原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「感じが悪く」て何が悪い??

2011年11月07日 | 人間関係
 本エッセイ集前回の記事に於いて、我が娘が大学の推薦入試に挑んだ話題に触れた。

 入学試験や就職試験の面接に際して、受験者は初対面である面接官に「感じが悪い」印象を持たれるよりも「感じよく」接するに越した事はない。
 そこで、口数が少なくややもすると“暗い人間”と誤解され易い我が娘に対し、面接内容以前の問題として姿勢を正してまっすぐ前を見て話すよう指導したものである。

 “あの人は感じがいい”  あるいは  “感じの悪い奴だなあ”  ……
 これらは特に初対面の人間同士の関係においてよく発せられる言葉であるが、“自分自身が人に与える表向きの一見の評価”にしか過ぎない上記のような印象とは、その後人間関係が進展するにつれ直ぐに忘れ去られるものではなかろうか。


 それに対し、11月5日の朝日新聞“悩みのるつぼ”には、上記のような初対面の関係ではなく母親から「感じが悪い」と指摘された女子大学生よりの相談が掲載されていた。
 早速、その相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 22歳の大学生女子だが、最近母から「あなた、性格が変わったね。感じ悪いわよ。」と言われてしまった。 自分ではそんなに変わったつもりはないが、来春大学院の社会学部に進学する予定の私は、よく物事を深く考えたり分析する癖がある。 母が言うには元々私は細かい事は気にせずさっぱりした性格だったのに、現在は母に対しても何かにつけ理屈っぽく反論しているとのことだ。 この先、大学院へ進学してより論理的に物事を考えたり激しい討論などを重ねるうち、理屈っぽさがエスカレートしてしまうのではないかと不安だ。 我が人生の目的は、「感じがよく、利他愛に富んだ」精神を持つ人になる事だが、どうしたら「感じの悪い」理屈っぽさから抜け出して目標へ近づくことができるだろうか?


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 何ともまあ自己矛盾だらけの相談内容との第一印象だが、22歳の大学生というバックグラウンドを考慮した場合、やむを得ない話であろう。
 同じく幼少の頃より物事を深く考え分析する癖がある原左都子であるが、そんな私が真っ先に思い浮かんだ回答とは、 「22歳ともなればとっとと家を出て独立した立場で大学院に進学して、母親の干渉などない場で自分の専門分野の学問に励み思う存分理屈っぽさを堪能すればいいじゃないか」である。
 
 そうではなく、この女子大生は今後も生まれ育った家に留まり親の経済力の下に大学院へ進学して学問に励む魂胆なのであろう。 既に成人した暁にそのような(恵まれた)行動を取りたい場合には、スポンサーである親に対する気兼ねも当然ながら必要となるはずだ。 家庭内で母の知らない世界の学問を突然持ち出し屁理屈を前面に出して立ち向かったならば、確かに母側も「あなたは感じが悪くなった」とつつきたくもなるというものだろう。
 片や、母親側も幼稚と判断できよう。 ここで娘に対し「感じが悪い」なる器量の小さい言葉を持ち出して喧嘩を売らずとて、我が子をたしなめる表現は他にもあったはずだ。

 ここで原左都子の私事に入って恐縮だが、私も我が母から「感じが悪い」と指摘された経験がある。
 それは私が結婚(晩婚であったが)後1、2年経過した後のことである。 遠方に住む我が母とは電話で交信する場合が多いのだが、ある時母が私にこう言った。 「あなたは結婚後“いいとこの奥さんぶって感じが悪い。”」
 いやはや驚かされたものだ。  それを母から言われた当時の私は既に40歳前後の年齢に達し生まれ持って事情のある娘を抱え悪戦苦闘していた時期である。 それでも嫁ぎ先である義父母(特に義母)との良き関係を築こうと私なりの努力を続け、それが実りつつある過程だった。
 おそらく実家の母としては、今まで自分が独占していた遠方の実娘の身近に結婚と共にもう一人の母が出現し、自分から距離を置き始めたような疎外感を感じたのであろうと推測する。 それにしてもいい年した親が娘に対して何ともまあアホな言葉をほざいたものである。
 
 要するに、親子関係と言えども様々な心の葛藤があって当然であろう。
 この相談の女子大学生も今後大学院で専門分野の学問を掘り下げると同時に、家庭において日々お世話になる親にも心を配りつつ歩んでいける心の余裕が不可欠と言う事だ。 それを実行することにより、貴方が欲している「利他愛に富んだ」精神を持つことが叶うのではないのか? (原左都子など、還暦を前にしてまだまだ無理そうな話だけど……)


