとえ離婚をして片方の親が子どもを手元に置くとしても、もう片方は経済的支援をする等の形で子どもの養育義務は両親共が果たすべきと考える。そのため、この投稿者が主張するように離婚後も法的に双方に親権を与えることに関しては異論はない。むしろ、離婚後子どもの養育を全面的に親権者である片親に任せたきり、まったく親としての養育義務を放棄してしまう無責任な片親が多い事の方が深刻な問題であろう。(以前、両親の離婚後に子どもが親権者である母親に殺害されるというような無残な事件があった。その時、親権者ではない父親がマスメディアにのこのこ現れ、“こんな可哀想なことになって…”等のコメントをしたように記憶している。とんでもないコメントだと私は感じた。そもそも産んだ子どもの養育をしないということは子どもを棄てたも同然で共犯なのに、何を今さら親づらしているのか、と…。)

 子どもとの面会に関しては、子どもの年齢にもよるが、子どもがある程度の年齢以上で判断能力がある場合は、子どもの意向を最優先すればよいのではないかと考える。ただ、子どもの養育義務をまったく放棄して好き勝手にしている離婚相手に、子どもを会わせたくないとする親権者の心情も理解できなくはないが…。


 とにかく、子どもは決して親の所有物ではない。
 親の身勝手な行動に子どもを巻き込んで不幸にする事のないよう、子を持つ親は日頃から我が子の人権に対する配慮と、親としての弛まぬ努力を続けよう。 
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凄腕の女たち(その1)

2008年10月04日 | 仕事・就職
 世の中に“凄腕の女”は実在するものである。
 
 テレビドラマによく登場するような、見てくれだけ“キャリアウーマン気取り”で空威張りしている割には脳みその中身が疑わしいような女には、私は昔からちっとも興味のないひねくれ者である。
 こんな私も、過去の職業遍歴の中で何人かの“凄腕の女”に実際に遭遇している。


 その一人が、朝日新聞9月29日(月)朝刊求人欄「あの人とこんな話」に登場した、㈱グレイス代表取締役社長の安井悦子氏である。㈱グレイスを設立して代表取締役社長になられていることは存じていたのではあるが、やはりビッグにご活躍のお姿を紙面で久々に拝見し、とても感慨深いものがあった。

 この安井悦子氏には、私は30代前半頃に大変お世話になっている。ちょうど私が勤労学生をしていた頃のことだ。私は安井氏のお陰で、学業を全うしつつ自己所有不動産物件の住宅ローンも短期間で独力で完済できる経済力を手中にしたと言っても過言ではない。

 当時、安井氏は別の人材派遣会社で営業部長をしていらっしゃった。(と記憶しているのだが私の記憶違いでしたら失礼をお詫び致します。)この会社は理化学分野の人材派遣に我が国では本格的に着手した第一人者であるとも記憶しているのだが、ここに私は理化学部門の派遣社員として登録し安井氏にお世話になったのである。

 私の場合、勤労学生であるという大きなハンディがあった。平日昼間は学業に専念したいため、大学の夏季、春季長期休暇の2ヶ月間ずつのみ派遣社員として集中的に働いたのであるが、こんな身勝手な勤労条件を安井氏は嫌な顔ひとつせず引き受け歓迎して下さった。
 大学の長期休暇が近づくと、いつも絶妙なタイミングで電話を下さるのだ。「そろそろお仕事出来ますよね。いい仕事がありますよ。」と。私の場合、単独派遣がほとんどだったのだが、多忙にもかかわらず私一人のために派遣初日には派遣先に必ず同行下さり、いつも「○○(私の名前)は、わが社が自信を持って派遣する優秀人材です。」と先方に紹介して下さるのだ。まさか、“二番手人材”だとか“いまいち人材”と紹介する訳にはいかないのだろうが、それにしても私自身が身の引き締まる思いである。この安井氏のわざわざのご足労のお陰で、どこの派遣先でもとても重宝いただき仕事に没頭できたものである。
 そんな中、派遣先から契約外の業務を依頼されたり等の多少のトラブルの発生もある。その状況について派遣元に一報を入れると、次の日には必ず安井氏自らが派遣先までご足労くれ問題解決のために所属長と話し合って下さるのだ。
 とにかく安井氏は頭の回転が早く、派遣社員思いの気配りの細かい行動派でいらっしゃった。
 
 その後私は教員として就職し派遣社員は退職したのだが、派遣会社主宰のホテル宴会場でのクリスマスビュッフェパーティにOBとして招待いただいた。もう退職して1年近く後のことである。
 安井氏は大勢でごった返す会場の中、OBひとりひとりに挨拶をして回っていらっしゃる。そして私を見つけると「○○さん(私の名前)、教員なんか辞めて早く理化学の世界に戻って来てよ、待ってるから。」と声をかけて下さる。その抜群の記憶力の良さ、OBに対してまでもの気配り、営業力に脱帽であった。


