原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一方的に「ノーベル賞」やるから受け取りに来い!と言われてもねえ…

2016年11月17日 | 時事論評
 もしも私がボブ・ディランさんだったとしても、授賞式出席を拒否したいなあ。

 だいたいねえ。 誰が「ノーベル賞」が欲しいと言った? 少なくともディランさんは言っていないと私は思うけど。

 あんなもの欲しいのは、過去に多少の業績を上げた事を鼻にかけ、その業績にいつまでも依存し名誉欲にどっぷり駆られている奴らばかりじゃないの??
 ノーベル財団がどれだけお偉いのか私の知った事じゃないが、ノーベル賞が欲しい奴らが世にうようよしている事を利用して、上から目線で「ノーベル賞をやったんだから、それを喜ぶのはもちろんの事、授賞式に来るのは当然」と言わんばかりのその横柄な態度一体どうしたの?! 
 まあ、受賞者に講演をやらせるのは賞の価値を判断する手段として有効かもしれないけど…。

 そもそもノーベル賞など、国家間の力関係、あるいはそれを受賞させる事で利益を得る背後組織の圧力で決まる事は予想が付くし、それが欲しい奴らがノーベル財団にコネをつけて順番待ちをしているとの事も耳にした事があるよ。

 今回のディランさんの場合、まったくそうではなかったからこそご本人が一番困惑しておられるのだろうし、ましてやヘラヘラと授賞式になど行く訳もなかろうに…
 そのディランさんに、周囲が圧力をかけてどうする?? 


 ずっと前に「ノーベル化学賞」を受賞した日本の化学者 田中耕一さんも、私が見聞した限りでは特にノーベル賞が欲しくも無かったような感じだったよ。
 彼が成し遂げた研究自体は、既に世界規模で多大な経済効果を上げている素晴らしい研究だった事は確かだ。 それにもかかわらず田中氏が受賞直後に「島津製作所の一下っ端科学研究員としていつまでも科学研究に携わりたい…」とボソッと言ったのが、私は印象的だなあ。
 (ここで、田中耕一氏に関するウィキペディア情報より、氏に関する情報の一部を紹介しておこう。
 田中 耕一(たなか こういち、1959年(昭和34年)8月3日 - )は、日本の化学者、エンジニア。 東北大学名誉博士。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発で文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞を受賞。受賞以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。
 株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員などにも就任している。)


 2年程前だったかなあ。
 日本人3人がノーベル物理学賞を連名で受賞した時の授賞式に、その中の1名の一家が4名総出で授賞式にしゃしゃり出て、奥方が場違いに浮かれた事例があったよねえ。
 ああいうのを傍で見せられると、私など「何を勘違いしているの? ノーベル賞を取ったのはご亭主でしょ? ご亭主一人で行かせたら済む話だよ。 家族として嬉しい気持ちは分かるけど、少しは恥を知ったらどうなの?」と言いたくなる人種だ。


 さて、今年の「ノーベル文学賞」を受賞した 音楽家 ボブ・ディラン氏がノーベル賞授賞式欠席を決めたとのネットニュースを以下に紹介しよう。
 ノーベル文学賞の選考に当たったスウェーデン・アカデミーは11月16日、今年の受賞が決まった米シンガー・ソングライターのボブ・ディランさん(75)が授賞式欠席を決めたことを明らかにした。
 アカデミーによると、15日にディランさんから書簡が届き、先約があるため、12月10日にストックホルムで行われる授賞式には出席できないと伝えてきた。 一方で、受賞は大変光栄と強調し、賞を直接受け取りたい考えを示したという。
 アカデミーは、授賞式欠席は「まれではあるが、例外的ではない」と指摘。 過去にもさまざまな理由で欠席した受賞者がいると説明した。
 アカデミーは、授賞式から6カ月以内の講演が受賞の条件であり、ディランさんに実現してもらいたいと期待を表明した。 
 (以上、本日発見したネット情報より引用したもの。)