 それでは“悩みのるつぼ”今回の回答者であられる社会学者 上野千鶴子氏の回答から、原左都子が同感する部分を要約して紹介しよう。

 人生の目的とは「感じが良い」人になること?  誰から見て「感じが良い」と思われたいの? 万人から感じ良く思われるなんてあり得ない。 「感じが良い」とはキャラの問題ではなく(人間)関係の問題。 あなた(相談者)の利他愛とは、ほんとの利他愛ではない。 自分が誰からも感じよく思われたいというならば、それは単なる自己愛。 こんな低レベルの自己愛を捨てなければ本当の利他愛には辿り着けない。 「感じが良い」だけでは決して利他愛など実現できないことを知っていて欲しい。 周囲から変人扱いされ、嫌われる不利益を被ったりしながらも屈せず、原発の危険を唱え続けた人達のような行為を利他愛と呼ぶ。

 (ここで話がずれるが、上野氏の回答を受けて原左都子が今現在気になるのは、福島第一原発2号機に於いて先だって発生した“臨界現象”の真相の解明は進んでいるのであろうか?との事である。 あれはさほど騒ぐ程の臨界現象ではなかったとの東電の発表後、細野原発担当大臣はそれを詳細に解明するべきとの国政としての見解を示したと私は捉えているのだが、早期に明確な結論を国民に示して欲しいものである。)

 
 最後に今回の記事のテーマに戻るが、人の感じの良し悪しとは人間関係に於いてさほど重要な事項ではないことは明白である。 
 そんなことよりも社会学者の上野千鶴子氏が述べられているように、表面的な“自己愛”を超越して真の“利他愛”に到達しようと志す事こそが学者を目指す若い世代の人間の資質として問われる条件であろう。
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娘よ、夢を叶えよう!

2011年11月05日 | 自己実現
 朝日新聞本日(11月5日)の別刷「be」“between”のテーマは、「諦めなければ夢は叶う?」であった。


 いきなりプライベートな話題で申し訳ないが、折りしも明日は我が娘の第一志望大学の公募制推薦入試日である。
 娘がこの世に生まれ出でて来たその日から18年足らずの年月、まさに親として娘の夢を叶え将来花開かせてやりたい一心で「お抱え家庭教師」の任務に明け暮れる私の日々だ。

 思い起こせば6年前の私立中学入試時にも「鬼の家庭教師」として日々君臨した私である。

 大学入試に際しては娘の当初の志望先が芸術系であったため、さすがにその道において素人の私は実技に関しては美大予備校のお世話になることと相成った。 その陰で学科の学習に関しては日々絶えず娘の学習進捗具合を厳しくチェックして来ている。
 ところが高3進級を直前にした今年2月、娘が急きょ志望先を大幅に変更したいと言い始めるではないか!  既に2年間も美大予備校にて(多額の授業料も納めつつ)精進させて来たし、大学受験まで後1年に差し迫った今頃になって進路変更とはどうしたことか?と、親としては娘の訴えに少なからずのショックを受けた。 
 (一体この子は今さら如何なる分野に心替えすると言うのか…  まさか“お嫁さんになりたい”などと言い始めるごとくの教育は原左都子に限っては一切していないはずだが… )と、内心穏やかでないまま私は娘に訪ねた。
 「で、あなたは美術系をギブアップしてどのような方面に進みたいの?」
 この私の問いに対する娘の答えには、相当驚かされたものだ。 あくまでも未熟な娘なりの“立派”な答えが用意されていたのである! しかも新たな第一志望大学まで自ら決定していたのだ。 (私とて娘の内心を思いやるごとくの努力は日々欠かしていないのだが、なんせ生まれ持って言葉少ない娘故に捉え処がなかった事を親として大いに反省である。)

 早速「お抱え家庭教師」である私は発想を切り替えるはめとなった。
 とにかく大学入試まで後1年の猶予しかない。 娘の新たな第一志望大学への一番の近道とは何だろう?  親として今何をどうしてやれば娘の将来の夢に一番近づくのだろう???
 その結論は早期に出た。 幸いな事に我が娘は「お抱え家庭教師」の私の指導に従い所属高校における学業成績に関してはある程度のレベルを維持していたのだ。(いわゆる“評定平均値”の話だが)
 これを利用しない手はない!と考えた私は、高校の担任に大学推薦を受けられるかどうか早速確認した。 その結果、残念ながら高2まで美術系を目指していたのに突然鞍替えしたため「指定校推薦」は受けられないが、「公募制推薦」の基準は満たしているため推薦可能との担任からの回答をもらえたのである。
 その後私は日々娘に小論文課題と苦手な“面接”指導を施しつつ、ついに明日「公募制推薦」入試を迎えることに相成ったという話である。


