原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

20代にして“孤高”の域に達するのはまだ早い!

2014年06月17日 | 人間関係
 昨日、自己所有賃貸不動産物件関連の仲介手続きのため、某不動産会社より20代後半の若者が我が家に訪れた。

 それに先立ち2ヶ月程前にも、同じく我が賃貸物件修繕工事に際しその打ち合わせのため、おそらく30歳前後と思しき若き男性が我が家にやって来た。


 いきなり顰蹙ではあるが、私程の年齢になると若き男性を相対関係で間近に見れるだけでも“目の保養”になるというのが正直なところである。
 それだけでも嬉しいのに、彼らの対応は至って紳士的で礼儀正しく、しかも両人ともイケメンだ。
 加えて、顧客の自宅にまで訪問してくる担当者とは相当社内で選別されているのか?、肝心要のビジネス本業に関しても確固としたバックグラウンドがあり、私側からの厳しい質問にも適切な回答を返せる能力を備えているのに感心させられる。

 この現象とは、就職難(現時点では“歪んだ”アベノミクス政策により一部の大企業に於いては表向き回復がみられるとの事だが)の現在に於ける企業現場が、少しでも“優秀な若者”を採用しようと血眼であろう事を物語る現象と解釈する。

 
 その「優秀条件」の一つが、「外見」ではなかろうか?
 女子の採用に於いてこの現象は顕著であろうが、今の時代は男子採用に関しても“イケメン度”が重要視されているのではないかと、私など至る場所で直面する事が多い。
 例えば我が家に商談で訪れる若者がもしも“醜男”だった場合、(顰蹙は承知の上で)私など一見してげんなりしそうだ。 それでも醜男度をカバーできる専門力や紳士力が備わっていれば話は別だが…

 次に重要なのは「人柄」と捉える。
 これは恐らく、企業内教育に於いても変化を遂げにくいのがその特色と理解する。
 それだからこそ採用側の企業は、若者の「人柄」を見抜く面談に躍起になっているとも考察可能であろう。 ただそれを見抜く立場の採用側の能力に欠陥がある事の方が、実際上切実な課題とも考察する。

 そして極めつけは、やはり「専門力」であろう。
 ただしこれに関しては 入社後に「専門力」を“社員教育力”によりカバー可能な業種に於いては、教育担当社員やその後の配属先先輩がその教育力を発揮すれば済む話として片づけられそうにも思う。
 ここで私事を語ると、私の場合国家資格取得を条件で新卒にて「医学専門職社員」として民間企業に就職した。 入社直後より既に「専門力」を期待されていた身であり、私の場合は決して「外見」や「人柄」を重視された訳ではなく、当初より「専門力」で入社が叶ったものと心得ているのだが…

 いずれにせよ私が賃貸借物件を所有している事が幸いして、若きビジネスマン氏らの活躍の程に“直に”触れる機会を得ることが出来る身として、思う事があるのだ。
 例え仕事であれ人と対応して成り立つ職種に就いた若者とは、様々な人間にまみえる事が叶い幸せではないのかと…


 それに比し、例えば若き頃より「作家」なる稼業に依存せねばならない若者は、人間関係に於いてとんでもない不幸を背負う運命にあるとも考察できる。
 
 朝日新聞6月10日付コラムに「苦しんだいじめ『孤高な人になる』」 なる、我が見知らぬ27歳“作家”と名乗る女性の記事を見つけた。 
 その一部を要約して紹介しよう。 
 私自身は中学の頃までいじめに苦しみ、高校でも友人関係をうまく築けずに悩んだ。 「孤立するんじゃなくて『孤高』になるんだ」「好きなことをやってると、気が合う奴と出会える」  朝日学生新聞社児童文学賞を昨年受賞等を受賞したことが、今後の作家としての意欲に繋がっている。
 (以上は、朝日新聞記事を原左都子が大部分省略して要約したもの。)


