原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人の面(つら)

2012年01月07日 | 時事論評
 今から遡る事20年程前に、私は国営放送局とも表現されている我が国の某放送局(早い話がNHKの事だが)の新入社員対象の入社試験に挑んだ経験がある。

 30代にして再び新たな学問を志し大学及び大学院修士課程にて学業に励み、大学院修了後は心密かに「学者」を目指していた頃の話だ。 
 ところが学者とはコネが幅を利かせる世界であり、学者を目指そうとする院生とはゼミ指導教官を通して指南を仰ぐのが常識である。  それは承知の上で、人の世話になることを好まない私は、例えば新聞紙上等で大学や短大の専任講師募集を発見しては自分で応募書類を送付したものである。 残念ながら門前払いの厳しい現実のみが待ち構えていたのは当然の成り行きだったのであろう…。

 元々医学関係者である私は大学院修了後再びそれを食い扶持とすることも視野に入れつつ、せっかく“新卒”で世に出るのだから、これを利用して少し冒険したい気分にもなっていた。
 そんな時に発見したのが、普段よく見ているNHKテレビが放映していた「大卒及び大学院修了者対象の職員募集」だったのだ。 この募集放映を幾度となく見つつ“年齢制限”がないことを重々確認した私である。
 早速履歴書及び必要書類を東京渋谷のNHK本局に送付したところ、即刻面接通知が届いた。 (参考のため、当時の就職事情とはまだまだバブル経済の下で“超売り手市場”期であり、大卒が100%就職できた時代背景である。)
  
 そして渋谷まで面接に出かけた私であるが、当然ながら待合室にはまだ20を過ぎたばかりの“世間知らずの子ども達”が大勢溢れている。 (やはり、NHKは人気があるなあ~)などと他人事のように感じつつ、さほどの時間を待たずして私の面接の番となった。
 既に書類は送付してあるが、私の方から“年齢”に関して切り出した。 「私位の年齢の新卒者を採用する意思はありますか?」  さすがNHK、その返答が紳士的であったことが印象深い。 「今回の募集はあくまで大学・大学院修了直後者が対象であって年齢制限を定めていませんので、○○さん(私のこと)も採用対象です。 ただ○○さんの場合は、むしろキャリア採用試験を受けていただいた方がよいかもしれません。」
 その回答でNHKの意思は十分伝わった。 当時のNHKのキャリア採用と言えば、アナウンサーの福島ナンタラ氏(イチローの奥さんである福島弓子氏のお姉さん)しか採用していない状況だった事を私は既に認識していた…

 ところがその後NHKから二次試験である小論文審査通知が届き、指定された会場まで出かけるはめとなる。


 ここでやっと、今回の本エッセイ集の表題である 「人の面(つら)」 の話題に移ることにしよう。

 実はこの時のNHKの採用試験の小論文審査の課題が  「面」  だったのである。

 小論文試験に先立って、受験者には解答用紙である白紙の原稿用紙のみが配布された。 試験が開始した直後、担当者が黒板に 「面」 とのみ書いたのだ。 そして口頭で、「“これ”に関して自由に論じて下さい」ときた!
 それまで数ある論文作成や小論文課題に挑んできた私であるが、こんな突拍子もない小論文課題に解答するのはその時が初めての経験だった。 
 
 おそらく当時のNHKとはテレビ放映が中心業務であり(今もか??)、テレビの画面上で放映される平面という限界ある世界の中での想像力の幅を学生達に問うのがこの小論文の趣旨であろうか? との想像もついた原左都子である。
 
 それはともかく、黒板の 「面」 の字を見て私の脳裏に真っ先に思い浮かんだのが、今回の「原左都子エッセイ集」表題の 「人の面(つら)」 だったのだ。 
 小論文のテーマを私なりに「人の面(つら)」と即座に決定した私は、人の面(つら)とは多くを物語るものだとか、今回のNHKの採用試験に於いて「面接」を重要視して人の面(つら)を真っ先に見ようとした事は評価できるだとか、当時の私なりの論評を解答用紙上に展開して快く帰宅したのである。 
 (当然ながらNHKからは“不採用”の結果が届く事を、その帰り道から実感していたものであるぞ)