 さてここで、冒頭の朝日新聞記事の問いである 「諦めなければ夢はかなう?」 に話を戻そう。

 この記事を読まずして、原左都子の人生とはまさに「諦めずに夢を叶える」事に猛進し試行錯誤して来ている道程であるとも言えるため、当然ながらその答えは「はい」でしかない。
 その思いを多少の事情を持って生まれて来ている我が子にも伝えるべく、これまた我が精力を費やしつつ育ててきているのだが、それなりに成長してきてくれている様子に今のところは満足である。

 それにしても、この朝日新聞の問いに「いいえ」と答える国民が46%も存在する事こそが、今の世の衰退を物語っているようで何とも寂しい思いだ。
 
 ここで「いいえ」と答えた回答者の言い分の一部を紹介しよう。
 「『諦めなければ夢は叶う』と語る人は皆有名人。ホームレスのおじさんが語ったという話は聞かない」 
 「『諦めなければ夢は叶う』なら、男性の5人に一人がプロ野球選手」 
 「『諦めなければ夢は叶う』には努力や継続の大事さが訴えられているはず。だがメッセージのみがメディアで強調され過ぎると白雪姫的な願望のみを抱かせ続け、思春期のまま大人になれない人が増える」 
 「『夢、夢』と言い過ぎる今の世相が疑問。目の前の出来事に一つひとつ対応しつつ何とか日々を生きている、というのが多くの人の生き方ではないのか」


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 上記「諦めなければ夢はかなう?」の設問に対して「いいえ」の回答をしている人々のご意見とは、私に言わせてもらうとあまりにも“刹那主義”ではないかと思うのだ。
 それ程までに人々の日々の暮らしが切羽詰まっているとすればそれは国政の責任であろうが、それにしても現在はまだ一人ひとりがそこから脱却する糸口を見出すことが可能な社会システムが残存しているとも考察する私である。
 原左都子自身は決して有名人ではなく、ただの庶民である。 プロ野球選手を目指していた訳ではないが一時学者にないたいとの夢を描いた。その夢を実現しようと志し30歳にして独力で新たな学問に励んだ。その夢は叶っていないがその行動経験によって自分自身が活気づいて今に至っている。 白雪姫の願望でもいいじゃないのか? そんな願望を持って努力して生きてこそ何らかの夢や希望が見出せ続ける人生が歩めるように私は思う。

 上記「いいえ」との回答の最後である「目の前の出来事に一つひとつ対応しつつ何とか日々を生きている、というのが多くの人の生き方ではないのか」に関しては私も一部同感である。
 だからこそ多少の事情を抱えた娘を産んだという我が目の前の出来事に対応しつつ、原左都子は日々精力的に生きているのだ。 そんな我が生き様において“諦める”などという単語は死語であるからこそ、将来の夢も描き得るのだ。

 まあそれにしてもこれ程までに世界規模で経済難に陥ってしまった現状においては、残念ながら特に若い世代の人々にとっては夢を描き辛い時代と落ちぶれているのは確かなのかもしれない…


 それでも私は、我が娘が将来の夢を描き続けられる事に大いに期待している。 
 もし明日の「公募制推薦」入試において残念な結果が届こうとも、まだ一般入試が控えているよ! またまたそれに失敗したとて、あなたの「夢」がそれで終焉するばすもないのだ。
 
 確かに貧乏国家と成り下がった現実ではあるが、我が娘に限らず若い世代が夢を叶える手立てなどいくらでもあるはずだ。 それを伝授できない親や教育者をはじめとする大人側こそに大いなる責任があろう。
 過去において経済的繁栄を経験した世代こそが、これ程までに経済力が衰退した時代において後輩達のために今後夢を抱こうではないか! 
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アール・デコの空間にも秋風がそよぎ…

2011年11月03日 | 芸術
 (写真は、10月末頃に撮影した 東京都庭園美術館 の室内  ルネ・ラリック氏による正面玄関のガラス・レリーフ扉)


 10月も終わりにさしかかった穏やかに晴れ渡るある日、私は東京都港区白金台に佇む東京都庭園美術館を訪れた。
 メトロ南北線白金台を降り立ったその一帯は都心であるにもかかわらず緑豊かな広大な公園に恵まれた地域であり、また1933年に建てられた旧朝香宮邸である上記美術館が位置する歴史と共に、その周辺には美智子皇后がご卒業された聖心女子大学をはじめとして欧風のレストランや店舗が立ち並ぶ閑静でお洒落な街並みが続く。