 以下は原左都子の私論だが、「ちょっと待ってよ。わずか27歳の作家初心者さん」 と言いたい気分だ。

 未だ27歳ならば、是非共もっと積極的に社会進出する事をお勧めしたい思いだ。
 中学生の頃までいじめに遭ったとのことだが、既に朝日新聞から賞をもらった事だし、ここはそれを武器として一旦社会の荒海に出てみてはどうなのか?!
 27歳女性は日本語学校で外国人相手に講師を務めているとの話だが、外国人と真のコミュニケーションと取る場合、言葉の壁等様々な垣根を抱えねばならない現実であろうことも想像可能だ。

 ここは一旦「孤高」をチャラにして、今一度過去の「いじめ」と真正面から対決する勇気を持って欲しい気もする。 
 「好きなことをやってると気が合う奴に出会える」のは老後に至った後でも遅くない!(還暦近い原左都子が今現在そんな環境にあることは認めるが、私とてそれ以外の人間関係をも積極的に育くんでいるよ。)
 何故自分が「いじめ」を受けたのかを徹底的に自己分析できた後、自分自身が欲する人世を歩んた挙句の果ての遠い将来に於いて、真の輝ける「孤高」が訪れるのではあるまいか?


 原左都子自身も晩年期には「孤高」を理想としているのだが、それに及ぶまでには、まだまだ他者とのかかわりに感激したり落胆したり傷ついたりの日々を刻み続けるであろうと予期しているよ。 

絵むすび(朝日新聞2014.6.14編)

2014年06月15日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2014年6月14日付 別刷「be」 のパズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 今回の朝日新聞 「絵むすび」は、“レベル3”にしてはいつもより簡単でしたね。

 素直に線を結べば回答が可能な課題だったと考察します。


 その証拠に、朝日新聞が「絵むすび」パズルを公開すると、その直後より「原左都子エッセイ集」へ「絵むすび」検索にて訪問者が激増する現象が起きます。

 ところが、昨日は普段に比して「絵むすび」検索数がずっと少数だったようです。


 朝日新聞愛読者の皆様は、おそらくご自身で「絵むすび」回答が叶ったことでしょう!


 

理研の新法人化は当分棚上げにするべき

2014年06月14日 | 時事論評
 前回のバックナンバーで公開した通り、骨折後果敢にもランニング練習になど励んだ原左都子だが、実はその裏側で右手首骨折周辺部位の後遺症症状の痛みにずっと苛まれている。

 この痛みから解放されるには、今一度整形外科医を訪れるより他に選択肢がないと結論付けた私は、昨日“不本意にも”整形外科医を訪れた。 そのX線診断結果とは、右手首関節にダメージがあるとの事だった。

 
 我が骨折後遺症に関するエッセイは後日に回すとして、今回は是非「原左都子エッセイ集」定番の “STAP細胞騒動” を取り上げたい。

 と言うのも、昨日訪れた整形外科医院待合室で垣間見た週刊誌に、な・な・なんと、自民党高村正彦副総裁(現在「集団的自衛権」を高らかに掲げている人物)が、STAP小保方氏のファンであるとの記事が掲載されていたのだ!
 その記事によれば、どうやら高村氏は小保方氏が“努力家”であることを買っているらしい…。  高村氏が一体全体何を持って小保方氏を“努力家”と結論付けたのかに関してまで読み進む前に診察室に呼ばれたため、残念ながらその理由は不明である。

 ところで私は、以前にもSTAP小保方氏が“努力家”であるとの好評をネット上の庶民チャット媒体で見た事がある。 
 ん?? 小保ちゃんが努力家???  もしかしたら、4月に小保方氏側自費により開催された「小保方不服申立て会見」を見聞した人物がその“受け答え力”のみを判断して、そのように感じたのかもしれない。

 私自身の小保方氏に対する感想を一旦ここで述べさせてもらうと、(決して小保方氏の生き様をずっと見てきた訳ではないが)「科学者」としては大した努力もせずして、どういう訳か早稲田大学博士過程を修了して、その後理研リーダーに任命されて“しまった”人物との感想しか抱けないのだ。


 私は少し前の6月8日に、「科学ド素人下村大臣が何故小保方検証参加を強制する?!」と題するエッセイ“草稿”を、誤って一瞬ネット上に公開してしまった。
 このエッセイで何を述べたかったの私論を、以下に振り返ろう。