 引き続き、音楽家 ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報より一部を引用しよう。
 ボブ・ディラン(英語: Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカのミュージシャン。
 「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。 現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。
 グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。 また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を、2016年10月に歌手としては初めてのノーベル文学賞を授与されることが決定。発表からしばらく沈黙を守っていたが、同月28日に授賞を受け入れると発表した。
 (以上、ボブ・ディラン氏に関するウィキペディア情報のごく一部を引用したもの。)


 ここで、原左都子の私事に入ろう。

 大の音楽ファンの私だが、実はボブ・ディラン氏に興味を抱いた歴史は無いに等しい。 と言うのも、元々ロック系を好んだ私の耳には、彼の音楽は素通りして行ったとも言えよう。
 加えて、音楽を「詩」として聞くより、体に響くリズムやビートとして受容するDNA体質だった私の場合、特に小中学生時代には「詩」が素通りしてしまっていたのが事実だ。
 
 そんな私も、もちろんボブ・ディラン氏の楽曲はよく知っている。 
 私が高校生になった後に、日本のフォークバンド ガロが「学生街の喫茶店」との楽曲を発表したが、その歌詞の中に以下のフレーズがあった。
 「君とよく この店に 来たものだ ♪ (中略)  片隅で 聴いていた ボブ・ディラン ♪ …」どうのこうの…    この歌詞には、私も実に思い出深いものがある。
 あの頃の日本の喫茶店文化に、まさにボブ・ディラン氏の楽曲がはまっていた記憶が鮮明だ。
 私の好みはともかく、ボブ・ディラン氏が我が国内でも十分に受け入れられたことは事実だ。

 
 最後に、テーマを「ノーベル賞」に戻そう。

 今回のボブ・ディラン氏「ノーベル文学賞」受賞は、ある意味では世界中の人民が許容可能な業績に的を絞ろうと志した、ノーベル財団としての斬新とも言える “粋な計らい” だったのかもしれない。 

 そうであるならば尚更、その受賞後の対応に関しては受賞者の意向に任せようよ。
 たとえディラン氏よりの対応が遅れようが、授賞式欠席通知が届こうが、それこそがディラン氏の偉大さと評価すれば済む話だろう。

 ディラン氏ご本人は、後に「ノーベル賞受賞を誇りに思っている」と発信しておられる。 それで世界中の万人にとっても、必要十分ではなかろうか。

晴れ渡った秋空の下、ロードレース5㎞完走しました!

2016年11月14日 | 自己実現
 (写真は、昨日11月13日東京都内にて開催されたロードレース5㎞の部に出場し、好記録を出して はしゃぐ原左都子。)


 このロードレース大会出場は今年で5年目になるが、昨年、一昨年と2年連続で雨天に苛まれた。 特に昨年など秋のこの時期にして肌寒い大雨の中、ずぶ濡れになりながら走る事を強いられたものだ。

 今年こそは晴天に恵まれて欲しいと、一緒に出場する娘と共に願っていたところその思いが叶い、すがすがしい秋晴れの中の大会と相成った。

 今年から5㎞の部コースが変更となり若干距離が伸びたかと思いつつ、現地は我が家から若干遠い事もあり、事前試走もせずしてぶっつけ本番の新コーススタートだ。

 5㎞の部の場合、他の10㎞及びハーフマラソンの部に比しエントリーランナー数が少ない。 それでも老若男女すべて含め総勢数百名程の一斉スタートだ。 事前申告のタイム順にある程度スタート位置が割り振られるのだが、タイムが遅い私の場合後方からのスタートとならざるを得ない。
 昨年などずっと後方からのスタートを強いられ、ピストルの号砲も聞こえないままおそらく1,2分のタイムロスだった。  これに関して苦情でも出たのか、今年はラッキーにも女性ランナーのみタイムが遅くても前方からのスタートを配慮してくれた。


 さてスタートの号砲と共にコースに出るなり、前方スタートならではの宿命が待っている。
 ドドーーー!! と表現するべきか、早足のランナー達が一斉に私の両横をすり抜けつつ物凄いスピードで追い抜いて行く。 その様とは恐怖感も伴うのが本音だが、恐れ知らずの私などこれについて行こうとのライバル心を煽られる。