 ところで昨夜のNHKニュースに於いて、元オウム真理教徒である平田特別手配者の「面(つら)」について解説するべく場面があった。 
 これはオウム真理教による目黒公証役場事務長拉致事件を受けて特別指名手配となっていた平田容疑者の出頭時の写真を、昨日(1月6日)警視庁が公開するという異例の発表を行った事に、NHKが対応した結果であろう。

 平田容疑者の「面(つら)」が17年前と印象があまりにも違いすぎるとの警察庁の見解とは、原左都子に言わせてもらうと、平田を個人的判断で取り逃がしてしまった一機動隊員を弁護するべく言い訳にしか過ぎないとしか考えられないのであるが…
 その警察庁の見解を受けて、昨晩NHKニュースにおいても現代似顔絵作家氏による平田容疑者の似顔絵が公開された。 その場面に於いても、何故か警察庁の主張に合意したのか「17年前と今とでは人相が違いますね…」などと報道している始末だ…

 ちょっと待ってもらって私に言わせていただくと、平田容疑者の顔ほど日本人として特徴的な面(つら)はないのではあるまいか??
 オウム事件による特別手配者3名の写真が公開されていたこの17年間、私の脳裏に一番刻まれているのが平田容疑者の容貌である。 この顔を世界中のどこで何年経って見ても “こいつは平田だ!” と特定できそうな気さえ私はする。
 それは私がこの世に長年生きているから故に備わった、「人の面(つら)」を判断できる特質性でもあるのかもしれない。

 だが警察庁が表明している通り、今後はもう少し機動隊員の教育を徹底する事を含めて指名手配者体制を強化するべき事は言うまでもないであろう。(指名手配専用フリーダイヤルがいつも話中で繋がらないというのも解せない話だ…)
 平田容疑者が警視庁の機動隊員に門前払いされた後、丸の内署に向かった事を不幸中の幸いとしたいものであるが、もしもそうでなかったならば平田関連オウム事件の解決は今後永遠になされなかった恐れもあるのだ…。


 それにしても、原左都子って昔から 「人の面(つら)」 に関して類稀な記憶力があるから、指名手配者の皆さん覚悟しておいてね~~ 

「食って」「寝て」ダレてる間に仕事初め…

2012年01月04日 | 自己実現
 1月4日の本日より、職場に出勤された方々は数多い事であろう。

 無職となった今でこそ年頭の“仕事初め”には縁が無い私であるが、職業人として頑張っていた頃、この“仕事初め”が大の苦手だった。
 決して新たな年に仕事を再開する事自体が嫌だった訳ではない。 仕事そのものにはいつ何時も精力的に取り組んでいた原左都子である。   そうではなく、集団嫌いの私としては人が大勢集まる場に久々に出向く事に鬱陶しさを感じてしまうのだ。

 特に仕事初めの儀式が嫌いだ。 全職員を強制的に集会室に集め社長等の職場長が年頭の訓示を垂れる、あの一種独裁的とも言える雰囲気が阿呆らしくて耐え難い…。  そこで私は毎年この仕事始めの儀式を避けて通るべく年頭から有給休暇を利用し、人より1、2日遅れて出勤したものである。(年頭は仕事量が少なかったこともあるしね…)

 そんな過ぎ去りし時代を思い出しつつ本日午前中に布団を干すベランダから道路を見下ろすと、我が自治体のゴミ収集車が年末年始期間中に山ほど溜まった可燃ゴミを収集している。 
 そうか、ゴミ収集業務も今日が仕事初めだなあ。 1年で一番ゴミ量が多いのが本日1月4日であろう。 この業務においては職場長が長時間訓示を垂れている時間などないことと察するが、まったくもって年頭から激務の労働“ごくろうさま”としか言い様がない。