 下村文科相が小保方氏を擁護することにより何を目的にしたかったのかなど、私の想定範囲内である。 まさか下村大臣までが“個人的”小保方ファンではなかったと信じたい事を前提としよう。
 自民党政権が現在の独立行政法人「理研」に更なる巨額の血税を注ぎ込み、新たな国家管轄新理化学研究組織として「理研」をバージョンアップしようと目論んでいる。
 そんな政権の新組織計画にタイムリーに反応したのが、小保方氏STAP細胞関連論文だったのだ。  これは“美味しい”と唾を付けた安倍政権は、早速小保方氏を総理官邸まで呼んで会合を持とうとまでしていた。
 ところがどっこい、小保方STAP論文はそのすべてが“捏造”の数々で仕立て上げられていた事実に関しては、既に皆さんもご承知の通りだ。
 その事実を知ってか知らずか、安倍政権下の下村文科相が「STAP論文検証には小保方氏を加えるべき」と言い始めた時には、私はこの大臣が心底科学分野をわきまえないで失言したと思しき事態に仰天させられたのだ。
 そこで申し訳ないが、私は下村大臣なる人物の経歴をネットで調査させて頂いた。
 どうやら、氏は早稲田大学教育学部卒のようだ。 なるほど、小保方氏とは「早稲田大学」との項目で共通項があったのか…。 それにしてもやはり、こと「科学分野」に関してはそのバックグラウンドは一切なさそうだ…。


 理研STAP細胞不祥事に関する最新ニュースに戻ろう。

 理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーらがSTAP細胞を作製するために使ったとするマウスは、存在しなかった可能性があるとの分析結果を、理研内部の研究者がまとめていたことが、6月11日分かった。
 STAP細胞の遺伝情報を担う染色体に異常が見つかったという。 この異常は長期間培養したES細胞(胚性幹細胞)の約3割で見られる。 STAP細胞がES細胞だったのではないかとの見方を裏付ける分析結果で、理研が進める検証実験にも影響を与える可能性が高い。
 小保方氏が所属する発生・再生科学総合研究センター(神戸市)とは別の研究拠点である、統合生命医科学研究センター(横浜市)の遠藤高帆・上級研究員らが、公開されたSTAP細胞の遺伝情報を詳しく調べた。 その結果、マウスの細胞には2本1組で計20組40本の染色体があるが、STAP細胞では8組目だけ染色体が3本あった。こうしたマウスは通常、母親の胎内で死んでしまう。だが、論文は、生まれたばかりのマウスからSTAP細胞を作製したと説明し、分析結果と矛盾するという。
 (以上、ネット情報より引用。)

 次に朝日新聞6月13日一面トップ記事より引用しよう。
 STAP細胞論文の問題で、理研が設置した外部有識者による改革委員会は12日研究不正に至った経緯と背景を分析し、再発防止策を盛り込んだ提言をまとめ公表した。
 それによれば、小保方氏が所属する発生・再生科学総合センターを「構造的欠陥がある」として早急解体を求めている。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 上記の通り、理研内部の改革委により神戸に位置する理研発生・再生科学総合センターに関して解体提言を出せたことは、確かに一歩前進であろう。

 ところが、この事態とは私がバックナンバーで記述した“神戸研究所のみを解体ターゲットとして済ませ、理研巨大組織本体は生き延びるつもりか!?”なる、懸念を丸ごと実行せんとしているに過ぎない。

 これでは、安倍政権が目指している理研「新法人化」計画案のみが、そのままの状態で生き残ってしまうのではないのか!?!
 それだけは、是非とも阻止したいのだ!

 今現在、世の科学者の一部でささやかれている、“現代科学史に於ける世界三大不祥事”の一つとして汚名高い存在となった「STAP細胞事件」に関しては、徹底的に関係者の責任追及がなされるべきである。

 (政治家どもの思惑は度外視して)専門科学者間でのSTAP不祥事徹底解明の後、独立行政法人「理化学研究所」が年月をかけ真に立派な研究所として出直せる事を望みたいものだ。

骨折後初ランニング練習5㎞完走しました!