 ただ、無茶をすると元も子もないのも承知だ。
 今回レースに挑むに当たり、一応私なりのタイム目標を掲げていた。 32分内での完走を目指し、1キロ時点で6分。 2,3キロまでは多少余裕を持ち、後2キロでスローラストスパートに入ろうかとの計画だった。

 さて、実際のレースでは1キロ時点の実測が6分30秒、2キロ時点で13分のため、予定より若干遅い。 ただ、コースの半分程2,5キロに差しかかった地点で15分台だったため、これは後半の頑張りによれば32分を切れそうだ! と俄然勇気が湧いた。

 ところが、そう甘くはないのがレースの常識だ。
 スタート地点で周囲の物凄い速さについて行かんと、無理をし過ぎている事には既に気付いていた。 しかも、昨日の晴天が体力を消耗する…。

 そんな時、コース内のプロ写真撮影箇所で「皆さん、写真を撮りますから頑張って下さい!」なる女性の声が掛かる。 写真を撮られる事を好む私がこれに反応しない訳もない。 俄然勇気が湧いた私は、そのカメラ目線にてニコニコ笑顔を作って精一杯手を振った。 カメラマン氏はその私に反応してくれシャッターを数枚押してくれた!? これが嬉しく私は大きなエネルギーを得た! ……

 ただ、後1キロを残す地点から予定ではスパートするはずだったのに、残念ながらまったくその余力が残っていない。
 
 自身の作戦実行失敗を認めつつも、息絶え絶え状態で「ハーハー」と言うより「ヒエー!!ヒエー!!」なる叫び声を上げつつ最後の余力で何とか走っている私の隣に、白髪の高齢者男性が並走してくれる。

 その人物が「頑張れ!もう少し!」なる言語を発している。 一体それを誰に向かって発しているのかすら判断出来ずただ朦朧と走っている私…。  ところが、その人物がゴール間際までずっと並走してくれ、やはり「もう少しだ! 頑張れ!」と私にエールを贈ってくれるのだ。
 これは、まさに全力を掛けて完走せんとしている私を応援して下さったものと後に判断した。
 にもかかわらず何分、まさに命絶え絶え状態で完走した私故に、御礼の一言も申し上げる事が叶わず大変失礼致しました。
 もしかして私のお知り合い男性だったかもしれない‥ などと今になって少し思ったりもする。 と言うのも、「原左都子エッセイ集」ファンの“とある”男性が、過去に私のランニング大会を現場で応援したいと言って下さっていたからだ。 (そうだとしたら尚更、当日の失礼を心よりお詫び申し上げます。)


 今回のロードレースは、都心開催大会の例外ではなく、一般市民にご迷惑をかける大会だったと認識している。
 ところが、昨年までの大会運営に比し大きく前進していたと私は感じる。
 (もしかしたら、都知事が変わった事も大きいのか?!?)
 それは単なる推測に過ぎないが、確かに一般市民に対しても出場者であるランナーに対しても心地よい大会だったと私は評価したい。
 その恩恵の源とは、ボランティア職員(?)達がロードレースコースの要所要所に配備され、ランナーにも通行人にもきちんと役割を果たしている姿があったこそだろう。 

 私など昨年までは“市民素人ランナー”の立場にして、市民ランナー達の(自分こそが優位だと言わんばかりの)勝手な都合で開催されるこの種のランニング大会開催には、あくまでも市民の立場で「反対」の立場を貫いていた。
 ところが、この種の大会とは主催者側のポリシーに明確なものがあれば、市民にも受け止められる事を身勝手にも初めて認識した大会でもあったような気もする。

 それにしても、市民の皆様、及びボランティア等々大会関係者の皆様。
 我々素人ランナー達の“単なる趣味”実現ために、これ程大規模なロードレースを開催して下さっている事実に心より感謝申し上げます!

米大統領選 トランプ氏勝利に関する原左都子の「雑感」

2016年11月11日 | 時事論評
 いやはや、米国とは幾重にも凄い国だ!