 などと言いつつ本日より仕事初めの労働者の皆さんには大変申し訳ない事に、原左都子は今朝から“二日酔い”状態である。
 と言うのも、昨日は我が嫁ぎ先一族の毎年恒例の新年会だった。 我が一族はどういう訳か女性の方が大酒飲みで、男性陣は(亡くなった義父を除き)下戸あるいは酒に弱い人達ばかりである。 今年は義姉の希望でふぐ料理処での新年会だったのだが、特に飲兵衛の義姉と私の2人が勝手に大いに盛り上がって、香ばしい風味の「ふぐヒレ酒」を始めビールに焼酎と飲んだくれたのである…  


 現在の家庭を築いて以降、毎年正月は「食って(私の場合は“飲んで”と言うべきだが)」「寝て」3日を過ごすのが恒例となってしまっている。 まあ、時は正月なのだからそれでも許されるかもしれないと自己弁護しつつも、自己実現欲の強い私としては(こんな馬鹿を3日もやってていいのだろうか?)との良心の呵責感にも苛まれるというものだ。
 今年は特に我が娘が大学合格を早期に決めてくれたお陰で、“お抱え家庭教師”の私としてはその開放感が強かったのかもしれない。 ずい分のんびりうだうだと正月を過ごしてしまった感覚がある。 


 少し前の朝日新聞の別刷「be」において、「『食う』『寝る』、どっちが好き?」 との読者のアンケート記事が掲載されていた。

 この質問の「食う」を「飲む」に置き換えるならば、原左都子の回答は断然「飲む」であるぞ!
 それは置いておいて、今回は「食う」or「寝る」とのアンケートであるため、それに応えるならば私は 「寝る」 に重点を置きたいと即答する。

 朝日新聞記事の読者の回答を紹介すると、「食う」が56%、「寝る」が44%とやや「食う」が上回っているものの、両者が拮抗状態である。
 そりゃそうであろう。 「食う」「寝る」共に生命体にとってなくてはならないライフラインである。 どちらを好むか否かにかかわらず、この二者を満たしていかねば生命体の維持、発展が全う出来るはずもない。


 それにしても、「食う」には恵まれた環境にありつつ 「寝る」 が満たされない人種が増殖している現代社会を私は懸念する。

 例えば“鬱病”等神経・精神疾患を患っている人達とは、処方薬剤の副作用で睡眠が阻害される症状等の影響が日常的に併発するようだ。 それを医師に訴えると、今度は睡眠薬を処方されるらしい…  
 薬剤処方の安易な医療の堂々巡りで神経精神疾患を改善できるすべもないであろうに…

 
 片や「食う」事にままならない人種も、発展途上国のみならず、一応先進国の範囲内と認識されている欧米各国も加えて、現在世界中で量産されている程の世界的経済危機状態である。
 これに関しては、各国国政の健全化と世界規模での協力体制構築に今後頼らざるを得ないのではなかろうか?

 あるいは「食」に生きる糧を求め過ぎるがばかりに、メタボ人生を歩む人々の今後の行く末も懸念するべきであろう。


 そうこう考察して来ると、今現在の世界中の人民の生命体にとって 「食う」 「寝る」 両者共にはずせないことは私が言わずとも自明である。
 
 それにしても、私が経営法学を志向して学問に励んだ30代前半に、経営学の基礎として学んだ“マズローの欲求段階説”の底辺である人間にとっての最低限の生理的欲求の課題が、今の時代に“「食う」「寝る」どっちが好き?” との形で朝日新聞に問われるとは予想だにしていなかった…。
 
 これをショックと位置付けるのではなく、戦後間もない頃に年配者である我々が生まれその後歩んだ道程が大いなる過ちであったことを認め、今後の世界を生き延びる次世代の発展を祈りたいものである。

曇天とオウムと地震で明けた2012年

2012年01月01日 | 時事論評
 (写真は、今年の我が家のお節料理  “和洋中三段重”)