2014年06月11日 | 自己実現
 4月中旬に自宅ベランダで転び左鎖骨と右手首を骨折し“全治2ヶ月”の診断後、明日6月12日でちょうど2ヶ月目を迎える。

 5月後半頃からそろそろランニング練習を再開しようと志しつつも、5月下旬には季節外れの猛暑続き、そして梅雨入り直後より連日の豪雨に苛まれ、その計画が先延ばし状態だった。

 将来五輪に出場する訳でもなく、たかが一ド素人ランナー(しかも高齢者域)の立場で何も練習再開をそんなに焦らずとも、ゆっくりと骨折の回復を待てばいいというのが大方のアドバイスであろう。 
 ところが一度骨折してみるとお分かり頂けるだろうが、そんな呑気な気分にはなれないものなのだ。


 と言うのもバックナンバーでも記述済みだが、「骨折」とは“実に難儀な負傷”であることを実感させられっ放しの2カ月間だった。

 その経緯を少し語ろう。
 インフルエンザやノロウィルス感染罹患経験がある私だが、それらの場合、3日も寝込めば目に見えるように快方に向かっている我が体を実感でき、ああ生きててよかった!なる「生」に対する感謝の気持ちすら芽生えるものであろう。

 ところが、これが一旦「骨折」となると、そうはいかない。
 今日は回復しているだろうかと希望を持って朝起き上がろうとしても、(私の場合右左両腕に2箇所の骨折との最悪条件だったかもしれないが)、起き上がる動作すら簡単には叶わない。 やっとこさ起き上がって朝飯を作ろうとしても、これまた来る日も来る日も両腕が自由に使えない。 (それ以前の問題として、ギブスにコルセット着用状態では自力で着替えすら不自由なため、この2ヶ月間はずっと寝起き共に家庭内ではスポーツウェアで過ごすとの不本意状態も強いられ続けた…)

 この状態とは、まるで牢獄にでも入れられている気分だ。 あるいは、独裁政権や歪んだ宗教統制の下に、不自由を強いられている市民の感覚と同様だ。  はたまた、老人施設に入居した要介護のお年寄りがケアスタッフの言いなりになり、最悪の場合爪でも剥がれるのかとの恐怖心すら苛まれる。
 「骨折」との過酷な現実を一日も早く脱出しない事には、私はその歪んだ統制下で“不自由を強いられる”事に慣れてしまい、そのうち健全な人格を取り戻そうとの精神力すら失ってしまうであろう… 
 冗談抜きで、そんな恐怖心にすら苛まれていたのだ。 

 そんな私は、骨折当初より外科受診や買い物等の外出時に“お洒落”をして出かける事から“自分を取り戻す行動”を開始した。
 何分不自由な両腕で洋服を上から着る事が難儀なため、下から着用可能な肩が大きく開いた洋服を家中物色し、結局娘の“ド派手”ワンピースを数枚借用することとした。 両腕が首までしか届かない状態で、化粧をせずして家から出ない根性も健在だった。
 まずは外観を整えた私だが、それでも骨折状態はさほど快方に向かわず、次なる手段を考察した。

 やはり自分が欲する行動を早期に取るべきだ! との理由で骨折直後より再開したのが当該「原左都子エッセイ集」である。
 ただやはり私としては、総合的観点から我が日常を主体的に取り戻したい思いに駆られ続けていた。

 そんな中、我が不運はまだまだ続く。
 娘専用パソコンが古いバージョンのため“パワーポイント”機能が装備されておらず、買替えをしないと大学のレポート課題の提出すらままならない事態が発覚した。 (骨折する前に言ってよ… と思いつつ、娘のパソコン買替に付き合った。) 
 5月末の猛暑直前に、家庭内エアコンをすべて最新型に切り替える結論も出した。 それに際し買替え手配を自ら執行せねばならない“骨折の身の”私は、上記機種切り替え作業にも時間を取られた。
 もっと不運な事には私の携帯電話も故障し、それを修理に出さねばならない運命にも遭った…(未だ修理中。 しかも借り物携帯が私の故障携帯よりも劣悪で、一日3回充電を要する始末…)
 更には、昨年死去した義理姉の一周忌を6月末に実施するからその花束を持参して出席欲しいとの義母よりの電話もあれば、実母からは米国在住の姉に関する苦情が届く始末だ…
 もっと言うと、我が住まいであるマンション物件が現在第1回大規模修繕期を迎えている。これに関しても、私はその計画案に関して意見書を提出し続けている。
 極めつけは、我が所有の「賃貸マンション」である。 既に築年数が経過し、大いなる瑕疵問題を抱えている。 これの対応策も今後に続く我が深刻な課題である。