 これが、昨日(日本時間で2016年11月10日)決着を見た米国大統領選挙の行方を“野次馬根性”で見守っていた私の一番の感想である。

 (今回のエッセイはあくまでも我が野次馬根性に基づく“戯れ雑感”を語る内容であり、決して論評なる内容ではない事を最初にお断りしておく。)


 米大統領選は日本時間9日午前より開票され、優勢を伝えられていた民主党ヒラリー・クリントン氏を破り、共和党のトランプ氏が当選した。
 トランプ氏は、米国初の公職経験の無い大統領となる。 既成政治への不満や怒りを背景に支持を集めたが、超大国の指導者としての手腕は未知数。 
 トランプ氏は、選挙戦を通じて、メキシコからの不法移民の強制送還やイスラム教徒の一時入国禁止政策、女性蔑視の発言より、その「資質」を問われてきた。 トランプ氏は既存の政治・金融システムが一部の既得権層に不正操作されていると主張し、白人労働者階級中心に支持を広げた。 
 第45大大統領として2017年1月20日に就任、歴代で就任時に最高齢の大統領となる。
 (以上、朝日新聞2016.11.10一面トップ記事より、一部を引用したもの。)

 続いて、上記朝日新聞一面トップ記事の左横に掲載されている 「内向きな超大国のリスク」 と題する当新聞米国総局長氏が書かれた論評記事の一部を、要約して紹介しよう。
 過激で差別的な発言を繰り返し、極端な保護主義を掲げるトランプ氏が超大国のトップに就く。 大方の予想は覆され、荒れた金融市場が世界に与えた衝撃の大きさを物語る。
 今回の選挙は「古いアメリカ」対「新しいアメリカ」、「地方」対「都市」の激突だった。 都市部の人口は黒人やヒスパニック系移民の増加と共に、白人の人口が約半分にまで減った。 人種や文化の多様性が尊重される時代への焦り、古き時代への郷愁がある白人労働者の不満をトランプ氏は救い上げた。
 自己愛が強く、批判されればすぐカッとなるトランプ氏。 演説や討論で嘘や誇張を重ねつつも、トランプ旋風が席巻するにつれ、「真実を超えた政治」との言葉をよく耳にするようになった。 
 トランプ氏が言うところの「偉大な米国」という夢が裏切られた時、米国民の行動は予想がつかないものになるかもしれない。 かつてなく「内向き」になった米国。 世界はその変容を覚悟し、向き合わねばならない。
 (以上、朝日新聞2016.11.10 一面左側記事より一部を要約引用したもの。)


 ここで原左都子の私論(ではなく)、単なる我が野次馬根性に基づいた“雑感”に入ろう。

 と言うのも、米大統領選はトランプ氏が勝利したと言えども、氏が大統領に就任するのは2ヶ月後の事だ。  その間に、如何にトランプ氏が今までビジネス界で成就して来た成功体験を活かし、次期大統領とての資質を開花させるべく精進し得るのかが勝負どころではなかろうか?? 
 大統領当選直後の会見に於いても、既にトランプ氏は「共和党内でも、更には民主党の支持者とも一致団結して米国を作り上げたい」意向を表明している。
 もしかしたら、選挙戦時の極端なまでのクリントン氏との“潰し合い”合戦は、(特に末端の)国民に分かり易い選挙戦を敢えて自ら演出したのではなかろうかと、私など振り返ったりもする…

 それにしても、アメリカ国民の “凄さ” に私は昨日から感嘆させられている。
 何分、トランプ氏とは政治経験が一切無い人物だ。 この人物を支持しようとした国民が半数を超過した(実際の得票数に関しては、民主党クリントン氏側が僅差でトランプ氏よりも総得票数が超過しているようだが。)事実こそが驚異的だ。