 私がこの東京都庭園美術館(当時は 旧朝香宮邸 との名称であったかもしれない)を最初に訪れたのは、今から遡る事20年余り前のことである。
 当時独身の身で学業に仕事にと多忙な日々を送っていた私を、この旧朝香宮邸に誘(いざな)ってくれた男性がいた。 その男性とは現在新聞紙上等において論説を展開する等の活躍をしている学者であられるのだが、当時より多方面に博学多識の人物だった。 30代にして果敢にも新たな学問に励む私の生き様が「面白い!」と大いに評価してくれ、たまに会っては喧々諤々と語り合う同輩であった。

 ある時、その人物が上記の 旧朝香宮邸 へ行きましょう、と言う。 その頃の私は自己実現意欲に燃え時間を惜しんで日夜諸活動に東奔西走していた反面、芸術鑑賞をしようなどと欲するゆとりは一切持ち合わせていなかったのが正直なところである。
 そもそも「アール・デコ」の言葉は知れどもそれが一体如何なる芸術かさえ心得ず、とにかく誘われるまま旧朝香邸に向かった。 (今思い返すにこの人物は私を世田谷美術館にも誘ってくれたが、こちらの美術館では一体何の展示をしていたかの記憶すらない。

 この旧朝香邸に於ける「アール・デコ」芸術が、それに関して無知だった私にとっても素晴らしく輝いて映ったのである。  こういう芸術ならば喜んで鑑賞したいと素人ながら唸ったものだ。
 当時は館内にカフェのような施設もあったであろうか?(私の記憶違いであればお詫びするが)  そこでこの男性といつものように語り合ったような記憶もあるのだが、とにかく展示されている美術作品を単に観て回るお決まりの芸術観賞ではなく、アール・デコの館に息づいていた人々の生活を自ら再現できるがごとくの感動があったものだ。


 時を経た今、私が何故に「アール・デコの館」である現東京都庭園美術館へ出向くことを意図したのかというと、実は当該美術館は2011年11月1日より改修工事により全面休館するとの情報を得たためである。(既に休館中です…。)
 いつまで休館するかの情報は得られないのだが、そういう情報を耳にすると「今のうちに見ておこう!」と欲するのが庶民の野次馬根性というものであろう。

 そしてこの原左都子も(あの頃の感動を再び!の思いで)、10月末に東京都庭園美術館へ出かけることに相成ったのである。  
 ところがあらかじめメディア報道で得ていた通り、現地に着くと改装前の旧朝香宮邸を一目見ようとの鑑賞者でごった返している始末だ。 
 現在美術館として公開されている旧朝香宮邸は3階まで展示場があるのだが、多数の鑑賞者の中、特にお年寄り達は足が不自由な状態で3階まで階段を登るのもままならない様子である。

 そんなこんなで今回はアールデコ芸術を観賞してきたと言うよりも、鑑賞者であるお年寄りの足腰が不自由な現実を近い将来の我が身に置き換え、年老いて芸術鑑賞をする際に周囲に迷惑にならないように如何なる心得をするべきか、との現実を学んできたとも言えるのだ。


 ここで、皇族の一波が「アール・デコ館」を住まいとしていた歴史に関して少し解説しておこう。
 アール・デコとは、1925年にフランス・パリに於いて開催された美術博覧会の略称を由来する名称であるそうだ。 (そのアール・デコの芸術家として今尚世界に名を轟かせているのが冒頭の写真の ルネ・ラリック氏 ではなかろうか。)
 皇族の子孫である朝香宮家が何故この白金台の地にアール・デコの館を建てるに至ったのかについて原左都子なりの解説をするならば、ここに1947年まで実際住んでいたという朝香宮家の先祖である皇室の子孫が1922年当時にフランスに留学したからとのことのようだ。 そして、その頃のフランスはアール・デコの全盛期であったそうだ。
 そのフランスの地で(なんと!)皇子が交通事故に遭ったが故にその治療のため長期フランスに滞在することを余儀なくされたらしい。 事故に遭った当該者である朝香宮氏とフランスに於いてその看病に明け暮れた妃殿下の苦痛を慮って、帰国後に白金台の地にこの建物を建てたとのことでる。 
(以上は、東京都庭園美術館が発行しているパンフレットを要約したものである。)


 ところで本日(11月3日)、皇族秋篠宮家のご長男が5歳の儀式に望まれたとのニュースを見聞した私である。
 皇室に於ける皇位継承制度が今後どう変遷するのかに関しては国民の大いなる関心事であろう。
 それにしても明治以前の時代に比して現在は我が国の皇室に関する法制度も進化せんとの様子であるし、今後益々そうあるべきだとも思うのは国民皆の正直な感情なのではなかろうか??

 東京白金台の旧朝香宮邸もこの11月1日より改修工事に入ったとのことだが、芸術的に優れたこの「アール・デコの館」が近い将来新装オープンした暁には、益々庶民が集える場と変貌していることに期待したいものである。
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