 それら“踏んだり蹴ったり”の事務課題すべてを“骨折の身で”一応順調に進めつつ、それでも私は自分自身がやりたい事こそを実践したい思いに駆られていた。


 そして、昨日ついにその一つを成し遂げたのだ!

 それは表題に提示した「5㎞ランニング練習」である。

 ランニング中とは、上記に示したような“我が身にまつわる(心理内)無理難題”をすべて払拭してくれそうな効用が期待できるのだ。
 それはどういう事かと説明すると、ランニング中(私の場合は)いつも体力極限状態で、自分の息や心臓の負担が続く事だけを祈り走っているとも言える。  実際には我が心肺状態は良好で、今まで一度たりとてランニング中に不具合状態に襲われた事が無い事を幸運と捉え、これも我が自信に繋げているのだが。

 昨日の5㎞ランニング練習は、正直なところ過去最悪タイムを記録したに過ぎない。 
 それでも私自身としては、やっと自分自身の「骨折負傷」より一歩踏み出せた思いである。

 まだまだ鎖骨骨折の左腕はまっすぐ上まで上がらないし、右手首骨折に関しても肘から下に未だ痛みがある。 そんな不具合を抱えている身にして、自分の意思で前進せんとの精神力が内在している事実に、自ら感動出来る事こそが素晴らしいと評価したい。

 上記に記したごとく、独裁政権下や歪んだ宗教統制下に不自由を強いられている市民の皆さんも、今後同じ目に遭いそうな「集団的自衛権」議論下にある“何処かの国民の皆さん”も、それらの重圧を自分自身の力で打破してこそ、この世に生き延びれると気付く事に期待したいものだ。

“風前の灯火”感が漂う AKB48コンセプト

2014年06月09日 | 時事論評
 原左都子が、AKB48 及びそれに付随する女子アイドルグループに一切興味がない(と言うよりも、こいつら悪い大人どもに騙されてこんな事している場合じゃないだろうに…、との感覚だが)事に関しては、バックナンバーにて幾度か公開している。

 そんな私が、先だっての6月7日(土)味の素スタジアムにて実施された「第6回AKB48選抜総選挙」のテレビ中継の一部を見た!  
 一体何を好き好んで?!? 
 それは、安倍政権により集団的自衛権が発動されようとしているこの国の将来を生き抜かねばならない若者達の、今後の行く先を危ぶんでいるからに他ならない。


 とは言っても、まさか「AKB総選挙」全部を見る程暇を持て余している訳でもない。 ニュース報道等を一応チェックした後、「AKB総選挙」チャンネルに切り替えてみたとのことだ。


 ちょうど、5月25日に岩手県内で行われた「握手会」とやらで“のこぎり襲撃”被害に遭った川栄李奈とのメンバーが16位に入った場面が取り上げられていた。 しかも番組解説によると、もう一人の被害者も昨年よりも順位を大幅に上げているとのナレーションだ。
 愕然とさせられる原左都子である。  未だ18,9歳のこの子達の親どもは一体何を考えているのかと! 
 可愛いはずの娘をAKBに“売りに出した”事実自体が責められるべきなのに、襲撃事件で娘が骨折負傷したにもかかわらず尚舞台に立たせる親の心理に、私は遠き昔に可愛い娘を“遊郭”へ売り飛ばした親の再現を見る思いだ。
 現在私自身が骨折負傷の身で、まだ痛みが残る体を抱えている実情でもある。  何故この子の親どもは負傷した未成年の娘を守れないのか!? と怒りにも近い思いを抱かされる。