 政治力未知数のトランプに賭けた米国国民の多大さに驚かされると同時に、我が国に於ける選挙戦の惰性・腐敗の実態に改めて嘆かわしい思いすら抱かされる…
 
 その我が国の選挙戦の実態を振り返ると……
 確かに過去の国政選挙戦に於いて、ビジネス界からの出馬もあるにははあった。 例えばライブドア堀江貴文氏やワタミの渡辺美樹氏。 それらとトランプ氏とのビジネスマンとして成し遂げた業績の程を比較出来るべくもなければ、日本の事例に於いては必ずや政党側から国民間の“知名度のみ”が買われての貧相な立候補だったものだ…
 そんなみすぼらしい我が国の選挙戦に比し、超大国アメリカでトランプ氏が嫌われつつも、実は水面下では虎視眈々とビジネス大成功者である氏が国民に支持されない訳もなかろうかと想像したりする。

 朝日新聞米国総局長氏は、今回のトランプ氏勝利を受けて「内向き」との評価を下しているようだ。

 我が雑感としては、この米国大統領選の結果を「内向き」と表現するのは如何なのだろう?
 そんな事を言うならば、我が国政を操る安倍政権など、この貧弱国にしてもっと強固な「内向き」を目指し、素直で従順な国民から“まやかしの票”を貰って、皆の首を絞めつけようとしている実態と私など認識している。

 あっと、スミマセン。
 今回の我がエッセイはあくまでも雑感であり、決して論評ではない事を最後に今一度表明しておきましょう。

存在自体が迷惑?? - vol.2 -

2016年11月09日 | 教育・学校
 (写真は、10年程前に我が娘が中一の時に描いた油絵作品第一号 「アンスリウム」。)


 何故、10年も前に描いた娘の下手で未熟な油絵作品を、今更我がエッセイ集にて敢えて公開するのかには理由がある。
 本日朝、「原左都子エッセイ集」編集画面「アクセス解析 “ページごとの閲覧数”」 の上位に、2009.3.29に公開したバックナンバー 「存在自体が迷惑??」 がランクインしているのを発見したのだ。
 早速、公開後7年が経過した当エッセイを読み返して、サリバンとして一番厳しく過酷だった娘の小学校入学前頃の光景が克明に我が脳裏に蘇った。

 それに連動して何故か脳裏に浮かんだのが、上記娘の油絵作品に関する親として辛かった出来事である…。
 これに関しては後述するとして、冒頭よりバックナンバー「存在自体が迷惑??」の一部を要約して以下に紹介しよう。