 皆様、新年明けましておめでとうございます。 
 本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 


 冒頭から写真のお節料理の解説をさせていただくことにしよう。
 これは、決して、決して、“料理嫌い”の原左都子が手作りしたものではない。 (毒舌は吐くくせに、こんな手の込んだものを造ろうとの野心や能力を一切持ち合わせていない私で申し訳ござません… 
 現在の家庭を築いて以降、我が家では料理嫌いの私の意向により毎年お節料理は外部の料理処が制作した出来合いのものを仕入れている。
 今までは我が子の嗜好を最優先して“洋風お節”を発注する事が何年か続いたのだが、昨年いつもの料理処から届いたお節の内容が世の不況と比例したのか?例年に比して数段“貧弱”だったことにがっかりさせられ、今年は上記の“和洋中三段重”を選択することと相成った。

 昨日の大晦日に冷蔵宅配で到着した上記三段重を早速試食してみたところ、ソースの味付けは結構いけている!
 これは私の今年の選択としては正解かな♪との感覚の下、大晦日の夜(我が家の場合、大晦日の夜からお節を食するのが習慣となっています…)家族にふるまったところ、残念な事に娘の箸が進まない…

 その理由は明白だ。 
 やはり市販のお節料理と言えども、経済難の影響を直撃せざるを得ないのであろう。
 安価な食材を使用していることが見え見えである。 例えば、鶏肉とか外来種の海老とかが多用された料理の数々だ…  味付けは美味であるとはいえ、この種の食材を使用した料理には娘の箸が進まない事を納得である。

 それにしても、今時の市販のお節料理には形だけでも「原材料品質保証書」が添付されていることは評価できよう。 
 例えば上記の和洋中三段お節の場合、“抗生物質”“残留農薬”“細菌”検査に加えて、今年特有であろう“放射能物質”の検査済の保証書が添付されている。 (参考のため“放射能物質”の自主検査基準として、原子力安全委員会が指標した値の1/5未満の基準を合格基準としているとのことだ。 
 (やはり、福島原発事故の傷跡の影響がお節料理にまでも及ぶのはやむを得ないのか……)


 我が家のお節の話題が長引いたことを大変恐縮として、2012年元旦の本日、家族皆で見た昼のNHKニュースには愕然とさせられた。

 この元旦から、オウム真理教関連事項がトップニュースか?!?
 どうやら地下鉄サリン事件以降指名手配されていたオウム真理教信者の一人が、昨日の大晦日に17年の月日を得て警察署に出頭したとのことである。

 「なんでこんな時期に警察に出頭するの?」 との娘の疑義も理解できる我が家である。
 「原左都子エッセイ集」昨年12月のバックナンバーでも綴った通り、我が家はどうやらオウム真理教の類稀に狂信的な奇行のために過去に少し被害を被っているのだ。

 歴史的大震災が勃発した昨年、被災者の皆さんがそれぞれにその苦難を乗り越えて来られ新しい年が始まった今、何故オウム真理教関連のニュースがトップ項目としてメディアで報道されねばならないのか?
 これはオウム真理教が新たな“悪あがき”を開始するべく、テレビの視聴率が高まる年末年始を狙いニュース報道を利用して何らかのサインを出そうとしているのではないのか??
 そのように疑っても不思議ではないようなカルト宗教の不気味さ故の危機感も抱いてしまう…


 そして、午後2時28分には私が住む東京23区においても、震度4(マグニチュード7,0)の地震が発生した。
 何だか正月早々揺れそうな予感もあったのだが、実際に震度4の揺れが元旦から襲ってきた事に、今年も引き続き災害対策に身を引き締めねばならない思いである。


 日本の地域によっては2012年元旦の本日、晴れ渡る晴天で初日の出を観賞できたとのメッセージも頂戴している。

 片やオウム真理教事件に関しては、平田逃走犯が昨日出頭したことで事件の解明が良き方向に進展することに期待したい。

 大地震の余震に関しては今後もまだまだ続くのであろうが、これに関しては少なくとも原発事故を誘発するようなことが皆無であるよう政府に切望したいものだ。


 皆様にとって2012年が本当によい年でありますように!!