 中を飛ばして、第10位にランクインした SKE48 須田亜香里氏を私は知っている。
 何故彼女を原左都子が認識しているかについて説明すると、それは土曜日夜にテレビで放映されている関ジャニ8なるグループが中心番組の一部を視聴していたからである。 
 その番組内に於いて、世のゲームセンター内で流行っている「太鼓叩きゲーム」が取り上げられていて、関ジャニメンバーの大倉何某氏がこれに高得点を挙げ続けていた。  実は私自身もこの太鼓ゲームを昔から好んでいるが、大倉氏の実力の素晴らしさに圧倒されつつ番組を見ていると、別の究極凄技バージョンが放映された。
 それはリンボーダンスに似たゲームだが、何と当時SKE48所属の須田亜香里氏が、荒川静香氏等々並み居る元五輪選手や世界中の著名プロをけ倒し、優勝を遂げたのだ。 これには恐れ入った私だ。
 何でも須田氏とは、元々クラシックバレエを5歳からSKE48に入るまで13年間続けており、コンクールで上位入賞した経験もあるそうだ。 
 それならば、須田氏はずっとAKBグループになど所属せずとてクラシックバレエを続けていればよかったのに、何故それを放棄したのか?  その結論とは、クラシックバレエ業界こそが“氷山の一角”しか生き残れない厳しい世界であることを証明しているに過ぎない。 


 次に論評したいのは、9位に位置付けた 高橋みなみ氏である。

 この方、もうそろそろAKBを卒業・独立させてあげてはどうなのかと私は気の毒にすら思う。
 若き頃からAKBリーダーの立場でグループを支える事を要求され、それに十分応えるキャラだったことを認める。 それでも、今回高橋みなみ氏がスピーチ内で見せた涙は、私の解釈では「順位が下がった」事によるものであろうと推測する。 それ程、高橋みなみ氏はまだまだ若い世代だ。 
 もうそろそろ、AKBを操る大人側が高橋みなみ氏に依存する事はやめにしよう。 彼女を芸能界内で自由に羽ばたかせてあげてはどうかと私は感じる。 衰退の過程にあるAKBのリーダーにしておくには、もったいない人材であるまいか。

 2位に位置付けた指原莉乃氏。 
 確かにこの子も、上記の高橋みなみ氏同様に今後積極的に芸能界で生き残れるキャラの持ち主と考察可能な観点もあろう。

 そして、今回の総選挙 1位に君臨した渡辺麻友氏。
 確かに“可愛子ちゃん”である事は認める。 だが、それ以上の何らの魅力も感じ取れない… 


 今回の「AKB総選挙」は、何故に梅雨入り後関東南部地方に大雨警報が出続けている中、味の素スタジアムなどとの屋外で実施したのか?

 その答えこそ、原左都子は分析済みだ。
 要するに総選挙の全画面がテレビ生中継されるイベントを、梅雨時期に敢えて屋外競技場にて実施する事により、AKB主催者は、「ほ~~らね、こんな大雨でもAKBファンは必ず総選挙を見に来てくれるんだよ~~。 それだけファンが多いAKBコンセプトと我々主催者は自負しているから、今後も潰れるはずもないAKBグループをテレビ視聴者の皆も奉れよな~!」


 ただ、興味もないのに マンネリ化したAKBコンセプトの一篇を何年も見せ続けられる側は、実際辛いし鬱陶しいだけだよ。

 もうそろそろ、所属女子達を自由にしてやったらどうなの? と言いたくもなる。
 いくら彼女達の親どもが過去の“遊郭”にでも娘を売るノリでAKBグループに預けたとて、「のこぎり襲撃事件」も発生した事だし、ここは一旦いい大人側がAKBコンセプトを一旦クリア状態にして考え直してはどうなのか?  
 中高大学生頃の若者とは脳細胞の活性化過程にあり、人生で一番学業に励める格好の時期である。 それをみすみすこのようなくだらない事で棒に振らせる責任を誰が取ると言うのか?

 どうせ、いつかは終焉が訪れる狭い芸能界内のコンセプトには間違いないであろう。
 芸能界で生き延びれそうな子はその道に残すとして、そうではない若き女子達には、いい加減今後の真っ当な人生を指南してやれないものなのか?!?