 本エッセイは、前回の「We can graduate!」の続編のような形になるのだが、事情を抱えて生まれてきた子どもを持つ親の苦労は、日頃のケアや教育に於いてのみではない。
 子どもが持つ“事情”に対する周囲からの誤解や無理解に苦しめられる日々なのである。
 一般人からの誤解、無理解に関してはある程度やむを得ないものと元より諦め半分である。 これに対し、子どもをその道のプロとしての立場からケアし自立へと導くべく専門職である教育関係者や医学関係者等からの誤解、無理解は、保護者にとって耐え難いものがある。
 その種の専門家からの度重なる誤解、無理解を耐え忍んだ我が子育ての歴史の一部について振り返ることにする。
 子どもの小学校入学前に我が家が「就学相談」に臨んだことについては前記事でも公開したが、この「就学相談」における教育委員会の担当者の驚くべき発言内容を取り上げよう。
 我が子の場合、6歳時点までの家庭におけるケアが功を奏したのか、表向き(あくまでも表向きであるが)は事情を抱えていることに気付かれない程度にまで成長を遂げてくれていた。  だが残念なことに、生まれ持っての“特質”とは本人がどれ程努力をしても完全に克服できるという性質のものではない。 その辺の事情を、親としてあらかじめできるだけ正確に教育委員会を通して今後お世話になる学校へ伝えておくべきだと考えたことが主たる理由で、入学前に「就学相談」に臨んだとも言える。
 医学関係の職業経験があり元教育者でもある私は、生後6年間の子どもの生育状況に関する医学的教育学的な科学的データと共に、6年間で私自身が培ってきた子どもの持つ事情(特質)に関しての専門的、学術的なバックグラウンドについて担当者に分かり易く説明しつつ、我が子の生育暦に関する私見を伝えようとした。
 ところが、定年を目前にしている教員経験もある女性の担当者は、私の話にはまったく耳をかさず、持参した子どもに関するデータ等の資料を一切見ようともしない。
 そしてその担当者は持論を述べ始めた。 「障害児は障害児なんですよ。これは誰が見てもわかります。あなたの子どもさんは“普通の子”です。お母さんが勘違いしているだけで、この子には障害なんてありませよ。この子は十分に普通学級でやっていけます。」    (親の私だって我が子は“いい子”だと思っている。出産時のトラブルさえなければ、もしかしたらこの子は非の打ち所がない程の“お利口さん”だったかもしれないとも思う。だた、それを思うと無念さが募るだけだ。現実を見つめて生きなければ親の役割は果たせないのに…)
 さらに、担当者はこう続ける。  「あなたの子どもさんは障害児ではないから言いますけど、今時の母親はなまじっか“学”があるばかりに、その“学”をひけらかして屁理屈を並べる事に一生懸命になっている。 障害児とは『存在自体が迷惑』なんですよ。 そんな障害児を自分が産んでおきながら偉そうにしていないで、社会に対して頭を下げるべきだ。 障害のある我が子の人権を学校に尊重して欲しいのであれば、母親としてまずやるべきことは、入学する学校に頭を下げることだ。 PTAの親御さん達に対して、“我が子が入学することで皆さんの子どもさんの足を引っ張って申し訳ない”と頭を下げるべきだ。」
 あなたに言われなくとも、そうしてきている。 特に幼少の頃程周囲に迷惑がかかるため、母の私はどこへ行っても頭を下げる毎日だった。幼稚園でも公共の場のどこでも「申し訳ございません。」の連続だった。 家では人の何倍もの手間暇かけて育て、外では頭を下げてばかりの過酷なほどにストレスフルな日々だった。
 そんな過酷さの中にあっても、親とは子どもの成長を願いたい生き物なのだ。 それ故に、愛情はもちろんのこと、今の時代は科学的専門的な理解は欠かせない。 めくら滅法ケアをするよりも、専門的バックグラウンドに基づいてケアを行っていく方が高い効果が早く得られ、子どもの早期の自立に繋がるのだ。
 だからこそ、公開したくもないプライバシーをあえて公開して「就学相談」に臨んでいるのに、教育委員会がこれ程の野蛮とも言える低レベル状態では話にならないどころか、傷を深められただけの面談に終わった。  (中略)
 ただ何よりも我が子の場合、生来の素直さ忍耐強さと共に、サリバン(私のこと)の厳しい指導教育の成果もあるのか、公共心や年齢相応の倫理観を備えた礼儀正しい子どもに育ってくれている。
 そういった子ども本人のプラスの持ち味が幸いして、我が子は今後も将来の自立に向けてさらなる成長を遂げ続けてくれることであろう。 
 (以上、原左都子エッセイ集 2009年バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さて、冒頭の油絵に話を移そう。

 娘が油絵第一作「アンスリウム」を描いたのは、中一の時の事だ。
 相変わらず娘に対する周囲よりの誤解・無理解に耐えたり、集団の場でいじめに遭ったりしつつも、娘は無事私立中高一貫校の受験に合格し、今まで以上に勉学に励む(励ませる)日々だった。
 その合間に、油絵教室及びクラシックバレエレッスンにも週2のペースで通う(通わせる)日々だった。(学校の勉学のみならず、娘の適性を知り開花させたい思いがサリバンとして強靭だった故だ…)

 娘は中学校で美術部に所属していた。 
 ただ何分多忙な娘であるし、持って生まれた特質として相変わらずすべての行動が人より遅かった。 
 娘が中2になった際の文化祭で、美術部全員が作品を展示する事となったようだ。 ところが何事にも行動が遅い娘の作品制作が文化祭に到底間に合わない。 これに頭を悩ませたサリバンが、絵画教室で描いた上記油絵作品を持参する事を娘に提案した。 それに素直に従った娘が上記「アンスリウム」を学校へ持参したところ、美術部顧問より「困るんだなあ、こういうの。 ちゃんと学校で期限前に作品を仕上げてくれないと。」云々とブツブツ言われたとの話を、サリバンの私は文化祭が終わった後に娘より聞いた。