 その安井悦子氏が、今回の朝日新聞求人欄に以下のように記されている。
 どのような仕事でもそうであるが、学校で学んだ知識があるとかスキルが高いから自分はいい仕事ができると思い込むのは早計だ。働くというのは、自分の人生の経験や人間性、感受性などのすべてを動員する総戦力である。 
 さらに、自分の仕事が社会にどのような形で役立つのかをきちんと自覚しないとパワーがでない。仕事の意義をまず自分が理解し社会と繋がっていることを理解する。そうなると、意欲がふつふつとわいてくる。そこからが楽しい。働くことが面白い。だから人生が充実する。
 履歴書がどれほど立派でも、面談してその人の心が見えなければ派遣紹介はしない。その徹底した方針には一人ひとりを輝かせたいという思いがある。
 (以上、安井悦子氏の記事より引用。)


 なんだが、私も働きたくなってきたぞ。
 安井さん、あれから年月が流れ、少々とうが立ち過ぎた私ですが、今から㈱グレイスの理化学分野で働かせていただけませんか???  
 えっ、年寄りはお呼びでない。 こりゃまた失礼致しました…… 
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学校選択制を廃止するな

2008年10月02日 | 教育・学校
 2005年に政府が「骨太の方針2005」でも導入促進をうたった公立の小中学校における“学校選択制”に、早くも廃止の動きが出てきている。

 朝日新聞9月27日(土)朝刊社会面記事によると、東京都江東区では子どもや保護者が進学先の学校を選択できる“学校選択制”を見直すことを決めた。さらに前橋市では小中学校双方で選択制の廃止を決定した。
 このうち前橋市を例に取ると、04年に導入した制度を、わずか4年のみの実施での廃止決定である。(10年度を最後に廃止する方針)


 公立小中学校で学校選択制が検討されるようになったのは90年代半ばの頃である。1998年に最初に学校選択制を導入した三重県紀宝町を皮切りに、2000年には東京都品川区もこの制度を導入した。現在では東京の区部等、この制度を採用する地域は拡大しており、内閣府が2006年に行なった調査では小学校の14,9%、中学校の15,6%が導入しているとされる。

 私自身も子どもの中学入学時に保護者として学校選択制を経験している。ただし我が子の場合は結果として私立中学に進学したため、選択した公立中学へは進学していないのではあるが。
 この私自身の保護者としての経験、及び、本来「教育」とは選択できるものであるべき、とする自らの考えにより、私は“学校選択制”賛成の立場である。

 
 なぜ我が家が子どもの進学先として結果として私立中学を選択したかと言うと、私立の場合学校の“選択”が可能なことが前提条件だからである。我が家の学校の選択基準は決して「偏差値」ではなかった。子どもの特性と将来の希望、そして学校の教育理念と校風を最重視し、とことん選択した。

 公立の場合、元来、全国どこの学校でも同様の教育を提供するというナショナル・ミニマムの考え方に基づき整備されており、また人事異動によって教職員を常に入れ替えているため、理論的には学校間格差はないとするのが国や自治体の言い分であろう。
 ところが、現実的には公立においても学校間格差は明らかに存在する。

 学校選択制を採用している自治体においては、私立へ進学希望の場合でも一応全員が公立の希望校を自治体に提出することになる。そのため、我が家でも希望公立中学を選択したのであるが、この選択に当たって我が家の場合は“学校見学”を最重視した。我が自治体では6月に1週間自由見学期間が設けられ、希望の公立中学を自由に見学できる機会が与えられた。我が家は“一次選抜”として資料による検討によりあらかじめ4校に絞り込み、“最終選抜”のためいざ公立中学へ見学に出かけた。
 同じ公立と言えども学校の校風とはこれ程格差があるものかと、まざまざと見せつけられる思いだった。教職員生徒両者共に挨拶がきちんとできること、授業中の教職員と生徒双方の熱意や態度、校舎内の整備整頓等を選択基準としたのであるが、学校間格差の激しい事この上ないのだ。頭を悩ませることは何らなく、希望校が自ずと一校に絞り込まれた。
 (ところがどこの中学へ行っても見学者が私以外一人もいないのだ。百聞は一見にしかず、であるのに、一体皆さんどうやって希望校を選択したのであろう?? どうも、単なる噂に惑わされているという話も小耳に挟んだものだが…)


 話を学校選択制の廃止の動きに戻すが、廃止の理由として自治体では「児童生徒数に大きな偏りが生じる」「地域との連帯感が薄れる」事を挙げている。

 学校選択制とは教育における競争原理の導入であり、生徒数に偏りが生じて学校が自然淘汰されていくことは、むしろ選択制の目的のひとつではなかったのか。現在、公立学校の統廃合も進められているが、この選択制により廃校するべき学校、退職するべき教職員が自ずと決定できるメリットもあるように私は思うのだが。
 また、不人気で生徒数が少ない学校はその特徴を活かして生き延びる、またとはないチャンスを与えられているとも言える。江東区では一番希望者の少ない学校は入学者が24名しかいないらしいが、それを逆手にとって、人口密度の小さい校舎で広々と少人数教育、個別指導を展開し、それを“売り”にして時代に即した教育を提供すればよいのではないのか。
 「地域」云々に関しては“またか…”の思いしかないのであるが、教育の議論に「地域」を持ち出すのは如何なものか。「学校」と「地域」との繋がりを好む国や自治体の意向は分からなくもないが、教育の発展に「地域」を持ち出しても話が混乱するのみである。

 せっかく根付こうとしている“学校選択制”を廃止し、また旧態依然とした教育制度に逆行させて一体誰が恩恵に浴するのか?
     
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