 そうとは知らず文化祭見学に行った私は、娘の油絵作品に対する学校の扱いに愕然とさせられた…
 まさに「存在自体が迷惑!」と言わんばかりに、娘の作品は美術室ではなく、通行が多い誰も見やしないであろう廊下の上部に埃にまみえる形で掲げられていた。 しかも、歪めて……  せめて親心としてその“歪み”を自力で修正してやりたいのだが、どうしても手が届かない。
 後で悔やんだのだが、あの時何故私は美術部担当顧問を探し出してでも、以下のように訴えなかったのだろう…   「今回は、娘の持って生まれた特質故にどうしても美術部にての作品制作が文化祭までに間に合わず、別の場で制作した油絵を持たせたことをお詫びします。 ただこんな未熟で下手な作品でも、我が家にとっては宝物なのです。 学校の文化祭でこのような粗雑な扱いをされるのならば、今すぐ私が自宅まで持ち帰りますので外して頂けませんか?!」
 その後、娘には二度と学校の文化祭に貴重な自作の油絵作品を持たせる事は無かった。 結局、その後も文化祭までに作品を仕上げられない娘の作品が学校で展示される事は、娘高校卒業まで一度足りとて無かった……


 それから更に年月が流れ2016年秋の現在、今春新人社員として社会にデビューした娘は、企業人として活躍(?)するに至っている。

 近頃の私は、すっかりサリバン業から解放されている。
 と思いきや、実は決してそうではない。 娘帰宅後必ずや娘の職場での働きぶりや娘に対する周囲の人々の対応の様子を、それとはなく引き出すべく娘とのコミュニケーションに励む日々だ。

 もしかして今に至って尚、周囲から娘に対し「存在自体が迷惑!」なる屈辱を受ける事態もあろうかとある程度予想・警戒しつつ、その対応策を水面下で虎視眈々と練ろうとしているサリバン母の私である事には変わりない。

介護施設に住む義母が起こした漏水事件

2016年11月07日 | 医学・医療・介護
 マンション・アパート等集合住宅にお住まいの方や不動産業の方々は重々ご承知であろうが、その種の物件に於いて発生するトラブルの中でも、「漏水」程厄介なものは無いのが実情だろう。


 この私も、約20年間に渡り自己所有マンション物件を賃貸運営していたため、その経験がある。

 2年程前に入居したばかりの賃借人より「物件老朽化に伴い漏水の恐れがある」と訴えられたのだ。 その対応のための排水管修繕及び工事中のホテル代保障、あるいは修繕後の水回り対策予想費用として150万円程の損失計上と相成った。
 その後も賃借人よりの苦情が続いた。
 (これはあくまでも私の憶測にしか過ぎないが)、どうも女性オーナーとして当初より賃貸人及び仲介不動産会社に甘く見られてしまったようだ。 それが証拠に、賃貸借仲介会社(一応JASDAC上場企業のようだが)がさほどの調査もせずして、賃借人の意向に従うようにとオーナーの私に一方的に告げるのだ。 更にはその修繕の仲介もするが、排水管工事に2,3百万の費用が発生すると物件仲介会社が平然と私に言う。   
 更に別筋より、この賃借人が過去に居住していた複数の賃貸物件でも同様のトラブルを何度も引き起こし、オーナーよりカネを巻き上げては住まいを変えるとの遍歴があるらしき裏情報を得た。
 それを知る前より、ヤクザもどきの言動に出るその賃借人(及びそれを支援する仲介会社)と今後対決を繰り返す事を避けるべきと私は判断していた。 そして早速所有物件をオーナーチェンジのリノベーション対象物件として売却するとの手段で、私は得体の知れないその賃借人(及び仲介会社)と今後一切の縁を切る道を選択した。
 不幸中の幸いとしてその賃借人は“深追い”はしないタイプの様子で、我が損害は私自身が自分で判断して支出した150万円程の金銭損失のみで済んだ事実に、今は安堵している。 (更に後に得た情報だが、その賃借人はあれから2年以上が経過した現在尚、私が売りに出した物件にまんまとずっと居住しているとのことだ。

 さて、我が元所有物件が、実際そのまま放置しておけば本当に漏水したのか否かは未だ不明だ。 ただ、当時築32年だった同マンション内で既に水回り大規模工事を執り行った居室は少なくなく、あるいは2年前の私同様、リノベーション物件として売りに出された部屋も多い。
 その事実を鑑みるに、確かに老朽化に伴い「漏水事故」が発生するのは時間の問題だった事であろう。 その意味では、売り時だったと今は振り返っている。

 とにかく一旦集合住宅内で「漏水事故」を起こしてしまうと、その漏水量の大小にもよろうが、下階の漏水被害を受けた居室に対する損害賠償額とは莫大な金額となろう事は歴然だ。


 前置きが長引いたが、この辺で今回のエッセイの本題に入ろう。

 昨日午前中、未だ痛む歯と腫れた歯茎を抱えた私(前回のエッセイをご参照下さい。)の元に、義母が住む高齢者有料介護施設のケアマネジャー氏より電話が入った。
 施設からわざわざ電話を頂く時とは、大抵ろくでもない事件や事故が義母の身の回りに発生していると予想出来る。

 今度は何を引き起こしたのかと、恐る恐る電話口に出ると……

 義母担当のケアマネジャー氏曰く、
 「昨夜、お義母様が施設の自室内で漏水事件を起こしました。 どうした事か、義母様は真夜中に洗面台にて洗濯をされたようです。(参考だが、この施設では掃除・洗濯は全面的に施設スタッフが実施してくれているが、個人の自由として小物類を自分で洗濯する事を認めているとのことだ。) その途中で水道栓を開いたままベッドで寝たようです。 何分耳が聞こえにくいお母様のこと、おそらくそのまま寝入った事でしょう。  施設の夜間勤務スタッフがその事態を察知したのは、下階に住む複数の入居者様より“上から水が垂れている”なる苦情が届いた事によります。 早速下階の入居者の部屋に駆けつけ、漏水が起こっているのは上階だと察知したところ、まさにお義母様の部屋が漏水を起こしている源と発見しました。  洗面台にて洗濯中の洗濯物が排水溝を塞ぎ、お義母様の室内は水浸し状態でした。 それに気付いたスタッフがお義母様を起こしたところビックリされ、その後は自分の犯した事件に落胆されています。  その後の処理は本日に至ってスタッフにて何とか原状復帰しました。  今回保証人様にお電話しましたのは、お義母様の認知力がこれ程までに低下しているとの事実を報告するべきと考えた故です。」


 いやはや、義母の認知力が低下し始めて以降、施設内で様々な“事件・事故”を引き起こしている事態は保証人として重々承知しているが、これ程の(もしかしたら膨大な損害賠償を要する!?)事件は初めて!?と私はおののいた。
 その思いを正直に電話を頂いたケアマネジャー氏に伝えた。 「私自身もマンション等の集合住宅で発生する“漏水事故”の実態に関してある程度承知しているつもりです。 今回義母が引き起こした漏水に関して、本当にケアスタッフさん達が後処理をして下さった事で済む話でしょうか? もしも今後施設設備に関して今回の漏水事故にて不都合があるようでしたら、保証人として必ずやその賠償責任を果たしますのでご連絡下さい。」 

 その後、義母が住む施設のケアマネジャー氏より連絡が無いのをよしとするべきか……

 それにしても、ケアマネ氏の第一義の訴えである、“義母の認知力の更なる低下” こそが保証人にとっても最大の課題となろう。

 義母の認知力低下が突き進むと、更なる「損害賠償責任」行動を次々と引き起こすのか???
 もしそうだとすると、いくら義母に金融資産があると言えども、保証人にとってはその資産はすぐさま損害賠償金として消え去る事を今後の恐怖として再認識させられる事態だ。

 「なるべくお世話になっている貴方達(我々夫婦)に私の資産を残したい」と言うのが口癖の義母だが…

 その前に、ご自身が取るべき行動にこそ注意して欲しいと言ったとて、叶わぬ認知症状の進み具合に保証人の立場としては呆然とさせられるばかりだ……